第二章 美しき四夫人ー③
それにしても、だ。
林徳妃と梁貴妃の嫌味の応酬、にやつきながら四夫人の内情を話す桜雪に、やはりここは女の園なのだなと、鈴舞は実感した。
四夫人に仕える女官たちも、茶や水菓子の準備をしている他は、常に何やらひそひそと会話をしているようだった。くすくすと耳障りな笑い声を漏らしたり、自分の主以外の妃嬪を見ては薄ら笑いを浮かべたりしている。
生まれてからずっと、道場で男性とばかり過ごしていた鈴舞は、女性らしい話題や空気に大層疎い。
――男装なんて!って最初は思ったけど。結果的には、よかったのかもしれないわ。女としての私がここでやっていける気がしない……。
そんな風に、劉銀にほんの少しだけ感謝の念を抱いていると。
「…………」
この場所に来た時から、その視線は感じていた。殺気は感じられなかったので、新参者の自分を値踏みしているのだろうと、あまり気にしていなかった鈴舞だったが。
視線の主が片時も鈴舞から目を離さないのだ。すでに十分ほどは経っているとは思う。じっと、静かに自分だけを見つめるその様には、さすがに不信感を抱かざるをえなかった。
「……桜雪。あの、梁貴妃様の傍らに立っている方は、なんという方ですか」
小声で桜雪に尋ねる。するとなぜか、彼女は嬉々とした面持ちになった。
「まあ鈴鈴! あのお方が気になるの!? なかなか審美眼に優れていわるねえ。美男よねえ、彼」
「いえ、そういうことではなく……」
なんだか勘違いされている気がする。戸惑いながらも否定するも、桜雪の言葉を聞いてその人物を改めて見ると「確かに」と思ってしまった。
彼の主らしい梁貴妃に、どことなく似ていた。茶褐色の済んだ瞳に、風になびく栗色の髪。そして、これでもかと言うほど整った面立ち。
ひょっとしたら、梁貴妃と血縁関係にあるのかもしれない。
現在の後宮の規則は、歴史の中では割と緩い方であり、妃嬪の親族の男性ならば、専属の武官や文官として配置される場合がある。ただし、通いであり夜間は立ち去らなければならないが。
例の彼は、宦官服ではなく、空色の装飾が施された甲冑を身に着けていたため、やはり梁貴妃と血の繋がりのある男性武官のようだ。
槍の使い手らしく、彼の身長よりも長さのある槍を立てて佇んでいる。穂先の根元には、深紅の槍纓が結ばれていて、風で鮮やかに靡いていた。
「あら、違うの? 私はてっきりあなたも目を付けたのかと」
「違います……って、あなたもってことは桜雪はあの人をお慕いしているのですか?」
「ふふ、まあね。あの人は梁貴妃様の専属の武官の梁光潤様よ。確か、貴妃様の分家の血筋だったかしら。いつも冷静沈着なんだけど、槍を振るう姿を本当にかっこよくて……! あー、でも梁貴妃様と親戚になっちゃうのはちょっとねぇ……。まあ、私なんかが光潤様のお目に留まるわけはないんだろうけど」
「はあ……。とりあえず、彼の素性については分かりました。ありがとうございました」
桜雪の言葉の後半の乙女心垂れ流しな部分は話半分に聞きつつ、素直に礼を言う鈴舞。
しかし、彼――光潤の正体は分かったとはいえ、なぜ彼が自分を注視し続けるのかは、まったく分からなかった。
――気になっちゃうわ。私こういうの、そのままにしておけないのよね。
鈴舞は彼の方へと近づいた。もちろん、護衛として林徳妃を守るのが最優先なので、彼女の方に注意は払いながらも。
「先ほどから、私のことをずっと見ていらっしゃいますけれど。私の顔に、何かついているのですか?」
首を傾げながら、素直に尋ねた。すると光潤は、しばしの間鈴舞を観察するように眺めた。頭頂部から足先に、視線を這わせるように。
彼は眉をひそめて鈴舞を見つめながら、口を開いた。
「いや……。新しい林徳妃様の護衛が、女性のように小柄なので信じがたかったのだ。近くで見ると、ますます小さいな」
「ああ、よく言われます」
女だてらに武芸をやっていると、そんなようなことを言われることは多く、鈴舞は慣れ切っていた。
――まあ、確かに。大きくて力の強そうな人に比べたら、見るからに弱そうよね私。
華奢で身長の低い自分を過小評価するのはいたし方のないことだと、鈴舞は素直に思う。
「…………。林徳妃様が心配だ。そなた、腰の刀にまるで支えられているようではないか。本当にその細腕でそれを振るえるのか?」
揶揄したつもりだったのに、まったく動じた様子もない鈴舞が気に入らなかったのか、光潤は槍底を地面にトントンと叩きながら、瞳に圧を込めて言う。
「そうですね。こう見えてわりと力持ちなんですよ」
「とてもそうには見えん。そなた、武官ではなく内儀司や内食司に勤めることをお勧めする」
「あいにく、芸事や料理は苦手で……。あ、刀舞なら少し。うーん、でもやっぱり私が一番得意なのは刀術でして」
「…………。やはり何かの間違いでは」
実力がないと信じて疑わない様子の光潤に、とうとう鈴舞は困窮してしまった。と、言っても彼に舐められているとは微塵も思っていない。
――この人、本気で林徳妃様の安全を心配しているんだわ。うーん、私ならそれなりに護衛の任をこなせるって、どう説明したらいいんだろう。
道場で、実直な門下生たちとばかり過ごしていた鈴舞は、自分に向けられるややこしい感情には気づかない性質だった。
「ちょっと光潤。鈴鈴は陛下のご推薦で私の武官になったのよ。その物言いは失礼ではなくって?」
林徳妃がむつけた様子で言うが、光潤は眉間に皺を寄せたまま「いや、しかし」とぼやく。
「あら、でも光潤の言う通りじゃない。その子明らかに弱そうだし、女の子みたいな顔してるもの。護衛なんて勤まるの? あなたとのところは人材不足でかわいそうねぇ」
水菓子の刺さった肉叉を片手に、小馬鹿にしたように梁貴妃が言った、次の瞬間だった。
「――そこまで言うなら、試してみるか?」
それは、涼し気で威厳のある声音だった。四夫人や女官たちの甲高い談笑の声が、一瞬で止む。
「陛下……!」
光潤が驚愕の声を漏らした後、その場で慌てて叩頭した。虚を突かれた鈴舞も、彼に倣うようにひれ伏したのだった。