ザ・デス
どうしよう……。
冒険者ギルドから逃げるように立ち去った僕は途方に暮れていた。すでに町の外に出ているらしく、周りには一軒の建物もない。その代わりにゴツゴツとした岩肌が目につくようになってきた。
――本当に、ついてない。
皆の前で恥をかかされた受付嬢はきっと怒っているだろう。もう戻れない。それはつまり、冒険者への道も閉ざされたということだ。これから僕はどうすればいいのか。
何が《豪運》だよ。
ゴブリン戦での蜂の大群はよかった。
でも、今のはなんだ。
僕のステータスを笑った受付嬢に恥をかかせるのが《豪運》か? そんな訳がない。
僕はそんなの望んでいない。
別に、いいのに。
馬鹿にされるのも、軽く見られるのも、無視されるのも、いいように利用されるのも、僕は慣れている。
そんなの、いいのに。
どうやらこの《豪運》は僕の意思とは関係なく、僕に敵意を向けた存在や馬鹿にした人間などを自動的に攻撃するように出来ているらしい。思い通りにならないんじゃ、意味ないよ。
「おーい、ラク!」
岩の間をトボトボ歩く僕の背後から、セイジが声をかける。慌てて追いかけてきたのか、少し息が弾んでいるけど、汗はかいてないようだった。
「よかった。追いついた。急にいなくならないでくれ。危うく見失うところだった」
「……何の用ですか」
「つれないこと言うなよ。共にギルドに加入した仲だろう。当然、吾輩とパーティーを組むんだろう?」
この人、なんでこんなにグイグイくるんだろう。
「……ステータス見たでしょ」
「もちろん見たよ。運の数値がずば抜けていたな。しかも、測り直すたびに僅かに上昇してるようだった。こんなラッキーボーイ、吾輩は初めて見たぞ! その幸運にあやかりたくて一緒になるのが、そんなにおかしいか?」
賢者の目はキラキラしていて、お世辞や社交辞令で言っているようには見えない。
だけど。
だけれど。
「……受付嬢、怒ってたでしょ。僕は冒険者にはなれませんよ」
「何を馬鹿なこと言っているんだ。彼女が醜態を晒したのは事故と、本人の不注意だ。しいて言えば吾輩がカウンターを強く叩いたのがよくなかったのかもしれないが、いずれにせよラクは悪くない。彼女もラクに対しては怒ってないし、仮に怒ってたところでどうということはない。彼女は組織の末端だ。加入する意思のある人間を受付嬢の個人的な感情でどうこうできる訳がない。堂々としていればいいんだよ」
賢者らしく、セイジの言葉は論理的で説得力があった。彼の言葉を聞いていると、本当に大丈夫な気がしてくる。
「どうだろう。ラクにとっても悪い話ではないと思うが」
そこまで食い下がられては断れない。
そもそも、仲間になりたいなんて申し出を断れるほど、僕は偉くないのだ。
「じゃあ――パーティー、組みましょうか」
「おお! よろしく頼むぞ!」
強く手を握られる。肉体労働などしたことがないのだろう、賢者の手は細く、肌はきめ細やかで美しいと感じた。
「……でも、他にも仲間がほしいですよね」
「もちろんだ。物理攻撃に長けた剣士と、あと回復役はほしいな。本来、そういう仲間はギルドで見つけるものだが……」
正直、あそこには戻りづらい。
受付嬢が恥をかいたのは僕のせいではないし、冒険者登録しているのだから堂々とすればいいとセイジは言ってくれる。だけど、彼女と顔を合わせづらいのもまた事実。
どうしよう――。
「キャアアアアーッ!」
思案に暮れていると、少し先から女性の悲鳴が聞こえた。
ギルドの受付嬢に、聞こえた。
「今の、受付嬢……!?」
「そんな訳ないだろう。今頃必死でカウンターを直してるよ。受付嬢のことを考えていたからそう聞こえただけだ」
内心を見透かされていたらしい。さすがは賢者、などと感心してる場合ではない。
「急ごう」
駆け出すセイジの後をついていく。
駆けつけた先で、僕は言葉を失う。
そこでは、獣耳の少女が、魔物に襲われていた。
紫色のゲル状の巨大な塊――スライムだ。
体長1メートルほどだろうか。ゲームなどで見るより、ずっと大きい。
対する少女の方はと言えば、フリルのついた白いブラウスに朱色のミニスカート、白のハイソックスに身を包んでいる。巫女装束を洋風にしたみたいな服装だ。髪色は茶色で、頭からは犬っぽい耳――顔立ちは幼く、タレ目で、今にも泣きだしそう。
「ふええ……だれかたすけてぇ……」
巨大スライムを前に情けない声を出している。
僕は咄嗟にセイジを見る。
「セイジさん」
「分かっている――ようやく、吾輩の実力を見せられる時がきたな」
言いながら懐から小型の杖を取り出す。
その先端を唇に押し当てながら、ごにょごにょと何やら呟いている。
詠唱を開始したらしい。
「#〇Σ @ △〇<& タイム, ▲□ ■@▽□ ♭□□< $@¥|<& ※■|<&$ ※■@※ @Σ□ 〇◎※ 〇# #@$■|〇<, ♭◎※ ※■|$ |$ <〇※ 〇<△¥ ヒューマン ♭□|<&$ ♭◎※ @△$〇 ゴッズ @<● ♭◎●●■@$, @<● ※■□Σ□ |$ @△$〇 @ ゴッド ▲■〇 |$ <〇※ &Σ@※□#◎△ □▽□< |# |※ |$ $@|● ゴッド――」
ほとんど聞き取れないが、所々ヒューマンだのゴッドだの言っているのは分かる。
「?△@&◎□ ゴッド, ?〇〇Σ ゴッド, ?□>?■|&◎$ ゴッド, ●□@※■ ゴッド,@Σ□ <〇※ ▲□△Ⓒ〇>□ ※〇 ピープル――」
詠唱を続けながら空いた左手で胸の前で結んでいるケープの紐を解き、ばさりと後ろに脱ぎ捨てる。少し身軽な格好になった。
「▲■@※ @Σ□ ¥〇◎ ●〇|<&.¥〇◎ @Σ□ @ #Σ◎$※Σ@※|<& ?□Σ$〇<.¥〇◎ Ⓒ@>□ ■〇>□ ▲|※■〇◎※ @<¥ >〇<□¥.
♭◎※ ■□ $@|● ■□ ●|●<'※ ■@v□ ※■□ >〇<□¥, $〇 |※ Ⓒ@<'※ ♭□ ■□△?□●
¥〇◎ @Σ□ Σ□@ll¥ $|$$¥.|●|〇※,$※◎?|●,▲◎$$,■|※ ¥〇◎Σ ■□@● @&@|<$※ ※■□ ※〇#◎ ■〇Σ< @<● ●|□――」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
思わずストップをかける。
「――何だ。まだ詠唱の途中だが」
「いつまで続けてるんですか!」
「いつまでって――まだ序盤も序盤だぞ。この魔法はフルでやると40分はかかる」
「時間がかかりすぎです! もっとコンパクトなのないんですか!」
「簡単に言うなよ。吾輩だって色々考えてこの魔法をチョイスしてるんだ。相手は巨大なスライムだ。見た限り物理攻撃は無効だろうし、下手にダメージを与えて毒や溶解液を出されても厄介だ。だから一発で仕留める必要がある。強力な攻撃には相応の詠唱が必要になる。この世の理というのは、そういう風にできているんだ」
詠唱も長ければご託も長いな!
思った以上に使えないぞ、この賢者!
「はわわ……こわいよぉ……」
見れば、犬耳少女とスライムの距離がさっきより縮まっている。
あまり余裕はなさそうだ。
「分かりましたから、できるだけ早くお願いします!」
「了解した。できれば、時間稼ぎをしてくれると有り難いな」
「そんな……僕は戦えないですよ。武器もないですし」
「武器はなくても運があるだろう。その辺の石を投げれば、なんとかなる。君がやれば、ね」
「物理無効なんでしょ!? 毒とか、溶解液は――」
「運が18しかない凡夫はそういう風にごちゃごちゃ考えなければならないんだ。だが、君は違うだろう。何とかなる。そういう風にできている。ただ、行動を起こせばいい。それが全てだ」
「……そう、なんですかね」
ぐいぐい背中を押される。この賢者はどうにも口が上手くて、最終的にはいつも丸め込まれてしまう。だからこその賢者なのだろうけど。
「ああ、できればスライムと少女の距離を離してもらえると助かるかな。もちろん、少女は傷つけずに」
注文が多いな!
言うだけ言って再び詠唱に戻った賢者を横目に、僕はその辺に落ちていた石をいくつか拾い、スライムに投げつける。
「このっ! くらえっ!」
結果、全て外れた。
犬耳少女に当たらなかったのは幸いだけど、石は全て巨大スライムからそれて、背後の岩肌にぶつかる。
――それでいい。
しばらくして、パラパラと砂粒が落ちてくる。
その、三秒後。
ズドン!
高さ2メートルを超える巨大な岩が、スライムめがけて落下してきた。さっき石をぶつけた衝撃で、岩肌が振動し、岩山の上に乗っていたものが落ちてきたのだ。
岩の直撃を受けて、スライムがビシャリと辺りに四散する。
「ふええ……こわかったよお……」
半分腰を抜かしていた犬耳少女、スライムが潰れたのを見て、とてとてとこちらに駆け寄り、がば、と僕に抱きつく。
非常に小柄で、頭は僕の胸くらいまでしかない。
それでいて出るところは出ていて、二つの出っ張りが僕の腰あたりに押し付けれる形になる。
「ありがとうございます! アナタはいのちの恩人ですぅ!」
潤んだ目で僕を見上げる少女。
悪い気はしない。
――だけど、これで終わらないことぐらい、僕にも分かる。
「下がっていて……まだ終わってないから」
「ふえ?」
頓狂な声を出す少女を背後に回す。
がっしりと抱きついたままだけど、まあ、それはそれでいい。
僕の目の前で四散したスライムの欠片がズブズブと集まり、くっつき、元の巨大な塊へと戻っていく。
セイジが言った通り、物理は無効らしい。
「はわわわわ……も、もどりましたよぉ!?」
慌てる少女。
僕はそれには答えず、辺りにあった石をやたらめったら投げつける。
ドン!
バキ!
ドゴ!
岩肌に石が当たり、上から岩塊が落下してスライムを潰す。
四散する。
再び集まり、元の巨大なスライムに戻る。
そんなことが、何度も何度も繰り返される。
きりがない。
投げる石にも限りがあるし、落ちてくる岩だって無限ではない。
僕の《豪運》にだって限界はあるのだ。
でも、別に今はそれで構わない。
僕に与えられた使命は二つ。
時間稼ぎと、少女とスライムの距離を離すこと。
さっきのやり取りから、すでに10分はたっている。
「セイジさん、まだですか!?」
「待たせたな、協力感謝する!」
ずっと口元につけていた杖を真っ直ぐスライムに突き付ける。
「@Ⓒ■@Σ@×@>〇×◎Σ□< |$□×@|※□<’| ※□×□Σ□※※▽<〇、パァッッッ!」
物凄い早口で詠唱を締めくくる。
次の、刹那。
セイジの頭上に、漆黒のローブをかぶった骸骨が現れる。
それと同時に、スライムの前に無数の巨大な蝋燭が立つ。
その全てに火が灯り――骸骨は強力な息吹を吹きかける。
焔は紅蓮の舌となってスライムに襲い掛かり――
物理無効の魔物は、音もなく瓦解する。
後には、何も残らない。
ただ、顔面に恐ろしいほどの風圧と、熱を感じていた。
しばらく、その場に呆けたように突っ立っていたと思う。
「……ふむ、まあこんなものか。簡略版だしな」
今のが、簡略版!?
「……何ですか、今の」
「《ザ・デス》――上級召喚魔法だ。死神を召喚して、相手は死ぬ」
「そんな――凄い! 凄いですよセイジさん!」
「大したことは――まあ、あるんだが、それはそうだろう。吾輩はずっと魔術の研究をしてたんだ。この程度はできないと立つ瀬がないというものだ」
謙遜してるのか自慢してるのか分からないことを言う。
「それに、詠唱時間の長さはどうしようもない。やはり実践向きではないな。今回、吾輩の魔法が成功したのは、ひとえにラクの頑張りがあったおかげだ。本当に助かった」
そう言って頭を下げる。
これには困惑した。
「そんな――僕なんて、ただ適当に石を投げていただけですよ。運よく岩が落ちてきただけで――それだって、結局スライムには効かなかった訳だし」
「それで充分さ。君がいたから、吾輩の魔法は成功した。それは事実で、それが全てだ」
じわりと、内面が温かくなるのを感じた。
褒められる。
認められる。
必要とされる。
人は、それがないと生きていけないんだ。
「それに、彼女はすっかり君に懐いているようだぞ」
すっかり忘れていた。
スライムに襲われていた犬耳少女は、未だに僕の腰にしっかりと抱きついて離れない。
「えっと……取り敢えず、離れてもらっていいかな」
「はなれません! いのちの恩人ですからっ!」
「えっと……」
普通に困った。
こんな経験は初めてだ。
「ならば自己紹介をしてもらっていいかな。吾輩はセイジ・ウィズマン。大賢者の末裔で、今は冒険者をしている。こちら――君の命の恩人は、名をラクと言って――うん、吾輩と同じく冒険者をしている」
明らかに紹介に困ったな、今。
それはそうだ。僕は《剣士》とか《魔法使い》みたいな肩書きがない。ただ運が異様にいいというだけの冒険者だ。セイジも色々と持ち上げてくれるけど、それは変わりがない。
それこそ――それが事実で、それが全てだ。
別にいいけど。
「あっ……はわわ、そうですね、失礼しましたっ!」
そう言って、慌てて頭を下げる。
離れるんかい。
「アタシは、ミコですっ!」
「ミコちゃんだね。君はどういう人間かな」
「……どーゆーにんげん?」
「どこで生まれ、何をして育って、どういう理由があってここにいて、何が出来る人間なのか、を教えてほしい」
噛んで含めるように質問を箇条書きにするセイジ。
面接かな?
いや、本当にそうかもしれない。ミコの悲鳴を聞く直前、僕たちは仲間の話をしていた。あわよくばこの少女を仲間に引き入れるつもりなのかもしれない。どういう訳か、僕に懐いてるみたいだし。
「えっと……ふゆぅ、そーですねぇ……アタシはここからずっと西の国で生まれて育ちました。ミコの家は代々神官をしていて、アタシも神の使いとなるよーに育てられました。だけど、ある日急にお父さんがいなくなって……それで、お父さんを探す旅をしているんです。得意なのは回復魔法です。怪我や病気はもちろん、壊れた物を修復することもできるんですよっ」
ズイっと、人差し指を僕に突き付ける。
ここにきて一番の長台詞を言うミコ。
僕とセイジは顔を見合わせる。
これは――本当に運がいいのかもしれない。
こんなに早く回復役と出逢えるなんて。
「それはこの場でやることはできるのかな」
尋ねるセイジ。
ミコはさっきの答えの後にそそくさと僕の腰にしがみつく。
ここを所定の位置と決めたらしい。
「もちろんできますよぉ――あ、ご主人様、こことここ、切っちゃってますねぇ」
僕の頬と右腕を指して、ミコはそう言う。
『ご主人様』というのはもしかしなくても僕のことだろうけど、それよりも怪我を負っていることに驚いた。
「え、なんで……?」
「さっき、たくさん岩をおとしてスライムつぶしたじゃないですか。あの時、破片が飛んできてかすったんです。直撃しなかったし、ご主人様は集中してたから気付かなかったみたいですけど」
言われて見てみれば、確かに右腕の真ん中辺りが切れて血が出ている。鏡のないこの場では確認できないけど、顔も切っているのだろう。スライムとの闘いやセイジの魔法のことに注意を奪われて、自分の体のことまで気が回らなかったらしい。
指摘されて初めて、腕と顔にズキリとした痛みを感じる。
「今、なおしてあげますからねぇ」
ミコが腕に手をかざす。
ぽぅ、と橙の光が灯り――次の瞬間、傷は消えている。
痛みも、なくなっている。
顔の傷も同様だ。
ミコが手をかざして、光が灯る。
それだけで、傷は癒える。
でも僕はそれよりも、至近距離のミコの顔と、ちょっと背伸びしたことでお腹辺りに押し付けられる胸の出っ張りにばかり意識がいってしまっていた。
「……はい、できました。跡にのこることはありませんね。ご主人様の怪我は全部アタシがなおしますからねぇ」
「ミコちゃん――折り入って頼みがある」
若干興奮した様子でセイジが言う。
そこまで心を開いていない中年男性に詰め寄られ、目に見えて警戒するミコ。
「はわわ……えええ、な、なんですかぁ」
「吾輩たちのパーティーに入ってもらえないか」
返答は、予測できていた。
「ご主人様と同じなら、どこまでも」