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第四章 桃花祭ー④

 姚淑妃に魅了された後、梁貴妃の女官たちによる演劇が始まった。


 内容は、華王朝では幼子ですら知っている、「桃の悲恋」だった。桃の精に恋をした、平民の男性の美しく報われない恋の話だ。


 林徳妃が言っていた通り、梁貴妃は一切演劇には参加していなかった。しかし、女官たちの演技の質が高く、衣裳も煌びやかで見ていて楽しい気持ちになった。


 梁貴妃のことを「外見にすべての才能をつぎ込んでしまった」と林徳妃が言っていたが、その通りだとすると彼女が演劇に加わらないのは賢明な判断だろう……と、鈴舞は完成度の高い女官たちの芝居を見て、思ってしまった。


 拍手喝采で大団円を迎えると、嫌な視線を感じたので思わず鈴舞はそちらを見た。梁貴妃が、勝ち誇ったような顔をして林徳妃を眺めていたのだった。


 ――「さあ、あなたたちはこの後どうするわけ?」とでも思ってそうだなあ。


 梁貴妃の中では、二胡を失った林徳妃陣営は絶体絶命だということになっているはず。


 ――梁貴妃様の思惑通りにはならなそうでよかったけれど……。うう、やっぱり今すぐに逃げ出したい。


 披帛を被ったまま、宴の直前に白賢妃が集合場所に指定した場所へと、林徳妃とともに鈴舞は移動した。


「鈴鈴。もう、いい加減観念して披帛取りなさいよ」


 白賢妃に借りた二胡を抱えて、林徳妃が少し意地悪く言う。


「はい……」


 力なく返事をすると、鈴舞は披帛をを肩にかけた。華やかな彩色の甲冑に、愛用の棍を構えた白賢妃は、笑いを堪えているようだった。


 そして三人は、皇帝の劉銀とその妃嬪たちが囲んでいる円状の舞台へと、降り立ったのだった。


 林徳妃が二胡の演奏を始めてから、鈴舞と白賢妃がそれぞれの武器と共に舞うという流れだったが、二胡の音色が響き渡る前から、場は騒然としていた。


「あのかわいい子は、一体誰かしら……?」


「私も誰?って思ったけど……。よく見たら、林徳妃様の護衛の方ね」


「えっ! だってその方は宦官でしょう!?」


「その辺の妃嬪よりお美し……あ、すみませんなんでもないですわ」


「信じられない……。どうみても女性じゃないの」


 女たちのそんな声がひっきりなしに鈴舞の耳に届いてきた。懸念していた失笑は食らわなくて少しの安堵感を覚える鈴舞だったが、それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。


 高座に鎮座する劉銀は、口元を不敵な笑みの形に歪めて、興味深そうに鈴舞を見ていた。祥明は、驚愕したように目を見開いている。


 ――ふ、ふたりともあんまりこっち見ないでほしいわ。


 人に見てもらうために舞台に立ったにも関わらず無茶な願いを鈴舞がしていると、林徳妃の二胡の演奏が始まった。


 そして鈴舞は愛刀を抜刀する。二胡の音律に合わせて、風を切るように刃を振るった。披帛がなびき、裳の裾が風で膨らみ、舞をより優雅に魅せる。


 白賢妃は全身を隈なく使い、細長い棍を振り回した。棍の動きと共に深紅の槍纓が揺れ、空間が装飾される。


 美しく風流な二胡の音色とともに、溌剌とした動きで倭刀をしなやかに振るう鈴舞と、重量のある棍を猛々しく振るう白賢妃が舞台上で合わさった姿は、見るものを一重に感動へと引きずり込んだ。


 誰もが、練習なしの一発勝負だと知ったら、度肝を抜かれるだろう。それほどまでに三人は優雅かつ美麗で、桃園の中心に天国を創造してしまっていた。


 二胡の演奏の主旋律が、徐々におとなしくなっていく。余韻に近い音になった時、終わりを察した鈴舞は愛刀を腰の鞘に納めた。白賢妃が、棍を両の手で地面と水平になるように持ち、静止したのとほぼ同時だった。


 そして、林徳妃が弦の間に挟んでいた弓の動きをぴたりと止め、二胡の最後の一音が響いた。


 しばしの間、場は静寂に支配された。鈴舞は「あー、無事終わった」と安堵の息をついたが、舞台を取り囲む皆が、見開いた双眸を自分に向けているので、何事かと動揺してしまう。


 すると、静寂を打ち破る大きな拍手の音が響き渡った。席から立ち上がった劉銀が、一同に見せつけるかのように手を打っていた。


 歓声が響き渡ったのは、その直後だった。


「なんて美しくて、優雅で、可憐な舞!」


「林徳妃様の二胡の音だけでも心地いいのに、白賢妃様とあの宦官のしなやかな舞と来たら!」


「白賢妃様の棍術が素晴らしいのは知っていましたけれど、あの武官は一体何者なの!?」


「宦官なんて嘘でしょう……!? どう見ても、可憐な美姫だわ……!」


 そんな風に、三人を手放しで称賛する声が四方八方から聞こえてくる。いや、三人と言うよりは、八割方鈴舞に対する賛美の声だった。


 林徳妃と白賢妃の芸事の実力については、後宮の者にとってはもはや常識だったが、新米の宦官である鈴舞については、これまで存在すらも知らない者が多かったのだ。


 いきなり美しい女装姿で現れ、皇帝の寵姫と肩を並べられるほどの刀舞を見せられては、皆が騒然とするのも無理はない。


 ――お、思ったよりうけてくれたみたいで良かったけれど。こんなに注目されるのは、落ち着かないわね……。


 気後れしながら、すごすごと舞台から降りる鈴舞。――すると。


「見事であった、鈴鈴。皆の反応……主役は間違いなくそなただったな」


 同時に舞台から降りた白賢妃が、目を細めてしみじみと言う。舞台上で離れていた林徳妃は、反対側から降りたようだった。


 大それた誉め言葉をもらってしまった鈴舞は、慌てて首を横に振る。


「とんでもございません。白賢妃様の華麗な舞の足元にも及びません」


「はは、そう恐縮するでない。そなたと一緒に舞えて、私はとても楽しかった。強いだけの武官なら大勢いるが、美しく舞えるほど武器を自由に操れる者はそういまい」


「――もったいないお言葉にございます。本日の白賢妃様は、いつも以上にお美しく、凛々しくいらっしゃいました。棍術であなたに太刀打ちできる武官も、そうそういないのではないかと思います。私の道場の門下生でも、あなたに敵う者がいるかどうか」


 本心からの礼賛だったが、言った直後に「しまった」と鈴舞は後悔した。


 ――四夫人ともあろうお方を、武官や門下生なんかと比較しちゃ失礼よね……。


「……申し訳ありません。陛下の愛妃である白賢妃様を、下々の者と比べるなど……大層な失言でございました」


 深々と頭を下げる鈴舞だったが、白賢妃は鷹揚な笑みを浮かべたままだった。


「構わぬ、素直に嬉しいぞ。……私は武家の出身だからな。正直、女らしい娯楽よりも、棍と向き合っている時間の方が好きなのだ。鈴鈴のような武芸者に認められたことは、望外の喜びよ」


「ご厚情、痛み入ります」


 そう言いながらも、鈴舞は心から白賢妃が喜んでいるらしいことを察していた。林徳妃の話によると、白家は名の知れた武官を何代にも渡って輩出している、相当高名な武家らしい。


 そんな家に生まれた白賢妃が、女性としての喜びよりも武を愛していても、なんらおかしいことではないのだ。鈴舞もそうなのだから。


「しかし……。鈴鈴のその言いよう。あなたの道場では、女も対等に扱うのだろうな」


 なぜか目を細め、遠くを見つめてしんみりと白賢妃が言う。


「……? 強さに男も女も関係ありません。もちろん、女性は男性に比べて非力で、闘いでは不利な面が多いですが……。柔軟性や俊敏さを身に着ければ、男性とは十分渡り合えます」


 なぜ、そんなことを白賢妃が言ったのか、鈴舞にはまったく分からなかった。


 道場主の父は、娘の鈴舞も門下生の男子たちも、対等に扱った。女だからと甘く見ることは一切なかった。


 時には、「女子(おなご)に対して、厳しいのではないか」と先輩弟子が父に苦言を呈する場面もあったが、父は鈴舞を一切甘やかすことはなかった。


 鈴舞にはそれが当たり前すぎて、むしろなぜ「男だ、女だ」と区別しようとする考えがあるのか、理解できなかった。


 白賢妃にもたった今申した通り、強さには性別は関係ないのだから。


 ――まあ、どうやら世間では違うらしいってことが最近ではわかってきたけれど。男性と対等なほど強い女性なんて少ないもんね。


 白く柔らかそうな妃嬪たちの細腕と、少し筋張った健康的な自分の腕を比較するたび、「どうやら自分の置かれた環境はかなり特殊らしい」と気づき始めていた鈴舞であった。


「……羨ましいな」


 ぼそりと白賢妃は呟く。


「え……?」


「鈴鈴の実家のような場所に、私が生を受けていたとしたら。私は何のしがらみもなく、日々鍛錬にいそしめたのだろうな。……そうだったら、どんなによかったのだろう。こんな牢獄に閉じ込められることもなく」


 驚愕のあまり、鈴舞は返す言葉が見つからない。その間に、白賢妃は自分の席の方へとすたすたと歩き始めていた。


 ――「牢獄に閉じ込められることもなく」って、今おっしゃったわよね。


 自分の聞き間違いなのかとも思った。しかしあまりにもはっきりと、淀みの無い声だった。


 しかし、常に背筋を伸ばし、堂々たる態度で「賢妃」の称号に似つかわしい様子しか見せない白賢妃の言葉とは、どうしても思えなかった。


 ――白賢妃様も、後宮を窮屈に感じてらっしゃるのだわ。


 林徳妃も、「しがらみが増えそうだから皇后にはなりたくない」と言っていた。姚淑妃とはあまり関わっていないので分からないが、梁貴妃もいつも嫌味を言ってくるところを見ると、日ごろのうっ憤をそれで晴らしているように感じる。


 自分は宦官として後宮入りしたから、女特有の陰湿な争いからは外れているし、愛刀を常に携えていることもあり、あまり鬱屈した気分にはならない。


 だが、しかし。


 ――絶対にありえないけれど、もし私が女としてここに入ったとしたら。一日だって耐えられる気がしないわ。


 まだひと月も過ごしていないが、後宮での女たちの様子を思い出し、鈴舞はしみじみと思った。

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