第五章 白薔薇の下にー②
「察してはいると思うが、女官行方不明事件の件で進展があった」
一同が卓につくと早速本題に入った劉銀だったが、やはり予想通りの内容だった。
「進展とは……どのような?」
「先日、鈴舞が保護した女官のことだ。まだ、会話ができる状態ではないのだが、回復には向かっている。しかし担当の医官から妙なことを言われてな」
「極度の貧血症状があることは最初から分かっていたんだけど、どうやら血を抜き取られていたらしいんだ」
劉銀の言葉に、祥明が説明を付け加える。
「血を……!? 一体、なぜ」
予想外のことに鈴舞が驚きの声を漏らすと、劉銀が懐から一冊の書物を出した。
「なぜかはまだ調査中だが、この本がもしかしたら手掛かりなるかもしれん」
変わった装丁の本で、表紙は分厚く固い厚紙でできている。装画は裸体の男女が立っている絵だった。しかし、やたらと細部まで描かれているためか、卑猥な印象は薄い。
華王朝で流通している紙とは、質感が大きく異なっていた。表紙もこの辺りでは墨で描いた簡素な絵の本が多いが、この本の絵柄はあまりにも緻密で写実的だった。
華王朝の外交関係に明るくない鈴舞でも、なんとなくわかった。この書物は、外つ国、それも西の方の物だ。
すると林徳妃は、本をぱらぱらと捲りながら呟いた。
「あらこれは。何か月か前に西の国から来た妃嬪が、貢物としてくれた本だわ。私も持っているわよ」
「うむ。俺の元にも貢がれた物だ。その妃嬪に聞いたところ、俺と四夫人にだけ献上したらしい」
「しかし、何が書いてあるのかさっぱりわかりません……」
鈴舞は渋い顔をして言う。華王朝の文字とは違い、横書きで波のような文字が描かれていた。
「そうよねえ。私もさっぱりで。でも内容は気になるから、機会がある時に贈ってくれた姫に聞きに行こうかなとは思っていたんだけどね」
「残念ながら、俺にも読むことはできん。しかし外つ国の学問には興味があるので、書物を手に入れたら毎回言葉の分かる者に翻訳を頼んでいる。今回も、献上してくれた妃嬪に訳を依頼し、今半分くらい済んだところだ。それで、書かれていた内容だが、どうやら女性の美容や医学に関する本のようだ」
妃嬪は皆、美容と健康に何よりも関心がある。だからこそ、西の国の妃嬪は四夫人にこの書物を送り、取り入ろうとしたのだろう。
「具体的にどのようなことが書かれていたのですか?」
鈴舞が尋ねると、劉銀は神妙な面持ちでこう答えた。
「……思ったよりも危険な本だった。西の姫もあまり読まずに俺たちに献上してしまったらしく、謝っていた。もちろん咎めるつもりはないが」
「危険って?」
祥明の問いに、劉銀は眉間に皺を寄せて言いづらそうに言った。
「……人の生き血を。身体に塗りたくったり、飲んだり……そのような描写があった。若い女の血を薬として使うことへの可能性を探っているような記述もあった。女の健康や美容に、生き血が効果的なのかもしれん」
「えっ……」
鈴舞は驚きの声を漏らした。
医学の分野では、華王朝よりも西の外つ国は二歩も三歩も進んでいる。その国で発行された書物に、人血の医学的有効性があると書かれているのなら、まず間違いないのではないか。
――健康や美容に効果的……。梁貴妃が絶世の美貌を保つためにとか、姚淑妃の不自然な若々しさが血によるものだとか、年長の白賢妃が肌の劣化を気にしてだとか……。うーん、三人ともまったく可能性がないとは言えないわね。
そんな風に鈴舞が考えていると、林徳妃が書物を眺めながらこう言った。
「本当だわ……。書物の前半に、そんな挿絵もあるわね。それならばやっぱり、女官をかどわかしている人物は、血を抜いて薬に加工しているのかしら? 健康や美容目的で」
「うむ。その可能性が出てきた。しかし最後までまだ翻訳させていないから、ひょっとしたら結論は違うのかもしれない。そしてこの本は俺と四夫人にしか献上されていないとのことだから、やはり俺と林徳妃以外の三人が容疑者となってしまうな」
「あ、でも梁貴妃は可能性低いんじゃねーか? だってあの人、血を見ると失神するって前に光潤が言ってたぞ」
――何それ、かわいい。
と、祥明の言葉に梁貴妃が血液を見て倒れる姿を想像し、鈴舞は思わず頬を緩ませた。
「いや……しかし、もしこの本に人血の薬の効果が絶大だと書かれていたとしたら、下の物に血抜きから調合までをさせ、当人は生臭い場面を見ることはしないだろう。……まあ、梁貴妃はああ見えて気弱でかわいいから、こんなこと思いつきもしないと願いたいがな」
「……まぁ、気弱と言えば気弱よね」
かわいいは賛同できないけど。
ごく小さな声でそう呟いた林徳妃。傍らにいた鈴舞がかろうじて聞こえたので、きっと劉銀には聞こえていないだろう。
いや、聞こえた上で素知らぬ顔をしているのかもしれない。
――いろいろな女性を相手にするのも大変よね。
我の強い女ばかりの四夫人の面々を思い出しながら鈴舞は思う。
しかしそれにしても、劉銀は林徳妃はもちろん、梁貴妃のこともちゃんとかわいがっている節がある。性格に難があることは承知しているようだが、それも彼女の魅力のひとつ、くらいに思っているような、大らかさがあった。
歴代の皇帝の歴史を振り返ると、後宮の女など愛妃以外は物のように扱っている男も多い。しかし劉銀は、行方不明になった位の低い女官の身すら、心から案じている。
――そんなあなただから、男装して宦官になれなんて無茶な要求も、聞いてやろうと思ったのよね。
と、幼い頃心優しい少年だった劉銀を、ぼんやりと鈴舞は思い起こした。
「じゃあ、あとは……。白賢妃は、こんなことしなさそうだよな。弱い女をさらって血を抜いて……なんて、人を傷つけるような真似、嫌いなんじゃね?」
祥明の言葉に、鈴舞は深くうなずいた。
「ええ、私もそう思います」
「そうなると、姚淑妃ってことかしら?」
「うーん。まあ正直、四夫人の中で一番何考えてるかわかんねーよな……。いつも子供みたいな顔で笑ってるとこしか見ねえし。……まあ、劉銀に対しては違うのかもしれないけど」
「……いや、正直俺も彼女についてはあまり掴めない。梁貴妃は感情が手に取るようにわかるし、白賢妃も根が真っすぐなのである程度は想像できるが……。姚淑妃はあの微笑みの裏で何を考えているのか、想像がつかん。まるで仮面でも被っているかのようだ」
――いつも笑っている、微笑みの裏……。
祥明と劉銀の彼女に対する印象の中に、彼女が常に笑みを浮かべているという内容があったが、鈴舞は笑顔ではない彼女を目にしたばかりなので、戸惑っていた。
――あの憎悪で満たされたような、禍々しい視線は一体何だったのだろう。
しかもそれを、ただの武官である自分にぶつけてきたのだ。
「どうした、鈴鈴」
押し黙って考えていたら、劉銀が不審に思ったらしく尋ねてきた。
――一瞬睨まれただけのこと。事件に関係あるわけじゃ、ないわよね。
そう決め込んだ鈴舞は、「いえ、なんでもないです」と答える。
「しかし、姚淑妃についても決定的な動機は思い当たらないな。先日、淑妃の宮である秋菊宮から遠く離れた薔薇園で目撃情報があってな。なんでそんなところにいたのか聞いてみたら『白賢妃のところに遊びに行っていました』と言われた。薔薇園は白賢妃の宮と近いし、あのふたりは仲がいいので不審な点は無い。念のため付近を捜索させたが、怪しいものは見つからなかったし」
渋い顔をして劉銀が言う。結局今回も主犯については絞り込めなかった。
「……結局、男の俺ではやはり女の腹の内は読めん。四夫人は皆俺を慕ってくれているが、心の裏側まで見抜くのは難しい。――林徳妃、鈴鈴。ふたりで協力して、引き続き真相を探ってくれ。またこちらで分かったことがあれば、伝える」
「仰せのままに」
「承知いたしました」
林徳妃に倣って鈴舞は頭を下げた。




