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第二章 美しき四夫人ー⑥


 四夫人のよる茶会が行われた日の、夕刻のこと。


 鈴舞はなんと、劉銀の執務室へと呼び出された。


 ――劉銀には早く話は聞きたいと思っていたから、ちょうどよかったわ。


 なぜ自分を武官として後宮入りさせたのか。女官の行方不明事件との関連あるのか。そして何よりも、なぜ男装させたのか。


 彼には尋ねたいことが山ほどあった。


 執務室の扉の外には衛士(えじ)が槍を立てて立っていた。彼は鈴舞の姿を一瞥すると、扉の中に向かってこう声を張り上げた。


「陛下、武官が参りました」


「通せ」


 執務室からはすぐに、朗々たる声で返事がきた。衛士が扉をそっと開けると、鈴舞はゆっくりと足を踏み入れた。


 劉銀は執務のための机ではなく、くつろぐための茶卓に向かうように席についていた。彼の傍らには、祥明が佇んでいる。


「鈴ま……鈴翔、参りました」


 その場で叩頭する。皆が鈴鈴と愛称で呼ぶので、まだ男性名に慣れておらずうっかり本名を言いそうになってしまう。


 ――まあ、ここは私が男装をしていることを知っている人しかいないから、別にいいのかも。


「そんなにかしこまるな。楽にしろ」


「――はい」


 劉銀に言われた通りに顔を上げる鈴舞。しかし劉銀は、いまだに跪いている鈴舞に対して、眉をひそめて不満そうな顔をする。


「だから、かしこまるなと言っているだろう。ここには俺と祥明と、お前の三人しかいない。この面子の時は、昔のようにしろ」


「昔のように、とは……?」


「俺がお前の父……朱敬輝(しゅけいき)殿の道場に身を置いていた時のようにだ。あの頃は、身分の差などないようなものであっただろう」


「あ~……。劉銀、よく鈴鈴にぶん殴られてたよな」


「お前にもな」


 気安く話し出す劉銀と祥明。その掛け合いは、本当に遠いあの日々を鈴舞に思い起こさせた。


「……なるほど。わかりました。では、お言葉に甘えて」


 鈴舞は立ち上がると、すたすたと劉銀に近寄った。そして彼と向かい合わせになるように茶卓につく。――そして。


「……ちょっと劉銀! どういうことなのです!? 妃の護衛はまあ分かりますけど、なぜ男装なのですか! 納得のいく理由を説明してくださいね!」


 茶卓ごしに劉銀に詰め寄るながら、鈴舞は声を荒げた。


 ――とにかく、まずはこれを言ってやりたかったのよ!


 ずっと抱えていた疑問をぶちまけることができたためか、興奮して呼吸すら荒くなってしまう鈴舞。


 肩で息をする鈴舞を、少しの間劉銀は目を見開いて眺めていたが、何故か抱腹し始めた。


「はははは……。いや、鈴鈴、昔のままだなあ、お前は。まったくすれていないようで、俺は安心したぞ」


「何を笑っているんですか!? こっちは笑い事じゃないんですからね! (かわや)や着替えなど、いちいち大変なのですよ!」


「まあまあ、落ち着け。青茶が入っている。飲みながら、話をしようじゃないか」


「まったく……」


 促され、茶卓に置かれていた茶杯を手に取る。まだ煎れたてのようで、程よい熱さだった。青々しいが、濃厚で上品な苦み。普段自分が道場で煎れていた、ただのどを潤すための茶との味の差は歴然だった。


 茶杯も虹色の光沢のある螺鈿(らでん)模様が施されており、一目見て最高級品だと分かる。


 茶葉も茶器も、皇帝に献上された物なのだから、至高の一品なのは当然のことである。


 しかしただの昔馴染みの男が、一国の主であることを改めて鈴舞は思い知らされてしまう。


 ――やっぱ曲がりなりにもこの人皇帝なのよね。本当に昔のように振るまって大丈夫なのかな……。でも、本人がそれでいいって言っているし、祥明もそんな感じだし。まあ、いいわよね。


 一瞬皇帝の威光に戸惑ったものの、深くは考えないことする。


「さっきの問いだがな。いろいろ思案した結果、これが一番いい方法だったのだ」


「……私を男装させて林徳妃様の専属の武官につけることがですか?」


「そうだ」


 劉銀はこんな説明を続けた。


 女官の行方不明が立て続けに起こっているため、後宮内の警備を厚くすることにした。特に、現在もっとも位の高い四夫人には、専属で武官をつけるよう命じた。


 だが、専属の武官ともなれば、絶対の信頼が持てる人物でなければならない。女官や衛兵に紛れた間諜に妃嬪が殺められることなど、後宮ではそう珍しいことではないのだ。


 林徳妃以外の四夫人は、信頼のおける女官の中に武官がいたり、縁者に腕の立つ者がいたりしたので護衛はすぐに決したが、林徳妃だけはそのつてがなく、なかなか護衛をつけることができなかった。


 寵姫である彼女を守れないのはまずい……と、思考を巡らせた結果、鈴舞の存在を劉銀は思い当たったのだ。


 鈴舞ならば、劉銀とは旧知の仲で絶大な信頼がある。後宮内で繰り広げられる権力争いとも、まるで関係がない。武道についての実力も申し分がない。


 そして、男装をさせた理由だが、それは女官の行方不明に起因する。女として後宮入りさせれば、それこそ鈴舞だってかどわかされてしまうかもしれないのだから。


 宦官からはひとりも行方をくらませたものがいないことから、「それでは宦官のふりをして男装させて護衛をさせればいいではないか」という結論に、劉銀は至ったのだとのこと。


「ええ……。でもひとりくらいはいらっしゃったのではないんですか? 武芸達者な男性や宦官が。だってここは、華王朝の後宮ですよ?」


「武芸達者なものなら、あまりあるくらいいる。……が、やはり確実に信用できる人物となると、一気に難しくなる。善良そうな顔をして裏切る輩など、ごまんといる場所だ。その点お前は、一切その心配はない」


「うーん……。それは、そうかもしれないですけど……。いや、でもやっぱり男装って。ちょっと、あり得ないと思うんですけど」


「まあ、これを思いついたときは若干……いや、かなり、なんて面白いことを俺は思い当たったのだろうと、自負した」


「……は!? 一体私をなんだと思っているんですか!」


 にやつきながらとんでもないことを言ってのける劉銀に、鈴舞は再度まくし立てる。しかし彼は、ますます笑みを濃くするのだった。


「実際、茶会での立ち会わせは面白かったしなあ」


 今まで、鈴舞と劉銀の会話を呑気に眺めていただけの祥明が、口を挟んできた。


「祥明、あなたまで……」


「いやいや、だって光潤って、武官の中じゃ相当強い方だぞ? 俺だって全然気を抜けない相手なんだけど」


「うむ。まさかあんなにあっさりと一本取ってしまうとはな。予想以上に腕を上げたな、鈴鈴」


「あ、でもあの人もっと強いと思います。私が見るからに弱そうだから、油断していたのではないかと。たぶん、次やったらあんなに簡単には勝てないですよ」


 光潤のことを思い起こしながら鈴舞は言う。


 ――あの人、私が武官であること自体疑ってかかってるくらいだったもの。そんなんじゃ、私とは勝負になるはずもないわよね。


 そんなことを脳内で考えていると、劉銀は鈴舞を見ながら小さく声を出して笑っていた。何も面白いことは言っていないはずなのに一体何なのだと、鈴舞は思わず彼を半眼で見据えてしまう。


 しかし劉銀はそんな鈴舞の視線など受け流し、急に涼しい顔になった。


「さて、戯れはここまでだ」


「私は別に戯れたつもりはないんですけど……」


「鈴鈴。お前には、林徳妃の護衛をしつつ、女官の行方不明事件について探ってほしいのだ。もちろん、現在も人手を割いて調査はしているが、なかなか手掛かりが得られなくてな」


「もちろん構いませんが……。私、隠密行動などやったことがないですよ。お役に立てるかどうか」


「四夫人の護衛は、お前が思っている以上にこの後宮の情報を得られる立場にあるのだ。下手をすると侍女よりも彼女らと行動を共にする時間が長いからな。しかし、お前以外の四夫人の護衛は、まだ内密な話をするほど腹の内を知らぬ。だからお前にしか頼めないのだ」


「光潤も信用のおけない人物なのですか?」


 生真面目そうな武官という印象だったけれど。


「あいつは根は真っすぐだが、くそ真面目すぎるのだ。駆け引きが必要な行動には向かない」


「くそ真面目……」


 確かに、融通の利かなそうな節はあった気がすると、鈴舞は自分に絡んできた時の彼の様子を思い出す。


「それにあいつは梁貴妃のお抱えだからな。貴妃も素直で愛らしい女だが、あまり賢くない上に、ちょっと性悪なところがある」


「……ちょっとじゃないだろ」


 苦笑を浮かべて祥明が横やりを入れるが、劉銀は眉ひとつ動かさずに、こう続けた。


「だから、あまり今回の件に梁貴妃側を関わらせるのは得策ではないと言える」


「なるほど……分かりました。私がやるべきことも、その理由も。ただ、ひとつ伺いたいのですが」


「なんだ」


「行方不明事件の首謀者の目星はついているのですか?」


 劉銀は少し間を置いてから、神妙な面持ちで口を開く。


「ついてはいない。……だが、半年で十五名あまりもの行方不明者が出ている。これほど大規模な犯行となると、後宮内で相当な権力がないと不可能だろうな」


「つまり、四夫人の誰かの可能性もある、と」


「……無論だ」


 淡々と答えた劉銀だったが、言葉の端に少し淀みがあったように鈴舞は感じた。


 四人とも、現在の後宮の中でもっとも彼が寵を注いでいる存在なのだ。容疑者として候補にあげなくてはならないのが、やはり心苦しいのだろう。


「あ、でも。林徳妃様はやっぱ可能性は低いだろ。劉銀もそう思ってるよな?」


 祥明の言葉に劉銀は深く頷く。


「林徳妃は、お前たちよりも俺は付き合いが長いからな。先代の宰相の娘で、俺が物心ついた頃にはすでに近しい存在であった。彼女の内面は知り尽くしているつもりだ。まあまず、考えられぬ。……俺の知りうる林徳妃である限り」


 付け足すように言った言葉が少し悲しい。やはり皇帝という存在は、常に誰に対しても警戒心を抱いておかなければならないのだろう。


「とにかく、私のすべきことは理解しました。何かわかり次第、報告します」


「頼んだぞ、鈴鈴。四夫人も他の妃嬪も女官も、俺は皆心配なのだ。一刻も早く、事態を収拾したい」


 相変わらず冷涼な声ではあったが、鈴舞を見つめる劉銀の瞳には、切なげな光が内包されているようだった。


 ――劉銀は本気で後宮の人たちの心配をしているんだわ。


 後宮に籍を置いている女たちの総数は、下手をすると千はくだらない。位の高い妃嬪ならまだしも、正六品以下の女官など、皇帝にとってはただの下働きなはず。


 しかし劉銀の双眸からは、鬼気迫る気配が放たれていた。彼は後宮のすべてを、心から平穏に、安全にしたいのだろう。


 ――あなたは昔から、優しかったものね。


 粗相をして父に怒られた時に、祥明とともによく元気づけてくれた。鈴舞が怪我をしていることに気づくと、真っ先に手当てをしてくれた。そんな少年の頃の劉銀の温和な微笑みを、鈴舞はふと蘇らせる。


「はい。私にできることならば」


 最高権力者の地位に上り詰めながらも、昔と変わらぬ情を持っている劉銀に対して、鈴舞は心から嬉しく思いながら、首肯した。



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