表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

26/39

第五章 白薔薇の下にー⑤

 姚淑妃の変貌ぶりに鈴舞は大層驚いていた。


 きっと淑妃付きの侍女たちも動揺しているだろう。


 鈴舞は彼女を刺激しないように、穏やかな声で言葉を紡ぐ。


「心得ております。私にとっては、四夫人の妃様は皆、天井人にも等しい存在でございます」


「ふん! 分かってるんならどうして一緒の舞台で舞なんて! もう、金輪際お姉様には近寄らないでっ」


「それは白賢妃様が決めることだわ」


 冷静な声が、姚淑妃の絶叫に被せるように響いた。鈴舞は思わず顔を上げる。


 いつの間にか、ひれ伏していた鈴舞の前には林徳妃が立っていた。姚淑妃と対峙するように。姚淑妃の罵声から、鈴舞を守るかのように。


「徳妃……?」


 突然の林徳妃の言動に、姚淑妃は呆けた面持ちになった。


「白賢妃様が決めることだ、と言ったのよ。彼女が誰と懇意にしようが、あなたが口を出す問題ではないわ。彼女はあなたの物ではないのよ」


 林徳妃の言葉が紡がれていくうちに、呆然としていた姚淑妃の表情がみるみるうちに変わっていく。眉を吊り上げ、元は薄桃色の頬が怒りで赤く染まっていった。


 怒りの矛先は、林徳妃にも向かったようだ。


「うるさい……! 黙りなさい小娘っ。あなただって新参者のくせにっ! 白賢妃様の舞に下手くそな二胡の音なんて合わせてっ!」


 あまりにも外見が幼いのでうっかり失念していたが、そういえば姚淑妃は林徳妃よりも十歳近く年長なのだった。しかし、どちらかと言うと……いや、どちらかと言わなくても小娘な風貌の姚淑妃からそんな雑言が出ることに、鈴舞は違和感を覚えてしまう。


「ふん! まああんたなんてどうだっていい! 私が真に気に入らないのはそこの宦官だからっ。いいこと!? 今後、あなたは一切白賢妃様の視界に入らないで頂戴!」


 ――『もう少しそなたと話をしたかったが』。


 白賢妃と初めて会話した時。武術の話で盛り上がり、去り際に名残惜しそうに彼女がそう言っていたのを、鈴舞は思い起こす。


 ――白賢妃様は、私と話すことを心から楽しいと思ってくれた。桜花祭で一緒に武舞を演じた時も、まるで心が通じ合っているように感じて……。きっと彼女も、私とは位階など気にしない関係を、望んでいる。


「私のような一宦官風情が、白賢妃様に接触する気など元より毛頭ございません」


 林徳妃の前に出て、静かに、姚淑妃を見つめながら鈴舞は言葉を紡ぐ。目を血走らせていた姚淑妃だったが、自分の意に沿った回答が聞けたためか、頬を少しだけ緩めた。


「――ですが。白賢妃様は、私と武術について話すことを楽しいとおっしゃってくれました。ご一緒に武舞をした際も、とても楽しかったと。そんな白賢妃様の楽しみを奪う資格も、私にはございません。白賢妃様の方から交流を望まれた場合は、喜んでお受けする所存です」


 話しながら、どんどん姚淑妃が憤怒の形相に変化していくのを鈴舞は見ていた。しかし白賢妃を慕う鈴舞は、この言葉をやめるわけにはいかなかった。


 林徳妃の言う通り、鈴舞と関わるか否かは白賢妃が決めることなのだ。姚淑妃がいくら彼女と親しい仲だとしても、口出す権利などない。


「楽しかった? お姉様がそんなこと……。言うわけないっ! 世辞のひとつもわからないのっ。本気でそんなこと、思ってるわけ!?」


「……嘘偽りのない、微笑みに見えました」


「そんなわけないっ! あ、あんたなんかにっ! 私のっ、私のお姉様がっ! このおっ!」


 絶叫しながら、茶が入った状態の茶杯を、鈴舞に向かって投げつける梁淑妃。動体視力のいい鈴舞はそれを難なくかわすと、茶杯は壁にぶつかって砕け散った。


 それがますます気に食わなかったようで、姚淑妃は茶卓に載っていた皿や水菓子用の肉叉などを、手あたり次第つぎつぎに投げつけてくる。しかしがむしゃらな投げ方なためか、鈴舞には当たらない。


 その間、「娘々! おやめください!」と姚淑妃付きの女官が彼女を静止するために取り押さえようとしていた。しかし、あまり手荒な真似はできないのか、女官に腕を抑えられながらも、姚淑妃は暴れていた。


「り、鈴鈴! 大丈夫?」


「怪我はない!?」


 鈴舞を案じる林徳妃と桜雪。


「当たっていないので、大丈夫です。おふたりこそ、危険ですので私の後ろへ」


 鈴舞が冷静に答えると、姚淑妃を取り押さえたり、茶卓の物を急いで片づけようとしたりしている女官たちが、慌てた様子でこう言った。


「り、林徳妃様! 恐れ入りますが、お引き取りくださいっ」


「娘々は少々混乱しておりましてっ。申し訳ございません!」


 これ以上、自分たちの主が林徳妃に失礼を働いてはたまらないのだろう。


 四夫人は対等な立場。梁貴妃のように、出会い頭に嫌味を吐くことくらいなら軽い戯れと見なされるだろうが、物理的な攻撃をして傷つけてしまったとしたら、とんでもないことになる。


 四夫人は皇帝の愛妃なのだ。皇帝のために常に美しくある必要がある。体に傷などついてしまえば、皇帝の尊厳に関わる。


 姚淑妃の攻撃の対象は鈴舞とはいえ、流れ弾が林徳妃に当たるとも限らない。そうなってしまえば、姚淑妃は間違いなく罪に問われる。場合によっては蟄居、正二品以下の降格なども考えられる。


「わ、わかりました。……というわけで桜雪、鈴鈴。お暇するわよ」


「か、かしこまりました!」


「失礼いたします」


 茶室の出口に向かって歩き出す林徳妃。姚淑妃やその女官に向かって、軽く頭を下げてから、鈴舞はその後に続いた。


「待ちなさいっ! こ、このぉ! お姉様にっ! 私の、お姉様に! この宦官風情がっ! 殺してやるっ……!」


 そんな姚淑妃の叫びは、茶室を出た後もしばらくの間聞こえてきた。秋菊宮から外に出て、やっと聞こえなくなった。


「……まさかこんなことになるなんて。鈴鈴、ごめんなさいね」


 しばし歩いた後、林徳妃は心底申し訳なさそうに言った。桜雪も、いたたまれないような表情をして鈴舞を見つめている。


「大丈夫です、少々驚きはしましたが。林徳妃様、私をかばってくださってありがとうございました」


 ふたりに心配かけまいと、鈴舞は小さく笑って答えた。実際、投げつけられた物はひとつも当たっていないので、怪我はしていない。


「それにしても……。いきなり茶会だなんて言うから、何かあるんだろうなあとは思っていたけれど。まさか私ではなく、鈴鈴に対する牽制だったとわねぇ」


「姚淑妃様が白賢妃様に心酔なさっているのは、周知の事実でしたが……。まさか、少し関わっただけの鈴鈴に対して、あそこまで嫉妬なさるなんて」


 疲れた様子でふたりは言う。だたでさえ、四夫人間での茶会なんて緊張するというのに、予想外の事態に直面して精神的に疲弊したらしかった。


「きっと鈴鈴が宦官なのと、武芸という、姚淑妃様があまり得意ではない分野で白賢妃様と関わったせいでしょうねぇ」


 歩きながら林徳妃は考察する。それを聞いて鈴舞はなるほど、と思った。


 ――私に大好きな白賢妃様が取られる、とでも考えたのかしら? でも所詮私は宦官なのだから、白賢妃様と関わる機会なんて限られているのに。


 会話したのだって、たまたま白賢妃が棍の稽古をしていた時と、桃花祭の時だけだ。そもそも鈴舞は林徳妃の護衛なのだから、他の妃嬪に関わっている暇など本来無いのだ。


 そんなこと、姚淑妃だってわかっているはず。多少の嫉妬心は抱いたとしても、癇癪を起すほどのことだろうか。


 ――白賢妃様は聡明なお方なのに、姚淑妃様は……外見と同じように、幼子のような心をお持ちなのかしら。


 顔を真っ赤にして暴れる姿は、駄々をこねている童女にしか見えなかった。


「それにしても……。相変わらず姚淑妃様って、お若いわね」


「ええ……。確か、御年二十八でしたよね? 正直、若いを通り越してませんか……?」


「そうね。その年齢で十代前半にしか見えないなんて、人間離れしているわよね。……まさかあやかしの類か何かじゃ」


「林徳妃様! あまりそのようなことは外でおっしゃらないようにっ」


「やーね、冗談よ冗談」


 ふたりも鈴舞と同じことを考えていたようだった。先ほどの修羅場から気持ちが落ち着いたのか、くすくす笑いながら話している林徳妃に安心しつつも、彼女の言葉に密かに頷く鈴舞。


 ――確かに、あやかしや妖精の類ですって言われた方が納得できるかも。


 そんなことを考えているうちに、夏蓮宮へとたどり着いた。桃色尽くしの内装と打って変わって、落ち着いた白磁色の壁紙を見て、鈴舞もやっとほっとした気持ちになった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ