第四章 桃花祭ー⑥
「鈴鈴!」
光潤が去ってほっとしていると、またもや男性に呼ばれた。とても聞き覚えがあり、懐かしさすら覚える声。――しかし。
「祥明。どうしたのですか、慌てた様子で」
駆け寄ってきた祥明が、やけに落ち着かない様子だったので鈴舞は首を傾げる。
すると祥明は、鈴舞の肩を両手でがしりと掴み、やはり焦った様子で言う。
「ああ、やっと会えた! 本当はもっと早くお前のところに来たかったんだけど、劉ぎ……陛下の酒にお付き合いしていたら、時間を食っちまった」
「……? なぜ? なぜ、私の元に来る必要があったのですか?」
「いや、だってお前! まさか、あんな恰好……! 見た瞬間倒れるかと思ったわ!」
「あ、似合わな過ぎてってことですか? ですよねー。みんなお世辞で似合うって言ってくれるんですけど、やっぱり私には……」
「いや、違う! 似合っている! 恐ろしいほどに似合っているけども! とにかくこの恰好はもうしちゃダメだ! 絶対ダメっ」
ぶんぶんと、大きく首を横に振りながら、何故か鈴舞の女装(正確には女装ではなく、性別的にはなんらおかしくない恰好)について、今後の禁止を主張してくる祥明。
「似合っているのにダメなのですか……?」
「ダメ! だって今、光潤に絡まれてなかったか!?」
「えっ……? まあ、絡まれてたと言えば絡まれてたのかな……」
「ほれ見たことか! まったく危なっかしい……! とにかくやめておけ!」
「なんでよー? すっごくかわいいのに」
鈴舞と祥明のやり取りを傍らで聞いていたらしい林徳妃が、不満げに言う。すると祥明は、やたらと力を込めてこう返した。
「かわいいからダメなんです!」
「あら、あんた。なかなか嫉妬深いのね。っていうか、あんたにそんなこと言う権利はあるのかしら?」
林徳妃はくつくつと笑う。
――よくわからないけど、別にこの格好好きでやっているわけじゃないから、自分からやることなんて絶対ないんだけどな。だから禁止にされるのは別に構わないけど、なんで祥明がそんなことを言ってくるんだろう? ……あっ、もしかして光潤様に女だってバレそうになったのを、察したのかしら?
「大丈夫です、祥明。光潤様はもうこの件については疑っていないはずです」
周囲に大勢女官たちがいるので、男装して宦官のふりをしている件については、ぼかして鈴舞は言う。
だが祥明は、いまだに気が休まらない様子で、鈴舞に詰め寄ってきた。
「……甘いんだよ鈴鈴。愛に性別など関係ないという主義の者だって、華王朝には少なからず存在するんだぞ」
「それは、男性の祥明様が宦官の鈴鈴様を愛していらっしゃるようにですか?」
林徳妃の御付の女官がうっとりした様子で言った。鈴舞の本当の性別について、知らない女官だった。
「え……?」
女官の突飛な発言に、祥明は乾いた声を漏らす。
しかしその女官の周囲には、彼女と同じように恍惚とした面持ちの女が何人もいて、口々にこんなことを言い出した。
「男らしい祥明様と、美少年の鈴鈴様との愛……。ああ、なんて素晴らしい!」
「私、想像しただけで包子三つはいけますわ!」
「先ほど光潤様も鈴鈴様に迫っているように見えましたわ! 美男子の三角関係なんて……! おいしいにも程があります!」
「…………。どうやら、鈴鈴と祥明、光潤の様子を見て、そういう趣向の女たちが食いついているみたいよ」
女官たちの様子を見て、林徳妃が呆れたように笑いながら言った。面白がっているようにも見える。
三人の武官の中で痴情のもつれがあると女官たちが想像したと察した祥明は、慌てて否定する。
「い、いや! 俺はそうじゃない!」
「隠す必要はありませんわ祥明様! あなたがおっしゃった通り、愛に性別など些細なことなのです!」
「そうですとも! 是非とも光潤様の魔の手から鈴鈴様をお守りください!」
「私としては横恋慕する光潤様が奪う展開もありですわっ」
「だ、だから俺は違うって! り、鈴鈴! とにかくあの格好はもうダメだからな! じゃ!」
鼻息を荒くする女官たちから逃亡するように、祥明は立ち去った。
女官たちの言っていることも、祥明が何をあんなに否定していたのかも、あまりよくわかっていない鈴舞は、眉をひそめる。
「別に、言われなくても自分からあんな恰好はしないけれど……」
「そうなの? せっかくかわいいのに」
「……いや、私はほら。宦官ですから」
一応。と心の中でこっそりとつけ加える鈴鈴。林徳妃はつまらなそうに口を尖らせた。
その時だった。嫌な視線を背後から感じて、鈴舞は振り返る。殺気ともいえるほどの、鋭く、そして憎悪を感じる視線だった。
「え……」
視線の主が意外な人物だったので、鈴舞はたじろぐ。
姚淑妃だった。二十代後半という実年齢にも関わらず、どこからどう見ても幼女にしか見えないという、妖精のような妃。
四夫人の中で、鈴舞がもっとも関わっていない人物だった。林徳妃と会話している場面にも、いまだ立ち会えていない。
同じ時期に後宮入りした白賢妃を姉のように慕っている、舞の達人、ということくらいしか、鈴舞は彼女について知らない。
そんな姚淑妃が、眉を吊り上げて血走った目でこちらを睨みつけていた。その可憐な姿からは想像できないほどの、禍々しい気配を放っていた。
たかが宦官風情の自分が皇帝の寵姫に睨まれる覚えもないので、林徳妃を見ているのだろうと思ったが、違った。
――私を、見ている。
姚淑妃は一直線に鈴舞を見ていた。気圧されて後ずさった鈴舞に対しても、執拗に視線を合わせてきた。
鈴舞と目が合っても、数秒間は目を逸らさなかった。女官に呼ばれて、やっと姚淑妃は鈴舞へ殺気を浴びせるのを止めた。女官と会話を始めた彼女は、いつもの愛らしい幼女に戻っていた。
――一体、なんだったのだろう。
白賢妃と共に演目に出たことを嫉妬されたのだろうか。だがそれならば林徳妃も対象だ。それにたったそれだけのことで、殺意を込めたような視線を送られる理由は分からない。
「鈴鈴、どうしたの?」
挙動不審の鈴舞に、林徳妃が尋ねてきた。
――林徳妃様ではなく、私に視線を送っていた。護衛対象の徳妃様には、関係のないことよね。
そう思った鈴舞は、笑みを浮かべて「なんでもないです」と答えたのだった。
*
祭りの後夏蓮宮に戻ると、宮の入り口に無くなっていたはずの二胡が置かれていた。無造作に放置されていたが、幸いにも破損は無かった。
「梁貴妃が戻したんだわ。嫌がらせはしたいけど、壊すようなひどいことはできなかったのね。……相変わらず小心者ね」
二胡を見て林徳妃が呆れたように笑って言う。
盗んだ二胡を律儀に返しにくる梁貴妃を想像した鈴舞は、その姿がなんだかかわいらしくて笑みがこぼれてしまった。




