大賢者の末裔
「――おお、気がついたか」
気がつくと、僕は平原の真ん中で倒れていた。
あのふざけた女神と色々話して、スキルを決めるガラガラを引いて、その後で女神が浮遊したまま後退していったのは覚えている。
その後、ガクッと体制を崩して、周りの白い光景が崩れていって――今に至る。
僕を起こしてくれたのは30前後の理知的な雰囲気のする紳士だった。黒の長髪で、右目だけに丸い片眼鏡を、赤いケープを肩からかけている。どういう訳か、滝のような汗を流している。
「えっと、僕は……」
「君、いきなり天からゆっくりと落ちてきたんだ。さすがの吾輩も度肝を抜かれたぞ。天の使いか何かかい?」
流れ落ちる汗をハンカチで拭いながら男は尋ねる。
ついさっきまで女神と話してたんです、と言う訳にはいかないだろうなあ。
「えっと、あの――そう、竜巻で打ち上げられて、この地まで飛ばされてきたんです!」
「その割にはゆっくり落ちてきたように見えたが……?」
「落下速度を遅くするスキル持ちなんです!」
咄嗟にえらく適当な嘘が出る。
「そりゃあまた随分とニッチなスキルだねえ……。まあ、怪我がなくて何よりだ。そんなニッチなスキルを役に立てるなんて、君は運がいいな」
また、『運がいい』か。
思う所はあったけど、それはおくびにも出さずに話題を転じる。
「えっと、アナタは……?」
「おお、自己紹介がまだだったな。これは失礼。吾輩の名はセイジ・ウィズマン。大賢者の末裔だ」
ずいぶんな人間と知り合ってしまったぞ。
大賢者て。末裔て。
それが真実かどうかより、出逢って数分の人間にそのことを自信満々で告げていることがヤバイ。
――いや。
ここは異世界。ファンタジー世界だ。
現代日本なら無条件で女児にブザーを鳴らされる存在でも、この世界では割合こういうのがスタンダードなのかもしれない。
「反手楽太郎です」
「長いな。ラクでいいか」
勝手に人の略称を決める。別にいいけど。
「それで、ラクはどこかに向かう途中なのか。方向によっては同行しても構わないが」
こっちに選択権はないのかよ。さっきからえらい上から目線だな。まあ、仕方ないか。『大賢者の末裔』なのだし。
「えっと、冒険者ギルドのある町を探しているのですけど」
「ほう! 奇遇だな。吾輩もだ。一緒に行こう。町はそこの森を抜けてすぐだ」
「セイジさんも冒険者になるんですか?」
歩きながら話し始める。
「……うん。故郷で魔術の研究をしていたんだがね。事情があって、まとまった金が必要になったんだ。色々考えたんだが、吾輩は非力だし、人に頭を下げることもできない。だったら冒険者で稼げばいいのではないかと思ってね。吾輩の魔術が実践で通用するかも確かめてみたいし」
羨ましい身分だ。
こんな労働意欲のない人間でも、この世界では食っていけるらしい。
いや、違うか。
この人には頭脳と才能、おまけに家柄がある。
いわゆる成功確定の勝ち組というやつだ。
いいな、『才能のある』人は――人生イージーモードで。
横目でセイジを見ると、彼はは獣の皮で作られた水筒らしきものに口をつけている。僕の視線に気がついた賢者は、その水筒をこちらに向ける。
「君も飲むかい? 中身はただの水だが」
「いえ、まだ喉が渇いてないので」
そう言えば、と気になっていたことを尋ねる。
「さっき随分と汗をかいていましたけど、何かあったんですか?」
「汗? ――ああ、ハハ、みっともないところを見られてしまったね。吾輩は長年、北の地で暮らしていたため、寒さには強いんだがいかんせん暑さに弱くてね。少し動いただけで汗をかくし喉が渇いてしまうんだ。巨大な氷塊に覆われていた封印されし町を吾輩の上級灼熱魔法で溶かすことはできても、自分の喉は潤せないんだから皮肉な話さ」
この人、聞けば答えてくれるのだけど、ちょいちょい自慢が入るな。それだけ才能と実績があるということか。
「この森、広いんですかね」
「いやあ、大したことないさ。じきに抜ける――が、少しばかりマズいな」
足を止め、水筒に蓋をして懐にしまうセイジ。
左手で僕が進むのを制し、注意深く辺りを見渡している。
「どうしたんですか」
「……囲まれた。3、4……いや、5匹はいるな」
セイジが言うのと同時に、木々の間から妙なモノが顔を出す。
人間ではないと、一目見て分かった。
髪のない頭は大きく、耳が尖っていて体色は緑色、軽く腹がせり出していて下半身には皮の腰巻。手にはトゲ付きの棍棒。双眸に黒目はなく、涎を垂らしながら唸るその姿から知性は感じられない。
――これは。
「ゴ、ゴブリン……」
「彼らの根城に足を踏み入れてしまったらしいな。我々の金品を狙っているのだろう――ラク、戦闘の経験は?」
ブンブンと首を振る。
「――そうか。ならばここは吾輩に任せてもらおう。ラクは走って先に進むといい。二百メートルも走れば森を抜け――」
最後まで聞かずに、僕はダッシュで逃げ出す。
脱兎のごとく、脇目も振らずに、だ。
セイジのことを置いていってしまったけど、あの人なら大丈夫だろう。
大賢者の末裔なんだから。
才能のある人なんだから。
上級魔法が使えるんだから。
置いて逃げたって平気だ。
むしろ、戦闘素人の僕がいた方が足手まといだろう。
逃げるのが正解だ。
僕は、卑怯じゃない。
必死で自分に言い聞かせながら、5メートルも進んだところだろうか。舗装されていない森の道を全力疾走したのがよくなかったのかもしれない。僕は木の根に足をとられ、もんどり打って派手に転んでしまう。
ああ、だから森は嫌なんだ!
クソ森が!
転んだ拍子に足元にあった枯れ枝が宙を舞い、近くの木の幹に当たる。
次の瞬間、当たった木の枝の間から、ブブブ、と黒い塊が姿を出す。
蜂だ。
一匹数センチはあろうという巨大蜂の大群だ。
クソが!
文字通り、泣きっ面に蜂じゃねえか!
泣きたくなって転んだその場にうずくまると、蜂の大群は僕の頭上を越えていく。咄嗟にうずくまったのがよかったらしい。
どうなったのかと目を追えば、蜂の大群はさっきのゴブリン集団を襲っている。どういう訳か、セイジは襲われていない。指揮棒みたいな小型の杖を構えたまま、突如として現れた蜂の大群と、それに襲われているゴブリン集団に困惑している。
「こ、これは……?」
勝敗はすぐに決まった。
体中を刺されて逃げ出すゴブリン集団。
蜂の大群もどこかに消え去る。
残されたのは、呆気にとられるセイジと、転んだ姿勢のまま同様に呆けている僕だけ。
「……さすがに運がよすぎないかな」
ポツリと漏らす大賢者。
それはそうだろう。
これが僕のスキル――《豪運》の力だ。