番外編1頁:あの子
…あの子を見ていると…こっちまで辛くなってくる。
疲れる…だろ、あれは。
嘘ついて、嘘ついて。
他人に吐く嘘なら…まだいい。
それは心が疲れない。
ただ…自分に吐く嘘は…疲れる。
疲れるから何…なんて、言わせない。
心が疲れたら…人は死ぬ。
物理的じゃなくとも…死ぬ。
あるいは…物理的にも。
私は…確かにあそこまで自分に嘘を吐いた経験はない。
小さな嘘…軽い誤魔化し程度なら、何度もしている。
自分は悪くない、自分はやってない。
その程度の嘘。…それが本当は嘘だって分かってる。
ただ…あの子は違う。
あの子の吐く嘘は…質が違う。
自分は悪い、けど、気にしない。
本当は心が悲鳴をあげているのに、…気にしていないと、嘘を吐く。
まるで…道化師だ。
顔で笑って、心で泣いて、そんな自分を客観的に見て、心で笑う。
そんな嘘で塗り固められた表面。
表情には、…何も出ない。
あの子の表情は…朗らかといえる。
恥ずかしいと赤くなるし、落ち着いているときは、完全に表情を消す。
恐らく、心の中も…賑やかなことだろう。
自分がどれだけ苦しんでいるか、知らない振りをしながら。
もはや、…知らない振りをしていることすら、気にしないようにしているはず。
それが自分を守る唯一の方法だと、…誤解しているから。
…違うのに、そんな方法…何の意味もないのに。
馬鹿みたいに、信じている。…自分の信念にすらなっているのかもしれない。
あの子の…最大の嘘は…、あの子自身だ。
記憶を失う前のあの子と、失った後のあの子。
…今のあの子は…多分、前の自分を知っている。
いや、…推理して、恐らく見当がついている。
心の中ですら馬鹿の振りをして、授業では眠っていたが…あの子は頭がいい。
それこそ、私なんかより…ずっと。
ただ、頭がよすぎる。
自分が何をしているのか、理解して、それを消しさることが出来ている。
…そんなあの子の心は…多分悲鳴をあげてる。
いや、多分ではない…確信。
それがどんな形であの子に現れているかまでは見当がつかない。
…けど、あの子はそれに気がついてる。
気がついているけど…無視している。
そして…その悲鳴を、歪みを、拒絶している。
…自分の心が壊れかけているたった一つの証拠を…。
拒絶して、ないものとして扱ってる。
愚かだ。
愚か過ぎて…不安になる。
きっと、あの子は…壊れない。
いや、…壊れても大丈夫…と言った方が正しい。
全然大丈夫ではないが…、少なくとも、表面上は大丈夫。
誰も、心配できない。
そして、自分すらも…心配しない。
自分が壊れて、人形のように、心が壊死したとしても。
あの子はあの子のままで居続ける。
…私にあの子を救うことは、恐らくできない。
しかし、…あの子を救いたい。
救うなんて、愚かしい真似かもしれない。
それでも…救いたい。
最も苦しんで、最も傷ついて、最も壊れやすい…あの子を。
…救う方法は見つからない…けど。
少なくとも、守ることは出来る。
世の中から。
あの子が、自分の中だけと向き合えるように。
そのためには…私は努力を惜しまない。
絶対に…守り抜いてみせる。
…あの子は、犯罪者には絶対にならない。
何故なら、法の限界を知っているから。
しかし、…世の中は違う。
あの子の壊れた心では予想できない程、腐敗している。
法なんて関係ない。
秩序のない…世界。
そんな世の中から、あの子を守るためには…あの子がしたことを全て消し去る必要がある。
本当に必要になる、そのときまで。
…あの子に気づかれた瞬間…この行動は意味を失う。
あの子が傷つかないように…動かなければいけない。
もしかしたら、あの子は…気づいているかもしれない。
…そう考えると、恐ろしい。
私も、もしかしたら…。
あの子を傷つける、要因のひとつかも知れないのだから。
…私は何を考えているのやら。
毎日のように、…こんなことを。
あの子を我が子のように思っている?
…違う。
あの子を…愛している?
…違う。
…言い切れる?
…言い切れ…る。
はず。
なにを馬鹿な事を書いているんだろう。
いつか、これもあの子に見られてしまう日がくるのだろうか。
とにかく、今は動こう。
まずは、…教室の掃除。
いつか訪れる、その日まで…あの子が壊れるその日まで。
…私はあの子を守りぬく。
一度壊れて、…歪みを無くすと信じて。
…私も歪んているくせに、…そう、信じて。