(13)ヴィヴィアン王女
暗い小さな部屋がある。
そこにはたくさんのがらくたのような器具と日持ちのする食材が置かれていた。その真ん中で全裸の少年が横たわっていた。年は十歳に満たないと思われるが、今の姿からは判別が付かない。なぜなら、彼は剣で滅多切りにされていたからだ。体が繋がっているのが奇跡のような状態だった。しかし恐らく血は流れていない。生々しい傷口は血塗れに見えるが、地面に血だまりが広がっているということはない。
いきなりその死体のような少年は身を起こした。そして周りを見渡して一枚のカードを見つける。少年の手には少し大きくて持ちにくい銀色のカードだった。少年はその中央に指を当てた。
「あら、ヤッホー、ルクスよね。元気?」
カードの向こうから気楽な声が聞こえてきた。少年ルクスはカードを耳に当てる。
「ベアトリス。今日馬鹿王子がやってきた」
ルクスの声は少年らしい甲高さがあった。しかし話し方は妙に大人びていた。
「やっぱり。多分そんな電話だと思ったわ。どんな様子?」
「城を占拠されて、私は裸に剥かれて性処理道具にされているな」
「あら、アクアなら喜びそう」
「恐らく近いうちにあんたとアクアの方に近衛隊が接触するだろう。上手くやってくれ」
「オッケー。何か条件はある?」
「好きにしていい。魔石が馬鹿王子に渡れば十分だ。あと、ルクスがぼろぼろだ。早く回復させる方法はあるか」
ルクスは自分の体を見ながら言った。
「レクシアが変な魔法を使っているから、空気中から魔力を吸収して自然に回復すると思うけど」
「ちょっと、変な魔法って何ですか!」
電話の遠くで怒りの声が聞こえたが、ベアトリスは無視した。
「あまりにもダメージが大きいと壊れちゃうから注意して。どうしても回復を急ぎたいなら、魔力のある人間から吸わせるということもできると思うわ」
「そうか。今日は馬鹿王子を怒らせたからかなり手ひどくやられたたが、明日からはそれほどでもないだろう。まぁ、あまりにもひどいようなら誰か見繕ってルクスのそばに行かせるが・・・ルクスの存在がばれるとまずいからあまりやりたくないな」
「そうね。今回の魔法はルクスが重要だし、その辺りは気をつけてね」
「だったらあまり魔力を使わない方がいいかな。アクアへの連絡はベアトリスからやっておいてくれ」
「もう、いつも人を使うんだから」
「ルクスにしっかり休んでいてもらいたいだろう。適材適所さ」
「ああ、わかったわよ。じゃあ、切るわね」
そして電話が途切れた。ルクスはカードを床に置く。
「お腹空いた」
ルクスは傷だらけの体を引きずりながら四つん這いになって進み、乾燥した肉を取るとがつがつ食べ始めた。
※※※
いつも通りの朝。
マリアは目を覚ますとすぐに起き上がって、体を伸ばす。マリアのいる場所はヴィヴィアン王女の部屋である。天井から布が垂らされて仕切られた部分がマリアのいてよい場所である。布は透けているので向こうからもこちらからもよく見える。
ヴィヴィアン王女は豪奢なベッドでまだ寝ているようだった。
マリアは床に毛布一枚を引いて寝ている。部屋は快適な温度になっているので、一年中このままでも寝泊まりできる。マリアに許された空間はこの仕切られた内側のみであり、それ以外はヴィヴィアン王女が命令するまで動けない。マリアはこの部屋では空気のような存在である。
マリアはすぐに柔軟運動を始めて体を起こしにかかる。ある程度体が暖まってきたところで、逆立ち腕立て伏せを始める。
そんなことをしているとヴィヴィアン王女も起きた。すぐに侍女を呼びつける。
侍女がすぐに扉を叩いて中に入ってきた。扉の前で待っていたのだと思われる。ヴィヴィアン王女は侍女が持ってきた水で顔を洗い、顔を整える。
「水が冷たすぎるわ」
そしてヴィヴィアン王女は侍女の頬をつねりあげた。
「い、痛っ」
苦しむ侍女の顔を見てヴィヴィアン王女は唇を舐めた。
「次からは気をつけてね」
ヴィヴィアン王女は手を放した。もっとも、ぬるければぬるい、熱ければ熱いと何にでも因縁をつけてくるので、侍女が対処できる方法はない。
ヴィヴィアン王女は普段から戦士スタイルで、全て自分で装備する。だから、侍女がやれることはせいぜい脱いだ服を畳んだり、髪を整えたりといった程度である。それだけなのに、たいてい一度は叩かれたりつねられたりといった虐待を受けることになる。
身支度を終えたヴィヴィアン王女は、まだ筋トレを続けていたマリアに向かって言った。
「今日は午前中の基礎鍛錬は行わないで訓練場に集まって待っていなさい。全員に伝えるように」
そしてヴィヴィアン王女は部屋を出て行った。
ヴィヴィアン王女はいくつか自分の部屋を持っている。寝室は寝るためと、近衛女性部隊員に「しつけ」をするための部屋である。他にも書斎や歓談室を自分専用に持っていて、訓練場に居ないときはそのどちらかにいる。書斎は仕事部屋を兼ねており、歓談室は自分の休憩部屋でもある。どちらの部屋もマリアも近衛女性部隊も立ち入り禁止である。
マリアは一通り体を動かしてから、食堂に向かった。食堂に行くと他の近衛女性部隊員たちが来ていた。他にも王宮で働く人たちが来ている。朝の時間は混むので、早めにマリアは食堂に来るが、同じ事を考える人も多いので結局は混んでいる。
マリアは近衛女性部隊たちのそばに行った。
「姫様から、今日の基礎鍛錬は中止して訓練場に集まっているようにとのことだ。他の奴らにも伝えてくれ」
「・・・。また、遠征に行くのかしら」
近衛騎士のヘレンが言う。何も無いときは訓練ばかりさせられる近衛女性部隊だが、遠征や他の仕事があるときはいつもと違う指示がある。
「さあな。まぁ、そうなれば私は休めるわけだが」
マリアは遠征には連れて行かれない。一年前から留守番に決まっている。
「辞めるまで遠征は避けたかったのに」
ヘレンは肩を落とす。ヘレンはマリアと同じく近衛女性部隊の設立時から所属しているメンバーで、辞めたくてもなかなか辞めることができなかった一人である。最近やっと縁談の話が来て晴れて辞める算段をしていたところだ。もちろんまだヴィヴィアン王女には伝えていない。
「もう遠征も慣れているだろう」
マリアが言うとヘレンは首を振る。
「新人が七人よ。前回もかなり危なかった。これ以上だと本当に死人が出ると思うわ」
現在の近衛女性部隊の総数はヴィヴィアン王女の除いて十人で、一年前から人数自体はそれほど変わっていないが、構成員が大きく違う。
盗賊団襲撃の遠征の後、恐れをなした近衛女性部隊員の退団が相次ぎ、マリア以外には近衛騎士のヘレンと近衛魔術師のサリーの二人しか残らなかった。そのため、残りの七人は全て今年入団した隊員なのである。ヴィヴィアン王女にとっても旧来の隊員をいたぶるのに飽きてきており、そろそろ新しい女たちを加えたいと考えていた。新しい隊員の方がヴィヴィアン王女の嗜虐欲を満たしてくれる。
「あんたが辞めると、ますます大変になりそうだな」
「サリーもやっと相手を見つけられそうだと言っていたし、経験者はいなくなるわね。経験者と言っても私やサリーなんて大したことないけど」
暗にヘレンはマリアに付いて来て欲しいと訴えている。現場で的確な指示ができるのはマリアだけだ。今はヘレンがその代わりをやっているが、マリアほどうまくできているとは思えない。
「私も逃げ出せるならそうしたいところなんだけどな」
マリアは会話を切り上げて、食事に戻った。
マリアの立場は非常に微妙なものだ。王宮で唯一の平民であり、なぜかヴィヴィアン王女の部屋に寝泊まりしている。
侍女たちはマリアに同情的だが、誰もヴィヴィアン王女がマリアを近くに置いている理由は分からなかった。もちろん他の近衛女性部隊もわからない。
ただ、扱いが良くないのは良く知られていて、訓練場では四つん這でヴィヴィアン王女の人間椅子にされているのがよく見られている。訓練場の椅子は汚いので座りたくないという理由である。
もっともほとんどの時間はマリアはいない者のように扱われており、近衛隊への指示の伝達と椅子か台の代わりか、「しつけ」の手伝いをするか程度の仕事である。強いていえば、ヴィヴィアン王女が何かの弾みで転びそうになったりすれば、それを助ける義務がある。元々はマリアが自主的に助けていたのだが、今はそれをしないと殴られたり蹴られたりするようになった。
一方で、マリアはヴィヴィアン王女がなぜ自分を身近に置いているのか理解していた。
ヴィヴィアン王女はマリアと完全な決着をつけたいと思っているのである。そしてそれは人前で完膚なきまでにたたきつぶす必要があった。そうしなければ、剣でも魔法でも天才と言われてきたヴィヴィアン王女のプライドが許さない。
ヴィヴィアン王女は幼少の頃から才能に恵まれていたが、トップクラスの師匠に学んだこともあってぐんぐん実力を伸ばした。そして常に努力もいとわなかった。その結果、十八歳で学園での魔法と剣術の成績は主席となり更には師匠にも五分で張り合える実力者となった。ヴィヴィアン王女ももちろん更に上のレベルの存在があることは知っていたが、五歳年上の平民ごときが自分より上というのは我慢できなかった。
模擬試合ではどうしてもヴィヴィアン王女はマリアの守りを崩せない。剣をすり替えても対応してくる。剣に魔法を合わせて攻撃したときすら躱された。ヴィヴィアン王女自体も遠征で鍛えているので強くなっているはずなのに、マリアに一向に致命的なダメージを与えられなかった。そして模擬試合でヴィヴィアン王女が体力や魔力の限界に近づき、怒りのあまり我を失いかけると、あっさりマリアはヴィヴィアン王女の剣を受けて降参する。
すでにヴィヴィアン王女もマリアに手を抜かれていることに気づいていた。それは屈辱であり、許されない行為だ。しかし、人前では咎めるわけにも行かない。自分がマリアより弱いと認めてしまうことになる。
マリアはそんなヴィヴィアン王女からどうやって円満に退職できるかばかり考えていた。他の隊員のように婚姻で辞めるのは難しい。遠征にでも連れて行ってもらえれば、事故で死んだことにして逃げられるかも知れないが、それもない。
まだ当分ヴィヴィアン王女に負けるとは思っていないが、最近は手段を選ばなくなってきていて怖い。お互い剣を構えた瞬間に超巨大魔法をぶちかまされたこともある。もちろんそれを予想して躱せるマリアも大概ではあるが。
訓練場でマリアを初め十人の近衛女性部隊が待っていると、颯爽とヴィヴィアン王女が現れた。近衛女性部隊たちは敬礼をして迎える。
「みんな揃っているわね」
ヴィヴィアン王女は満足そうに見渡すした。
「今日は遠征することにしたわ」
やっぱり、という空気が流れる。遠征はヴィヴィアン王女の趣味のようなもので、いつもいきなり決まる。こうして朝に呼び集められることもあれば、訓練中に突然招集される場合もある。
「場所は、グレスタという町のグレスタ城。今から行くと、ドルド村で一泊することになるかしら」
行き先が明確に決まっていることは珍しい。ヴィヴィアン王女の遠征では大体の方向くらいしか決まっていないことの方が多い。
「昼前には出発したいから、すぐに準備しなさい。そうね。一週間から一月くらいはグレスタ城に滞在することになるわ。そのつもりで準備しなさい」
その発言に近衛女性部隊は戦慄した。今まで最長でも四日程度の遠征だった。一週間から一月というのは初めてだ。
そしてヴィヴィアン王女はマリアに目を向けた。
「今回の遠征は付いてきなさい。私の身の回りの世話をする役割をあげるわ」
マリアは心の中で舌打ちをする。今回も居残りになると思っていた。しかも一月も遠征が続くのなら、マリアにとっては幸運な休暇になるだろう。しかしその望みは崩れた。結局今まで通りヴィヴィアン王女の奴隷仕事をやらされるらしい。
「わかりました」
マリアは素直に応えた。
「じゃあ、解散よ」
ヴィヴィアン王女も遠征の支度のために部屋を出て行った。ヴィヴィアン王女がいなくなって近衛女性部隊たちは戸惑っていた。
「一ヶ月って。どんな準備すればいいの?」
さっそくサリーがマリアに聞いてくる。
「いつも通りで構わない。城に滞在すると言うことは野営がそれほど長いというわけではないだろう。グレスタを拠点に動くというのなら、グレスタで必要なものは仕入れられるはずだ」
詳しくは知らないがグレスタはそこそこ大きな町だったかと思う。こちらは十人しかいないのだから、それほど大仰な準備をすることはない。
マリアは明らかにげんなりした顔の近衛女性部隊を置いて部屋を出た。彼女たちを気にしている余裕はない。自分はヴィヴィアン王女の手伝いをしなくてはならないのだ。
ヴィヴィアン王女が遠征を決めたのは近衛魔術師隊と近衛騎士隊が城からいなくなったからだった。
数日前にエドワード王子が近衛魔術師隊と近衛騎士隊の大半を連れて城を出て行ってしまった。かろうじて行き先は突き止めたが、それ以上の詳細はわからなかった。今はダグリシア治安隊だけが従来の仕事をしている状況だった。
ヴィヴィアン王女はダグリシア治安隊と同じ居残り組になっているのが屈辱に感じた。それに隠し事をされているのも気にくわない。そこで、ヴィヴィアン王女もエドワード王子がいるというグレスタ城とやらに行ってみようと思い立ったのである。
それから二日後。朝方に近衛女性部隊はグレスタに着いた。
ヴィヴィアン王女たちの馬車が入っていくと、受付の衛兵は豪奢な馬車にヴィヴィアン王女がいると知って慌てふためいていた。ヴィヴィアン王女たちの馬車はそのまま大型宿舎の馬車置き場に案内される。
ヴィヴィアン王女は領主の館へ行くのを断り、スーザンを伝令としてグレスタ城に向かわせた。
ヴィヴィアン王女はエドワード王子に自分がグレスタに来ることを伝えていない。言っても断られるに決まっているからだ。そこで、グレスタに着いてからエドワード王子に伝えることにしたのだった。ここまで来てしまえば、エドワード王子も受け入れざるを得ないだろう。
「出発は二時間後よ」
ヴィヴィアン王女は近衛女性部隊員たちに伝えた。そこに、太った男と衛兵隊が走り寄ってきた。
「これはこれはヴィヴィアン様。いらっしゃると知っていたら出迎えましたのに」
太った男が息を切らせながら言う。しかしヴィヴィアン王女は一瞥していった。
「誰?」
「は、はい。陛下よりこの地の統治を申しつけられました。ハワード・ジャクソンでございます。そして彼らは・・・」
「ああ、そう。ちょっと立ち寄っただけよ。すぐに出て行くわ」
「いえ、ぜひ我が屋敷に立ち寄っていただければと」
ハワード・ジャクソンは必死に懇願した。つい先日もエドワード王子が着たという噂があるのに一度も会えていない。
「うるさいわね。それより、グレスタ城は今どうなっているのかしら」
「グレスタ城ですか。先日殿下もいらっしゃったようなのですが、こちらにも寄らずまっすぐにグレスタ城に行ってしまわれて、私どもも何があったのかわかりません。私どもも何度かご挨拶に伺おうと思っているのですが、断られております。ただ、グレスタの商人たちは毎日のようにグレスタ城に通っておりまして、話を聞く限り、あのうち捨てられた城が見違えるように立派になっているとか」
ハワード・ジャクソンは必死で知っていることを話す。ヴィヴィアン王女は思案した。
「近衛隊を連れて、グレスタ城で何をするつもりかしら」
「それは私どもには・・・」
「まぁ、いいわ」
そしてヴィヴィアン王女は近衛女性部隊たちを見る。
「あなたたちは待機。私は少し出歩くわ。ルーシー、テリーサ、一緒に来なさい」
そしてヴィヴィアン王女はハワード・ジャクソンを置いたまま立ち去った。
「お、お待ちください」
ハワード・ジャクソンと衛兵たちはヴィヴィアン王女を追っていく。彼らがいなくなってからマリアが残っている近衛女性部隊に指示をした。
「馬を休ませ、装備と馬車のチェックをしろ」
すると近衛隊たちはすぐに作業に取りかかった。王女の馬車ということで、すでに宿舎の人間が手伝いに入っている。マリアは少しは休めそうだと安堵した。
ヴィヴィアン王女付きのマリアが置いて行かれたのは街中だからだ。マリアは今は小綺麗にしているとは言え、やはり周りから浮いている。しかも平民である。王族であるヴィヴィアン王女は王宮以外でマリアを連れて歩くことはしなかった。その代わり王宮ではマリアは常にそばにいなければいけない。離れるときは必ず断りを入れることになる。
そして町を見て回っていたヴィヴィアン王女がつまらなそうな顔で戻ってきた。相変わらずハワード・ジャクソンと衛兵達が突いてきている。
「何もない町ね。さて、グレスタ城に向かいましょうか」
近衛女性部隊はグレスタを出発した。