(10)半年前-マリア
以前の第一から第三までの近衛隊は、近衛魔術師隊、近衛騎士隊、ダグリシア治安隊、近衛女性部隊の四つへ再編されたが、変わったのは近衛隊だけではなかった。王都ダグリシアの様子は徐々に変化していた。
もともとエドワード王子は平民嫌いであった。近衛隊に平民がいることが許せないだけではなく、美しい王都であるダグリシアに平民という存在が生きていることすら認めていなかった。
父親のジョージ王が多くの愛妾と後宮に閉じこもるようになると、エドワード王子は自分の理想を周りに押しつけていった。
元々ジョージ王は政治に興味が無い。父親のヘンリー王を排除して王位に就いたのは宝物と女性に囲まれて贅沢に過ごしたかったからである。それでも初めの頃は側近たちに無理難題をふっかけながら、政治らしきものを行ってきたが、エドワード王子が色々と口出しし始めると、すぐに面倒くさくなり、引きこもるようになった。
エドワード王子は、老朽化による災害防止ということで新都市計画を発動させた。新都市計画と言いながら、老朽化したと見なされたのは平民街ばかりである。すなわち、これは平民追い出し政策だった。
貴族の中には平民の労働力に依存している者もいるため、エドワード王子も一気に平民を排除することはできなかったが、徐々に平民街の面積は減らされていった。
マリアは数ヶ月ぶりに平民街を訪れた。そしてその変化に愕然とした。どんどん区画工事が進み、どこもかしこも工事中である。働いているのは平民労働者のようだったが、立てられているものはがっしりした立派な建物で、平民が住むためのものとは思えなかった。
平民たちも今は仕事が多く稼げるだろうが、全てが終わってしまえばこの町を立ち去るしかないだろう。
マリアはそんな一角を通り過ぎて、まだ壊されていない平民街の区画を進んでいく。みすぼらしい家が並ぶ中の一件にマリアは入っていった。
そこは店として看板を掲げていないが、平民の中では腕利きの薬屋として知られていた店だった。マリアはここの常連客であった。
常連客といいながら、ここに来るのが数ヶ月ぶりなのはマリアの自由が極端に制限されているからだ。半年前までは月に一度くらいのペースで通えた。しかし、今は一人で外に出る時間は少ない。
マリアは近衛女性部隊の遠征に連れて行かれないが、その時もヴィヴィアン王女はマリアの自由を制限する。奴隷扱いのマリアはヴィヴィアン王女が不在の時はメイド長の命令で宮殿の雑用をやらされていた。指示されているのか元々の性格なのか、目突きの悪いメイド長はとても一日では終わらないような仕事量をマリアに押しつけた。マリアは素直に従うが、掃除や皿洗いなど、今までほとんどやってきたこともなく、プロのメイドのように動けるわけはない。常にメイド長から罵声を浴びながら、マリアは与えられた仕事を黙々とこなしていた。
そんなマリアが宮殿を出て平民街に来れる機会というのは、近衛女性部隊が遠征に赴いていて、メイド長が外出や休みなどでいなく、メイドたちがマリアの仕事を肩代わりしてくれたときに限る。
マリアは実はメイドたちからとても人気が高かった。マリアは不器用ながらも文句も言わずに言われた仕事をするし、言葉遣いは悪いがメイドたちに親切に接している。ヴィヴィアン王女は奴隷扱いのマリアに対しても汚いままでいることは許さなかったので、今のマリアは男の騎士程度には髪を伸ばしており、むだ毛の処理もしっかりしていて身綺麗である。すなわち頼れる男子扱いである。影でファンクラブなるものがあるとも聞く。
今日は本当に久しぶりの一人の時間となったので、さっそくマリアは平民街に繰り出した。夕方にはメイド長が帰ってくるようなので、早めに戻らなくてはいけない。それに自分の代わりをしてくれているメイドたちにもお土産を買う必要があるだろう。
「開いているか」
店に入ってマリアは言う。店内の様子は数ヶ月前に来たときから様変わりしていた。元々店に商品を多く並べているような店ではなかったが、今は全てが取り払われて閑散としていた。
「あら、いらっしゃい。マリア、久しぶり」
奥から、マリアと同い年くらいのそばかす顔の女性が出てくる。
「何かあったのか? コリン」
マリアは店の中を見渡しながら言う。するとコリンは苦笑した。
「見ての通りよ。さすがにもうそろそろ限界。店を閉じてこの町を出ることにしたの」
「そうか」
マリアは小さくつぶやいた。マリアは近衛女性部隊やメイドたちとの付き合いは仕事の上と割り切っている。だから、薬師のコリンが唯一といえる気軽に話せる人間だった。
「さすがにこれだけ締め付けが厳しくなるとね。ここに居続けたら問答無用で逮捕されちゃうよ」
「寂しくなるな」
マリアは素直に言った。今までも彼女には色々と助けられていた。マリアは十代で近衛隊に入ってから男たちに○○される毎日だった。妊娠が怖くてここで避妊薬を買い求めたのが付き合いの始まりだった。
それから、いろいろな相談をして、対魔薬だとか睡眠薬だとかその時のマリアの問題に合った薬を処方してくれた。時には助言や注意もくれた。本人には伝えていないが、マリアはコリンにとても感謝していた。
「私も寂しいよ。マリアはいつも一所懸命だから、危なっかしくて」
「どこに行くんだ?」
「あら、追ってきてくれるの」
コリンが茶化す。
「仕事を辞めることができたらそれもいいな」
マリアが応えるとコリンはふふと笑う。
「決めてないのよね。まずはみんなと同じでトワニーに行くけどね」
「ああ、岩地に勝手にできた町だったな」
「まぁ、貴族たちが黙っていないだろうから、あの町もどうなるかわからないけど」
トワニーはダグリシアを追い出されて行く先の亡くなった平民が岩地に作った野営地がそのまま発展してしまった町である。まだ集落レベルなので、更にそこから離れていく者も多い。
コリンはマリアを見て笑顔で言った。
「今日は閉店だから全部サービス。何が欲しい」
コリンは店を閉めることになったというのに明るい。マリアはそれが少し意外に思ったが、コリンの腕ならどこでもやっていける自信があるのだろうと考えた。
「そうだな。耐魔薬と、そろそろ避妊薬が切れそうだから、避妊薬もいつもより多めにもらおうかな」
マリアが言うと、コリンは心配そうに言った。
「ねぇ、未だに男からそういう目に合ってるの? もうマリアなら全部力尽くで拒否できそうなのに」
マリアは笑う。
「実はここのところ男とそういうことはしてないんだ。今の部隊に入って唯一良かったことは私が女扱いされないことだな。だが、部隊員たちの子にも分けているんでね。もっとも彼女たちは貴族だから、さすがに、中には出されていないようだが」
貴族の娘が結婚前に妊娠するのはまずい。ヴィヴィアン王女もその辺りには注意を払っているようだ。
「じゃあ、そんなに必要?」
「必要ないけどもらうよ。コリンとはもう会えないかも知れないだろ、少しでもコリンとの繋がりを取っておきたいからね」
するとコリンの目に涙が浮かんだ。
「ちょっと、そういう事言う? 男前すぎるんだけど」
「コリンには感謝しているから」
「うわっ、泣かせる気満々だ。いつからこんな女ったらしになったんだか。もう、待っていなさい。準備してくるから」
そしてコリンは涙を隠すように店の奥に引っ込んでいった。マリアはここにいる間だけいつもより力を抜いていられる。
やがて、コリンが袋いっぱいの薬を持ってきた。
「これがいつもの避妊薬。それから、これ、新型の耐魔薬。まぁ、魔力循環ができるようになっちゃったマリアには効かない耐魔薬だけど」
コリンの薬の処方は独特である。その人のその状況に合った薬をてきとうな名前で売っている。この耐魔薬は魔力循環のできないマリアが、相手の精神系魔法を受けにくくするため、僅かに魔力を動かす薬草を処方した薬であり、マリアのように全く魔法が使えない人間にしか効果は無い。しかしマリアは体内の魔力を動かす方法を学んだので、すでに対魔効果は無くなってしまった。その代わりマリアは魔力を動かす感覚の訓練用にこの薬を求めていた。
「魔力循環ができるというほどではない。だから、こういう薬で感覚を忘れないようにしないと使えなくなるんだ」
「ふふ。だから本当は対魔薬じゃないのよね、混合割合を変えたから、今まで以上に感覚がわかると思うよ。副作用も押さえておいたし。ただし、強力だからあまり飲み過ぎないでね。まとめ飲みは禁止」
「助かる」
マリアは受取料金を払おうとしたが、コリンに額を叩かれた。
「サービスって言ったでしょ。もう店を閉めたんだから、売り買いは無し。これは私からのマリアへのお礼ね」
「礼をされるようなことはしていないけどな」
マリアが言うと、コリンはくすりと笑った。
「私も同年代の友達も少ないし、マリアはお客さんだけど、友達のように思っていたよ。いつもありがとう」
一瞬マリアの目頭が熱くなりかけるが、マリアはそれをこらえて応えた。
「そちらこそ私を泣かせようと企んでいたんじゃないのか?」
「泣いてくれるなら嬉しいな」
「私は負けず嫌いでな」
そして二人は笑い合った。
「じゃあ、元気で」
「マリアも、体に気をつけて」
マリアは長年通っていた薬屋を後にした。
その足でマリアは常勝亭に向かう。もちろん近衛隊であるマリアは平民とはいえ堂々と入っていかない。常勝亭には貴族の依頼専用の入り口がある。
マリアが入って窓口を叩く。しばらくすると小窓が開いた。
「あら、お久しぶりですね。マリアさん」
人の良さそうなおじさんが顔を出した。
「いつもと同じだ」
マリアは大量の稀少石とカードを窓口に置く。
「毎度ありがとうございます。でも、ギリギリでしたね。実は常勝亭もそろそろ閉める予定でした」
そのおじさんはカードと稀少石を受け取る。
「やはりそうか。必勝亭の方もか?」
「向こうはもうすでに閉めてしまいましたね。ただ、トワニーで新しい店を開く予定です。行くところのない職員もいますし何より冒険者たちのもうけ口は確保したいですからね」
そしておじさんは稀少石とカードを持って奥に下がった。やがておじさんが戻ってきてカードを渡す。マリアはカードに書かれている細かい明細をチェックした。
「換金はどの冒険者の宿でもできるんだろうな」
「疑い深いですねぇ。何度も説明したじゃないですか。この仕組みは他の冒険者も使っていますよ」
「私は冒険者ではない。このカードが偽物だと言われてはたまらない」
「特例カードというのは確かにそれほど公に知られていないですけど、どの冒険者の宿でも使えますって。私も持っていますからね。このカードは冒険者カードと同様で偽装できないですから安心してください」
マリアには確認する方法はない。ただこの男とこのカードを紹介した冒険者の男を信用するだけだ。
マリアは平民にしては高給取りだ。そしてその給与は全て貴族街の金融機関ダグリシア商会に預けられる。しかし、マリアはこの金融機関を全く信用していない。もしマリアが処罰される対象になれば、あっさりマリアの口座はストップさせられ無一文で放り出されるだろう。
そこでマリアは平民街でお金を預かってもらえる場所がないか探したのである。
実際にはそんな場所はなかった。しかし平民の中でも高給取りの冒険者がどうやっているのか調べたところ、冒険者カードを持つ者は冒険者の宿にお金を預けておける制度があることがわかった。実際は冒険者が依頼の途中で採取してきた稀少品や魔石などを冒険者の宿が買い取り、そのお金の受け取りを後回しにできるルールである。形の上では冒険者の宿の現物預かりという位置づけだが、冒険者の宿は預かった物をすぐに業者に売ってしまうので、現物で返してもらう事は事実上不可能であり、お金を預けているのと同じことになる。そのため依頼報酬そのものは預けておくことができない。
マリアは、貴族街で全ての給料を稀少石や中古武具の購入に充てて、それを冒険者の宿に預けていた。
これは本来は無意味な行為である。そもそも冒険者が集めてきた稀少品が加工されて貴族街で売られているのである。それを買い戻し、また冒険者の宿に預けても、そこから得られる金額は更に少ない。
ただ、マリアはかなりの損をしていることは理解しつつもあまり気にしていなかった。そもそも宿舎に住んでいて自由もないマリアはお金の使い道がない。貯めているのは近衛隊を辞めた後のためのものだ。実際、マリアの特例カードに積み立てられている金額は普通の平民が一生かけても貯められないほどになっている。
「困ったな。別の方法を考えないとダメか」
「まぁ、トワニーに来ることがあったらまた声をかけてください」
そしてその男は窓を閉めた。
マリアは常勝亭を出て外を見上げた。
町がどんどん変わっていき、まるで自分の居場所もなくなっているような気がする。
「さて、時間もないか。みやげは何にするかな。さすがに貴族街の店はつぶれていないとは思うが」
マリアは足を貴族街の方に向けた。
新たな建設が著しい町並みを見ながらマリアは王宮に帰った。