竜王の宝➁
朝食の後、リーリウムの信徒とドラゴンの編成部隊が雪の中集まっていた。その中にはフローディアもいた。
「フローディア殿、まさか、あなたも? 」
「はい。恐れながら私が指揮を執らせていただきますので。」
馬に乗ったフローディアは、オオカミの毛皮をまとっていた。
「幼きころより、幾度も討伐隊には参加させていただきました。」
フローディアは落ち着いていた。彼女の顔には女性的な笑みだけでない強さが見える。
「王子、なにかできることはありますか? 私も、馬に乗ることはできます。その、一年ぶりですが。」
キャロルが言うと、レオナルドはその顎を持った。
「では祝福の口付けを。」
「は……は、い。」
真っ赤になったキャロルはつま先で立って、少し腰をかがめたレオナルドの頬にキスをした。
「……キャロル。」
「すみませんっ。」
赤面したキャロルに不満げにレオナルドは言った。
「戻るときまでに覚悟をしておけ。」
「えっそ、そんなっ。」
馬に乗ると雪の中を走らせる。
「なかなか焦らすのがお上手ですね。」
フローディアがふふっと笑う。
「そんなっそんなつもりではっ。」
彼女も一言残して雪の中を走らせていく。
吹雪が吹き荒れるというのに、キャロルはちっとも寒くなかった。むしろ頬が熱くてしかたがなかった。
見送った後、キャロルはリーリウム教の教会の中を案内してもらった。尖塔の中に祭壇があり、工房や図書室がある。鉱石の加工も信徒たちが行っていた。
「ここでは本を作っています。」
色とりどりの絵の具を使って、絵を描いている。その中には、見覚えのある絵もあった。
「絵本もですか? 」
「はい。子供の頃から教えに親しめるようにと。ここでは鉱物から採取した絵の具もありますので。」
エスターが見たら感激するだろうと思いながらキャロルは眺めた。その中に、飛び出す絵本を作っている部署があった。
「これも、貴方たちだったのですか。」
驚いてキャロルは言った。
「この絵本を、公爵令嬢のエスター殿がとても気に入られて。」
絵本を作っている老人が顔を上げた。
「絵だけでは再現できない、ドラゴン様たちのお姿をなんとか表現できないかと、工夫に工夫を重ねてまいりました。」
「流通はできませんが、リーリウムの信徒が広場で教えを伝えるために利用しています。」
確かに、こんなに立派なものは値段がつけられない。
「ヨクジアにも、こんな絵本があればきっと、ドラゴン族の方々を恐がる人も減るわ。」
なんとかヨクジアにも広めたい。そう思ったとき、キャロルは思い出した。
「私の母の故郷、シーナは二十年前ドラゴン族の方たちに守っていただいた場所なのです。感謝している人も多くいます。」
「二十年前というと、ヘレナ様の部隊ですね。レオナルド様の母上です。」
褐色の肌をした女性信徒が言った。
「私、お礼を言っていませんでした。」
青ざめたキャロルに女性信徒が微笑んだ。
「お城に戻られてからでも。我が王を目覚めさせていただいたキャロル様を無下にはされないと思います。」
優しい微笑みを、キャロルはどこか懐かしく思った。
「城には私の娘もいますので、貴方に感謝すると思います。」
「娘さん……その、名は、何と? 」
「はい。ルルと申します。」
その瞬間、キャロルの目から涙が落ちた。
「キャロル様? 」
慌てる女性に、キャロルは首を横に振った。
「私、その方に嫌われるようなことをしてしまったのです。」
キャロルはルルの母に説明した。ルルの母はしばらく聞いてから微笑んだ。
「ルルは、元気のようですね。」
「はい。いつも、私にお茶を用意してくれて、だらしない私を支えてくれたのです。」
ルルの母はキャロルの手をとり、案内した。
「ルルはとても賢い娘でしたので、童歌士を卒業した後は人の王の城に行かせました。大変な仕事でしたが、行かせてよかった。」
彼女の前には精巧な絵があった。今にも動き出しそうなほど、生き生きと描かれた絵には、童歌士の絵もあり、たくさんの子供たちがいる中、その真ん中にいるのがルルだとキャロルにはわかった。
「面倒見がよくて、いつもにこにことして、自分の感情を表に出すことをしない子でした。その子がそんなにはっきりとものを言うのは、貴方のことがとても愛しかったのでしょう。」
うなづいたキャロルにルルの母は微笑んだ。
信徒の一人がキャロルを呼んだ。
「我が王がお会いしたいとおおせです。」
昨日、大勢のドラゴンが押し寄せたのできちんと挨拶もできなかった。キャロルは慌てて王の間に向かった。
昨日よりも大勢のドラゴンが集まり、それぞれ王に話をしているようだった。
「人の娘、キャロル。」
呼ばれてキャロルは向かった。
「恐れ入ります。」
「そなた、輝きが変わったな。」
「え? 」
驚いてキャロルは顔を上げた。
「生命力に満ちた輝きだ。うん、人の娘はそのほうが良い。」
穏やかで優しい笑顔で言うと、巫女がひょっこり顔をのぞかせた。
「王は童歌士の歌声よりも恋をする乙女のほうがお好きですか? 」
「それはまた格別だ。しかし、人の娘は恋をしているときがもっとも美しく輝くのだ。」
キャロルは赤面した。
「そなたを呼んだのは、一つ頼みがあるからだ。」
「はい。なんなりと。」
ドラゴンの王は大切そうに抱えていた水晶の入物を差し出した。
「我が友の残滓をハイドランジアと供に、宝物庫にしまってほしい。」
突然の大役に、キャロルは驚いた。
「私が、ですか? 」
「ハイドランジアでは背が足りぬ。手伝って欲しい。」
キャロルは巫女を見た。巫女はドラゴンの王の足元から出てくるとお辞儀をした。
「どうか私からもお願い申し上げます。」
「そんな、もちろんです。そのような大役を私などがさせていただいてよろしければ。」
キャロルもお辞儀をした。
「我が友の残滓は、そなたに語りかけた。この輝きを知るハイドランジアとそなたでなくては、安心できぬ。」
巫女が恭しく受け取ると、キャロルは一緒に案内されるがまま、城の奥へと向かった。
長い洞穴を、右へ左へ。時々いくつも出てくる穴を、一つも間違えることなく巫女は進んでいく。
「ありがとうございます。キャロル様。我が王の目覚めは貴方がもたらしてくれた。」
巫女の声は幼い少女のものなのに、何十年と生きた老女のように穏やかだった。
「私こそ、このような大役を任されるにいたったのは、サファイア殿が私を見出してくれたから。そして、セレンディバイト殿が私を信頼してくださったから。アイザック王が、私にここへ来ることを許してくださったから。」
多くの偶然が重なって、キャロルはここにいる。本来であればエラゴニアの土地を踏むことさえなかった。
「レオナルド王子が、私を守ってここまで連れてきてくださったからです。なにより、王のご友人が私に訴えてくださらなかったら。」
巫女はじっと腕の中の残滓を見つめた。
「キャロル様。私の魂は、二千年前にも受肉しました。今生の私もまた、その時の記憶をもち、同じ志で生きております。」
「それは、つまり、二千年前にも生きていらっしゃったと? 」
巫女はうなづいた。
「人は死ねば、その魂は神の御座に帰るといわれています。しかし中には、まだなすべきことがあり現世に戻ってくるものもいると。私は記憶も志も変わらず戻ってきましたが、同じように記憶も志も違えども、また現世に降り立つものもいるのではと思っています。」
信じられない話だが、ドラゴンの王と巫女の間柄を見ると、嘘ではないと思える。
「もしかしたら、王の友の魂もまた、この現世にもどってくることがあるのかもと。」
ふふっと巫女は笑った。
「王が目覚めるまでの間、そんなことを思っていました。もしも王の友の魂を持つ方が呼びかけてくださったのなら、王は目を覚ますやもと。」
キャロルは少し考えた。
「私が、そうだと? 」
「わかりません。この腕の中にあるのは、途方もない昔、世界を救おうと自らに火を放ち、灰となって舞ってしまった民の残滓。けれど貴方は、今は輝きも増し、生きようとする人の娘です。」
やがて大きな壁の前に出た。巫女はそっと手を伸ばして、指で何かを描いた。壁は音を立てて、左右に割れる。
その中は不思議な匂いがした。天井には昼間のように光がともり、壁には書物や鉱石、干した薬草がある。薄い石板のようなものがあり、そこには文字が浮かび上がっていた。丸い水のはいった水槽のようなものが浮かび、中には輝く葉が浮かんでいる。
部屋の置くには棺桶のような水槽があり、蓋は半透明のすりガラスのようだった。その向こうに、人の影がぼんやりと見える。
「これが、王の宝物庫? 」
不思議な品の数々にキャロルは驚いた。同時に気づいた。
「王は、人だったことがあるのですか? 」
その部屋は広いが、王の入る大きさではない。全て人間の背丈に合わせて作られている。
巫女はキャロルを見た。
「キャロル様。それだけは誰にももうしていけません。もちろん王の友の名も。」
巫女の声が厳しく言った。キャロルは思わず口を押さえた。
「ええ。もちろん言いません。それに、どなたも信じないでしょうから。」
キャロルはきっぱりと言った。
「それに、私は名前を知っているはずなのに、その方の名前を口に出すことができないのです。」
王に囁くときには確かに知っていたのに、話そうとするとどんな音だったか表せない。
巫女は宝物庫の奥の、台座をさした。キャロルはその上に水晶の入物をおく。光が寂しげに瞬いた。
「孤独の輝き。それが王の掴んだ残滓。王はこの方を愛するあまり、この世界の行く末を拒まれて目を閉じてしまった。」
巫女は手を合わせた。
「どうぞ、ここでお眠りください。我が王は、貴方の願いをきっと果たすでしょう。」
キャロルも同じように手を合わせた。
宝物庫を閉じて、迷路のような道を戻っていく。キャロルはもう覚えることができないので、巫女のそばを離れないようにと歩いた。