北王都での謁見①
中庭に行くと、セレンディバイトがキャロルを待っていた。
「遅くなりまして申し訳ありません。セレンディバイト殿。」
「なに。王の眠っている間ほどではない。」
セレンディバイトが言った。嬉しそうな彼の声を聞くと、自分は間違っていないと思いたい。
「キャロライン殿、こちらだ。」
厳しい声に見ると、レオナルドがいた。
「人の王よりそなたを運ばせろと言われた。我々が運ぶよりも丁重に確実に運べるというのでな。」
キャロルは思わずセレンディバイトのそばに身を寄せた。
「この時期は上空も凍えるように寒い。訓練もしていない娘では凍え死ぬ。キャロライン殿、馬車の用意ができている。」
その顔は明らかに怒っていた。
「ありがとう、ございます。」
か細い声で言うと、キャロルはレオナルドの後をついて行った。
「ルルが荷造りをした。豪雪の雲が出てくる前に向かう。」
「はい。」
馬車に乗り込むと、レオナルドが向かいに座った。
「山に入る前にこれを。」
差し出された、オオカミの毛皮で作ったコートを受け取った。馬車は進み始めていた。
「レオナルド王子、馬車が、進んでいます。」
「私も同行する。」
キャロルは驚いた。
「あの、北は危ないと聞きました。」
「そうだ。私はなんども魔物討伐で行った。生まれたのも、北の山奥でだ。」
しかし、一国の王子が護衛も連れずに行くのは危険ではないのか。
「この雪では大勢で行くのは魔物を引き寄せて危険だ。慣れた者だけで行く方が良い。……そなたがセレンディバイトと密約を交わしたのは、あの夜私が引き止めなかったからだろう。」
「そんなこと。」
「引き止め、ダンスにでも誘えばよかったのだ。そうすれば、庭を見るまもなく、戻ってきたルルと供に貴方は床に付いただろう。しかし、私が不用意なことを言ってその心を削った。」
畳み掛けるように言われて、キャロルはひざを握った。
「申し訳、ございません。」
「何故謝る。そなたは、自分の意思で選んだ。私に謝る必要がどこにある。」
「その、レオナルド王子を傷つけてしまったので。王子は、私をいつも見守ってくださいました。助けてくださいました。でも、私は、こんな裏切りをしてしまいました。」
ルルにも、ちゃんと謝りたい。彼女はこんな事態になると知っていて、あんなにショックを受けたのだ。
「そなたは、死ぬ場所を探してエラゴニアに来たのか? 」
レオナルドの問いにキャロルは喉が詰まった。
「いえ、その、そういうわけでは、けっして。」
舌が上手く回らず、キャロルはうろたえた。
「ですが、ヨクジアに、家に戻ってはいけないと、思っていました。」
搾り出した声に、キャロルは息苦しさを覚えた。
「私が、いないほうが、父は幸せでした。もっと、早く、家を出ていれば。」
ルルが泣いていた。僅かな時間しか一緒にいなかった彼女が、こんな自分を想ってくれて涙をこぼした。
「何があったんだ。ヨクジアで。」
キャロルは少し驚いた。
「私の婚約のことをご存じだったので、てっきり、ご存知なのかと。」
「ヨクジアへの招待状は未婚の者や婚約のない者にしか送っていない。キャロライン殿には手違いで届いてしまったとは、フローディアから聞いた。」
その名前にキャロルは何故か心が冷えるのを感じた。
「ヨクジアの社交界では、私が弟を殺そうとした話は有名でしたので、てっきり。」
ぽつりと、キャロルは言った。レオナルドの表情から彼は本当に知らなかったのだと察した。
「母の死後、父は美しい女性を後妻に迎えました。彼女は父と結婚してからすぐに、弟を産みました。」
弟のアーサーは人懐っこい可愛い子だった。召使たちも可愛がり、誰にでも笑顔を見せる。
「弟は、一ヶ月ほど前に二階から落ちて、大怪我をしました。まだ目が覚めません。私が突き落としたのだという噂が流れ、私は心を病んでいると囁かれて、婚約は破棄されました。」
言い終わってからキャロルはぐっと体の内側を握られるような息苦しさを感じた。
「それは、噂なのだろう。」
レオナルドの言葉にキャロルは何も言わない。
「突き落としたという証拠は、どこにもないのだろう。」
息を吐くとキャロルは言った。
「私が、義母とあの子を嫌っていたことは、皆知っていましたから。」
「それだけで落としたという証拠にはならない。」
キャロルは首を横に振った。
「私、地面に落ちたあの子を見下ろしていました。召使たちが駆け寄るのを上から眺めていました。」
「キャロライン殿、周りの目ではなく、そなたの目で見たことが聞きたい。」
「わからないのです。」
吐き出すようにキャロルは叫んだ。
「私、覚えていません。あの子を何故見下ろしていたのか。でも、覚えているのです。知っているのです。私のことですから。」
心がぐちゃぐちゃになって、声が抑えられなかった。
「あの子なんて産まれなければよかったと、思ったことが何度もあるのです。私と違って、父に愛されるあの子に、いなくなってしまえばいいと、何度も何度も思いました。」
涙があふれて、視界が滲んだ。
「義母は優しい人でした。私に歩み寄ろうとしてくれたのに、私は彼女を拒絶しました。彼女の優しさを踏みにじって、彼女から大切なものを奪った。父は、母を失ってからやっと手に入れた、大切な伴侶を、息子を、傷つけた私を、許せないでしょう。だから。」
「わかった。貴方がセレンディバイトの申し出を受け入れるに至った理由が、その覚悟が。」
言葉をさえぎって言うと、レオナルドは上着をキャロルの肩にかけた。
「もうすぐ寒くなる。」
レオナルドの顔が見えないが、彼の声は優しかった。
キャロルはうなづくと、コートの中で身体を丸めた。
紅茶とスパイスの香りがする華やかな社交場をキャロルは眺めていた。眩しくてきらきらしている。そこに自分は入ってはいけないような気がした。
「キャロル、どうして行かないの? 」
母の声に振り返ると、母の部屋があった。ベッドに横たわった母が優しく笑う。
「素敵なドレスだわ。ネックレスも、まるでお姫様のよう。」
整えられ、皺もなく染みもないドレスをキャロルは見た。
「お母様、私、その……ブローチを失くしてしまったのです。ごめんなさい。」
お気に入りの靴に、ドレス。ルルが選んでくれた、キラキラと輝くネックレス。でもブローチがないと何もかも台無しになってしまったように感じた。
「いらっしゃい、キャロル。」
母は五歳の頃になくなる前の母なのに、キャロルは十八のままだった。
すがったキャロルの頭を抱いて、優しく言った。
「ブローチがなくても、行ってらっしゃいな。王子様がダンスに誘ってくださるかも。」
「いいえ、お母様。私、ダンスが苦手なの。きっと王子様の足を踏んでしまう……嫌われてしまうわ。」
温かい母の胸にすがってキャロルは泣いた。
はっと目が覚めたとき、温かい壁にキャロルはもたれかかっていた。大きな湯たんぽのような、しがみつきたくなるような温かさにふと見ると、そこにはレオナルドがいた。眠る前は正面にいた彼が、そばにいる。
驚いて離れようとしたが、馬車の窓が凍り付いているのが見えた。
いつの間にか眠っていた。そしていつの間にかレオナルドの隣にいた。これは夢なのではないか。ぎゅっとキャロルは目を閉じた。
自分とは違う髪と肌の色をした王子は、近くで見れば見るほどおとぎの国に迷い込んだような現実感のない美しさがある。彼のそばにいると、自分も華やかな物語の主人公なのではないかと勘違いをしてしまいそうだ。
そんなわけがない。もう自分を迎え入れてくれる場所はどこにもないのだ。
でも、人間の国にはなくても、ドラゴンの国になら、キャロルの入れる場所があるかもしれない。
ふたたび眠り目を覚ましたときに、馬車が揺れていた。そしてレオナルドがそばにいた。夢ではなかった。
「よく眠れたか。」
「はっはい。」
身体を離そうとすると、肩を抱き寄せられた。
「ここはもう雪が降り始めた。」
窓の外には、薄く積もった雪が見えた。
確かに、身を寄せ合ったほうがいいだろう。しかし、逆に心臓が高鳴って体温が上昇し、汗をかいてしまいそうだ。
「貴方の故郷は暖かいのか? 」
「はい、暖かいときもあれば、雪が降るようなときも。母の故郷は、どちらかというと寒くて、毎年馬車で行けないほど雪が積もります。」
それも、母が死んでからはほとんど行っていない。祖父母にも一年以上会っていない。
「ついた。」
馬車が止まったときには、雪が積もっていた。そこにあったのは城と言っていいのか岩といっていいのか、山とも言えそうなほど大きな壁のようなものだった。岩壁にはドラゴンが何頭かいる。
馬車から降りると、手綱を握っていたのはレオナルドの召使だった。
「キャロル。迎えが来た。」
キャロルが振り返ると、リーリウム教の信徒の服を着た小柄な人物がやってきた。
「先に来られたセレンディバイト様からうかがっています。その方が、キャロライン様ですね。」
「そうだ。私が案内する。」
リーリウム教の信徒は、キャロルよりも若い少年。黒い髪に褐色の肌をしている。
彼はランタンに灯りをつけて壁の中に案内した。
薄暗く天井の高い洞穴のような場所だった。灯りを照らす場所以外にも、ほのかにぼんやりと光るものが見える。
「あれは? 」
「蓄光石だ。周りに生えた苔が光るのでそれを蓄える。」
足元はごつごつとしているが、そこを抜けると少し温かかった。雪は降っているが草も生えている。壁の向こうは平原になっているらしい。風向きが変わると異臭がした。
大きな音がして、水が噴出しているのが遠くに見えた。
「水の柱……? 」
「ここには間欠泉があって、地下に熱がこもっている。火傷をするほどの熱湯だ。毒のガスも出ているので無暗に探索しないように。」
遠くには透明な建物が見えた。ガラスでできているのだろうか。
「リーリウム教が作物を育てる場所だ。」
「こんな寒いところで? 」
「ここはかろうじて土が温かいからな。」
不思議な場所だ。雪が降っているのに温かいなんて、おとぎ話に出てくる不思議な世界のようだとキャロルは思った。
時折ドラゴンが飛んでいるのが見えた。彼らはこっちをまったく見ない。リーリウム教の信徒が案内するままに行くと、再び岩壁が出てきて、その中を行くと大きな広間のような場所に出た。その中心には、巨大な岩があり、セレンディバイトがいた。
「待ちわびたぞ、キャロライン殿。」
「セレンディバイト殿。」
セレンディバイトのそばには、幼い少女がいた。エスターと同い年くらいだろうか。彼女も信徒なのだろう。同じリーリウムの教徒の服を着ているが、目には厚い布を覆っている。
「王子、お久しぶりです。」
透明な落ち着いた声で少女は喋った。
「巫女殿も変わりなく。」
「はい。その方が、キャロライン殿ですか。」
少女は見えないのにキャロルのほうを向いた。
驚くキャロルにレオナルドが言った。
「彼女はドラゴン族と人とをつなぐことが許された巫女だ。彼女にはドラゴン族と同じように、人の輝きを見ることができる。」
こんなに幼いのにとキャロルが思うと、巫女は微笑んだ。
「ご安心を。見た目ほど若くはありません。」
心を見透かされたようで、キャロルは震えた。
「確かに、我が王の友にとても近い輝きをもっていらっしゃいますね。どうぞこちらへ。」
キャロルを案内して巫女は歩き始めた。岩の根元まで歩くと、巫女はそっと手を合わせた。
「我が偉大な王よ、客人でございます。どうぞその身に近づくことをお許しください。」
岩に言った。キャロルは巫女を見た。この先にドラゴンがいるのではと思ったが、岩だ。どこをどう見ても岩にしか見えない。
「お初お目にかかります。キャロライン・ワーグナでございます。」
キャロルが挨拶をする。しかし何も起こらない。岩なのだから、キャロルの声を聞いているわけもない。
「もしかして、私の声は小さくて聞こえなかったのでしょうか。」
キャロルが巫女に言うと、彼女は首を横に振った。
「貴方の声だけでなく、私の声も届いていないようです。もう千年も眠っていらっしゃるものですから、すっかり深く眠られているのでしょう。」
振り返ると、セレンディバイトが肩を落としていた。ドラゴンに肩はないが、落ち込んでいるのがよくわかる。
「王の周りを、回ってもよろしいでしょうか? 」
「ええ。ご一緒に。」
どうにかして何か見つけなくては。セレンディバイトのためにも、このままでは帰れない。
キャロルはじっと岩を観察しながら周りを歩く。どこをどう見ても岩で、少し苔が生えている。
国王の言っていた言葉がよくわかった。これはキャロルにはどうしようもないかもしれない。
一周したところでキャロルは、登るわけにはいかないだろうかと思ったが、そんなことを聞けば叩かれるどころではない気がした。
何か方法がないのかと、見上げてみて、キャロルはきらりと光るものを見つけた。
「巫女殿、あの、王が抱いていらっしゃるのは? 」
巫女も顔を上げた。
岩の中に挟まれるように、水晶でできた不思議な形のランタンのようなものがある。そこからキラキラと光が見えた。雪に反射しているのか、何かわからないが瞬いている。
「王のご友人の、残滓です。」
「残滓……? 」
巫女は直接見ないようにしたのか、目をそらした。
「ドラゴン族には、心をつなぎとめる力があります。王は消え行く友人の最後の叫びを、あそこにかき集めて閉じ込めているのです。」
じっとキャロルは見続けた。目がそらせなかった。光はいっそう強くなり、激しくなり、周りをつつむほど輝き始めた。