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第二章 美しき四夫人ー①

「あなたが鈴舞……いえ、ここでは鈴翔(りんしょう)だったかしら!」


 劉銀の寵姫である、四夫人のひとりの徳妃・林蘭玉は、張りのある可憐な声で言った。


 後宮にて宦官として勤めることになった初日のこと。鈴舞は、自分の主となる林徳妃の宮・夏蓮宮(かれんきゅう)の一室にいた。


「さようでございます、娘々。こちらでは宦官のふりをするようにとの陛下の命ですので、男性名の鈴翔で通していただければと」


 林徳妃に向かって拝跪しながら、鈴舞は丁寧に言った。


「あら、そんなにかしこまらなくてもいいわよ。表を上げて頂戴」


 気さくそうに言われて、素直に鈴舞は顔を上げた。椅子に腰を下ろしていた林徳妃は、満面の笑みを浮かべている。


 年齢は、鈴舞のひとつ上で十九歳と聞き及んでいる。黒曜石のように輝く大きな双眸、艶やかな漆黒の髪、新雪のように白い肌は、さすがは皇帝の愛妃と言えよう。小柄で童顔であるため、年齢の割に幼さを感じるが、出るところはきちんと出ている。不整合な顔と身体の具合が、特有の色気を強調していた。


 詔令文書には詳しいことは書かれていなかったが、後宮に入ってから任務の詳細を官吏から聞かされた。


 鈴舞の職務は、林徳妃の専属の護衛として、身を挺して彼女の安全を守ること。彼女が夏蓮宮を離れる場合は、特に注意して警護するようにとのことであった。


 任務の都合上、林徳妃と彼女にかしずいている一部の女官のみは、鈴舞の本来の性別を明かしていたのだった。


「私の専属の護衛ってことで、これからよろしくね! あの、陛下があなたのことを鈴鈴(りんりん)って呼んでいたのよ。なんだかかわいい呼び名だから、私もそう呼んでいいかしら?」


「はあ、構いませんが……」


 嬉々とした面持ちでそう言われてしまったら、承諾せざるを得ない。


 ――武官にしてはかわいらしすぎる名前よね……。もう、劉銀ったら。


 子供の時の呼び名で通さないでいただきたいものだ。


 そんなことを考えていると、林徳妃は目を細めて鈴舞を見つめた。まるで観察でもするかのような視線に、戸惑いを覚えてしまう。


「あ、あの。林徳妃様。私に、何か……?」


「あ、いえ……。男装、とても似合っているのだけどね。ちょっと美少年すぎないかしらねぇ……。心配だわ」


「心配……と、申しますと」


「だってここは欲望渦巻く後宮ですもの。愛に飢えた女官や、少年趣味の宦官が変な気を起こさないかどうか……」


 心底案じているように林徳妃は言っているが、鈴舞はいまいち理解できなかった。


 ――こんな貧相な体の武官に、そんな気を起こす人がいるのかしら。


 鈴舞は物心ついたころから、父親が門戸を開いていた道場で、日々刀の鍛錬を行っていた。


 そのせいか、自身の容姿について恐ろしく興味がなかった。林徳妃の言う通り、見る者を魅了するような愛らしい外見をしているのだが、本人はあずかり知らないのだった。


「よくわかりませんが、腕には自信がありますので。変な者が近寄ってきたら、のせばいいだけです」


 自分に害を成すものは、刀を振って追い払えばいい。今までそうやって生きてきた鈴舞は、いつもの調子で言う。


 すると林徳妃はおかしそうに笑った。


「面白いわねえ、鈴鈴。陛下もいい子を私につけてくれたわ。腕は申し分ないって言っていたし。ねえ、桜雪(おうせつ)


「さようでございますね。徳妃様と年齢も近いみたいですし、良い間柄を築けそうですね」


 林徳妃に話を振られた、女官の桜雪は鷹揚に頷きながら言った。夏蓮宮に籍を置いている女官の中で、もっとも徳妃が信頼を寄せているのが彼女だとのこと。


「あ、桜雪もそう思う? あ、それじゃあ鈴鈴。後で貢物のお菓子をいただきましょ。庭園で鞦韆(ぶらんこ)遊びもどう?」


「……徳妃様。鈴鈴は護衛ですからね。武官の方は常に気を張ってあなたをお守りするのですから、あまり遊びにつき合わせないように」


 苦笑を浮かべながら、たしなめるよう桜雪は言った。鈴徳妃はぺろりとしたを出す。


 桜雪の年の頃は、二十代前半といったところか。林徳妃に対するふるまいを見ていると、優しく見守る姉のような立場らしい。


 常に柔和そうな微笑みを浮かべているが、主に対しても言うべきことはきちんと言う。そんな桜雪に、鈴舞は好感を持った。


 鈴舞の真の姿を把握している女官は、桜雪とその下数名だけだった。


 鈴舞としては、夏蓮宮の女官皆が自分の素性を知ってくれていたら過ごすのも楽なのだけどと思ったけれど、ここは陰謀渦巻く後宮なのである。


 ここでは誰がいつ、間諜としての正体を現すか、叛意を示すかわからない場所なのだ。


 よって、秘め事は真に信頼できる数名のみで共有するのが習わしなのであった。


 しかも、現在皇后が不在であるこの国は、皇后の次の位である四夫人による立后争いが激しく、後宮内のいたるところでピリピリしていると、鈴舞も風の噂で耳にしていた。


 四夫人こと正一品は、貴妃、淑妃、徳妃、賢妃の四名で構成されており、鈴舞の眼前に優雅に座る林徳妃もそのひとりだ。


 林徳妃は、先代の皇帝に仕えていた宰相のひとり娘で、劉銀とは乳飲み子のから関わりがあったそうだ。


 劉銀ともっとも付き合いが長く、通過の仲であるとすら言われている林徳妃は、もっとも皇后に近いと市井の民は皆噂をしていた。


 確かに、直接林徳妃と相対した鈴舞は、彼女の魅力をふつふつと感じていた。高い位の妃でありながら、それを感じさせない人懐っこさに、寵姫として申し分のない美しさ。


 もし皇后の座についたとしたも、彼女の信念で、彼女の歩幅で、後宮をそつなく掌握してしまいそうな気配を感じ取れる。


 徳妃以外の四夫人については、まだ顔を合わせていないので鈴舞はよく知らない。


 貴妃は絶世の美女だとか、淑妃は十年前と変わらない姿をしているからあやかしの類ではないかとか、賢妃は科挙を突破した文官よりも聡明だとか、巷で聞き及んだ情報は知っているが、所詮根も葉もない噂である。


 ――女官の行方不明事件について気になるし。徳妃様以外の四夫人についても、情報を集めないと。


 後宮の内情は、位の高い者の元に集まるはずだ。まずは自分に無理難題なことを言ってここに引っ張りこんだ劉銀に話をうかがいたいところだったが、さすがに一介の武官が皇帝を呼びつけるわけにはいかない。


 まあ、昔の彼の様子から考えると、そのうち直接話をする機会を設けてくれるだろう。


 というわけで、まずは徳妃から女官の行方不明事件について尋ねようと、鈴舞は口を開いた。


「徳妃様。私がここに呼ばれたのは、最近後宮で女官が行方不明になっていることが関係しているのではないかと、祥明が申していたのですが……」


「あー! その話ね! うん、詳しくいろいろ話そうと思っていて。……だけど、もう時間切れみたい」


「時間切れ……?」


「ええ、鈴鈴。徳妃様はこの後すぐに、他の四夫人と共に茶会の予定が入っているの。そろそろ、御着替えや御化粧の御仕度や、水菓子と茶の用意をしなければならなくって。こみ入った話は、その後にお願いね」


 罰悪そうに微笑む徳妃の代わりに、桜雪が説明をした。


「なるほど、そうだったのですね」


「はい。鈴鈴も、徳妃様の護衛としてもちろん随行してちょうだいね」


「かしこまりました」


 その後、林徳妃と桜雪と共に、衣裳部屋へと鈴舞は移動した。


 衣裳担当の女官に手早く着替えさせられ(肌着を合わせるときは、鈴舞は席を外していた)、半透明の披帛(ひはく)や重そうな金歩揺(きんほよう)を次々と合わせ、あーでもないこーでもないと言いながらもっとも美しく見えるものを探していく。


 そしてその間に、化粧係は徳妃の美肌をさらに白く塗っていた。嗅ぎなれていないためか、白粉(おしろい)の匂いを強く感じた鈴舞は、鼻腔をむずむずとさせた。


「……衣裳も化粧も、今日はなんだか気合が入っているわねぇ」


「だって、本日は久しぶりに四夫人が一堂に会する茶会なのですから! 美しく仕上げないと、小馬鹿にされてしまいますわ!」


 疲れた顔で女官に身を任せる林徳妃とは対照的に、気概に満ち溢れた様子で化粧係の女官は言った。


 ――お姫様も大変だわ。きれいだけど、重そうなお衣裳……。


 木偶のように女官に身を任せて美しくなっていく林徳妃を見て、他人事ながらも鈴舞は同情するのだった。

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