第五章 白薔薇の下にー⑥
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姚淑妃との茶会から三日後。百合節が開催される日取りとなった。
美しい花を咲かせ、甘く濃厚な香りを漂わせる百合は、純白、清廉な印象があるためか、華王朝では女性の象徴とされている。
そのため、百合の満開を祝う百合節は、女のための祭りだった。開催場所の百合園は、いかなる理由があろうとも、皇帝以外の男子禁制。主上と美しい女のみが、その祭りに参加する資格がある。
宦官ということで通っている林徳妃専属の護衛である鈴舞とて、それは例外ではない。百合節の間は、林徳妃と離れなければならなかった。
無防備になってしまう林徳妃の身が心配だったが、古来から伝わる祭事の掟を破るのは、さすがに気が引けた。
――まあ、本当は女なのだから別に破ってはいないのだけど。宦官だと思われているのだから、周りが良しとしないわよね。
『あら、また女装すればいいじゃない。鈴鈴だって分からないように濃い化粧をして』ととても楽しそうに林徳妃に言われたが、断固お断りした。
――もう、あの格好はまっぴらごめんだわ。
女装をしたせいで姚淑妃に言いがかりをつけられることに繋がったので、もはや悪い思い出しかない。
――それに、祥明にも「あんな恰好はもうするな」って言われてるし。
しかし、あの夜の祥明が、普段自分を子ども扱いする様子とはずいぶん違っていた。あれはいったい何だったんだろうと、今でもたまに思う。
――だけど昨日、劉銀が後宮散策していた時に祥明ともすれ違ったけれど。全然いつもと変わらない様子だったわよね。
「よう、鈴鈴」と、いつも通り同性の友人に対してのように声をかけてきた祥明。あの夜に彼が一瞬見せた熱っぽい視線など、微塵も感じさせなかった。
――やっぱり、私の勘違いかな。接吻しようとしていたなんて。
――ふぅ。やっぱり、この時が一番落ち着くわ。
精神を集中させ、静かに息をしながら愛刀を振り下ろす。刃が風を切った音がすると、切っ先が日の光によって煌めく。幼い頃から幾千、ひょっとすると幾億回も行っているこの動作は、鈴舞にとっては呼吸と同等とも言えるほど身に沁みついていた。
すると、何十回か刀を振り下ろした時だった。
「見事な刀さばきだな」
落ち着いた男性の声が聞こえてきて、鈴舞は刀を下ろし声のした方を向く。そこには、光潤が愛槍を持って立っていた。
「光潤様。あなたもお手すきですか?」
男性の光潤は、もちろん百合節には参加できないはずだ。きっと鈴舞と同じように、百合節の間は非番なのだろう。
「そうだ。やることがなくて後宮内を散策していたら、鋭く風を切る音が聞こえてきたのでな。近寄ってみたら、思った通りの手練れがいたわけだ」
「手練れなんて……。あっ、そうだ! お時間あるならここで一戦交えませんか!? ほら、前に約束したじゃないですか!」
意気揚々と鈴舞は提案した。以前に光潤と手合わせした時は、彼が油断しきっていたので鈴舞が一瞬のうちに勝利してしまって、正直あまり楽しくなかった。
しかし今の光潤は、鈴舞の実力を分かってくれているはず。きっと全力で挑んでくれるに違いない。
そう思うと高揚感が抑えられず、鈴舞は目を輝かせて光潤を見つめてしまう。
「あ、あんまりそう見つめるんじゃない」
なぜか光潤は頬を赤らめて目をそらした。意外な反応に鈴舞は首を傾げる。
――「ふっ、いいだろう。次は容赦せぬぞ」とでも言ってくれると思っていたのに。
すると光潤はわざとらしい咳払いをした後、鈴舞の方に視線を合わせて、口を開く。
「――そんなことより」
「そんなこと……? いえ、手合わせは私にとって何よりも大切ですけれど……」
「そなたは本当に……。まあ、とりあえず聞け。俺はいろいろ考えたのだ。もちろん最初は受け入れることはできなかった。しかし、どうしてもこの気持ちは沈められなかった」
「何の話です?」
「そして悟ったのだ。男とか女とか……性別など、きっと大した問題ではないのだろう、と」
「……?」
光潤がなんの話をしているのか、鈴舞にはまったく理解できなかった。しかし彼は、大層真剣な面持ちで言っている。
――よくわからないけど、適当にあしらうのはきっと失礼よね。
「あの、全然何のお話をしていらっしゃるのかわからなくて。もっと分かるように説明してくださいませんか」
素直に疑問を呈すると、光潤は一瞬言葉を詰まらせる。そしてどこか気まずそうにこう言った。
「皆まで言わせる気か」
「何がです?」
本当に訳が分からなくて、鈴舞は眉間に皺を寄せる。すると光潤は意を決したような顔をしたあと、鈴舞に迫るように近づいた。
「こ、光潤様?」
彼の茶褐色の澄んだ双眸が、鈴舞を突き刺すように見つめてくる。目を逸らしたいのに逸らせない。それほどまでに、強い意思が込められた視線だった。
――え、これ何? どんな状況?
意味はいまだにまったくもってわからないが、美男子に至近距離で見つめられては、さすがに緊張する鈴舞であった。




