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第四章 桃花祭ー②

 林徳妃と女官が使うための二胡は、昨日のうちに夏蓮宮から桃園側の倉庫へと運び出していた。鈴舞自身、それの手伝いをしている。


 驚愕した鈴舞は、扉が開いている倉庫の中を覗き込む。昨日、確かに女官たちと共に運搬した二胡が、跡形もなく消えていた。


「さっき女官から報告を受けて、まさかと思って私もここに来てみたの。周囲も探したのだけど、見当たらなくて……。二胡がなければ、当然今日の演奏はできないわ」


 林徳妃の覇気のない声。女官たちも、肩を落としている。


 本日の宴には、劉銀も出席する。事情を話せば彼はさして気にしないだろうが、彼の周囲はそうもいかないだろう。


 四夫人の中で林徳妃のみが芸事を披露できないとなれば、「宮中行事もろくにこなせない妃嬪」という烙印を押され、他の四夫人の派閥の側近が、ことあるごとに苦言を呈するようになるに違いない。


「あらあ。何を浮かない顔をしているのかしら? まあ、常日頃から大したお顔ではないけれど」


 女官を引き連れて通りがかった梁貴妃が、薄ら笑いを浮かべながら間延びした声を上げた。


 少し離れた場所に光潤の姿もあったが、退屈そうな顔をして明後日の方を見ていた。鈴舞がこの場にいることも気づいていない様子だ。


 武に精通している彼は、きっと芸事には興味ないのだろう。……と、どちらかというと女たちよりも彼の方に性格が近い鈴舞は、勝手に心情を推し量る。


「あら、梁貴妃様。ごきげんよう、今日も目がちかちかするほど煌びやかですこと」


 瞬時に柔和そうに笑みを作るも、ちくりと牽制するのは忘れない林徳妃。複雑に編み上げられた髪にまるで冕冠(べんかん)のように大きな髪飾りを揺らす梁貴妃は、いつもに増して白く塗りたくられた顔で(よこしま)そうに微笑んだ。


「お祭りですもの、着飾らないとねえ。しかし、あなたは相変わらずねぇ。いえ、いつもより顔に華やかさがないみたい。ふふ、まさか不測の事態でも起こったのかしら?」


 ちらりと倉庫の方を一瞥して、梁貴妃はほくそ笑む。それでも林徳妃は、眉ひとつ動かさずにこう言い放った。


「いえ、そういうわけではなくってよ。陛下の前で二胡を演奏できると思うと、武者震いしてしまってね」


「ふーん、そう? ふふ、あなたの華麗な演奏、楽しみにしているわ」


「あなたの女官たちによる芝居もね。ところであなたは今年も相変わらず、ただのお飾りなのかしら? ……そろそろ陛下に無芸大食だって呆れられないかしらねぇ」


 今朝、林徳妃が鈴舞に説明した内容によると。


 例年、姚淑妃は琵琶の演奏に合わせた愛らしい舞を、白賢妃は棍による武の形を、梁貴妃は女官による芝居を演目としているとのことだった。


 姚淑妃と白賢妃は、妃嬪自ら演者となるが、梁貴妃は女官にやらせるのみで自分は席で座っているだけらしい。


『あの子、外見にすべての才能をつぎ込んでしまったせいで、頭脳も技能も何もないのよねー。だから着飾って陛下に色目使うしかないのよ』


 ……なんて、鼻で笑って林徳妃は言っていた。


「わ、私はいいのよ! 存在するだけでその場を華やかにさせることができるんだからっ! 陛下だって『お前はかわいい』ってよく言ってくれてるし!」


「あらあら、陛下は本当にお優しいわね。でも、あまり心にもないことはおっしゃらないほうがいいと思うのよねー。だって勘違いしちゃったらかわいそうだもの」


「は、はあ!? 陛下は本気で思ってるもん!」


 涙目になる梁貴妃。ふたりの掛け合いの、いつもの結末だった。


「……絶対、梁貴妃様が二胡をどこかに持ち出したわよね」


 そんなふたりを尻目に、桜雪が鈴舞に耳打ちする。


「そうですね。しかし、証拠がありません。林徳妃様も、確証もないのに彼女を追及するわけにはいかないようですね」


「そうね……」


 ふたりでそんな会話をしていると、「ふん! 二胡もないのにどうやって宴を切り抜けるのか見ものだわ! せいぜい悪あがきすることねっ」という捨て台詞を吐いて、梁貴妃は去っていった。


 ――二胡がなくなったなんて、私たち一言も言っていないのに。梁貴妃様の頭の中は、がらんどうなのかしら……。なんて、貴妃ともあろうお方にこんなことを思ってはダメね。


 つい梁貴妃を貶めるようなことを考えてしまった鈴舞が、自己をこっそりとたしなめていた時、林徳妃は顎に手を当てて考え込んでいた。


 林徳妃も、もちろん梁貴妃が二胡を盗難したとは分かり切っているはずだが、彼女に構っている暇はないと判断したらしい。まずは、桃花祭をどう切り抜けるかを思案しなくてはなるまい。


「うちの女官たちは、楽器演奏以外の芸には秀でていないのよね……。あ、そうだわ。鈴舞は何かできないの? あとは新入りのあなたに期待するしかないわ」


 期待に満ちた瞳で林徳妃は鈴舞は見据える。――しかし。


「わ、私ですか? ……恐れながら、刀を振り回すことに人生を費やしているので……。芸ごとはさっぱりです」


「それならば、刀舞を見せればよかろう」


 突如、場に冷涼な女性の声が響いた。声のした方を見ると、そこには――。


「白賢妃様!」


「うむ。林徳妃様、鈴鈴。お困りのようだな」


 白賢妃は気品のある微笑みを浮かべていた。衣裳は茶会で着用していた艶やかな襦裙や披帛ではなく、なんと躑躅色(つつじいろ)の甲冑を身につけていた。手には、愛用の棍だ。


「勇ましいお姿、よくお似合いですわ」


 林徳妃の言う通り、華やかな色合いの甲冑に、柄の長い棍を携えた姿は、戦場の女神と呼称してもおかしくないくらい、美しく凛々しかった。


 ――妃嬪としての御衣裳より、甲冑姿の白賢妃様の方が素敵だわ。……なんて、こんなことを思ってはダメかもしれないわね。


 鈴舞も、勇ましい姿の白賢妃につい見とれてしまう。


「ありがとう。……まあ、私のことはいい。先ほど、梁貴妃様が下卑た微笑みを浮かべて歩いていたものだから、嫌な予感がして祭りの会場を下見しに来たのだ。直前に演目のご相談をなさっていたところを見ると、やはり被害に遭われたようだな」


「ええ、演奏に使う二胡がなくなっておりましたの。……確実に梁貴妃様の仕業ですが、はっきりとした証拠がありませんし、祭りの直前に盗難だと騒ぐのも風流ではありませんから、なんとか乗り切りたく知恵を絞っておりました」


「やはり、そういうことであったか。しかし先ほども申し上げたが、演目はなんとかなるのではないか?」


 林徳妃と話していた白賢妃が、鈴舞へと視線を合わせてきた。


「私が刀舞を見せる……とおっしゃっておりましたね」


「うむ。徳妃様の専属の護衛に抜擢されるほどの実力の持ち主ならば、刀舞も可能だろう?」


 刀舞とは、文字通り刀を振るいながら舞う芸道のことだ。基本的には、音楽や詩吟に合わせて刀を振るって舞う。


 実家の道場で行われた宴会で披露する機会があったので、それなりに練習したことはあるし、刀舞自体が普段の刀さばきの延長線上にあるので、ぶっつけ本番でもきっと様にはなる。


「ええ、できないことはないとは思います。ですが、私は……」


「あらっ! いいじゃないそれなら刀舞で!」


「うむ。私も今年も棍の舞を披露する予定だった。武芸同士ということで、今年は合同で行わないか? それに二胡なら私もひとつ持っている。林徳妃様が演奏する二胡に合わせて、私と鈴鈴が舞うのはいかがか」


「あら、とても良いお考えですわ! ぜひ、そういたしましょう!」


 鈴鈴の言葉を遮って、林徳妃と白賢妃が話を進めてしまう。


 ――林徳妃様から主役の座を奪って刀舞なんて……と思ったけど、さらに白賢妃様とご一緒に武舞ですって!? しかも、林徳妃様の演奏する二胡に合わせて!? 四夫人ふたりと同じ舞台に立つなんて、私のような宦官風情には差し出がましいにもほどがあるわっ!


「お、お待ちください。私のような者が、白賢妃様とご一緒に舞うだなんて……! 恐れ大いにもほどがあります」


「私は気にせぬが」


「私も気にしないわ。いいじゃない、別に。宴の演目の出場者に位階の制限なんてないし」


「い、いえ! しかし……! そ、それに私は宦官にございます。宴席の場を盛り上げるような、華やかさはございません。御化粧も御衣装も、男物では映えませんよ」


 白賢妃は甲冑を身に着けているとはいえ、色合いは女性的で華やかだし、化粧も念入りに施されている。髪はすっきりとまとめられていたが、翡翠がちりばめられた髪飾りが、動くたびに煌めく。彼女が立つだけで、辺り一帯が華やぐはずだ。


「陛下もきっと華美な演目を期待しておられますし……。私のことは忘れて、林徳妃様の二胡の演奏に合わせて、白賢妃様の棍を振るう、という形で合同ということになさってはいかがですか?」


 「自分は宦官だから」と鈴舞が主張した後、押し黙って眺めてくる林徳妃と白賢妃。ふたりの標的から自分を外したくて、鈴舞は必死になって逃れるための意見を述べた。


 ――林徳妃様が困っているのなら、刀舞を披露するのもやぶさかではないけれど。白賢妃様と一緒に舞うなんて、とんでもないったらありゃしないわ。


 林徳妃は目を細めて、じっと鈴舞を眺めていた。何かを見定めているようだった。諦めてくれるだろうかと、鈴舞は天に望みをかける。


「……私の襦裙と、披帛と……やっぱり、裳だと動きづらいわよねぇ。うーん。思いっきり女の子っぽくした方が面白そうだけどなあ」


「え……? 林徳妃様……?」


 彼女がぶつぶつ呟いている言葉の意味がまったく分からず、鈴鈴は尋ねる。しかし、何故か嫌な予感がしてならず、顔を引きつらせた。


「ん? 別にあなただって華やかになれるじゃないの。私、一生かかっても着られないくらいの御衣装や装飾品があるんだもの。私より、鈴鈴に似合うような物だってあったわ。あなた、化粧映えもしそうだし」


 ――何をおっしゃっているの、この方は。


 にっこりと笑顔で言葉を紡ぐ林徳妃。鈴鈴は、彼女の言っている意味が理解できなくて――いや、理解したくなさすぎて、声が出てこない。


 すると、林徳妃の言わんとしていることを素直に受け止めたらしい白賢妃が、豪快に笑った。


「はははは! それはいい! 面白い演目になりそうではないか!」


「さすが白賢妃様! 話がお早いですわ! ……というわけで、あなたの懸念は何ひとつなくなったわ。いいわね? 鈴鈴」


「……つまり。私に、女装しろと。そういうことで……ございますね」


 衝撃的過ぎて途切れ途切れに言ってしまう鈴鈴。すると林徳妃と白賢妃は、にんまりと企むような微笑みを浮かべて、深く首肯したのだった。

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