竜王の宝①
城の北側は雪が積もっている場所もあるが、熱い温泉が湧いていた。不思議な形の地形で、いくつも湯船があるようにそれぞれ分かれている。中にはお湯だというのに魚が泳いでる場所もあった。
「湧き水と混ざり合った場所でないと、火傷をしてしまうほどの場所もありますので気をつけてください。」
リーリウムの女性信徒がキャロルを案内した。
「フローディア殿はまだお仕事を? 」
自分一人がのんびり入るのは申し訳ない。
「はい。エディバレン様はこの城の警備も担当していらっしゃるので。」
リーリウムの信徒たちも、老若男女皆慌しく駆け回っていた。しかしその顔は興奮しているようで、皆嬉しそうだった。
手伝ってもらいお湯に入り、肩までつかると体中が痺れるようだった。温かくじんわりとしたお湯に、筋肉がほぐれていく。
「少しとろみがありますね。」
「底に生えている苔からも薬効成分が滲み出しているので、それがとろみになっています。」
こんなにすばらしいお風呂は初めてだ。キャロルが感激していると、湯煙の中に影が動いているのが見えた。大きな影は近づいてきたかと思うと、サファイアの顔が出てきた。
「サファイア殿。」
どうやら温泉につかりにきたようだ。
「キャロル、温泉はどうだ? 心地よいか? 」
「はい。とても。」
よく見るとボコボコと煮えたぎるお湯に、サファイアは入った。
「そっちはぬるくないか? 」
「いいえ。人の肌にはちょうどよいです。」
サファイアが動くと湯煙がはれて、他の温泉に人影のようなものが見えた。よく見ると、サルが湯に使っていた。
「サル、ですか。」
「はい。冬場は動物もぬくもりにきますよ。」
人やドラゴンがいても怯えることなく、お湯の中でまったりしている。
リーリウム教の信徒が、サファイアと同じ温泉に中につけていたざるを引き上げた。卵のようなものがはいっていた。
「熱を利用して芋をふかしたり、卵をゆでたりもできます。今日は忙しいので働くものたちの夜食を。」
極寒の地で、想像を絶する過酷な生活をしているとばかり思っていたが、自然を上手く利用して快適な部分もあるらしい。
自分の故郷にもあれば、とキャロルは少し羨ましかった。
部屋に戻り、ベッドに案内されてキャロルは横になった。
一人になると、改めてこれから先どうしようと思った。王の許しなく独断でドラゴンの王都に行こうとした罪はこれから裁かれることになるだろう。投獄されるのかもしれない。もしかしたら、死刑になるかもしれない。
全てが終わってしまえば、そんな不安がよぎってくる。行くまでは、命さえ惜しくはないと思ったのに、自分の中の図太さが、沸き出るように死にたくないと恥ずかしげもなく訴える。
フローディアに相談すべきか、それとも、王子に問うべきか。どちらにしろ虫のいい話だ。
ほこり高く伯爵令嬢として、どんな罰でも受ける潔さが欲しい。けれど、心の中のどこかで、この国で生きたいと思ってしまう。
キャロルの心の中で、ふと何かが囁いた。どうせ死ぬかもしれないのだ。恥など捨ててしまえばいい。
それは悪魔の囁きのようで、とても甘美だった。このまま寝付けそうになく、キャロルはため息をつき、意を決して立ち上がった。途中忙しそうに行くリーリウムの信徒に尋ねると、彼らは快く教えてくれた。キャロルはすんなりそこにたどり着くことができた。けれど、扉を叩く勇気が出ない。
ここまで来て、意気地なし。と囁く声もあれば、これ以上恥を晒すつもり?と囁く声もある。
いつまでもここにいるわけにはいかない。キャロルは思い切って扉を叩こうとしたとき、扉がすっと引いた。ぶつかるはずだった力が空回りして、キャロルは前のめりになってぶつかった。
固いけれど温かく程よい弾力のある壁にぶつかった。
「キャロル? 」
顔を上げて、キャロルは赤面した。
「夜分遅く、すみません。王子。」
濡れた髪を拭きながら、レオナルドは意外な客人に驚いていた。
中に入れてもらうと、ベッドに腰掛けた。
「人を呼ぶ部屋ではないので、すまないがとなりに。」
いえ、床に座りますといいたかったのだが、そんな押し問答をしている場合でもなく、素直にキャロルはベッドに座った。
「どうした? 」
「はい、その、お恥ずかしい話、王子にお聞きしたいことがあって。」
初めて会ったときと同じ緩やかな姿のせいか、王子の表情や雰囲気がいつもより柔らかい気がした。
「あの、私は、どのような処罰を受ければよろしいのでしょうか。」
王子の表情が固まった気がした。
今更怖気づいたのかと、幻滅されてしまったと思い、キャロルは血の気が引いた。
「もちろん、どのような罰も受ける覚悟です。ですが、その、内容がわかればより覚悟が増すと思って。」
レオナルドは髪を拭いて言った。
「具体的な処罰はない。無断でドラゴンの王都に行って生きてたどり着いたものはいないからだ。凍死するか獣に食われるか魔物の苗床にされるか。人間ができる以上の責苦を受けて死ぬ。」
王子は濡れた髪を拭きながら、ため息をついた。
「そんなことを聞きにわざわざ夜に男の部屋に来たのか。」
夜に庭に出たときのことを思い出して、キャロルは息を呑んだ。
「す、すみません。はしたない真似を。」
立ち上がろうとしたキャロルの肩を掴み、ベッドの上に押し倒した。
なにが起きたかわからなかった。薄明かりの天井と、レオナルドの顔だけが見える。
「震えてはいないな、キャロル。」
王子の手がキャロルの手に重なった。改めて大きな手だと思った。抱き上げたときも感じたが、自分の細い指よりも一回り太く、拳を簡単に包み込んでしまいそうな大きさだ。エラゴニアを守るために戦い続けた手だ。
「はい。王子はいつも私を守ってくださいましたから。」
キャロルの頬に手の節で触れてレオナルドは言った。
「今からお前を傷つけるかもしれんのに? 」
頬から移った手が、顎に触れた。王子の顔が重なる。その真っ青な目がサファイアと同じ水底のような美しさで、キャロルは見とれていた。
「レオ王子、失礼しま。」
それは扉が開くのと同時だった。フローディアが扉を開けて固まった。
「す。」
そして入ってきた。扉を閉めて腕組みをして立つ。
「どうぞ、終わるまで待っていますから。」
レオナルドが起き上がった。
「何用だ。」
「よろしいのですか? 」
「やかましい。」
キャロルはどっと汗が噴出し、赤面して硬直した。
「トロルが目撃されたのでその編成部隊のお話で。」
キャロルが見えていないようにフローディアは会話をする。
「ドラゴンの王がお目覚めになられたので、興奮して殺気立つドラゴン様もいらっしゃいます。」
「それを宥めるほうが大変だな。キャロル。」
呼ばれてキャロルは、自分がベッドのシーツと同化しているのではと思い始めたのでびくっと震えた。
「私が戻るまでそこで待て。」
「は、はい。」
フローディアはじっとレオナルドを見た。
「よろしいですよ。済むまでここで待っていますので。」
「やかましい。そこまで豪胆ではないわ。」
扉が閉じた後、キャロルは高鳴る心臓を押さえて寝転んだ。
待っていろというとは、いくらキャロルが鈍くても意味はわかる。もうすでに頭の中は混乱していた。どうすればいいのかと、シーツに包まると、かすかに嗅ぎなれた匂いがして落ち着いたのだが、レオナルドの匂いだと気づいてまた心臓が飛び上がった。
ベッドから離れてキャロルはふと机の上を見た。トロルの討伐記録、ゴブリンの巣の状況、これまで戦ってきた魔物に関しての日誌が書かれている。人の味を覚えた魔物は必ず人を襲うという文字や、襲われた人の状況など、身震いするような記述もある。
けれどキャロルはついつい読みふけってしまった。
いつの間にか眠ってしまった。シーツの中で温かなものにしがみついてキャロルは眠っていた。そして跳ね起きた。
レオナルドがそばにいた。馬車の中よりもくつろいだ姿で、今まで抱き着いたのはその襟元からのぞく立派な胸筋だと気づいて、キャロルは心の中で悲鳴をあげた。
キャロルが動いたのに気づき、レオナルドも起きた。
不機嫌そうに乱れた前髪越しに見られた。すっと手を伸ばして、キャロルの顎に触れた。
「何もしてはいない。」
「は、はい。」
それはそうだ。こんな、骨に皮が張り付いたような貧相な体、殿方に好まれるはずがないとキャロルは赤面した。
「キャロルが幼子のような顔で私の枕を抱きしめていたので、理性がまさった。」
うっとキャロルは詰まる。殿方の寝床の上で、子供のようにすやすやと眠るなんて、恥ずかしい。
「申し訳ございません。」
「良い。そのキャロルの純朴さが私には愛しい。」
くすっと微笑むと王子は立ち上がった。
「そんな、私は王子が思われるような、娘では。」
顔を上げたとき、服を着替えようと脱いだ背中が見えたので目をそらした。
「キャロル。自身を知らんな。」
布の落ちる音とレオナルドの声がした。
「見ていなくとも、私にはわかる。そなたは自分を殺しても、他者を殺すことはできない。」
涙がこみ上げてきてキャロルは袖で拭った。今までそんなふうに自分を信じてくれた人はいなかった。自分自身ですら、もう信じられないのだ。
レオナルドのように、堂々とはっきりと自信をもって行動できるようになりたい。彼のそばにいると、どうしていいかわからなかった気持ちが、どうすればいいのか、どうしたいのか、まっすぐに考えられるようにな気がする。
「そなたはドラゴンの王を目覚めさせた。それは罪どころか功績だ。王よりも偉業を成し遂げたのだ。」
「そんな。運が良かったのです。」
本当ならあの招待状は自分のところに来なかったのだ。届かなければ今もキャロルは、暗い部屋の中に閉じこもっていたのだろう。
「成し遂げたことは変わらない。どうする? 父より爵位を賜るかも知れんぞ。」
「しゃっ……恐れ多いです。とても……そんな……。」
着替えたレオナルドが目の前にやってきて、キャロルの顎を持った。
「選ばされるより命じられるほうがよいならば、私が命じよう。」
サファイアと同じ真っ青な目がキャロルを見つめた。
「我が妻となれ、キャロライン・ワーグナ。」
キャロルの顔が、火がついたように赤面した。
「それこそ恐れ多いですっ。」
ぐいっと腰を抱き寄せてレオナルドは言った。
「エラゴニア第三王子の命にそむくか? 」
顔を手で覆ってキャロルは言った。
「私、ただ、貴方のおそばにいたいとは思いましたけど……。」
「ならば何の不満がある。妻となりその生涯をかけて私に尽くせばよい。まぁドラゴンへの忠誠も多めにみてやろう。」
抱き寄せられていっそう硬直した。
こんなことがあるだろうか。自分なんかが、王子の妻になるなんて。
「キャロル。嫌なら平手の一つでもしてみろ。」
「……嫌ではないから、困っているのですっ。」
自分はこんなに欲深かっただろうか。
誰でもいい。ワーグナ家を継げるのであれば、それにふさわしいのなら自分を愛してさえいなくてもいい。そんなものはいらない。どこを探してもあるはずがないのだ。
諦めていたはずなのに、恐れ多くて受け取れないのに。
ドラゴンと供に戦うこの強い人に、愛されるような人間になれたらどんなにいいだろう。
「キャロル、その顔はよくないな。」
顎を持って真っ直ぐ見据えてレオナルドは言った。
「怯えた顔なら離れれば良いが、そのような顔をされると加虐心がそそられる。」
顔が重なりかけたとき、部屋の戸を叩く音がした。
「王子、朝食の用意が整いました。」
ため息をついてレオナルドは立ち上がった
「トロル討伐に出る。朝食の後私を見送ってくれるか? 」
「……はい。」
その前に自分も身だしなみを整えねばと、キャロルは思った。寝癖のついた顔をあんなにまじまじと見られていたなんて恥ずかしくて死にたくなった。