(17)ルクス
マリアは近衛女性部隊たちの部屋を出た。
近衛隊たちは近くにはいないが、通路の置くから様子をうかがっているのはわかる。しかし、これ以上マリアは関わる気が無かった。二度同じようなことをするのならもう助ける価値はない。どうせ殺されることはないのだから後は自業自得だろう。
マリアは外で剣を振ろうと思っていたが、すでにかなり時間が経ってしまっている。そろそろヴィヴィアン王女の部屋に戻るべきだろう。
マリアは階段に向かう途中、誰かに呼ばれた気がして立ち止まった。そしてそのままそちらの方に歩いて行く。
もちろん剣に手をかけて警戒しながらだ。さっきの腹いせに罠をかけられている可能性もある。
しかしマリアは何事も無く廊下の突き当たりまで来た。そして左にある扉を見た。
「何してるんだ。てめぇ」
右から近づいてきている男にマリアは視線を向ける。男はマリアを見て驚いたようだ。
「お、おい、なんで剣に手をかけているんだよ。危ねぇだろ」
マリアは静かに応える。
「先ほど近衛女性部隊の部屋が近衛隊の男たちに襲われた。警戒していて当然だろう」
その男は舌打ちした。
「先走りやがって。俺は関係ないぞ。見回り担当だ」
この男は関係なさそうだと思い、マリアは警戒を解いた。
「この部屋にはだれが泊まっているんだ?」
マリアは扉に手を当てて尋ねた。
「そこは物置だ。狭いから人が泊まれない。物置に丁度良い大きさなのさ」
「なるほど」
「わかったらとっとと部屋に戻れ」
男はうるさそうに言った。
「私は姫様直属の近衛部隊だから、おまえの命令に従う必要は無い。私自身も見回りをしているところだ。明日からしばらく姫様が滞在するので、この建物の作りを知っておく必要がある」
「ふん、好きにしろ」
男は舌打ちをして行ってしまった。
マリアは男がいなくなったのを確認してからその物置の扉を開けた。無造作にロープやら鞄やら、板やら、雑多な物が置かれている。武具のたぐいはない。そういう貴重品はこんなところに置かないだろう。
マリアは再度周りに注意してから物置の中に入っていった。
マリアは自分がこの中から呼ばれていることに気がついていた。魔法の罠と考えた方がいい。それなら無視すればいいところだが、マリアは気になることを放置できる性格でもない。
「近衛魔術師が仕掛ける罠にしては巧妙すぎるが」
マリアは警戒しながら部屋を探っていたが、部屋の隅まで来たところでいきなり下に落ちた。マリアは声を上げそうになるのを抑える。マリアはそのまま滑り台のような所を降りて床に立った。
-ここはどこだ?
声を出さずにマリアは部屋を探る。真っ暗な場所だ。しばらく闇に目を慣らさなくてはならない。その間の不意打ちを警戒して、剣に手をかけたまま待つ。
少ししてやっと目が慣れてきたところで部屋の真ん中当たりに淡い光が灯った。
「なんだと?」
まぶしいと感じるほどではない。しかし異質だった。マリアは今まで人の気配を全く感じていなかった。それなのに光の中心には裸の少年が立っていたのだ。でも驚いたのはそれだけではなかった。その少年は死体だったのである。
「アンデッドか」
少年の目はつぶれ、あごも砕け、体中に鞭の跡が残り、胸や股間など所々の体が欠けていた。明らかに拷問を受けた後の少年だった。年はおそらく十歳に満たないくらい。
「人形? それとも死体を飾っているのか」
身動きしない直立した死体にマリアは様々な臆測を重ねる。しばらく見ていたが変化はない。そもそも光が灯っている理由も分からない。マリアは慎重にその少年に近づいていった。すると、不意にその少年は私の方を見た。マリアは剣を握って立ち止まる。
「やはり、アンデッド」
古城や廃坑跡に現れる魔物として知られている。意識はなく、ただ襲いかかるだけの雑魚だ。マリアが剣を抜こうとすると、その少年の死体は言った。
「来てくれたんだね。お姉ちゃん」
「しゃべる、だと?」
見るからに死体だし、喉も潰されているように見える。それなのにしっかりと発音していた。口が動いているので魔法というわけでもない。
「まさか、私を呼んだのはおまえか。おまえは誰だ」
直視しがたい姿だが、大けがをしているだけで死体ではなかったのかも知れない。それでも目の前の少年がただの少年だとは思えない。これだけの大けがをしているとしたら平然と立っていることは不可能だろう。
「僕はルクス。お姉ちゃんに会いたかった」
「私に?」
ルクスは自分の怪我を気にしているようには見えなかった。痛々しい様子も見せない。
「うん。助けて欲しいんだ」
「私は怪我を治すことはできない。しかし、ここから連れ出すことくらいならできるだろう。治癒魔法を使える奴は何人かいる」
するとルクスは不思議そうな顔をした。そして自分の体を見る。
「違うよ。僕と手を繋いで欲しいだけ」
「手を繋ぐ?」
「うん。僕はまだここから出ちゃいけないんだ。だからお姉ちゃんに来てもらったの」
マリアにはよくわからない。しかしルクスに呼ばれたというのは間違いないらしい。
「今、助けを呼んでくる。待っていてくれ」
マリアは出て行こうとして出口を探した。だが、周りには壁しかなく、叩いても開きそうになかった。自分が滑り落ちてきた天井を見ても閉じている。そもそもあの滑り台を登るのは難しい。
「大丈夫だよ。手を繋いでくれたらここから出られるから」
マリアがうろちょろしているとルクスはくすくすと笑う。
「どういうことなんだ」
マリアはルクスに詰め寄る。
「わかんない」
ルクスは即答した。マリアはまずはルクスから情報を得ることにした。
「その怪我は誰にやられた」
「わかんない」
「わからないわけはないだろう。拷問を受けたのだから」
それは明らかに拷問の後だった。ヴィヴィアン王女の今日の行為を見れば容易に想像できてしまう。しかしルクスは首をかしげる。
「何もされていないよ。自然とこうなったの」
いよいよ意味不明だった。しかしマリアは違和感に気がついた。傷からは血が流れ落ちていない。ルクスの周りの床を見ても血で汚れたようには見えなかった。
「おまえ、本当に何なんだ」
さすがにマリアもルクスを不気味に感じてきた。本来ならこんな怪しい魔物は斬り捨てた方が良いのかも知れないが、それが正しいかすら判断できない。ルクスはマリアに手を差し出した。マリアは意を決する。
「いいだろう。その後で話を聞かせてもらうぞ」
そしてマリアはルクスの小さな手をつかんだ。その瞬間、マリアの体から何かが吸い出されるような感覚が襲いかかる。マリアは慌てて手を放そうとするが、なぜか離れない。
「くっ」
マリアは左手で右手首を握って引き離そうとした。だが少年の手を握る右手は動かなかった。少しすると、いきなり繋ぐ力が止まって手が離れ、マリアは後ろに転んだ。
「な、なんだ」
「ありがとう。お姉ちゃん」
マリアは転んだ状態でルクスを見上げる。
「どういうことだ」
マリアは驚きで目を見開く。ルクスの体の傷は全て無くなっていた。可愛らしい笑みを浮かべた全裸の少年が立っている。淡い光の中にいるのでまるで天使のようにすら見える。
マリアはそこで気がついた。
「そうか。私の魔力を吸い取ったんだな」
マリアは自分の魔力が多いことを知っている。それが強制的に吸い出された。
「うん。空気の魔力だと元に戻るのが遅いの。お姉ちゃんの魔力はたくさんあるからどうしても欲しかったんだ」
マリアには空気の魔力というのはよくわからなかったが、どうやらうまくこの子に利用されたらしいことはわかる。
「おまえは魔術師なんだな。なぜここにいる」
マリアは立ち上がって少年に近づいた。少年の姿をしているが、かなり強力な魔術師なのだろう。
「わかんない。でも僕のことは言わないでね。バイバイ」
するといきなり壁が開き。マリアはその部屋から強い力で追い出された。慌ててマリアは振り返るが、そこには壁しかなかった。
「くそっ」
私は壁を叩く。
「お、おい。おまえ、いつの間に下に降りてきたんだ」
後ろから声をかけられて振り返ると、さっきの見回りの男が呆れた顔で立っていた。
「マリア、昨日の夜は何かあった?」
朝、ヴィヴィアン王女は身支度を調えながらマリアに尋ねた。すでにマリアは身支度を終えて控えている。
「近衛女性部隊の部屋が男たちに襲われていました。追い返しましたが」
「あらやだ。妊娠してもらっては困るのに。まぁ、できたときは仕方がないわね」
ヴィヴィアン王女はあっけらかんと言う。一応近衛女性部隊は貴族の娘たちだから、跡継ぎ問題が関わってくる。そのせいもあってヴィヴィアン王女は彼女たちを性的に虐待しても、妊娠させるような真似はしなかった。とはいえ、彼女たちが○○されようと、ヴィヴィアン王女にとってはどうでもいいことのようだ。
「食事前に一度キャロンを見てこようかしら。マリアはキャロンの様子を見たの」
「いえ」
「じゃあ、行くわよ」
マリアとヴィヴィアン王女は部屋を出た。二人が階段を降りると、階段の下には近衛女性部隊九人が揃っていた。ヴィヴィアン王女は彼女たちに声をかけずにただ歩き出した。マリアを筆頭に全員が付いてくる。
二階まで降りて、キャロンの拷問部屋まで来た。
扉を開けると相変わらずひどい異臭がした。ヴィヴィアン王女が露骨に顔をしかめる。
「臭いわね。どれだけたまっていたんだか」
中央に両足をエム字に開いて固定されているキャロンがいた。キャロンは体中が汚されていた。
「ん。朝か?」
うつむいていたキャロンは不意に顔を上げて大きなあくびをした。
「楽しめたかしら。○○は好きなのでしょう」
ヴィヴィアン王女が言うと、キャロンは軽い口調で答えた。
「本当は攻める方が好きなんだが。まぁ、それなりには楽しめたかな。強いていえば○○をさせてもらえなかったのが不満かな」
ヴィヴィアン王女は近衛女性部隊たちを振り返った。
「臭すぎるわ。何とかしなさい」
すぐに近衛女性部隊たちが動き出す。魔術師たちが水でキャロンや部屋を洗い、騎士たちは窓を開けて空気を入れ換え、その後で床や固定具を掃除する。もちろん優しく丁寧に掃除するというわけじゃない。そんなことすればヴィヴィアン王女から叱責が飛ぶだろう。優先すべきはスピードだ。どうせまた汚すのだから、だいたいでいい。
「遅い」
それでもヴィヴィアン王女が叱責する。近衛女性部隊たちは必死で掃除をした。近衛女性部隊が掃除を終えると、ヴィヴィアン王女はキャロンに近づいていった。
そしてさっそくキャロンの体を性的にいびり始めた。しかしキャロンはまったく無反応だ。むしろあら笑うかのような視線でヴィヴィアン王女を見ている。やがてヴィヴィアン王女は諦めた。
「痛みも感じないし、壊れもしない。調教しがいはなさそうだけど、それならそれで楽しむ方法はあるわ」
ヴィヴィアン王女は私たちの方に戻ってきた。
「私は食事に行ってくるわ。これ、準備して置いて」
そして近衛隊の一人に紙を渡す。
「マリア、サリー、バーバラ、行くわよ」
ヴィヴィアン王女は部屋を出て行く。マリアたちはヴィヴィアン王女に付き従って部屋を出た。
昨日と同じ二階の一室にヴィヴィアン王女は入った。すでにエドワード王子と近衛隊がいる。
「お兄様。早いわね」
ヴィヴィアン王女は椅子に座りながら言う。
「いつもは部屋まで運ばせている。おまえも明日からそうしたらどうだ」
「部屋で食べ物の匂いをさせたくないわ。私なら食堂でも大丈夫よ」
「王族がそんなわけ行くまいさ」
料理が運ばれてきて二人は食事を始めた。
「進展はなさそうね」
「まだ昨日の報告を聞いていない。そろそろ良い情報が入ってくるだろう」
「そうだといいけど」
「そっちはどうだ。何かしゃべりそうか」
エドワード王子に問われるとヴィヴィアン王女は首を振る。
「あの魔法の仕掛けがわからないと無理ね。泣きも叫びもしない女なんてつまらないだけよ。今日はもう少しきつめにしつけてあげるわ」
「まぁ、いい。好きに遊べ。あの女狐が有益な情報を漏らすとは思えないからな」
そしてエドワード王子は、ヴィヴィアン王女の背後で立っている近衛女性部隊に目を向けた。
「ところで、なぜ平民がここにいる」
「あら、私の部下よ。マリアって言うの。知っているかしら」
「知らんな。ああいう不気味な奴は処分しろ」
エドワード王子はマリアを見ながら言う。もちろんエドワード王子はマリアのことを知っている。今まで王城では目に付かなかったから無視していたが、この城では常に目に入るので不快なのである。
「次の近衛隊の武闘大会までよ。今年は私とマリアが出場するつもりなの」
マリアにとっては初耳の話だった。
近衛隊が新しい組織になってから毎年近衛騎士と近衛魔術師の力試しのため武闘大会が開かれてた。それに優勝するとエドワード王子から褒美が渡されるのだ。しかし近衛女性部隊は今まで出場したことがなかった。ヴィヴィアン王女が興味を持たなかったからである。もちろん近衛女性部隊の練度では、マリアを除き、とても出場に耐えうる力は無いだろう。ヴィヴィアン王女は当然腕に自信があったが、相手が男ばかりなので出場する意欲が湧かなかった。
「武術大会? おまえが出るのか?」
「ええ。それで提案したいんだけど。近衛騎士と近衛魔術師の枠を取っ払って一緒にやらない?」
「それだと、近衛魔術師が不利だな。呪文を唱えている間に叩かれる」
「あら、実戦でそんな事言っていられるかしら。近衛魔術師は武闘大会でも魔法比べしかしていないじゃない。じっくり呪文を唱えている暇が無いときでも使えないと役に立たないはずよ。戦いの中でどうやって魔法を使うのかの方が重要だわ。そう言う意味では近衛魔術師も近衛騎士と同じ部隊で戦って技を競うべきね」
エドワード王子の背後にいる近衛魔術師は顔を青くしていた。いつもの武闘大会では自分の使える最大の魔法を披露して競い合うものだった。近衛騎士のように一対一で戦うスタイルではない。
エドワード王子は少し考えた。
「なるほど。一理あるな。しかし、魔術師の成果である技を見せる場も必要だ。では、希望した者のみ近衛騎士と同じ舞台で戦えるようにするか。全員参加にすると死人が出るかも知れん」
「まぁ、それでいいでしょう。当然私とマリアの出場も大丈夫よね」
「平民を栄えある大会に出すわけにはいかん」
エドワード王子は首を振る。
「私の部下なんだから準貴族よ。問題ないでしょ」
「おまえが勝手に作った地位ではないか」
「それでも正式な地位だわ。だって近衛隊に入隊できるのは貴族のみっていう風にお兄様が規約を変えちゃうんだもの。仕方がないでしょ」
エドワード王子は苦々しくマリアを見た。
「仕方がないな。怪我はするなよ」
「大丈夫よ。私の実力は知っているでしょ」
マリアはこの大会でヴィヴィアン王女が自分を抹殺しようとしていることを覚った。近衛魔術師と近衛騎士を一緒の舞台に上げようとしたのは、自分が魔法と剣を同時に使いたいからだろう。近衛騎士の大会で魔法を使うわけにはいかない。しかしマリアに勝つには魔法が必須である。
そして、ヴィヴィアン王女はマリアに勝つために剣と魔法以外の策略も用意してくると考えられた。そうでなければ大きな舞台でマリアと戦おうとはしないはずだ。マリアは無表情で話を聞きながら、武闘大会までに近衛女性部隊を抜ける方法があるか考え始めた。
食事が終わり、ヴィヴィアン王女と三人の近衛女性部隊員は拷問部屋に戻った。
「私たちも食事を取ってきてよろしいでしょうか?」
マリアがヴィヴィアン王女に話しかける。
「あら、そうだったわね。でも、早く帰ってきなさい」
マリアとサリーとバーバラは礼をして部屋を出た。他の部隊員たちも交代で食事を取りに行っている。特にヴィヴィアン王女から指示はないので、上手くやらないと三食抜きになってしまう。
「ねぇ、マリア。守ってね」
バーバラがマリアの手をそっとつかんでいった。一瞬マリアは何のことかと思ったが、昨日の部屋での暴行のことだと気がついた。バーバラは昨日真っ先に被害に遭った一人だった。
「さすがに昼間から襲っては来ない。仕事中の私たちに手を出せば、姫様の邪魔をしたことになる。首が飛ぶぞ。他の奴らも問題なさそうだっただろ」
「そっか」
バーバラは少し安心して手を放した。
マリアたちが食堂に入っていくと、やはりざわめきはあったがそれ以上のことはなかった。特にマリアを前にして、ちょっかいを出す者はいない。
三人は食事を早々にすまし、拷問部屋に戻った。