第五章 白薔薇の下にー④
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あくる日、姚淑妃から林徳妃に、茶会の誘いが来た。
「彼女からサシで誘いが来るなんて初めてだわ。白賢妃とはよくふたりで戯れてらっしゃるようだけど……」
茶会に持っていく茶菓子を、桜雪と共に選びながら、林徳妃は眉をひそめている。
「姚淑妃様、娘々に何かお話ししたいことでもあるのでしょうか? 何か、牽制したいことでもあるとか……」
「あー。もしかしてやっぱり、白賢妃と仲良く桃花祭の演目をやっちゃったから、そのことかもねー。『私のお姉様に近寄らないで!』ってやつかしら?」
「なるほど……。後宮の女の中ではよくある出来事ですわね」
林徳妃と桜雪の会話に、またまた面倒な後宮の風習だなと鈴舞は辟易する。男性に囲まれて育った鈴舞は、やはりその手の女の駆け引きにはついていけない。
――劉銀の寵愛が欲しくて争うのはまだ理解ができるけれど、女同士の関係も間違うといざこざが起こってしまうのね。
林徳妃が皇后になりたくないというのも、だんだんわかってきた気がする。
茶菓子の用意が整い、姚淑妃の宮である秋菊宮に赴く三人。夏蓮宮とはかなり距離があり、途中桃花祭が行われた桃園、今度百合節が開催される予定の百合園、薔薇園など、いくつかの庭園を横目に歩いた。
到着すると、姚淑妃付きの女官が「ようこそお越しくださいました。姚淑妃様がお待ちです」と、丁寧な様子で茶室まで三人を案内してくれた。
茶室では、姚淑妃が席についていた。林徳妃が入室すると、立ち上がりかわいらしく笑みを浮かべる。
「林徳妃様。突然のお誘いなのに、来ていただけて嬉しいですわ」
「いえ、とんでもございませんわ。お誘い大変うれしかったです。姚淑妃様、ありがとうございます」
恭しい様子で、無難な挨拶を交わすふたり。その間、鈴舞はずっと林徳妃の斜め後方で、気を張っていた。
――他の妃嬪の宮なのだから。何が起こっても対処できるように、警戒していないと。
祥明も、そして劉銀ですら、姚淑妃のことを「何を考えているか分からない」と言っていたのだ。護衛も、こちら側の女官もいるこの場でさすがに襲撃などは考えにくいが、不測の事態に備えておくにこしたことはない。
しかしそれにしても。
――始めて他の妃嬪の宮に入ったけれど。こうも内装に個性が出るものなのね。
姚淑妃と鈴舞が対面したのはこれで三度目だが、いつも濃い桃色の衣裳を着ている。実年齢はさておき、童女にしか見えない彼女にはそれがとてもよく似合っているのだが、まさか宮の内装までほぼ桃色で統一されているとは驚きだった。
天井は躑躅色、壁は鴇色。調度品まではさすがに桃色ではなかったが、西の外つ国から輸入したらしい人魚の像や、水菓子の彫刻など、幼女が好みそうな造形のかわいらしい物ばかりだった。
――姚淑妃様のご趣味を、これでもかってほどに反映させた空間なのね。
ちなみに林徳妃の宮である夏蓮宮は、壁も天井も白磁色で、調度品は劉銀からの贈り物を思い出したかのように数個飾っているだけだった。
鈴舞は、自分の主が林徳妃で良かったと心から思う。桃色は嫌いではないが、さすがに辺り一面それだと目がちかちかしてしまう。
「こちら、梁家から届いた茘枝ですの。今が丁度旬で、とても甘く食べごろですわ」
「あら、嬉しい。茘枝私の好物ですの。ありがとうございます。私は、貢物でいただいた金緑茶をお持ちいたしましたわ。最初は青色なのですが、檸檬の汁を入れると、淑妃様の大好きな桃色に変わりますの」
「まあ素敵! さっそく侍女に煎れさせますわね」
和やかな会話で始まったふたりの茶会。茶と菓子の用意が整ってからも、ふたりは終始笑顔で話をしていた。
最近食べておいしかった菓子、おすすめの化粧品や香油、もうじき行われる百合節で着用する衣裳。
会話の内容はいずれも煌びやかだった。贅をつくした環境に置かれている、皇帝の寵姫同士だからこそ可能な上流階級の会話。あまり興味のない鈴舞は、ほとんど聞き流しながらも、周囲を警戒する。
――こう言っては失礼かもしれないけれど、あまり中身のない会話のようね。姚淑妃様が林徳妃様を単独で茶会に誘うことが今までになかったということだったから、構えてしまったけれど……。本当に、ただ楽しく話したくて招待しただけだったのかしら?
などと、楽観的に鈴舞が考え始めた頃だった。
「林徳妃様は、本当に二胡がお上手で。この前の桃花祭でも、その音色に感激いたしましたわ」
「あら、嬉しいですわ。ありがとうございます。姚淑妃様の舞も、相変わらずとても可憐で。本当に桃の精が目の前に現れたのかと思ったくらいですわ」
「まあ、お上手! でも、私は踊ることしか芸がありませんもの。だから例年同じ舞しかできなくて……。林徳妃様は、今年は趣向を変えたようでしたが」
どこか舌足らずな高い声。横髪を指で弄ぶかわいらしい仕草。
一見、姚淑妃の様子は今までと変わらなかった。だが、鈴舞は敏感に変化を感じ取り、彼女を注視する。
――言葉の隅に、棘のようなものを一瞬感じた。
「ああ。あれは……。当初は私も例年と同じく、女官と一緒に二胡を合奏する予定でしたの。ですが、不測の事態が起こってしまいそれができてなくなってしまって。困っていたところ、白賢妃様が合同で演目をやろうと、お声がけくださったのです」
「そうでしたか。優しく気高い彼女が考えそうなことですわね。……ですが、嫉妬してしまいますわ」
「えっ……? 私にですか? いえいえ、あなたと白賢妃様の仲睦まじさは、後宮中の者がご存知です。当然、私も。百年の知己と称してもおかしくないあなた方の間に、入り込む気など毛頭ございませんわ」
林徳妃は、軽い口調で言う。だが、彼女も姚淑妃の変化には気づいているようで、背筋を今まで以上に正している。
「違うわ。私が言っているのは……林徳妃様の背後に立っている、その卑しい宦官風情のことよ」
鈴舞を顎で指しながら、つっけんどんに言う。すでに言葉遣いも丁寧さを失っており、彼女の苛立ちが鈴舞に突き刺さってきた。
「私だって、お誘いしたのに。今年は趣向を変えて一緒に舞いませんかって、お姉様に。でも断られた。『可憐なあなたに無骨な私は合わない』って。そういわれて納得していたのに、どうしてこんな宦官なんかと」
「……ですからそれは、不測の事態で。白賢妃様も、私たちを憐れんで手を差し伸べてくれただけだと思いますわ。決して姚淑妃様を差し置いて、なんてことは……」
「――林徳妃様。あなただけなら、私だってそう思ったわ。だけど……だけど! そこの宦官と関わってから、お姉様は楽しそうで! 武術について語り合える仲間ができた、って!」
宥める林徳妃だったが、それを振り切るように姚淑妃は叫ぶ。ぎりぎりと唇を噛みしめ、ありったけの憎悪をかわいらしい双眸に込め、鈴舞へと向ける。
林徳妃と桜雪が、不安げに鈴舞を見つめてきた。鈴舞は表情を変えず、その場に叩頭した。――そして。
「――私の預かり知らぬところで、姚淑妃様のご気分を害するような行動を取ってしまい、申し訳ありませんでした」
静かに、ゆっくりと言った。
「お姉様は気高く美しく、荘厳なお方なの! あなたなんて、会話することすら差し出がましいのよ! ああ、汚らわしい!」
頭を上げないままの鈴舞に、姚淑妃は口角泡を飛ばしながら金切り声を浴びせたのだった。




