第二章 美しき四夫人ー②
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四夫人が集う茶会は、後宮の庭園の一角で行われた。
徳妃の少し後ろを、警戒しながら歩いて到着した庭園は、見事な藤棚によって囲まれていた。濃い紫色の藤の花が隙間なく垂れ下がる様は、艶やかかつ幻想的であり、鈴舞の心は躍った。
藤棚をかき分ける様に建てられている四阿に宴席は設けられていた。すでに、徳妃以外の四夫人は集っていて、脇息にしなだれかかるように身を預け、くつろいでいる妃もいた。
――ん? 子供が紛れている……?
鈴舞が思わず凝視してしまった彼女は、瑠璃色の裙に、桃色の上襦を合わせ、さらに薄紅色の披帛を垂らしていた。きれいな色合いではあるが、幼女が好むような派手な色彩だ。
宴席にちょこんと座っていたが、小柄な林徳妃に比べても随分華奢で小さいように見えた。
どこからどう見ても童女だった。後宮で生まれた子供が紛れてしまったのかと、最初は思った。しかし彼女は宴席に腰を下ろしているのだ。それは、つまり。
――四夫人の、誰かってことよね……?
あまりに信じられなくって、さらに目を凝らして見てしまう。――すると。
「鈴鈴。そんなに見ちゃだめよ」
鈴舞の傍らに立つ桜雪に、苦笑を浮かべられながらたしなめられてしまった。
「あ、すみません。つい……」
「まあ、信じられないのも無理はないわ。どう見ても十代前半くらいよねえ。あの方は姚愛香様……淑妃様よ。ああ見えて、御年二十八なのよ」
「にじゅうはち……!?」
衝撃的過ぎて、思わず復唱してしまう鈴舞。桜雪の言う通り、どう多く見積もっても十五には届かなそうな外見なのだ。それがまさか、実年齢が十以上も剥離しているなんて。
「わあ、この茘枝っていう果物、甘くておいしいでですわ~」
肉叉に刺された水菓子を頬張りながら、舌っ足らずな声で言う。その姿は、ますます無邪気な子供のようにしか見えない。
――何か、特別な美容法でも行っているのかな。四夫人だから、化粧品は高価なものを使っているんだろうけど……。
そんなことを考えていると、姚淑妃は自分の隣に座る女性の袖を引いて、こう言った。
「ねえ、白賢妃様。これ本当においしいですわよ。こっちの山竹という果物も! あなたも食べて」
「ふむ、そうか。ではひとついただこう」
姚淑妃に白賢妃と呼ばれた妃嬪は低い声でそう言うと、小卓の上に供された水菓子をひとつ口へと運んだ。あの方は賢妃・白高花様よと、桜雪は林徳妃が宴席につく準備をしながらも、鈴舞に耳打ちしてくれた。
市井で耳にした話だと、白賢妃は四夫人の中でもっとも年長だと言われていた。確かにそれは事実だったようで、恐らく三十代に差し掛かったところだろう。
しかし彼女はとても美しかった。鋭い切れ長の双眸に、すっと通った高い鼻梁。厚い唇には、深緋色の紅が引かれていて、きりりとした面立ちの彼女にはその渋みのある色がとても似あっていた。
年齢を重ねた上でしか醸し出せない上質な色香は、少し離れた場所にいる鈴舞にもひしひしと感じられた。
姚淑妃と白賢妃が隣同士に並ぶとまるで親子のように見えてしまう。しかしふたりは気心の知れている中のようで、水菓子を食べては微笑みあって話している。
「遅れてしまってごめんなさい。準備に時間がかかってしまって」
鈴舞の主である林徳妃が、申し訳なさそうに言いながら宴席につく。鈴舞は彼女の背後に背筋を伸ばして立った。護衛としてもっとも適切な位置だと思う。腰にぶらさげた愛刀は、いつでも抜刀する覚悟はもちろん備えている。
よく見ると、他の四夫人の傍らにも護衛らしき武官がいた。茶会の場でもひとりひとりにぴたりと警備がつかなければならないほど、やはり現在の後宮内は殺伐としているのだろう。
「あら、本当に準備にお時間がかかったの? いえ、ごめんなさいねぇ。その割には、いつもと変わらないお姿なように見えて」
間延びした声をこれ見よがしに嫌味を吐いてきたのは、まだ桜雪に名前を教わっていない妃嬪だった。
しかし残るは貴妃である、梁羅世しかいない。確か、絶世の美女として庶民の間では謳われている妃嬪のはず。
――ああ、確かに類い稀な美しさだわ。
遠目から見ても、梁貴妃の煌びやかな魅力は眩しく映った。吸い込まれてしまいそうな大きな茶褐色の瞳は流星のように輝き、薄桃色の形の良い唇は愛らしく艶めかしい。西の方の血が混じっているのか、華王朝では珍しい栗色のふわりとした髪がなびくさまは、妖精のようだった。
そしてそれぞれの部位が、黄金比と呼んでも差し支えないほどの大きさと配置になっていた。
他の四夫人も、皆が皆もちろん美しくはある。皇后不在の後宮で、もっとも皇帝の寵を受けているだけあって、下町で話題になるようなちょっとした美人では、全員太刀打ちできないほどの美貌を備えてはいる。
しかし、梁貴妃は群を抜いて美しかった。彼女の美貌をめぐって、戦が起こってもおかしくないようにすら思えた。傾国の美女と呼んでも差し支えないほどの美人を、鈴舞は初めて目にした。
「あら、そうなの? 梁貴妃様、あなたはいつもとお変わりはあって? ごめんなさいねー、あなたってばいつもキラキラと派手な色の物ばかり召しているから、いちいち見てないし、覚えてないのよね。目が疲れちゃうもの」
梁貴妃の嫌味を、にっこりと微笑みながら被せてしまう林徳妃。とても慣れているような口ぶりだった。
しかし確かに、言われてみれば梁貴妃の衣裳や装飾品は、濃い紅色や金色が多く、やたらとギラギラしているように映った。
顔自体が派手なつくりなのだから、もっと落ち着いた配色にした方がまとまりがあるような気がする。……と、流行に疎い鈴舞ですら、そう思った。
「は!? な、何よ失礼ね! あなたもその金歩揺、全然似合ってないから! 趣味悪いわね!」
「あら、これは陛下が遠征のお土産に私にくださったものよ。陛下の感性を侮辱する気?」
「そ、そうなの!? なんですって……! 私にはくださらなかったのにぃ!」
「まあ、嘘だけど」
「えっ、は、はあ~!? ちょっとお!」
陛下から、と聞いた時は涙目になっていた梁貴妃だったが、それがからかいだと知るや否や、激高した様子で林徳妃に詰め寄る。しかし林徳妃は「ふっ」と小さく鼻で笑って彼女をあしらうのだった。
梁貴妃は、意地が悪そうではある。しかし素直に感情を表に出す様子と、その美貌があいまって、何か憎めない人物に思えた。
「……梁貴妃様は、いつもあんな感じで。嫌味を言ってくるんだけど、徳妃様に返り討ちにあうのよね~。それでも懲りずに、毎回言ってくるの」
またもや、桜雪が鈴舞に耳打ちしてきた。なぜかニヤニヤと、少しいやらしい表情をしている。
「へえ、そうなのですか。しかし、とても素直そうなお方ですね。梁貴妃様は」
「ああ、鈴鈴も分かる? 姚淑妃様と白賢妃様は、梁貴妃様のことなんて相手にしてないからね。それもあって、私たちの徳妃様にやたらと突っかかってくるの。まあ、徳妃様もあまり本気で話はしていない感じだけど……。一応、ああやって相手にはしてあげてるから」
「……なんだかちょっとかわいそうに思えてきました」
掛け値なしの絶世の美女が、まさか四夫人の中では味噌っ滓とは。
――もしかして、徳妃様と仲良くなりたいんじゃ。
毎回ああやって絡んでくるとしたら、そうなのかもしれないと鈴舞は思った。しかし見るからに自尊心が高そうだし、本人ですら自分の本心に気づいていない可能性も高い。