北王都での謁見➁
気がつくとキャロルは夕暮れの中にいた。目の前にはたくさんの墓標が見える。土まみれになった自分の手を見て、寂しさで胸が締め付けられた。そんなキャロルにそっと何かがすりよった。
狼だった。そのぬくもりをキャロルは抱きしめた。温かくて安心する。
しかし時は流れ、狼も倒れた。最後までキャロルに寄り添ってくれた。そっと肩を叩く手にキャロルは顔を上げる。誰だろう。誰か分からないけれど、その日とはキャロルにとって大切な友達だ。
そうだ。まだ諦められない。
自分の身体も少しずつ崩れていく。もう長い距離を歩くこともできない。自分の命はもう終わる。一族は死に絶えた。長く連れ添った家族もいない。けれど世界の果てから訪ねてきてくれた友人たちに、せめてなにか残したい。
キャロルは燃える自分の身体を見た。寂しい、悲しい、たった一人でもう誰もそばにはいない。
心が叫びそうになったとき、誰かが手を掴んだ。
はっと目を開けた。体が寝汗でびっしょり濡れていて、触れる外気が少し冷たい。
キャロルの右手をレオナルドが両手で掴んでいた。目が合った瞬間、キャロルはほっと安心した。
「キャロル。」
王子の手がキャロルの手を掴み直す。
「どこか痛むところは? 」
「いえ、どこもありません。」
起き上がろうとしたが、体が重い。と、レオナルドが身体を支えて起こした。
「もう三日も眠っていた。」
「そ、そんなに? 」
どおりで力が入らないわけだ。
「お目覚めですか? 」
フローディアがいたので、キャロルはひっと悲鳴をあげた。
「まずはお食事ですね。すぐご用意いたします。」
にっこりと微笑んでフローディアは行った。
「フローディア殿が、何故? 」
「エラゴニアに移民の手続きをし終えて、キャロルのことを見守りに。王の間で倒れたことを覚えてはいないのか? 」
「倒れたのですか? 」
キャロルは驚いた。
「光が強くなったのは覚えているのですが。」
「光? 」
レオナルドにはそう見えなかったようだ。
「キャロライン殿。」
巫女がやってきた。
「よかった。目が覚めましたね。」
目を隠していても安心しているのが伝わってきた。
「お食事は食べられそうですか? 」
「はい。いただきます。」
そういわれて、急に空腹を感じた。
出されたスープは具はないが、逆に染み渡るようなおいしさがあった。
「では、レオ王子は席をはずしていただいてよろしいですか? 」
フローディアがにっこり笑った。
「お体を拭いてお着替えをしないといけませんもの。」
「あの、自分で。」
「そんな冷たいことをおっしゃらずに。」
フローディアがにこにこ笑って迫る。
巫女がレオナルドをさっさと追い出した。
「もう少し体力が戻ったら、温泉にも入れますよ。」
それは魅力的な提案だった。
「キャロライン様が倒れたと聞いたときのフローディア殿の剣幕、なかなか恐ろしいものがございました。」
巫女が言うとフローディアはふふっと笑った。
「キャロライン様はエラゴニアに移られたといえども、元はヨクジアの民ですから。」
フローディアのことは、恐いと思う。妖艶で全てを包み隠すような笑顔をしている。しかし、こんな極寒の地にまでキャロルを見守りにきたのは、彼女がただ冷たく国だけを想っているのではないと感じた。
「ありがとうございます。フローディア殿。」
「お礼は、王子にもしっかり申し上げてくださいませ。あの王子様が一人の女性のために慌てふためくのは面白……いえ、なかなかに見ごたえがありましたわ。」
言い直したようで言い直していない。
「王子は、優しい方ですから。」
そういうと、フローディアはふぅっと息をキャロルの首筋に吹きかけた。
「ひゃぁっ。」
「キャロライン様、おかわいそうに。目が曇っていらっしゃるのね。」
ふふっとフローディアは笑った。
「存じておりましてよ。貴方の元婚約者殿。」
意地悪くフローディアは囁いた。
「先日ご結婚なさった奥方がなかなかの浪費家で弱っていらっしゃるとか。」
そんなことになっていたとは知らなかった。
「まだ、一ヶ月ほどしか経っていないのに? 」
「盛大なご結婚式だったようで。アーチノース商会に借金をなさったそうです。」
その噂はどこから調達してくるのか。セレナは顧客の情報を漏らすようには思えない。真偽は不明だが、もしそうなら気の毒だった。
着替え終わると、キャロルは巫女にもう一度王の間に行かせてもらうように頼んだ。巫女は驚いたが、了承してくれた。
「キャロル。元気になったのだな。」
セレンディバイトのそばにサファイアがいた。
「サファイア殿。」
サファイアがキャロルの頬に擦り寄った。
「よかったのだ。」
「ご心配をおかけしました。」
サファイアの真っ青な目を見ていて、キャロルは思い出した。
「サファイア殿、少し教えていただきたいことがあるのですが。」
「うむ。」
「サファイア殿は、私のそばにいないのに、耳元で囁いたように声が聞こえました。どのようになさっているのですか? 」
サファイアはきょとんとした。
「どうといわれても。そうだな、相手を見つめて、胸の内でしっかりと囁くのだ。それだけだ。」
簡単そうに言われても難しい。しかし、サファイアのいうこともなんとなくわかる気がする。
「やってみます。」
キャロルはふたたび岩に近づいた。そして、なるべく近づいて目を閉じた。
偉大なるドラゴンの王。どうして、貴方は目を閉じてしまったのですか?
問いかけに返事はない。
貴方の友の……最後の願いをご存知のはず。それを何故、拒んでしまわれたのです。
その時、耳の奥で高い音が鳴り響いた。痛みにキャロルは耳を押さえる。
ドラゴンたちは顔をあげる。
人の娘、何故その名を知っている。
キャロルは顔を上げた。岩にしか見えないそれが、脈打つのを見た。
「私は知っています。その方は、ずっと貴方に囁き続けている。」
キャロルの声に反応するように岩に亀裂が入った。
「非礼をお許しいただかなくても、けっこうです。ですがどうか、友の最後の願いだけは聞き入れてください。」
頭痛がし、キャロルは頭を押さえた。
「キャロル。」
レオナルドに支えられ、キャロルは笑った。
「もう少しです。聞いてくださったのですから。」
はぁっとキャロルは深呼吸をした。
「貴方がここで眠り続けられれば、その方は孤独のまま置き去りにされてしまいます。」
びしっと岩に亀裂が入る。落ちてくる岩からキャロルたちを守るように、サファイアが羽を伸ばした。
「この世界の行く末を命の限り見届けて欲しいという願い、それが貴方に託した希望だったはずです。」
岩が砕けて散った。
「娘。」
その声は透明なのに重厚な響きがあった。
「その輝きは……。」
岩がゆっくりうごいてキャロルを見つめた。
「違う。しかし、よく似ている……。」
キャロルは微笑んだ。
「はい。私は、王の友ではありません。けれど、きっと、同じ孤独を知っています。」
岩には大きな前足があり、首が伸びて、巨大なドラゴンの形になっていた。
「王、貴方は他の方々と世界を救おうと旅立ったのですね。」
ドラゴンの王が、鼻息を噴いた。
「私の国にもあります。三人の賢者が世界を救った物語。彼らは世界の果てで世界を救うすべを手に入れたと。」
「違う。手に入れたのではない。我々が救ったのではない。」
喋ると吹き飛ばされそうなほどの空気が舞った。
「救ったのは人に迫害され、世界の果てまで追い詰められた我が友の一族。ふたたび世界に命が満ち溢れるようになった。」
自分の身体が燃えていく熱を思い出し、キャロルは胸を抑えた。
「しかし、彼らに最も近い人は、命をとして守った者を忘れ、互いにいがみ合い戦を続ける。」
怒りが岩を振るわせた。
「おっしゃるとおりです。お恥ずかしい、私はこの国に来るまで、その方の名も、生涯も知ることがありませんでした。」
キャロルはそばにいる巫女を見た。
「その方のことを知っているのは、リーリウムの方々だけ。王の友のことを語り継がれている。」
岩がわずかに動くと、巫女を見た。
「……ハイドランジア。そなた、また生れ落ちたのか。」
巫女が震えた。
「はい。我が王。貴方に会うため、こうして人の身をまた得ることができました。」
ひざをつき手を合わせる。
「尊きドラゴン族に生まれることは叶いませんでしたが、今生でも貴方に、最期まで。」
岩が動き、大きな前足が巫女に伸びる。巫女はそのつま先にすがりつき、口付けをした。愛しげにそっと前足で巫女を包み込む。ぐっと身体をもちあげて立ち上がった姿は、内側から輝くような眩しさだった。白とも白銀ともいえない。雪雲が割れた空からさした光に、虹色に輝く。
その大きさは城のようだった。
「人の世に、我が友と同じ痛みを持つものが生まれたのは嘆かわしいことだ。」
キャロルは首を横に振った。
「この孤独があったからこそ、私は人と寄り添うことの尊さを学びました。それができぬ愚かさも知りました。この孤独がもう一度貴方に目を開かせることができたのなら、この痛みも苦しみも、嘆くことはありません。」
深くうつむいてドラゴンの王は顔を上げた。
「眠っていた間に新しく生まれたものもいるな。そなたは? 」
サファイアを見て言うと、サファイアはびっくりしたように目を開いた。自分を見ているので間違いないか、周りをきょろきょろして確認する。
「このものはサファイア、と呼ばれております。」
セレンディバイトが言うと、サファイアは顔を上げた。
「お初にお目にかかります。我が王。」
ドラゴンの王はぐっと頭を下げた。
「サファイア。よい名だ。セレンディバイト。大きくなったな。」
ドラゴンの王に比べれば、セレンディバイトは子犬のように小さい。
「はい。千年もたっておりますゆえ。」
すりっとセレンディバイトが頬擦りをすると、ドラゴンの王は頬擦りを返した。
「千年、語り継いだかハイドランジア。」
「はい、王。我が子から孫へ、その子へ孫へ、彼の方の教えを皆受け継いでいます。」
ドラゴンの王は周りを見渡すと言った。
「私に教えて欲しい。この世界は今どうなっている? 」
その声に応じる様に、大勢のドラゴンたちが舞い降りた。