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竜国の王子と金剛石の乙女  作者: 柳沢 哲
14/15

葛籠の中身➁

 紳士や淑女の集まるロビーで受付にフローディアが行く。伝えるとホテルの部屋の一室に案内された。

 セレナだろうか。彼女は情報収集に長けていそうなので、今回のことを知って怒られてしまうかもしれない。もしかしたらエスターかもしれない。彼女に泣きながら怒られると、胸が痛む。

「こちらです。」

フローディアが扉を開けると、部屋の中には一人の紳士がいた。

 白髪交じりのプラチナブロンドをした紳士を見て、キャロルは固まった。

「キャロライン。」

名前を呼ばれてびくりと震えた。

 アーサーが二階から落ちた日、仕事先から戻ってきた父は鬼のような形相でキャロルに言った。お前が落としたのかと。キャロルはそれに応えられなかった。応えないことを肯定と受け取ったのか、それとも応えられないことが父にとっては耐え難いことだったのか、キャロルを突き放すと二度と振り返らなかった。

「キャロライン様、お席に。」

 思わずキャロルはフローディアの手を握ってしまった。

 フローディアはその手を振り払わず、微笑んで、一緒に席に座った。

「キャロライン様が出てすぐに、お父上様はお迎えにエラゴニアにいらっしゃいました。入れ違いに北へ行かれていたので、ここでお待ちいただいていました。」

 あえて知らせなかったのかと、キャロルはフローディアを見た。

「王に大役を任せられたと。」

 国を移ったことを知らされていないのか、父の顔を見てキャロルはどう応えていいのかわからなかった。

「そのことは、後ほど聞こう。」

 父は何かを大切そうに取り出した。小さな箱で、中を開けてみせる。真っ青な石のブローチが入っていた。

「お母様……。」

 なくなったと気づいたとき、キャロルは必死になって探した。取り乱して召使たちに当り散らし、枕を裂いて。部屋中をめちゃくちゃにして探した。その様子を見た使用人たちは、キャロルは気が触れていると噂しあった。

「アーサーが握っていたのを、シンシアが見つけた。」

 義母の名前にキャロルはゆっくり顔を上げた。

「アーサーが目を覚ました。あの子はお前に謝りたいと。二階の窓辺に立って、鳥の巣を眺めていたとき、足を滑らせて落ちたのだと。助けようと駆け寄ったお前のブローチを壊してしまったと言っていた。」

 ブローチを見ていると段々思い出してきた。

 出かけようとしていたとき、窓辺に立っているアーサーを見つけた。危ないのでやめさせようと思ったときに足を滑らせて、とっさに掴んだが力が足りずにすり抜けてしまった。

 すがるような怯えた目で、アーサーがキャロルを見ていた。助けてと、小さな手がキャロルに向かって伸びていた。それなのにキャロルの腕は短く、弱く、アーサーを掴むことができなかった。

「目を、覚ましたんですね。」

 キャロルの目から涙が溢れた。

「今は、まだ車椅子だが。命に別状はない。痛みが取れれば、歩けるようになるだろうと。」

 ブローチを握ってキャロルは泣いた。

「シンシアは、お前が恐ろしくてブローチを隠してしまったと言った。」

 何度も歩み寄ろうとしてくれたのに、いつも冷たく突き放した。彼女の悲しげな顔は、見ていたときにはなんとも思わなかったのに、今は胸が苦しい。

「いいえ、お父様。預かってくださったのです。」

 キャロルは首を横に振った。

「私が恐ろしければ、捨ててしまえばよかったのに。そうなさらずに、ずっと預かってくださったのです。」

 前妻の娘として疎んじたりせず、歩み寄ろうとした彼女に冷たくあたった。

「シンシア殿のように優しい方を、私は……。」

 キャロルが言うと父はそっと目頭を押さえた。

「すまなかった。キャロル。お前を疑い、追い詰めてしまった。」

「そんな、お父様もおつらかったでしょう。」

 キャロルは精一杯笑った。

「……お父様、私エラゴニアに残ります。」

思い切って言うと父は驚いた。

「私が今までシンシア殿にしてしまったつらい仕打ちは、彼女の心を傷つけています。お父様はシンシア殿と、アーサーをお守りください。」

「キャロル、しかし、そなた……。」

「もう、エラゴニアに国を移す手続きもしております。」

 キャロルが言うと、フローディアが言った。

「忘れておりましたわ。」

 はっと、キャロルはフローディアを見た。

「キャロライン様、その手続きはなしということでお願いいたします。」

「え? あの、ですが……。」

 フローディアはにこにこ笑って言った。

「貴方様は、ヨクジアのワーグナ伯爵令嬢として、エラゴニア王家に嫁いでいただきます。」

突然の報告に、父の表情も固まった。

「ヨクジアとエラゴニアの同盟を今後も強くするために、貴方はヨクジア人としてエラゴニアに嫁いでいただきます。」

 重ねてフローディアは言った。

 もしかして、フローディアは、キャロルが万が一にも成功したときのためにあえて手続きをしなかったのではないか。

「そ、あの、ですが。」

そっとフローディアは言った。

「リーリウム教も、貴方の母君の故郷で布教しやすくなります。なんせ、エラゴニア王家に嫁いだ方とご縁があるのですよ。」

 それを聴いた瞬間、キャロルの中で疑惑が確信に変わった。

 正しいことばかりが必要なのではない。後の世に、ヨクジアとエラゴニアの関係を良くするための方法があれば、ドラゴンと人との間に寄り良い関係が築けるのであれば、だれも傷つくわけではないのであれば、それもまた必要なのだ。

「その、お父様、ご報告が遅れて申し訳ありませんが。」

 キャロルは固まった父の顔に向き直った。父がはっと我に帰ったのを確認して、言った。

「エラゴニア第三王子のレオナルド様と結婚することになりました。」

 父は泡を吹いて倒れた。

 ホテルに常駐していた医者を呼び、大事無いということで父を横にした。

 父の気がつくまで、キャロルは急に何もかも言いすぎたと反省した。フローディアはのほほんとお茶を飲んだ。

「キャロライン様、お父様にそっくりでいらっしゃいますね。あの慌てたお顔は、貴方にそっくりでした。」

「はい。本当に。」

 フローディアの顔を見て、キャロルは言った。

「フローディア殿のように、落ち着いた淑女に私もなりたいです。」

「あら、嬉しいですわ。きっとレオ王子は泣いてやめてくれと懇願するでしょうが。」

 その言葉に、キャロルの胸の中にもやっとしたものがこみ上げた。

「フローディア殿も、レベッカ殿も、すでにエラゴニアの王家と懇意のようですね。」

 フローディアはちらりと、傾けたカップから目線だけをキャロルに向けた。

「そうでございますね。レベッカ様の母君とユークリッド様の母君はご姉妹でいらっしゃいますので。」

いろいろあって忘れていたが、確かに彼女は従兄弟だといっていた。

「私は、将軍家の娘としてエラゴニアのドラゴン様たちを組み入れた部隊には大変興味がありましたし、周りの列強国と比べて軍部が劣るヨクジアにはエラゴニアの協力は必須でしたから。父は私をゆくゆくはエラゴニアの王家に嫁がせるつもりだったのでしょう。幼いころから何度もつれてきていただきましたし。」

 それはレベッカも同じなのだろうか。キャロルは、突然出てきた自分を彼女がどう思っているのか、疑問に思った。

「ですが、それも意味がないと父も早々に気づいたようでございます。」

「と、おっしゃると? 」

 にっこりとフローディアは微笑んだ。

「エラゴニアはあまりに身分にこだわりません。もっと言えば、他国のものでも信頼に値すれば取り込んでしまいます。なにより、もっとも恐ろしいのはドラゴン族のほうでしたから。」

 はっとキャロルも気づいた。

「エラゴニアがドラゴン族を従えているわけではないのであれば、王家に嫁ぐ意味はありません。父は次にリーリウム教に行くように命じましたが、あまり意味がありませんでした。彼らもまた、ドラゴン族を崇め奉り遣える民にしかすぎません。」

 娘をまるで自分の道具のように扱っている。キャロルの心を察したようにフローディアは妖艶な笑みを浮かべた。違う。この顔は自分自身の意思で、むしろ父の威光を使って目的を果たそうとしている。そうキャロルは察した。

「キャロライン様。はじめ貴方を叩いてしまったのは、私もドラゴン族の恐ろしさを重々承知していたからですわ。貴方が考えもなしにドラゴン族と渡航の密約を交わしたことは、エラゴニアとヨクジアの関係だけでなく、これまで築き上げていた人とドラゴン族の関係すら揺るがす大事件でしたもの。」

 そっと、今は痛くもなんともない、キャロルの左頬を指先で押した。

「それに、私以外のどなたが貴方を叩いてくださいます? 王妃様たちはあなたのような華奢な娘を叩いたりなどできないお優しい方々ですし。」

 痛いところをぐっと押されたようにキャロルは詰まった。

「本当に、あの時は、久しぶりに怒りというものを自分の中に感じましたわ。」

「申し訳ございません。」

 キャロルは改めて謝った。ルルの涙を思えば、たたいてくれたほうがよかった。

「ですがそれも、今は消えてしまいました。貴方は、今までエラゴニア王家にも存在しなかったほどに、ドラゴン族の王と強い取り決めを交わしてしまったんですもの。利用しない手はありませんわ。」

 にっこりと美しい笑顔でフローディアは言った。

 絶句したキャロルの耳に、父のうめき声がした。

「お父様。」

 起きた父にキャロルは駆け寄った。

 父ははっとキャロルを見て、さきほどのことが夢でなかったとしり、顔を手で覆った。

「その、ご相談もせずに決めてしまって申し訳ありません。」

「よい、よいのだキャロル。そなたは不出来な父に代わり、自分の嫁ぎ先まで見つけてきたのだ。謝ることはない。」

 父の顔は、笑ってはいるが、疲労が見えた。

「しかし、キャロル。王子の妻となるということは、今まで以上の重圧がそなたにのしかかる。その、覚悟はあるのか? 」

 キャロルはぎゅっと手を握ると微笑んだ。

「覚悟はいつもしております。私は、ドラゴン族の方々とご縁が結ばれました。そのご縁を、このまま終わらせるのではなく、もっと広く貢献したいのです。」

 いつかヨクジアの空にドラゴンが飛んでも、誰も怯えず恐がることがないように。

「なによりレオナルド様のおそばにいると、私も強くなれるような気がするのです。」

 諦めたような顔で父は笑った。

「キンバリーが死に、お前は懸命に努力していた。しかし私はそんなお前がいっそうキンバリーに似ていて、見るたびに悲しくなった。シンシアはよくできた女性だった。お前が安らげると思い結婚を決めたが、上手くはいかなかった。」

 力なく父は笑った。

「すまなかったキャロル。私は、お前に何もしてやれなかった。お前はすっかり立派な淑女となり、もう私にできることもないだろう。」

 キャロルは湧き上がる涙を飲み込んで笑った。

「そんなことをおっしゃらないで。私、ちっともです。いつも誰かに助けてもらって、やっと立っているのです。」

 こぼれた涙の向こうに父が見えた。

「もう大人にならなければいけない歳です。寂しいけれど。私の分は、アーサーやシンシア殿に注いで上げてください。」

 そっと父が肩に触れる。キャロルは久しぶりに父に抱きついて泣いた。

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