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第六章 寵姫の苦悩ー④

 代々武家として名高い白家で生を受けた白賢妃――白高花。


 物心つく前から棍を持たされ、何が何だか分からないまま稽古をつけられた。しかし武道の鍛錬は、高花にとってはとても楽しいものだった。


 心を無にして棍を振るい、兄弟たちと一戦を交える。修行を重ねるだけ成果が出る武の道は、生真面目で生まれながらにして向上心のある高花には、何よりも夢中になれた。


 自分以外、男だけの兄弟だったが、その誰よりも高花は強かった。十二歳の成人を迎える前には、二対一での手合わせでも容易に勝利することができるほどの実力が備わっていた。


 しかし、高花は女だった。成人までは男も女もなく稽古をつけた父だったが、高花が十二歳になったとたん、棍を持つことを一切許さなかった。


 白家は、武家にありがちな男尊女卑が根付いている家系だった。成人し、高花が女になった瞬間、手のひらを返したように周囲の扱いは変わった。


 父は「お前が男だったらよかったのに」と、口癖のようにぼやいた。今まで爽やかに稽古をつけてくれた兄弟たちも、下人のように高花を扱った。


 高花は見目美しかったが、武の道に外見は関係なく、一族からは他の女と同様低俗な者として扱われた。時には、男から情欲を向けられることすらあったが、抵抗することも許されなかった。


 武道に心酔した高花にとって、十二歳を超えてからの白家でのそんな暮らしは、地獄としか形容できないほどの苦痛だった。


 しかし女に生まれた自分がすべて悪いのだと高花は考えていた。棍を振れないのも、下人として扱われるのも、すべて自分が女であるせいだと。だって、周囲は口々にそう申すのだから。


 そんな自分が、一族の役に立てる時がついに訪れた。華王朝に即位した若い皇帝が、白家からひとり妃嬪を望んだのだ。


 白家は代々、王朝に武官を輩出していたので、その誼らしかった。


 その時、一族の女たちの中で高花はすでに年嵩の方であったが、その美しさ故、妃嬪として選ばれることになった。


『皇帝の寵姫となり、必ず子を成すのだ。そして皇后となり、白家の名をさらに世に広めるように』


 後宮入りするまで、一族の男たちからは口を酸っぱくしてそう告げられた。何度も何度も、耳に胼胝(たこ)ができるほどに。


 高花自身も、それが自分にとって当たり前の使命だと考えた。武家の女として生まれてしまった自分が、一族のために唯一役立てることは、子を成して皇后に上り詰めることだ。


 しかし年齢の問題でなかなか子は宿らなかった。せっかく出来た子も、あっけなく流れてしまった。


 その間にも自分はどんどん年老いていく。毎日のように皺が増えていく。肌の張りも、髪の毛の艶もなくなっていく。醜くなっていく。


 そしてそんな高花の夢に、毎晩のように彼らは現れるのだ。一族の彼らが。


『まだ子を成していないのか、この役立たず』


『どんどん醜くなっていくな。美しさだけが取り柄だったというのに』


『生きる価値のない、女め』


 日に日に追い詰められていく白花。そんな時、西の方から後宮入りした妃嬪の貢物の中から、西洋の書があった。


 文字は判読できなかったが、絵でなんとなく書いてある内容が理解できた。若い女の生き血が、肌の老化を抑えたり、妊娠促進につながるということが。


 まさか、と最初は失笑していた。そんな呪術まがいのこと、と。――しかし。


 若い女官に髪結いを任せていたところ、髪飾りの先端が彼女の指に刺さり、出血したことがあった。偶然、白花の頬に彼女の血がかかった。


 女官はすぐに手巾でふき取ってくれたが、その後、血がかかったところだけしみが消え、白く若々しい肌になっているように高花には見えた。


 今思えば、「見えた」だけなのかもしれない。絶望の中で希望をなんとか見出そうと、錯覚しただけなのかもしれない。


 高花は生き血の魅力に取りつかれてしまった。最初は女官に頼み、健康に害がない程度に血を分けてもらっていた。


 しかし若い女の血を身体に塗り込めば塗り込むほど、その部分だけ美しくなっているように見えて。そして、血を塗り込まなかった日は、極度に肌が老化したように感じて。


 それで若い女を誘拐し、血を抜き取ることにした。美しくなるには、健康状態のよい女の血が必要だった。だから、下町でうろついている痩せた奴婢ではなく、危険を犯してでも後宮に住まうふっくらとした乙女をさらう必要があった。


 百合節の間に抜け出したのも、林徳妃に「顔色が優れない」と言われたからだった。肌の劣化を見抜かれたのかもしれないと、戦慄した。


 祭りで劉銀に出会う前に、乙女の血を塗り込んで肌を蘇らせなければと慌てて薔薇園の隠し部屋に向かい、そこで鈴舞たちと鉢合わせ、攻撃し逃げ出したのだった。


 ――足りない、足りない。若さを保つためには、陛下の子を孕むためには、もっと血を。若い女の血を。もっと、もっと、もっと、もっと。


「これが事の顛末でございます。女の生き血にすがって、なんとか脆弱な心を守っていたのです。……一応、命を落とした女官はいないはずです。しかし近頃は私も見境がなくなっておりました。死ぬ女官が出てくるのも、時間の問題だったでしょう。今罪が暴かれて、正直ほっとしているのです。やっと女という立場を捨てられると。女から、ただの罪人になれると」


 白賢妃は疲れたように微笑みながら、消え入りそうな声を紡ぐ。


「お姉、様っ、お姉様っ……!」


 武官に取り押さえられ地に這いつくばっている姚淑妃が、涙声を上げる。白賢妃はゆっくりと彼女の方に近寄り、視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。


「……淑妃。あなたには、私は一切このことは申していなかった。あなたを巻き込みたくなくて。だけどあなたは聡い方だ。私の様子を見て、行動を見て、あの地下室を発見したのだな。……少し前、さらった女官が一人脱走したな。あなたは私が最大の過ち――女官を殺めてしまうことを防ごうと、命の危機に瀕している女をあそこから逃がしたのだな」


 白賢妃から語られたその真実は、鈴舞にとってはとても意外だった。


 白賢妃に心酔している姚淑妃は、彼女がどんな凶行に手を染めようとも、嬉々として協力するような危うさを感じられたのだ。


 しかし考えてみれば、白賢妃は自分を慕うものを巻き添えにして罪の片棒を担がせるような人間ではない。例え精神的に追い詰められていたとしても、本質的に気高い彼女のそこは揺るがないような気がした。


 ――以前に見つけた倒れていた女官は、姚淑妃様が逃がした方だったのね。そしてあの時の不審者は、きっと白賢妃様に従う者……。


 また、地下室で助けた女官はこう言っていたのだ。――『姚淑妃様を、お助けください』と。


 白賢妃の凶行に自ら巻き込まれに行った姚淑妃を、あの女官は救い出したかったのだろう。


「陛下、本当です。調べればわかること。私は彼女に協力を仰いでなど、おりませぬ。手伝ってくれたのは、こんな私を哀れに思った長年付き合いのある女官、衛士と、下町で雇った奴婢のみ。もちろん光潤も、一切関係ありません」


「――あなたがそこまで言うのなら、きっとそうなのであろう。私はいまだにあなたを信じている。念のため裏は取るがな」


 白賢妃の訴えを、劉銀は静かな声で受け取った。言葉尻に、彼の抱いた口惜しさがにじみ出ていた気がした。


「しかし最後にあなたにひとつ伝えなければならないことがある」


「――はい、なんなりと」


「西の国の書の翻訳がすべて済んだが。――人の生き血には、医学的にも美容的にも何も効能がないとの結が出ておった」


「……そうでございましたか」


 白賢妃は、特に驚いた様子ではなかった。察していたのかもしれない。しかし、もう後には引けなかったのだろう。また、何かに縋りたかったのだろう。


 すると姚淑妃が瞳を潤ませながら、震える声でこう語り出した。


「お姉様のことなら、なんでもわかるもの。いくら隠していたって、お姉様が悩んでいること、もがき苦しんでいること、手に取るようにわかってしまったわ。すべてを知った時、私はあなたと共に地獄に落ちてもいいと思った。お姉様のためなら、女官なんて私が何人でもさらってきてやるって思った」


「姚淑妃……」


「……でも弱って苦しんでいる女を見て、わからなくなった。気高いお姉様はなんでこんなことをしているのだろうって。私はお姉様に、強く凛々しいままでいてほしかった。……気づいたら女官を逃がしていた。後で口止めをするつもりで。もう、私はどうすればいいのかわからなかった」


「すまない……姚淑妃。苦しめて、すまなかった……」


 白賢妃は姚淑妃を抱え、そっと抱きしめた。大きな胸の中で、姚淑妃は声を上げてわんわんと子供のように泣いた。


 その場で、何人もの女官をかどわかし暴行した罪で、白賢妃の極刑が決まった。姚淑妃は調査の末、女官の行方不明事件の関与は否定されたが、偽証の罪で五十日の蟄居、正一品から正三品への左降が言い渡された。


 また、白賢妃の下で事件に関わっていた者は達は、後宮内でもっとも位の低い身分へと落とされることとなった。

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