第一章 無理難題ー①
『詔令文書
此度、朱鈴舞に与える役目をここに記す
一、徳妃・林蘭玉の専属武官とし、後宮にて仕えよ。任期は未定
二、武官として使える際は、素性を隠し男を装い、宦官となれ
以上』
まさに、晴天の霹靂だった。
文箱に入っていた紙が紫色をしていたのが見えた時点で、鈴舞は大層嫌な予感がしていた。
紫――それはもっとも高貴で威厳のある色。華王朝にて唯一無二の支配者である皇帝に関わる物にしか、使用が許可されていない色。
つまり、この詔令文書は皇帝名義で記された文書ということになる。何人たりとも歯向かうことは許されぬ、絶対的な命というわけだ。
まあ、それはいいとする。鈴舞と皇帝は、同じ釜の飯を食った旧知の仲である。彼がわざわざ書状を送ってまで命じてきたことならば、従うのもやぶさかではない。
だが、しかし。
「意味が、わかりませんが……?」
思わず途切れ途切れの言葉になってしまった。命の内容があまりにも予想からかけ離れていたのだから、無理もない。
――普段通りの午後だったはずなのに。いつも通り、道場の外で愛刀を振り回し、軽く流れる太刀筋に「よし、今日も調子がいいわ」と、機嫌よくしていたところだったのに。
幼馴染である祥明が持ってきた文書の中身に、一瞬でほくほくした気分など吹っ飛んでしまった。
「……ごめん、俺も『二』についてはよくわからん」
祥明が顔を引きつらせながら言う。
三歳年上の祥明とは、物心のつく前からの仲だ。鈴舞の父が営んでいる刀術の道場に、齢五つの頃から三年ほど前まで、門下生として彼は籍を置いていた。
三年ほど前――そう、祥明が皇帝の専属武官として仕えるようになるまで。刀身の太い青龍刀を自由自在に操る彼は、王朝屈指の刀術使いなのだった。
両親同士も仲が良く、ふたりも年頃になってきたので「そろそろ祝言を」なんてことをしょっちゅう話しているらしい。しかし、毎日武の道を極めることに忙しい鈴舞は、まだ結婚なんて遠い話のように思っていた。
「劉ぎ……へ、陛下はなぜこのようなご命令を!?」
昔の呼び名で呼ぼうとしてしまい、鈴舞は慌てて言い直した。
華王朝の現皇帝、劉銀。若干二十歳ながら、文武両道に長けた名君だと市井の民の間では非常に評判がいい。
まあ、名高いのは能力だけではなく、女性に見まがうほどの、絶世の美貌も備えているからだろうが。
さて、その劉銀だが。幼少の頃に三年ほど道場に身を置き、鈴舞や祥明と一緒に日夜稽古に励んでいた。
高貴な血筋の者が、下町の道場で暮らすなど本来なら考えられないことだが、先代の皇帝はとても視野が広い人物だった。
「上に立つ者になるためには、武芸を極め、民の生活も知らなければならない」という言いつけによって、そのようなことになったらしい。
まるで、奉公させられるように置いて行かれた劉銀だったが、彼は徐々に道場の生活に溶け込んでいった。前皇帝の「武道に励んでいる間は位も血筋も意味などない」との言いつけから、恐れ多くも道場内では他の門下生と同じ扱いにされたためだ。
やんちゃな子供だった鈴舞と祥明は、次第に劉銀と馴染み、彼が来て一年ほど経った頃には、悪戯をしては師範に叱られ、時には子供同士のちゃちな秘密を共有してこっそり笑い合う仲となった。
そう、三人には身分を超えた絆がある。道場を巣立った劉銀とは何年も顔を合わせてはいないが、鈴舞はその絆がまだ三人全員の中に存在していると信じている。……信じていた。信じていたというのに。
こんな意味の分からない命をするなんて、昔の誼があるとはいえ、あんまりではないか。
「……祥明。さっき、『二についてはよくわからない』と言いましたよね? では、『一』については、それなりに納得できるということですか?」
「まあな。今、後宮内が殺伐としてんだよ」
「殺伐……?」
「女官が立て続けに行方不明になってるんだ」
瞳に神妙な光を湛えて、祥明は言う。そして、さらにこう続けた。
「半年前くらいからだったかな。女官が頻繁にいなくなるんだ。後宮での生活に嫌気が差した者の脱走は、ちょいちょいあるから最初は皆気にしてなかったんだけど……。あまりにも頻度が高いし、脱走なんかしなそうな女官までいなくなるから、これは誰かが誘拐してんだろうなっていうのが、陛下のご判断だよ」
「それは……随分物騒な話ですね」
「だよな。それで、後宮内の警備増強のために、腕が確かなお前に白羽の矢が立ったんだろ」
なるほど、確かにそこまではとても得心がいく。
だがやはり、問題は『二、武官として使える際は、素性を隠し男を装い、宦官となれ』である。
――男を装う? 宦官? なんでそんな必要があるの?
考えれば考えるほど理解に苦しむ。しかし、劉銀とは普段から面を合わせている祥明も、この勅令についてはよくわからないとのこと。
しかし、よくわからなくてもとりあえず従わなければならない。だって相手は絶対君主なのだから。