第五章 白薔薇の下にー⑦
「鈴鈴。そなたが宦官だとか、そんなことはもうどうでもいい。俺は、そなたのことが……」
と、熱っぽく鈴舞を見つめる光潤が言葉を紡いでいる途中だった。
ガドン!という鈍い音が聞こえてきたと思ったら、光潤がいきなり地に倒れ伏した。突然のことに鈴舞は息を呑む。何が何だかさらにわからない。
――すると。
「……ったく、油断も隙もねえ」
聞こえてきたのは、怒りに満ちた男性の声だった。鈴舞がここの後宮内で、もっとも聞き覚えのある声だった。
「しょ、祥明!?」
そう、憤怒の形相で現れたのは、鈴舞の幼馴染である祥明であった。彼は愛用の青龍刀を、鞘に納めたまま構えていた。どうやら、先ほどの音は祥明が刀で光潤をぶん殴った音だったらしい。
――いつの間に祥明は近づいていたのかしら。全然気が付かなかった。
鈴舞は他者の気配は敏感に察知することができる。きっと武官である光潤だって、その能力は備わっているはずだ。
会話に集中していたとはいえ、そんなふたりに気取られないように近づいてきた祥明は、さすがの力量である。
――けど、なんでいきなり光潤を殴るなんてこと。
そんな風に鈴舞が思っていると。
「痛い! いきなり何をするんだ祥明!? 野蛮な!」
起き上がった光潤が、至極まっとうな批判を祥明にぶつける。鈴舞からしてみても、いきなりぶん殴られるようなことは決してしていなかったと思う。
しかし祥明は、光潤を鋭く睨みつけた。とても憎々し気に。
「うるせぇ! お前こそ何だよ!? 今鈴鈴に何を言おうとしてたんだっ? 返答次第でぶっ殺す!」
「お前には関係ないだろう! 俺は鈴鈴と話をしたいんだ!」
「はぁー!? お前ごときが気安くその呼び方で呼ぶんじゃねえ! それに俺には関係が大ありなんだよ!」
「何故だ……!? はっ、まさか! お前、女人に興味がないという噂だったが、ひょっとするとそれはすでに鈴鈴とただならぬ関係だったからか!?」
――ただならぬ関係……ではないと思うけど。単なる幼馴染よね。
と、鈴舞は心の中でこっそり思う。それとは別に「女人に興味がないという噂」という光潤の一言が、心にひっかかった。
――そんな噂があるんだ。だから私のこともずっと兄妹みたいな扱いだったのね。
そんなことを思っている間も、祥明と光潤はいまだに不毛な言い合いをしていた。
「ただならぬ関係ねぇ……。ふっ、さてな」
「な、なんだその意味深な言い方は! まさか本当に!? ずるいぞ!」
「はー? 何がずるいんだよ? こういうのは早い者勝ちなんですぅ~」
「こ、この! だいたいお前のことは前々から気に入らなかったんだ! いつもへらへらしやがって!」
「俺だってお前みたいなくそ真面目嫌いだね」
子供みたいな喧嘩になってきたなあと、ふたりの言い争いに鈴舞は呆れた笑みを浮かべる。ふぅ、と一息つくと薔薇の強い匂いを鼻腔がくすぐった。
――そうだ、ここ薔薇園の近くだったわね。
そこで鈴舞はハッと思い出した。姚淑妃が薔薇園近くをうろついているという目撃情報があった、と劉銀が話していたことを。
その後辺りは捜索し、何も不審な点は無かったとも言っていた。それにここは白賢妃の住まう冬梅宮の近く。彼女と仲のいい姚淑妃がこの辺を歩いていても、確かにおかしなことはない。
――劉銀が調べさせたのだから、きっと見落としはないとは思うけど。暇だし、私も調べてみよう。
そう思いついた鈴舞は、薔薇園に入った。――すると。
「鈴鈴、どこへ行く?」
「勝手に動くんじゃない」
なぜか、ひと悶着終えたらしい祥明と光潤もついてきた。
――祥明は事情が全部分かってるから正直に言ってもいいけれど。光潤は微妙よね。まあでも、人物さえあげなければ大丈夫かな。彼も後宮の治安を守る武官だし。
「女官の行方不明事件の手掛かりを追っているんです。この辺り、あんまり調べたことがなさそうなので」
姚淑妃の名を上げずに、鈴舞は正直にそう説明した。すると祥明は察したような面持ちになった。劉銀が「姚淑妃が薔薇園で目撃された」と言っていたことを、思い出したのだろう。
「……そうか鈴鈴。俺も手伝うよ」
「確かに、薔薇が生い茂るここは見過ごされていそうだな」
光潤も、きりりとした武官らしい顔つきになる。やはり彼も、女たちが行方をくらましている事態を気にかけているらしい。
「それと、先ほど誰かにぶん殴られたおかげで、俺の槍が薔薇園の方に飛んで行ってしまった。愛槍が無いと落ち着かないので、早く探さねばな」
ちらりと祥明の方を見て、嫌味交じりに光潤が言う。そういえば、先ほどまで構えていた長槍が無くなっていた。祥明は引きつった笑みを浮かべている。
そういうわけで、三人で薔薇園に不審な点がないか調べ始めた。しばらくの間、薔薇の棘に注意をしながら地面や途中にある池、四阿などを調べたが、特にあやしいところはなかった。
また、大きい光潤の槍など、そのついでに見つかるかと思ったが、意外にもなかなか見つからない。
「おかしなところはなさそうですね……」
「陛下もそう言っていたしなあ」
「……俺の槍がない」
唸る鈴舞と祥明に、涙目の光潤。とにかく、彼の槍だけでも見つけてあげないと、と鈴舞は地面に這いつくばるようにして低い場所に目を向けた。
「鈴鈴、土で汚れるぞ。こいつのためにそこまでしなくても」
「……優しいのだな、そなたは」
苦言を呈する祥明に、少し感激したように呟く光潤。祥明が舌打ちするような音を聞きながらも、鈴舞は目を凝らして槍を探した。




