全てに意味はある
初っ端でドタバタしたが、その後はすんなりと進んだ。
元天才子役の実力は本物で、女神の芝居は素晴らしいの一言に尽きた。温厚かつ鷹揚、掴みどころがなく、どこか天然を思わせる女神の人物像をほぼ即興で作り上げ、結構な台詞量も何度か練習しただけで完璧に頭に入ったようだ。
反手がどのような反応をするか分からないので、応答のパターンをいくつか考えておいたのだけど、命の力があればある程度はアドリブで乗り切れる気はする。
本当に、女神を運ぶ箇所だけが問題なのだ。
それはシーンの最後にもある。スキルをくじで選ばせ、《豪運》の説明をして地上に送り出した後も、女神は浮遊して、今度は後ろに下がっていく。ここも、明治に頑張ってもらう必要がある。さすがにこの段階になると文句も言わずに滝のような汗を流して運んでいたけど。
次は草原のシーンだ。
反手はそこで自らの大賢者の末裔と名乗る男と出逢い、旅を同行することになる。
ここで役者発表。
「まァアタシしかいないでしょうなァ」
大袈裟に胸を張る明治。それはそうだ。成人男性は彼しかいないのだから。
「お芝居の方は問題ありませんよね。朝ドラで主人公の父親役とか、二時間ドラマで弁護士の役とかやってましたもんね」
「……詳しいねェ。なんだいアタシのファンなら早く言ってくれればいいのにサ」
「テレビが好きなだけです……」
あまり強く否定するのも失礼だからこのくらいに留めておく。
私は誤魔化すように指フレームを作ってスキルを発動させる。
黒の長髪、赤いケープを身に纏い、右目に片眼鏡をかけている。
「魔術師よりも学者寄りのイメージです。実際、彼は故郷で魔術研究に明け暮れていて、妹が難病に冒されたために稼がなければいけなくなった――というバックボーンがあります。非常に人懐っこい性格で話好き、博識でリーダーシップもあるんですけど、ちょっと話がくどいのが玉に瑕――という設定です」
「アタシとは真逆のタイプですねェ」
「100パーセント当て書きですけどね」
洒落だと分かってるけど、言わずにはいられない。
「賢者は反手の相棒兼パーティーのリーダー的存在になります。師匠のスキル特性から言って、常に反手にべったり貼り付いている必要があるので、早い段階で登場させて、それ以降ずっと出ずっぱりの恰好になりますね」
明治の《幻覚》は彼を中心に半径20メートルまでにしか作動しない。このスキルは全てのエピソードでフル活用していく予定なので、賢者は登場するキャラの中でも最も重要度が高い。
「それはいいんだけどさ。この賢者、名前が『ウィズダム』になってるけど、これはいいの?」
「いいのって、何が?」
命が尋ねてくるが、私は素でその意味が分からない。
「これって『知恵』とか『知識』って意味でしょ。十四でもそのくらい分かるよ。これって人の名前としてどうなの」
「別にいいと思うけど」
「え~、さすがに変じゃないかなぁ。賢者だから、えっと、英語でウィズマンだっけ? そっちにしたら?」
「それでもいいけど」
「名前に対しては本当に拘りないな!」
命のツッコミが炸裂する。
「アタシに言わせれば、ウィズダムでもウィズマンでも大差ないような気がしますけどねェ」
「じゃあオジサンは代替案があるって言うの?」
「セイジ――ってのはどうですかい?」
「普通」
「普通って言うんじゃねェ! それが一番傷つくんですよ!」
「sageって、それも『聖人』とか『賢者』を意味する言葉ですよね」
「ほら、先生はよく分かってらっしゃる。義務教育も終えてないお子ちゃまは口を閉じておいてもらいたいもんだねェ」
「うるさいなあ!」
「別にお前さんの意見を却下した訳じゃない。両方採用して、姓と名で分ければいい。『セイジ・ウィズマン』みたいにね」
「ああ、いいじゃないですか。確かにウィズダムとかウィズマンより、セイジの方が呼びやすいですもんね。普通に日本にある名前ですし」
「……先生まで普通って言うのかい。や、別にいいんだけどネ。これは完全に偶然なんだけど、アタシ、本名は初里誠司ってんだ。普通っちゃあ普通なんだけど、芸人としては傷つくよね……」
「あ、ごめんなさい! 私、そんなつもりじゃ!」
「冗談ですよ。本気で言ってる訳じゃねェ。先生は真面目だねェ」
からかわれていたらしい。どうも、私みたいなオタク女はこういう根っからの芸人タイプとは相性が悪い。
「じゃあ、賢者の名前は『セイジ・ウィズマン』ってことでいいですネ。恐らく反手はセイジって呼ぶことになりますけど、まあアタシの本名ですから違和感なく受けいられる訳です。……ええと、自己紹介をして同行が決まった二人は森に入っていくんですよね――」
台本を見ながら確認する明治。
「ここで初の戦闘、そして《豪運》の初お目見えだね」
命も台本をペラペラ捲る。
「このゴブリン軍団とその後に出てくる蜂の大群はアタシの《幻覚》で見せる訳ですけど、反手がどう動くのかは予測できませんネ」
「そこはパターン分けして対応しましょう」
人が何を考えどう動くを完全に読むことは難しい。
ただ、状況と本人の特性からある程度予測することはできる。
「明らかな敵意と武器を持ったモンスターが複数登場し、対する自分は非力で丸腰、おまけにまだスキルの使い方も分からない状況ですから、まず絶対に戦おうとは思いませんよね」
「あまり血気盛んなタイプとも思えませんからねェ」
「そうなると、魔法が使えるらしいセイジを盾にして自分の身を守るか、セイジを置いて逃げるか、の二択になりますよね。前者だった場合、逃げるように誘導してください。森を抜ければすぐに町だからダッシュして逃げろ、と」
「オジサンのスキル有効範囲って20メートルでしょ? 危なくない?」
「だからその前に、石を蹴っ飛ばすビジョンを見せてください。蹴っ飛ばした石はその辺の木に当たって、蜂の大群が出てくる。で、ゴブリン退散という流れですね」
「こっちでゴブリン相手にしてる芝居をしながら、反手の足の動きに合わせて石のビジョンも出さないといけないんですねェ。やることが多い」
「できませんか?」
「馬鹿言っちゃいけません。朝飯前の赤子の手をひねるようなもんです」
「赤ちゃん可哀想だな! 朝ごはんくらい食べさせてあげなよ!」
最初はクールだと思ってた天才子役、ツッコミキャラとして定着しつつあるな。
「それはいいんですけど、蜂の大群が出ても反手が立ち止まらず、森の出口まで走りだしたらどうしましょうネ?」
「その時は反手の目の前に蜂を出してください。ただの蜂ではなく、1匹が1センチ以上ある巨大蜂です。まず、怯む筈です」
「……ここさ、石蹴っ飛ばす時、足先に蹴った感触感じさせる?」
明治に続き、命も質問してくる。
「うーん……それはいいかな。走ってる人間に触ったら、むしろ触った感触の方が気になっちゃうでしょ。いくら透明人間でも」
「了解。じゃあここはなしで――後、話してて気になったんだけど、これ逃げないパターンもあるよね。セイジを盾にして石とか木の枝とか投げて攻撃しようとするかも」
「だったら、実際に投げたモノが何であれ、それが木に当たって蜂が出てきた、という体にしましょう。石のビジョンを出さずに済むから、むしろ手間が省けるわ」
「いいね。サクサク決まる。やっぱオジサンのスキルは汎用性が高いね」
実際、様々なパターンが考えられる。その全てに場合分けをして、それに即した反応をし、ビジョンを見せる。作業は面倒だが、仕事としては簡単だ。何の問題もない。
「森でのシーンはこんなもんでいいしょうネ。大まかな骨格は作っておいて、あとは流れで、と」
「そんな、八百長の打ち合わせしてるんじゃないんだからさ」
命は笑っているが、実際八百長みたいなものだと思う。
周りが全てお膳立てして、実際は存在しない敵を実際に存在しない技で撃破して、それで大袈裟に驚いて持ち上げて――それで魂が浄化されるのなら、こっちは何でもやるつもりではいるけど。
「森を抜けたら町ですネ。郊外のギルドへ向かう、と……」
「さっきから思ってるんだけど、この地形って実際にある場所なの?」
「うん。アンジュに地図を借りて、一度自分でもざっと見て回ったから。ただ、町は廃墟で、住民は一人もいないけどね」
「町並みと通行人も《幻覚》で出せって訳ですネ」
「できませんか」
「できるって言ってンでしょうが。お茶の子さいさい屁の河童ですヨ。ただまあ、アレだね。先生も落語家使いが荒いネ」
ぼやく明治。落語家使いって何だよ。
「先に言うと、今後ずっとですので、悪しからず」
「悪しかァありませんよ。頼られるのは悪い気分じゃない」
「って言うか、オジサン、疲れない? スキルって、物によるけど体や脳への負担が大きいものもあるから」
柄にもなく優しいところを見せる命。
「平気ですよォ? アタシが頭の中で想像したもんが外に広がるだけなんで、《幻覚》自体で負担になるこたァないです。ただ細かい動きや臨機応変な反応が続くと大変ですけど、そりゃまァ何でもそうですからネ」
口ではぼやきながらも、やる気は充分にあるらしい。それを聞いて安心した。
舞台は、ギルド編へと移る。
「ギルド本部の小屋は当然廃屋です。確か鍵はかかってなかったので、勝手に入ります」
「そもそも、扉自体あるんですかい? この世界の家はだいたい木製でしょうし、廃墟なら木の扉が腐っててもおかしくないですよね」
「そこは後日、実際にロケハンして確かめます」
「背景やモブはアタシの力で出せるけど、実際に触る部分は実在しておいてもらわないと困りますからネ」
「モブとか通行人とかって、会話はできるの」
「これがねェ、会話は無理なんですヨ。音が出せるんだから幻で出したモブに喋らすこともできそうでショ? これが、そうは問屋が卸さない。これは実際に試した方が早いですかね」
そう言うと、もう次の瞬間には羽織姿の明治が私の隣に立っている。ナチュラルに分身しないでほしい。
「どうぞ、そっちのアタシと会話してみてください。話題は適当でいいんで」
「そうですか。じゃあ、えっと……好きな食べ物は何ですか」
『お酒に合うものなら何でも好きですねェ』
「しょっぱい系ですか」
『塩辛とか魚卵系ですね』
「あまり食べ過ぎない方がいいですよ」
『医者にも止められてるんですヨ。風が痛くなっても知りませんよ、ってネ』
何だ普通に話せるではないか、と最初は思ったのだけど、会話を続けるごとに違和感を覚える。
「……何か、カクカクしてますね。師匠が話し始めるたびに、コマ落ちしてるみたいな……」
羽織姿の明治が消え、貴族の明治が解説を始める。
「幻覚はアタシの脳内で想像した絵面をそのまま外に展開するってお話しましたけど、これってつまり、アタシの脳味噌がDVDみたいな記憶媒体で、スキルが再生装置って感じになるんですよネ。固定された映像を流してるだけ――だから途中で消すことはできても、臨機応変に内容を変えることはできない。だから人と会話するとなると、相手の言葉に返答するため、その都度新しい映像を再生し直さなきゃいけないんです。そうするとどうなるかってェと、今ご覧頂いた通りでして、どれだけ繋がるようにしようとしても、顔の位置や姿勢、表情筋なんかは微妙にズレるんです。これネ、アタシも努力したんですけど、どうやっても無理でして――距離があったり、暗かったりしたら誤魔化すこともできンでしょうけどネ」
「はぁ、うまくいかないもんですね……。でも逆に安心しました。師匠のスキルで会話相手まで作り出せるんだったら、私のスキルいりませんもん」
「……と言うことは、今回もボクの出番だね」
「おゥ、察しがいいじゃねェか千両役者」
「だいたい分かるよ。察したから、オジサンのスキルで受付嬢出せないかって聞いたんじゃん。そっか、無理かぁ……仕方ないね、やるよ、受付嬢」
「じゃあ、いい?」
指フレームを構えて、今度はちゃんと了承を得る。
「うん、どんと来いだよ」
私の作った枠の中で、命はエプロンドレスに身を包んだエルフになる。
髪は銀色で腰まであるロング、瞳は緑色で大きく、唇は厚い。やや赤みの目立つ頬は柔らかそうで、何より特徴的なその耳は横向きに長く尖っている。身に纏うエプロンドレスは黒地に白のオーソドックスなタイプで、胸元の赤いリボンがアクセントだ。
うん、我ながら完璧だな。
「……メイド服のエルフって、ここの店員さんはモデルにしたんだよね。顔とかは別人みたいだけど」
「インスパイアされたのは確かだよ。まあそのままでもいいか迷ったんだけど、後の展開を考えると実在する人をモデルにするのは、ちょっとね」
「インスパイア、ねェ。インスパイアとリスペクトとオマージュとパロディとパクリってのは、ありゃ何が違うんですかねェ」
「影響を受けるのがインスパイア、対象に尊敬の念を込めるのがオマージュで、これはリスペクトも同じです。元ネタが分かると笑えるのがパロディで、元ネタが分かってしまうと笑えなくなるのがパクリです」
「……スラスラでてきたねェ。漫画家ってのは、普段からそんなことばっか考えてンのかい」
「よく話題になるので自分の中で整理してあるだけです。与太話はこれくらいにして、本題に入りましょう」
台本を見ながら声を改める。
とは言え、この場面は長くもないし複雑でもない。
セイジと共に冒険者登録を済ませた反手は受付嬢にステータス測定のための水晶玉に手をかざすように言われる。高水準のセイジとは逆に反手のは最低値に近く受付嬢に失笑される。セイジの忠告も聞かずに笑い続けた受付嬢は、様々な不運が重なり失態を晒してしまう――というのが大まかな流れだ。
実際に記入する書類やペンは用意する必要があるが、それ以外の全て――水晶玉、カウンター、帽子掛け、金魚鉢などは明治の出す幻で、裾が捲れ上がって下着が露わになるのも、金魚鉢をかぶってずぶ濡れになる出来事も同様だ。明治のスキルと命の芝居でそう見せているだけ。
特に問題はないかと思われたのだけど、二人それぞれから疑問の声が上がった。
「先生、よく分かんねェんですがね」
「何でしょう」
「この、ステータスってのは何だい?」
「戦闘における能力を数値化したものですね。戦士タイプなら力の値が大きく、魔術師タイプなら魔法の――」
「ステータスそのものが何かは分かるよ! アタシだってファミコン世代だ。ドラクエの発売日には徹夜して並んだ口でしてね、まァ一通りのことは分かってるつもりですヨ。――でも、これはゲーム世界の話じゃないですよね?」
その指摘も想定済みだ。
「ええ。でも話の流れとして個々の能力を数値化、かつ可視化しないといけないんです。セイジが本当に実力のある賢者、魔術師であることを第三者から証明してもらわなくてはならないし、《豪運》の傍証も欲しい。ちょっと違和感はあるかもしれませんけど、必要な要素なんです」
「へェ、そういうもんかい」
納得してくれたらしい。
まあ、数値に関しては適当なのだけど。
「ボクからもいいかな」
エルフ姿の命が手を上げる。
「なにかな」
「このシーンのラストなんだけどさ――金魚鉢かぶるだけでよくない? パンツ見せる必要ある?」
「何だい嫌なのかい。いいだろ男なんだからサ」
「別にパンツ見せることを嫌がってるんじゃないよ。必然性が感じられない、って言ってんの。別にボクだって、必要なら裸にだって何だってなるよ。でもここはそうじゃないじゃん。読者サービスって言うの? ボク嫌いなんだよね。安直なエロは作品を安っぽくするから」
「しゃらくせェガキだね〜っ!」
明治の叫びがダンジョンに響く。
「何だい驚いたね。『安直なエロは作品を安っぽくする』? ひゃー、こりゃ大したもんだ。さすがは天才子役だよ。よくもまあ、そんなこまっしゃくれたことが言えるね。10年早いってんだよ!」
「はあ!? ケンカ売ってるの!?」
「やめて! ここで争いごとしないで」
柄にもなく仲裁の真似事をしてしまう。いちいち喧嘩してたら先に進まない。
「しゃらくさい云々は師匠の感想ですから好きにしたらいいと思います。それはそれとして、命くんの言っていること自体は正しくて、私もそう思う」
物凄い勢いで空気が悪くなったので、慌てて双方を立てる発言をする。
「でもね、聞いて。必然性はあるから」
「何だよそれ」
「ここで下着を見せるのは、受付嬢に決定的な恥を晒してもらう必要があるから。金魚鉢をかぶるだけじゃ、弱い」
「そうかなあ。ってか、何でそこまでして恥をかかされないといけないの。そこまで悪いことした?」
「ううん、勧善懲悪の話ではなくて、物語の構成として必要なプロセスなの。何故恥をかかせないといけないのか――理由は二つ、反手との関係を気まずくさせるって言うのが一つで、スキルの特性を理解させるのがもう一つ」
「……よく分かんない」
「一つずつ説明するね。これは後で説明するつもりだったけど――受付嬢は今後、物語に一切登場しなくなります。何故なら、演じる人間がいなくなるから。命くんも私も、この後で出てくるキャラを担当する。だから受付嬢は登場しないし、その理由付けのために反手はこの建物に出入りしづらい状況を作りたい。実際、受付嬢の受難は反手に全く責任はないのだけど、自分のスキルのことを知っている彼は『受付嬢は自分のステータスのことでしつこく笑った』から『不運が重なって恥を晒した』という因果関係を勝手に作り上げるの。そしてそこでスキルの特性に気がつくのね」
「二つ目ってやつ?」
「そう。ここで大事なのは、この件は別に反手が望んでしたことではないってこと。自動発動型とでも言うのかな。自分に敵意があるもの、馬鹿にするものを任意ではなく自動的に攻撃する、つまり自分の意思が反映されない――自分の思い通りにできるものではない、と反手に分からせる必要があるの。それは何故か――台本にないところで、勝手にスキルを使おうとされると困るから」
ここまで話して、二人は合点がいったようだった。
「なるほど、実際には反手に《豪運》なんてスキルはねェ訳だから、勝手にスキル発動されても困る訳だ」
「そういう理由から、受付嬢は恥をかいてもらわないといけないのね。分かってもらえたかな」
「……スミマセンでした。ボク、なんかすごく生意気なこと言っちゃって……まさか先生がそこまで考えてるなんて思ってなくて」
頭を下げるエルフ。
「ううん、私も説明してなかったから」
思いの外、素直な態度に面喰らってしまった。この子、物の言い方が生意気なだけで根は真面目なのだろう。
良心が痛んだけど、顔には出さなかった。