竜の国➁
泣きそうな顔のルルと再会するとほっとした。
「キャロル様、どこか打ったりしてませんか? サファイア様は好奇心旺盛なので時々ご無体をなさるのです。」
「大丈夫。怪我もしていないし、ご無体なこともなさらなかった。」
優しい声で言うとキャロルはルルに微笑んだ。
「お茶を淹れてくれる? 少しびっくりして疲れてしまった。」
「お任せください。」
部屋に戻るとキャロルは甘酸っぱい果物のような香りのお茶を淹れてくれた。
「その、さきほど晩餐会についてうかがったのだけど……まさか、王子様たちの花嫁候補を選んでいるというのは、本当なの? 」
ルルはティーポットを保温しながら応えた。
「そういった側面もあるようでございますね。しかし、ヨクジアの方々はドラゴン様たちを恐れていらっしゃいますから、王族の方々は無理にとは思っていらっしゃらないようでございます。」
苦笑いをしてルルは言った。
「ですが、より良い関係を築ければとはと思っていらっしゃいます。せっかくの同盟国なのですから。」
キャロルはカップの水面に目線を落とした。
自分の国とは違う味のお茶だけど、この味もエラゴニアの気候に合っていて好きだ。
「そうね。それなら私はお役に立てそうだわ。」
深く考えないでおこうとキャロルは思った。
「さきほど、ドラゴン族の方、サファイア殿はあそこにお住まいなの? 」
「はい。第三王子のレオナルド様がお生まれになった頃からこのお城にいらっしゃいます。ご一緒に山のトロル狩や海での海賊狩りなど、主にドラゴン様たちとの編成部隊にて隊を任されています。」
レオナルド王子はまだ若く、キャロルよりも二つか三つしか変らないように見えた。
「国王様たちは厳しい方で、とくに王子様たちは幼い頃から勉学だけでなく武も厳しくご教育なさってます。レオナルド様は特に武勇に優れた方で、兄君お二人でも敵わないとか。」
レオナルド王子の身体はたくましく、緩やかな上着の下からでも鍛え上げられた筋肉が感じ取れた。キャロルも以前は馬によく乗ったが、彼の筋肉は上半身も下半身もがっしりとしていた。
「第三王子はドラゴン族の方とくだけた関係のように見えたけれど、エラゴニアの王族は皆そうなの? 」
「とんでもない。」
ルルは両手を振った。
「サファイア様とレオナルド様が特別なのです。サファイア様は第三王子が産声を上げた時からずっと見守っていました。サファイア様はレオナルド様を弟と思っていらっしゃるのです。他のドラゴン様たちとは、とてもとても。」
幼い少女のような声をしていたので、むしろ妹のようにキャロルには感じられた。
「ドラゴン様はこの国の先住の民であり、国土の八割は彼らが治める土地なのです。王族といえども下に見ることも同列に見ることもできません。」
「八割も。」
「と申しましても、ヨクジアに比べればほとんどが山や谷、鉱山など人が住むに適さない場所でございます。北側はドラゴン族の王がお住まいになるドラゴン族の王都です。特に、一年のほとんどが雪と氷に覆われる上、日照時間も短いです。」
ドラゴンは爬虫類のように見えるが、寒さにも強いらしい。
「ここは人が生きることができませんので、リーリウム教のみ立ち入ることが許されています。むやみに立ち入ることは死と同じ。そのため国王によってリーリウム教徒以外が無断で北にいくことは固く禁じられています。」
キャロルは温かいお茶を手にして聞き入った。
「南側の王都と、西側の農業地、東側の鉱山街が主な人の居住区だということ? 」
「はい。そしてドラゴン様たちも、南と北で人柄と申しますか、竜柄が変わってまいります。」
ルルは部屋の奥にあった引き出しから地図を出してきた。
「王都によくいらっしゃるのは南側の御山に住むドラゴン様たちですね。のんびりした方や好奇心旺盛な方が多いです。サファイア様もその一族です。」
地図はエラゴニアを拡大したように、鮮明に描かれていた。王都を挟んで山と谷があり、北側には塔のようなものが描かれていた。
「北に住む方は誇り高く、人と交わることを嫌うドラゴン様が多いです。しかし、リーリウム教の信徒だけは例外として塔を建てることを許されています。」
「リーリウム教? 」
ルルは袖のボタンを外して手の甲を見せた。
「リーリウム教はかつて世界を救ったとされる大地の民を崇め、教えを広めることが教義です。」
ルルの腕には、赤い刺青が入っていた。それはどこの国の言葉なのか、キャロルには読めなかった。
「私はわけあってリーリウム教の信徒からお城に仕えさせていただくことになりました。この刺青はその時にお願いして入れてもらったのです。」
痛みを伴うことなのに、ルルは大切そうに手を重ねた。
「でも、どうしてこの教徒だけ? 」
「リーリウム教の開祖がドラゴンの王だからです。」
ドラゴンが宗教を始めたのかと、キャロルは驚いた。
「元は、リーリウムという大地の民の一族の名です。ドラゴンの王は友としてその墓所を守られています。いつしか人もそれに倣い、墓所を聖地として奉り、人とドラゴンの世を守ったリーリウム一族の意思を引き継ぎ、互いに良い関係を持つようになったとされています。」
キャロルはため息をついた。
「とても、不思議な話。」
お茶を飲み干すとルルがお代わりを注いでくれた。
「大切な人だったのでしょうね。私には想像がつかない。」
ルルは嬉しそうに微笑んだ。
「私にも、です。長い寿命をもつドラゴン様たちには、人の一生などそれこそ瞬きをするようなものなのでしょう。きっと私たちの心も、ドラゴン様たちには理解できないところがあるのかもしれません。」
その言葉に、キャロルはどきっとした。
「あの、ルル。私、ドラゴン族の方々が初めてで、その、自信がないの。だから、あなたは私の先生になって、無礼な真似をするようでしたら遠慮なく言ってくれると、助かるわ。」
そういうと、ルルは目を大きく開いて驚き、それから笑い出した。
「キャロル様。実は私、キャロル様ではなくほかのご令嬢のお世話を任されておりました。」
「そうなの? 」
びっくりしたキャロルにルルはポットを手に肩をすくめた。
「ですがその方、サファイア様が窓を横切って飛ぶのを目にした瞬間、悲鳴をあげて泡を吹いて失神なさいました。」
壁の向こうに目線を向けて、ルルは言う。
「キャロル様以外にもすでに何人かいらっしゃいますが、半分近くがドラゴン様を見て泣きながら帰りたいと、それはもう淑女ではなく赤ん坊のように泣かれてしまってその日の船で帰ってしまわれました。残っている方々も、皆様窓をしめきり一歩もお部屋から出ない様子。ドラゴン様たちを知らない深窓のご令嬢ばかりですから、王も無理はさせてはいけないとあまり気にも留めていらっしゃいませんでした。」
ルルはにっこりと笑った。
「キャロル様のようなご令嬢のお世話なら大歓迎です。短い間ですが、どうぞなんなりとお申し付けください。」
そういわれると、キャロルは自分の好奇心旺盛な姿が恥ずかしくなって頬を押さえた。
「そう、ね。確かに多くの方は、大きくて意思の疎通ができない存在は恐ろしいと思ってしまうのでしょう。」
キャロルは微笑んだ。
「でも、私は幼い頃からドラゴンの方々に会ってみたいと思っていたの。昔、母が戦時中にドラゴンの方に助けていただいたと聞いたときから。」
今は亡き母の横顔を思い出しながら、キャロルは言った。
「母は、初めて会ったその方が恐ろしくて、言葉も出ずにお礼も言えなかったことを悔やんでいた。だから私は、もし会えたら母に代わってお礼を言いたいと思ったの。その方が母を助けてくださらなかったら、私は産まれていないのだから。」
他の令嬢が怯えても、止むを得ないことだと思う。ドラゴンは何倍も大きな体と、鋭い牙と爪を持っている。母の話をしらなければ、キャロルもきっと恐がっていた。
その日の夕食に行くと、広い食堂のテーブルにはまばらに人がいた。同じ国から来た令嬢たちだろう。中にはまだ十歳にもならないであろう幼い少女もいた。キャロルの名前がある席に着くと、周りからちらちらと視線を感じる。初めて見る顔が珍しいのだろう。
やがてみんなぴたっと黙った。第一王子のアルザッケル王子と、彼の妻、セラヴァリル夫人だった。国王夫妻は現在北で会談中。第二王子も外交中とのことでいないらしい。第三王子もドラゴン族との会談から戻ってきたばかりで忙しいらしい。
「ようこそエラゴニアへ、キャロライン殿。」
ヒゲのある美丈夫のアルザッケル王子は大きな手をしていた。
「お部屋はいかがかしら。不足しているものはない? 」
ふくよかで優しい面立ちのセラヴァリル夫人が言う。キャロルは緊張しながら言った。
「いいえ。何不自由ありません。お部屋も、素晴らしいお庭が見渡せてもったいないほどです。」
ざわっと一瞬空気が震えた。
「まぁ、そんな。ヨクジアに比べれば手入れもさほどされていなくて恥ずかしいわ。」
セラヴァリル夫人が苦笑いした。
「温かくて、優しさを感じるお庭です。とても素敵です。」
キャロルが言うとアルザッケル王子は夫人の肩を叩いた。
「ヨクジアの伯爵令嬢がそうおっしゃるのだ。誇ってよい庭だ。」
「そうですね。スグリの味も良いですし。」
でしゃばったかと思ったが、丸く収まった。ほっとしてキャロルは腰をぬかすように椅子に座り込んだ。
食事を終えてデザートになったときだった。天窓から何かが飛んで来た。犬くらいの大きさのものがぐるっと部屋を見渡すように飛ぶ。最初はフクロウかと思ったのだが、ドラゴンだった。気づいた瞬間悲鳴があがった。
「私に文を届けに着ただけだ。」
アルザッケルが立ち上がると、その肩に足をかけて留まった。
「オニキス殿、まだご令嬢がいらっしゃいますよ。」
セラヴァリル夫人が言うと、ドラゴンはからかうようにしっぽをゆらした。
「アイザック王からの文なのだ。許せ妃殿下。」
どこか慇懃無礼な口調で囁くと、オニキスと呼ばれたドラゴンは周りを見渡し、キャロルを見た。
「新しいご令嬢だな。さて、晩餐会までもつか。」
アルザッケルは手紙を見て言った。
「なるほど。了解したと父には伝えていただきたい。」
羽を広げてふたたびドラゴンは飛び去った。キャロルは目で追ってからテーブルに目線を落とすと、はっとした。ほとんどの令嬢が怯える中、キャロルと同じように見入っていた者がもう一人いた。
まだ幼い少女は、ぽかんと口を開けていたのを恥ずかしがるようにはっと口を押さえた。
「驚かせてすまなかった。なに、ここに住まうドラゴン族は皆人を傷つけることはない。ご安心召されよ。」
そうは言ってもおそろしいものはおそろしい。
食事から戻りながら、怯えてメイドにすがりつきながら帰っていく令嬢もいた。
「もういや。こんなところにはいられない。」
震えて言う背中を見て、キャロルは他人事ながら、王子の晩餐会が心配になった。
「キャロライン、殿。」
名前を呼ばれてキャロルは振り返った。幼い令嬢がぺこりとお辞儀をした。
「私、ペラーシア公爵家のエスターともうします。どうぞ、お見知りおきを。」
幼い口調で丁寧に挨拶をされて、キャロルもお辞儀を返した。
「こちらこそ。」
公爵令嬢の話は聞いたことがあるが、すでに嫁いでいるというものだった。確かに、金髪に青い目はペラーシア公爵と同じだが、こんなに幼い娘までいたのは知らなかった。
「私の部屋は、皆がカーテンを開けてくださらないので、お庭が見えません。キャロライン殿のお部屋は、カーテンを開けてるのですか? 」
「はい。とても温かい日差しと風が入ってきますので。」
そういうととことこ歩み寄ったエスターは少し恥ずかしそうにしながら言った。
「今度、お部屋にお邪魔してもよろしいでしょうか? 私も、お庭が見たいです。」
上目遣いに言われて、キャロルはほほえんだ。
「もちろんです。メイドのルルはおいしいお茶を淹れてくれますし、ドラゴン族の方々のお話もたくさん知ってます。」
それまで、一生懸命行儀良くしようとしていたエスターの顔が年頃の子供のように明るい笑顔を浮かべた。
「エスター様。」
メイドが二人やってきた。彼女たちはヨクジア人らしかった。
「お部屋に戻られてください。危のうございます。」
残念そうにエスターはメイドたちと一緒に去る。
旅行のようなものとはいえ他国に行くのだ。大事な娘一人だけで行かせる家はない。少しだけ寂しく思いながらキャロルは部屋に戻った。
「いかがでしたか? キャロル様。エラゴニアの料理はお口に合いましたか? 」
ルルが蚊帳を降ろしながら尋ねた。その顔を見ると、緊張が和らいだ。
「ええ。とてもおいしかったし、新しいドラゴン族の方もいらっしゃたわ。」
「まぁ。ご令嬢たちが怯えると妃殿下が出ないようにお願いしていたのに。」
ルルが困ったように言った。
「国王はお忙しいのね。」
「はい。鉱山の視察は大切なお仕事なので。第二王子も今諸外国からお戻りの途中なので、アルザッケル様と后殿下が皆様のお世話をなさっています。」
ルルはシーツを整えて言った。
「セラヴァリル后殿下が中庭を丁寧に整理されたのに、どのご令嬢も窓を閉め切ってしまって残念でございます。」
はっとキャロルは先ほどの夫人の笑顔を思い出した。少し照れたような、でも嬉しそうな顔だった。アルザッケル王子もそんな夫人を愛しげに見ていた。
「中には召使に言われて、見たいのに閉めざるを得なかった方もいたわ。」
「そのようですね。ヨクジアの女性たちには、ドラゴン様たちは少し刺激が強すぎますもの。」
ルルは仕方がないという風に微笑んだ。