その三 ゆえに医師らは動員された
「やめろぉーしょっかーぶっとばすぞぉーっ!」
そう叫び出したいのを必死に堪え、いかにも医療用といった無機質なベッドの縁を力いっぱい片手で掴み、雷火少年は頭の中でひたすら九九を諳んじています。
『……はちしちごじゅうろくはっぱろくじゅうしはっくしちじゅうに……』
八の段終了。次は九の段。
『何をさっきから同じ祝詞を繰り返しとるんじゃ? 何かの術の発動かの?』
『くいちがく……じい様、今ちょっと黙ってて下さい。ただの現実逃避です』
『ほうほう、現実世界が逃げ出すほどに強力な術なんじゃの』
『くにじゅうはち逆です。俺が現実から逃げたいんです』
『ふむふむ、つまりその祝詞は、ここから逃げる為の転移の術なのじゃな』
『くさんにじゅうしち違います。そんな術を起こす力はありません。ただ、くしさんじゅうろく俺が今、現実を真正面から見たくないんで、無理矢理こっちに意識を集中したいだけです』
『真正面から見たくない? 何がそんなにつらいんじゃ?』
『くごしじゅうごそりゃこんな……!』
と、じい様相手にいきり立ってみた所でどうしようもありません。若者特有の羞恥心なんぞ、とっくの昔に墓の下にうっちゃってしまってる事でしょうから。
『こらこら、ひとを枯れ木みたいに言うでないわい。儂じゃとてその気になれば、まだまだ赤子のひとりやふたり……』
『産んでみせるとでも言うの?』
『う、むむむ……産ませてみせるわい』
『……それでいいのか、くろくごじゅうし聖職者』
習性なのか、一応突っ込む雷火少年。でもまあ、考えてみれば、こっちの世界の神官職に結婚禁止の戒律があるかどうか、雷火少年は知りませんでしたね。
そんな他所事を考えながら、例によって、じい様と恋人繋ぎで結ばれている片方の手を、嫌がらせにわざときつく握り締めてから、雷火少年は全てを諦め、強張っていた身体の力を抜きました。
すると、その変化を即座に察知した治癒部のお姉様たちが、より一層嬉々として少年の身体をまさぐり始めたのです。首を肩を胸を脚を腹部を、そして、どんなに身体の力を抜いたとしても女性の手で触られれば生理現象として強張ってしまう、とある身体の一部をも。
『……くしちろくじゅうさん死んでしまいたい……』
『……くはしちじゅうに気持ちは分かる……』
『……くくはちじゅういちありがとう……』
抗いようのないひとりと助けようのないひとり。ふたりは揃って現実逃避の大海原へ小船を漕いで行きました。道連れは戻って九九の一の段。明けぬ夜はないのだと、闇夜を漕いで行きました。ひたすら漕いで行きました。いんいちがいちいんにがにいんさんがさん…………。
その甲斐あってか気のせいか、確かに闇夜は明けました。
少年の心の傷と引き換えに、召喚勇者の不調の謎は、見事解明されたのでした。
ゆえにこの場は報告会。
治癒部あげての報告会。
徹夜明けの異様な空気。
血走った治癒部の皆の視線の先に、ヤケクソ気味に胸を張り、立つは我らが雷火少年。白い部屋着に白の帯、右手にじい様寄り添って、疲れて立つのは雷火少年。ゴースターは別に見てなくていい。
「医の神に魅入られし愚か者どもよ!!」
治癒部に割り当てられた簡素な建物の中で最も広い部屋、それは職員たちの食堂なのですが、そこに雑然と並べられた食卓の一つに雌豹の身のこなしで飛び上がり、真っ白な白衣と腰まで届く真っ赤な髪を揺らして、眼鏡美人が声を張り上げました。
「「「応!! 我ら魅入られし愚か者なり!!」」」
周囲から身も蓋もない言葉が返されました。
「知の深淵へと至らんが為、七難八苦を与えたまえとの我らの祈りに応え、医の神は、病弱勇者というかつて無い知の難題を与え給うた!」
「どこの山中鹿之助だよっ!!」
と、いつもなら元気良く突っ込むはずの雷火少年。デリケートな部分をいじくり倒されたのが堪えたのでしょうか、「はいはい、どうせ病弱勇者ですよ」と、やさぐれた一言を漏らしただけでした。
「だが、医の神よりのそんな知的挑戦も、小賢しい財務はじめ上級貴族には、まったく度し難い事に、銭を産む戦略遊戯の駒だとしか見えぬらしい!」
「「「実に度し難い!!」」」
応えて、正に我が意を得たりと周囲に怒声が響きました。
「そう、実に実に度し難い! だが我は、そして諸兄らはそんな輩とは違う!」
「「「違う!!」」」
「諸兄らは、この知的挑戦を乗り越えんと、あらん限りの力と知恵を振り絞った。それだけではない! その為の費用を諸兄ら自らが負い、ある者は食費を削り、ある者は一日二食を一食に減らし、親類縁者友人知人に借金を繰り返し、また家財を売り、土地家屋を抵当に入れ、研究用具と下着以外は一切を失った者たちさえも居る!!」
「「「そうだ! 我らは頑張った!」」」
眼鏡お姉様の言葉に、熱狂的な声で応える医術部職員さんたち。中でも特に晴れやかな笑顔で両手を振り上げている腰巻一丁のお兄さんたちは、きっとその「一切を」失っちゃったひとたちなのでしょう。
「そう、諸兄らは頑張った! そしてその積み重ねの末には、此度の知的難題さえも、遂に解明されたのだ!」
真っ赤な髪を振り乱し、右手を高々と挙げながらのお姉様の宣言に、居並ぶ職員さんたちの人波は「「「おおおおおおおおおっ!!」」」と怒涛の歓声を発しました。
「我、カテリアーナ・フォン・デ・シバイタロカは、敢えて宣言しよう。此度明らかとなったこの発見は、正に衝撃的事実であり、人族の歴史を覆す大発見である! そして、これは此度の調査研究に携わった全職員の手による偉業なのである!」
「「「うをおおおおおおおおお!!」」」
場は、まさにもう興奮の坩堝です。
「故にこそ、我、カテリアーナ・フォン・デ・シバイタロカは、敢えて諸兄に問う! 諸兄はその偉業の褒美として何を望むか。富か!?」
「「「否!!」」」
怒涛の声は言下に否定を叫びました。
「では名声か!?」
「「「否っ!!」」」
更に声量を増して否定しました。
「ならば身分か!? 名誉なのか!?」
「「「否っっっ!!」」」
職員食堂を揺るがす勢いの否定です。
「ならば何だ!? 諸兄らは何を望むのか!?」
「「「共有せよっ!!」」」
一瞬の間も置かず、怒涛の声は返答しました。そしてそれを繰り返します。
「「「共有せよっ!!」」」
「「「共有せよっ!!」」」
「「「共有せよっ!!」」」
職員食堂を、いえ治癒部の古ぼけた建物全体を倒壊させかねない勢いで揺るがしながら、その声は何度も何度も繰り返されます。そして、その様子を眺める食卓上のお姉様、シバイタロカ三姉妹の長女カテリアーナ・フォン・デ・シバイタロカの、いつもは無愛想に引き結ばれた唇が、莞爾とばかりに弧を描いて持ち上げられました。
「この偉業を成し遂げて、望む褒美が更なる知の共有か。くっくっく……呆れ果てた愚か者どもだ。だが、それがいい」
その両の瞳は、炎のように翻る真っ赤な髪よりもなお熱く燃え盛り、腰巻一丁で腕を振り上げ続けるお兄さんらと知識欲を共有する喜びに爛々と輝いています。
「さあ、ならば諸兄らの望み通り、その解明の経緯も含めて知の深淵を共有しようではないか。そう、あれは忘れもせぬ十日前の事だった」
「唐突な回想モード来たーーーっ!?」
思わず、どこぞのビュティさんみたいに目ん玉を飛び出させ、驚きと突っ込みがない交ぜになった叫びを雷火少年は上げました。一方、職員さんたちは大歓迎の叫び声を上げました。私財を投げ打ってまでも知の探求にのめり込む変人さんたちだけあって、「はい、答えはこうでーす」なんて表面的な報告では満足できないひとたちなのでしょう。
そして、シバイタロカな身内であるはずのひょろ長飄々さんはといえば、いつもの飄々ぶりはどこへやら、諦めの境地といった表情で首を左右にただ振るのみなのでした。
「その晩も、我らが敬愛すべきろくでな師は、相も変わらず呑んだ暮れておった。そこへ ――― 」
「おうおう、カテかい。ロナンガは居るかの?」
今にも倒壊しそうなほどに古ぼけた治癒部の建造物の数々。その片隅にひっそりとある、更に一層みすぼらしい掘っ立て小屋から出て来た赤い髪の女性に、じい様が親しげな声をかけました。
「おや、ルセル神官長。我らがろくでな師ならば、相変わらず岩塩なんぞを肴に呑んだ暮れておりますが、今日はまだ宵の口といった所です」
「そうかそうか、なら話はできるじゃろう。ちと邪魔するぞえ」
「ご随意に。私は研究がありますゆえ、お構いできませんが」
「構わん構わん。さほど長居する訳でもないしの」
「では、後でロザリアーナを見に行かせます。私よりは気が利くでしょう」
「こちらから頼まずともそんな配慮をしてくれる所、カテこそ十分に気が利いておると思うがの」
人前での自信満々なカリスマ溢れる姿とは裏腹に、なぜか自己評価が極端に低いシバイタロカの長女をそう言って褒めると、彼女は、髪よりもなお真っ赤に染めた顔をぷいと背けて「……け、研究がありますので」と足早に去って行きました。
そんな長女を見送り、ふぉふぉふぉと笑いながらじい様は、先程彼女が出て来た掘っ立て小屋へと足を踏み入れました。
「ロナンガ。居るかの」
「何じゃい、ルセルか。何の用だ」
中では、こう言ってはなんですが、掘っ立て小屋に相応しい胡麻塩頭で貧相な衣服の老人が、筵のような物を敷いた床に胡座をかいて、小ぶりな壷のような陶器を傾け何かをラッパ呑みしております。
「またそんな呑み方をしとるのか」
「ふん。ここんとこ連日、あの財務の阿呆どもの戯言に付き合わされとるんじゃ。呑みでもせにゃあやっとれるかい」
酒臭い息でそう吐き捨て、またも陶器を呷る老人の隣にどっかと座り込んだじい様は、その手から陶器を奪い取ると、ごくごくごくっと張り合うかのように景気良くラッパ呑みで一気を決めました。
「ぷはあー。その点は儂も同意じゃよ。その点はの。儂が言うとるのは呑み方。呑み方じゃ。塩を肴に呑むなんぞ最悪の呑み方じゃという事くらいは、治癒師の長たるお主が一番良く知っておろうに」
「ふん。知っとると出来るは、また別の話じゃわい」
不満げな顔で鼻を鳴らし、ロナンガ老人は、背後からもうひとつ陶器の壷を取り出すと、きゅぽんと音を立てて木の栓を引っこ抜きました。
「そうなのです。知ってるくせに出来ないのです。要するに馬鹿なのです。だから弟子たちからも、ろくでな師なんぞと呼ばれるのです」
そこへ、毒舌感あふれる言葉と共に、薄紫の髪を揺らして若い女性が踏み込んで来ました。大股に脚を広げて立ち、小柄な身体で目一杯に胸を張り、顎をそらして年長者ふたりを睥睨する女性の右手には、何かの蔓で編んだバスケットのような物が下げられています。
「人族相応の脳味噌があるなら、おとなしくこれを食らうのです。岩塩なんぞ舐めるのは猿か鹿のやる事で、その程度の知能しかない証明なのです。そんな奴には生きてる資格なんぞ無いのです」
毒舌女性は、胡座をかいて座り込む老人ふたりの鼻先に、ずいとそれを突き出すとまたも軽く毒を吐きました。
「ふん。こんなご時世じゃ。生きる価値も、知を振るう価値もありゃせんわい」
鼻を鳴らしてそっぽを向くと、胡麻塩頭のろくでな師ことロナンガ師は、申し訳程度に顎を覆った胡麻塩髭をこれ見よがしに天井に向けて突き上げながら、陶器壷の中身を一気に空けました。
「良い覚悟なのです。ならば、岩塩酒なんぞまだるっこしい真似をせずとも、今すぐこのロザリアが、ベルナルドおじ様の所へ送ってやるのです」
そう言って半目に細めた薄紫の瞳をひたりと据えながら毒舌娘は、バスケットを突き出しているのとは反対側の手を、控え目な胸の前にひらりと持ち上げました。持ち上げる一瞬、手首を返してダボッとした袖の中を潜らせたその左手には幾つかの薬包が、マジシャンがトランプをそうするようにして扇状に広げられています。それら薬包のひとつひとつには、黒い頭蓋骨とその下で×に重ねた骨の図案が描かれていました。
「さあ、選ぶが良いのです。トラフグ草か白鈴草。茜秋百合に鳥の兜。道標べ虫の煮汁と赤背蜘蛛の液。マダラヌマアカガエルとマダラヌマアオガエルの混合毒。黒萬蛇に篦頭蛇に鎖蛇。銀山結晶はロザリアが改良したので、更に純度が上がってお勧めなのです。さあ、どれでもあっという間にベルナルドおじ様に再会できる事、請け合いなのです」
ずずいっとろくでな師の目の前へ、頭蓋骨印の薬包を押し付ける毒舌娘。毒舌娘なだけでなく、毒薬娘でもあったようです。素晴らしいスキルアップです。
しかし、ロナンガ師の意識は、海賊旗のミニチュアみたいは薬包とは別の所に向いていました。
「ベルナルド……か、あやつさえ生きておればのう。国がここまでになる事もなかったわい……」
遠い目をして呟くロナンガ師に、しかし毒薬娘は、意にも介さず畳み掛けました。
「年寄りの繰言は地獄でするが良いのです。今は、ロザリアが改良した銀山結晶の話しをしてる最中なのです。改良の甲斐あって、安全安心の無味無臭なのです。さあ、覚悟を決めて口を大きく開けるが良いのです」
銀山結晶というのはこの世界の毒薬で、鉱物毒です。多分ですけど、地球でいうと青酸カリとかそういったやつに近いものなんでしょう。
で、そんな毒薬が何で安全安心なのか。
突っ込み人がこの場に居れば、小一時間問いたい問い詰めたい。
「これこれ、ローザ。話が地滑りを起こしとるぞ」
「ローザ言うななのです。ロザリアーナはロザリアなのです。山の娘ではないけれど、毒原料採取の為に山歩きは必須なのです。遠き山に日が落ちる頃、歌いながら楽しく原料毒草を採取して回るのです」
「むむむ……、何だか分かったような分からんような解説じゃが、日が落ちてから山に入るのは安全上お勧めできんのう。それに、ローザが今ロナンガの口に押し込むべきなのは、新改良の銀山結晶ではあるまいに」
「だから、ローザ言うななのです。これだから、年寄りは話が通じないと言われるのです。きっと脳味噌が萎縮か硬直かして、使い物にならなくなっているのです。それに、ロザリア特製の銀山結晶に文句を付けるななのです。ロザリアの銀山結晶は、そんじょそこらの銀山結晶とは違って効果抜群威力絶大なのです」
話の横滑りを指摘しようとしたルセルじい様の言葉は、なぜか毒薬娘の斜め上な反応を引き出してしまったようで、更に話題がテールスライドして行く様相に、じい様は眉間へ指を押し当てました。
「……むむむ、いかんいかん。ここは仕切り直しじゃな。すーはーすーはー。うむ、よし。はっけよいのこった」
をい! なんだじい様。そのえらく日本的な無駄知識は。
ああ突っ込み人不在がツラい。
「ところでじゃな、ローザ」
「だから、ローザ言うななのです。まったく、じじいは無駄に生きた分無駄な情報で脳味噌が占有されて、肝心な事が覚えられないのです。本当に役立たずなのです」
「儂らが無駄に生きとって役立たずなのは否定はせんが、お前さん、カテから何ぞ頼まれとらんか? ロナンガの口に銀山結晶を押し込んだとして、後でカテから何と言われるかのう?」
「うぐっ!」
じい様の発した声を聞くや、今まで無駄に自信満々だった毒薬娘が言葉に詰まり、顔色を変えました。その可愛らしい顔に見る見る冷や汗が浮かび上がり、髪と揃いの薄紫の瞳は忙しなく左右を五輪ピックで五種目混合メドレーしています。つまり泳ぎまくってます。あ、今、古橋選手が飛び魚ターンを決めました。
「……む、むむむ……」
何がむむむだ!
さっきから、お前らどこの横山三国志の登場人物だよ。
と、地の文で突っ込んでも無意味やね。雷火少年、早く出て来て突っ込んで。
と、馬鹿な事を書いてる僅かの隙に、毒薬包の扇を出した時と同様一瞬で袖の中に収めると、毒薬娘は年寄りふたりを睨み付け、実に口惜しそうに呟きました。
「……こうなっては、最早これまでなのです。ならば ――― 」
次の動きは更に素早い「一瞬」でした。
「これでも食らうが良いのですっ!!」
それは正に神速と呼ぶしかない「一瞬」。
彼我の距離は僅かに一歩。
しかしその「はじめの一歩」を、微塵の予備動作もなく神の速度で踏み出し。
右手で突き出した蔓バスケットは些かもその場を動かさず。
身体が横を掠めると同時にその中から刺突武器状の何かを取り出し。
逆手に掴んだ左手を振りかぶり。
ろくでな師の顔を目掛けて全力で振り下ろし。
それらすべてが、まさに神速の「一瞬」!!
振り下ろされた刺突武器状の何かは、ろくでな師の口腔へと突き込まれ、咽喉を貫き後頭部へと貫通っ!!
しませんでした。
「ふうむ、鳩串かい。こりゃタレがなかなか絶品じゃわい」
ろくでな師が、もぐもぐと咀嚼しながら唸りました。
どうやら振り下ろされたのは「刺突武器状の何か」ではなくて「串焼き状の何か」であったようです。形が似ていたのと、余りに神速過ぎたので見間違えちゃったみたいですね。実況より心からのお詫びを申し上げます。てへっ。
まあそういった事の次第で。
毒薬娘は年寄りふたりの前に座り込み、ろくでな師の口の中へ鳩串焼きを押し込みながらぼやいています。
「ふう、こんな鳩串なんぞではなく、ロザリアの銀山結晶を食らわせてやりたかったのです。でも、そうするとカテ姉様に怒られてしまうのです」
どうやら「最早これまで」と言ってたのは、新改良の毒薬を飲ませるのを諦めたという意味だったようで。そこまで毒の実験がしたかったのか。
そして、危うく毒の実験台にされそうだったロナンガ師はといえば、押し寄せる鳩串と鳩串の合間を縫っては胡麻塩髭を振りかぶり、壷の中身を咽喉へと流し込むのに忙しい様子です。
「まあ、ローザには悪いが、そうなると儂が困るんじゃ。このレンベルンゲンバウムを立て直そうと、三人であの日誓い合ったんじゃからのう。ベルナルドに続いてロナンガまで逝ってしもうたら、儂はどうしていいやら分からんからのう」
「だから、ローザ言うななのです。ロザリアーナはロザリアなのです」
またも呼び名をめぐる変わり映えのしない天丼な言い争いを始めたふたりを眺めながら、ろくでな師は呟きました。
「……確かに……その通りじゃわい」
そして酒壷をことりと脇に置き、自ら鳩串へと手を伸ばしました。
「考えてみれば、そもそも国がこの有様では、おめおめとベルナルドに合わせる顔なぞ無かったんじゃわい」
伸ばした手で鳩串を二本掴むと、二本纏めてかぶりつきました。
「おいおい。一本は儂の分じゃなかったんかの」
受け取ろうと親友に向けて右手を伸ばしていたじい様が、不本意そうな顔で抗議の声をあげましたが、ろくでな師は聞こえぬふりを決め込みました。
ところで。
蛇足ではありますが、地球において、品種改良だか突然変異だかで鶏が家禽化するまでは、大抵どこの土地でも食用の鳥肉といえばそれは鳩の事でした。エジプトやペルシャなど中東の出土品、また旧約聖書の記録などからもそれは読み取る事ができます。その後、各地に鶏が持ち込まれ広がってからも、殆どは王侯貴族や一部の金持ちたち向けの鑑賞用であり、一般的に食用肉とされるようになったのは、実はごく最近の事なのです。
ヨーロッパに於いても、かなり長い事食用とは見なされていなかったようで、そこらの事情は、恐らくこの異世界においても似たようなものなのでしょう。
「じゃが、財務があの体たらくでは、正直どうしようもないわい。特にあの青二才。あの阿保があの名門バッフェンの血筋で、しかもベルナルドの息子とは、情けのうて涙も出んわい」
首を振って嘆息するろくでな師に、毒薬娘が次の鳩串を差し出しました。
「ランドルフの馬鹿の事ならば、あれはもうどうしようもないのです。自分では賢いと思い込んでいる真性の大馬鹿なのです。文字通り、馬鹿に付ける薬は無いのです。一思いに、とっとと亡き者にするのが世の為人の為……はっ! そうなのです! ロザリアの改良銀山結晶をあの馬鹿で試せば良いのです。世の為人の為にもなって、一石二鳥なのです」
そんなにも新改良を試したいのか、毒薬娘。
「そんな事をした所で焼け石に水じゃわい。ベルナルドが財務を改革して良い方向に向かわせておったというに、あやつが逝って幾らもせんうちにまた元の木阿弥に戻ったんじゃ。全体が腐っとるんじゃわい。全体が」
「ならば、財務全体をロザリアの銀山結晶で皆殺しにすれば良いのです。いちいちあの馬鹿だけを狙うよりは、むしろ効率的なのです」
「誰も居らんようになったら、財務の通常業務はどうするんじゃい」
「むむむ……、それは考えてなかったのです」
また「むむむ」かよ。
お前らどんだけ「むむむ」が好きなんだよ。
「まさしく全体が腐って歪になってしもうとるんじゃよ。五百年前と同じようにのう」
ろくでな師と毒薬娘の会話が、財務の関係者であろうベルナルドさんの息子のランドルフという人物への個人攻撃となり、更に財務大虐殺計画へと昇華を果たそうとした所で、こりゃほっといたんじゃ切りがないと思ったか、ルセルのじい様が話しに割って入りました。
「五百年前……勇者アランの時代なのです」
「記録を残したのがまた、奇しくもバッフェンの血筋の英傑じゃわい」
「ハインツ・オリゲネス・フォン・エーベルバッフェン。勇者アランと共に戦い抜いた、特大剣と重量級大楯の使い手じゃ。今でも民からの尊敬を集めておる。バッフェンの血筋ならば、この件には精通しておって当然なのじゃがの」
「知識としては知っとるんじゃろがい。知識としては」
「あの大馬鹿の事なのです。どうせ立て付けの悪い脳味噌の片隅で、埃を被って積んどく状態なのです。豚に真珠とはまさにこの事なのです」
「まことその通りじゃの。五百年前とまったく変わらん事をやっとるというに、財務の連中は、そこに気付いてすらおらん」
「うむ。今より五百年前。大国は利害関係から互いに疑心暗鬼を強め、それにつられて周辺の小国間でもいざこざが絶えなかったと伝えられとるわい」
「そこに現れたのが、魔王バトラーと奴が率いる魔王軍なのです」
勇者アランと魔王バトラー。
この異世界における五百年前のそれは、民の間でも知れ渡っている出来事です。人族領に侵攻して来た邪悪で強力な魔王軍を、異世界から召喚された勇者アランと彼に協力する英傑たちが力を合わせて撃退する、典型的な英雄譚として語り継がれて来ました。
しかし、実情は違っていました。
当事者である勇者一行のひとり、特大剣と重量級大楯の使い手、ハインツ・オリゲネス・フォン・エーベルバッフェン。彼の残した記録によると、魔王軍と本格的に対峙した時、勇者一行は既にボロボロの状態であり、魔王を撃退する力などまったく残ってはいなかったというのです。
当時は大国同士が対立し疑心暗鬼を強め、表立っても裏に於いても争い事が絶えませんでした。その為、各地で魔獣や魔族が跳梁跋扈しているというのに、大国は互いに相手国からの襲撃に備える為に大量の兵力を充てており、結果として、この人族の一大事という時に多くの兵は、愚かにも人族同士の争いの為にただただ睨み合っていたのです。
ですから、魔獣や魔族と戦う事ができたのは、勇者たち一行と各地の冒険者たちだけでした。そして当然の事ですが、強い敵と戦う度に仲間たちが命を落としてしまうのは避けられない事でした。
また、勇者たちが人族同士の戦いに否応無く巻き込まれてしまう事も幾度となくありました。
なぜなら、それぞれの大国は、自らの影響下にある小国が敵対する大国に取り込まれて、陣営としての力関係が崩れる事を恐れたのです。その為、大国はこぞって影響下にある小国へ自国の兵を派遣するようになりました。陣営として協力関係を深めると共に、敵大国との内通が起きぬよう監視を強める為でした。
一方、小国はまた小国でそれを利用し、大国から派遣された兵を使って近隣の小国から領地や富を掠め取ろうと画策し始めたのです。勿論言うまでもなく、そうやって行われる戦いは、正々堂々宣戦布告しての戦いではありません。
その結果として起きる状況は何でしょう。そうです。「正体不明の軍による襲撃」です。そしてそれは、襲撃を受けた側から見れば、魔族軍「かもしれない」のです。
誰がそれに対処して動けるでしょうか。勇者とその一行。そして協力してくれる冒険者たちしか居ません。当然の事として、勇者一行と冒険者たちは、ますます疲弊し数を減らしていきました。
そのゆえに、最終的に魔王と対峙した時、勇者アランは既にボロボロ、満身創痍の状態でした。それは、魔王バトラーが思わず憐れみの言葉を投げかけてしまうほどだったと、ハインツ・オリゲネス・フォン・エーベルバッフェンは書き残しています。
しかし、勇者アランはそんな状態でも果敢に戦いました。自らの命を削って放つ、彼独自の必殺技であるアラン・スラッシュ。海を割り山を吹き飛ばす必殺の大技を魔王に向かって何度も撃ち込み、息も絶え絶えになりながら、それでも戦況を有利に運んだのです。そして、遂に最後の最後で、魔王バトラーの致命的な隙を突く事に成功しました。
ですがその時既に、勇者アランには魔王バトラーを討ち果たす力は残っていませんでした。
もはや必殺のアラン・スラッシュを放つ事もできず、力を使い果たした勇者アランにできた事といえば、体勢を崩した魔王に向けて何の変哲もない体当たりを食らわす事だけでした。
別に勇者でなくともできるであろう、単なる体当たり。
一般人でも、子供の喧嘩でもできる、ただの体当たり。
勇者アランが最後に放つ事ができたのは、ただそれだけでした。
「何だそれは」
呆然と魔王バトラーは呟きました。
「それが、勇者が魔王に向けて放つ技か」
体当たりを放った体勢のまま、よろける脚で身体を更に魔王へと密着させながら剣を振り上げ、勇者アランは答えました。
「……今は……これが精一杯……」
そう言って、振り上げた剣を自らの胸に刺しました。
自らの胸を貫通させて、自分と魔王を縫い止めました。
そして口から血を吐きながら、仲間に向かって命じたのです。
「……私ごと……封印を!」
仲間たちは、勇者の意図を理解しました。
事ここに至っては、もう魔王バトラーを倒すのは不可能なのだと。
ただひとつ残された道が、魔王の動きを止めている隙に封印する事だけなのだと。
「……この……機会を……無駄に……は……」
言葉は続きませんでした。
勇者アランの意図を汲んだ神官法術師たちが周りを囲み、涙ながらに複数がかりで封印の術を放ったからです。
レンベルンゲンバウム王国の北部、とある洞窟の最深部。こうして勇者と魔王は共に、そこに封印される事となったのです。
「その法術師たちの中にの、儂のご先祖も居ったんじゃよ。じゃからのう」
ルセルのじい様が壷酒を呷り、溜め息を吐いて言いました。
「儂は、ご先祖と同じ事だけはしとうないんじゃ」
鳩串を握るロナンガ師の手が止まりました。
鳩串を運ぶロザリアーナの手も止まりました。
ルセル神官長は再び溜め息を吐きました。
それからどのくらいの時間が経ったのでしょう。
毒薬娘が鳩串を一本掴んだまま立ち上がり、殊更大きな声で言いました。
「ならばやっぱり、ランドルフの馬鹿だけでなく、銀山結晶で財務の連中を皆殺しにするべきなのです!」
「通常業務」
ロナンガ師が突っ込んでくれました。
呑んだ暮れグッジョブ。
ああ、突っ込み人が居るって素晴らしい。
「むむむ……そこは滞られては困るのです」
「それにの、ローザ」
「だから、ローザ言うななのです」
「仮に財務を皆殺しにしたとして、頭数合わせに新しく入る連中も、今とさして変わらんじゃろう。鼬ごっこじゃよ。やるだけ無駄な労力じゃろうのう」
ルセルのじい様も、突っ込みとは違いますが冷静な意見を述べてくれました。突っ込み人ではありませんが、これはこれで貴重な人材なのかもしれません。
「鼬ごっこか。まあそうなるわい」
ロナンガ師が、右手の鳩串をもぐもぐごっくんしました。
「じゃが、ルセル。お前の事じゃ。何ぞ考えがあるんじゃろうがい。勿体ぶらずにさっさと言わんかい」
「さすがにお見通しじゃのう、ロナンガ。まあ、大まかな腹案くらいはの。と言うても、具体的な方法という所で今んとこ少々行き詰っとるんじゃが。あ、儂にもその葱のやつ一本」
そう言って右手を差し出すじい様に、ロナンガ師は鳩肉と葱の刺さった串を手渡しました。
「で?」
「うむ。一言で言えば、勇者殿を治癒部で掻っ攫ってもらいたい」
「なるほど。じゃが、財務がいちゃもん付けて来るのは分かっとろうがい」
自らも葱の鳩串に、わしっと横かぶりで噛り付きながら、ロナンガ師は渋い顔で言いました。
「そこなんじゃよ。今の所は、体調思わしくない勇者殿の休養の為と理由をつけて、ルーナローザ王女預かりの形にしてもろうとるんじゃが」
「仙の神官王女様かい。召喚者の中に第二王女を引っ張って来たのは、その為じゃったんかい」
「んにゃ。一番の理由は実力。仙力の高さよ。ま、召喚後すぐ財務の馬鹿共に持って行かれんよう、牽制の意味もあったのう」
「で、この後はどうするつもりなんじゃい」
「そこなんじゃ。当初の予定では、ルーナローザ王女の騎士に推挙して財務を躱すつもりじゃったが……」
「寝たっ切りのあの状態で、騎士という訳にはいかんわい」
「かと言うて、儂んとこで預かるというのも少々無理があるしのう」
「勇者は神職ではない。そう突っ込まれりゃそれまでじゃわい」
「……」
「……」
二人して揃えたようにシンクロナイズド横かぶりで、わしっと葱鳩串に噛り付き、じい様とロナンガ師は黙り込みました。
「ふん。脳味噌の残り容量僅かな老いぼれが皺面突き合わせた所で、どうせ得る物なんぞ無いのです」
そんな二人に辛辣な言葉を投げ付けたのは、毒舌毒薬娘のロザリアーナです。
「ローザよ、何ぞええ考えでもあるんかの?」
「だから、ローザ言うななのです。ロザリアに名案なぞある訳がないのです。謀ならカテ姉様にお任せなのです」
毒薬娘が答えたその時です。
「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん」
極めて冷静な声と抑揚には不似合いなふざけた口上と共に、赤い髪の眼鏡美女が現れました。
「……カテ姉様、それは何なのです」
「登場時の口上。ルセル神官長に教えて貰った。ほかにも『話は聞かせて貰った!』とか『天が呼ぶ地が呼ぶ人が呼ぶ、悪を倒せと俺を呼ぶ』とか『犯人はこの中に居る!』とか、色々な派生型がある」
抑揚乏しくそう答えた表情乏しい白衣の美女は、几帳面そうな動作で扉を閉じて、毒薬娘の隣へと腰を下ろしました。
「うちの弟子に何を教えとるんじゃい」
「ああ、異世界の知識じゃよ、異世界の。ほかにも『真実はいつもひとつ!』とか『闇の炎に抱かれて眠れ!』とか『月に代わってお仕置きよ!』とかの」
「または『やらないか』とか『文句があるならベルサイユへいらっしゃい』とか『当たらなければどうという事はない』とか『お前は既に死んでいる』とか『またつまらぬ物を斬ってしまった』とか」
それ既に登場時の口上じゃない。いや、「やらないか」は登場時の台詞だったか。それよりじい様、何訳分からん無駄知識広めてくれちゃってんの。そしてどうやってそれ知った。
「で、取り敢えず聞く。カテに何を任せる?」
「ルセル神官長が、姉様の智謀を頼りたいそうなのです」
赤髪眼鏡クールビューティーな姉の質問に、薄紫髪ふわほわ毒舌娘な妹が答えました。でも、じい様の事を「ルセル神官長」なんてまともな呼び方をしていますね。ついさっきまで、老いぼれだの役立たずだの言っていたのが嘘のような態度です。姉の前では色々と変わり身の速い娘なのでしょうか。
それはともかく、姉としては頼られたのなら応えねばなりません。
「ルセル神官長。何かあったのですか?」
きりっと出来る女の顔で、眼鏡美人はじい様に問い掛けました。
「おうおう、こりゃ助かるのう。カテが知恵を貸してくれるなら百人力じゃ」
「……いえ、知恵というほど上等な物は持ち合わせてませんが……」
一転してふいっと目線を逸らし、眼鏡美人はぼそぼそと答えました。褒め言葉とかが苦手な人なのかもしれません。
「異世界の勇者を召喚してからここ数日、儂らが財務とやり合うとるのは知っとるじゃろ」
「はい」
向き直って返答する眼鏡美人に、じい様はこれまでの経過と今後の方針を掻い摘んで説明しました。
「そうでしたか。分かりました。少々お待ち下さい」
そう言うと、赤い髪の眼鏡美人は瞳を閉じ両手の人差し指を立て、すううっと弧を描いて真上に持ち上げました。
そして、自らの頭部にぴたっと当てました。
そこですかさず花びらのような唇が開かれ、謎の祝詞を紡ぎ出したのです。
「慌てない慌てない。一休み一休み」
ぽくぽくぽくぽく……
「……」
「……」
ロナンガ師と毒薬娘が、互いに顔を見合わせました。
「……姉様。いったいそれは何なのです」
「ん。こうすると必ず良い考えが出る。イッキューサン・スタイル。ルセル神官長に教えて貰った」
ロナンガ師と毒薬娘が、揃って顔をじい様の方へと向けました。
じい様は、すいっと顔を逸らしました。
「ほんま、うちの弟子に何を教えてくれとんじゃい」
非難がましい様子でロナンガ師が呟いたその時です。
ちーーん! という不思議な効果音が辺りに響き渡りました。
眼鏡美人の輝く瞳が、そして花のような唇が開かれました。
「整いました」
「カテリアーナさんに座布団二枚」
「唐突に訳の分からん遣り取りをするななのです。ロザリアにも分かるように話すのです」
蔓バスケットをばしんと叩いて、毒薬娘が文句を垂れました。
「では、そもさん」
「せっぱ」
「じゃから、訳の分からん遣り取りをするでないわい。分かるように話さんかい」
まことその通り。異世界ですから。そもそも、一休さんなのか笑点なのか、はっきりせんかい。
「では分かり易く順番に」
そう前置きをして眼鏡の長女は語り始めました。
「まず、勇者の体調不良が治癒部に引き込む大義名分として使えます。二番目に、ランドルフの馬鹿がしゃしゃり出ているのは、こちらが付け込む隙となります。そして三番目に、我等治癒部にだけ、予算という財務の切り札を封じ込める策が使えます」
三本の指を順番に立てる視覚効果も交えて説明をした赤毛お姉様でしたが、言い終えてなんだか三人の反応が芳しくない事に気づかされたようです。
「……あ、もしや何か問題が……」
とても不安そうに目が左右へと泳ぎ始めました。
五輪ピックそして古橋選手が飛び魚ターン ――― それはもうええっちゅうねん。
「あ、いやいや。さすがはカテじゃ。要点がとてもとても分かり易かったぞ」
慌てて齧りかけの鳩串を振りながら、じい様が言いました。さては分かってないな。
「そ、そうなのです。特に二番目がとても分かり易かったのです」
すかさず毒薬娘も追従しました。でも二番目ってあの神経質男が馬鹿だって事で、それは貴女も散々言い立ててた事ですよね。
「そうじゃわい。今後の方針という点で、実に明快至極じゃわい」
ロナンガ師も続きましたが、方針は既にじい様が「勇者を掻っ攫う」と言ってましたよね。
「そ、そうじゃそうじゃ。方針。方針じゃ」
親友の言葉に何か閃く物でもあったのか、じい様が更に発言を重ねました。
「今の三つは、方針として非常に分かり易かったからの。それぞれに則って儂らはどう行動したら良いのかと、ついつい考え込んでしもうたんじゃ」
「そ、そうなのです。考え込んでいたのです」
「そうじゃわい。役割分担やら手順やら、考え込んだのじゃわい」
三人それぞれの発する言葉を受けて、赤毛長女の表情が明らかにほっとした様子になりました。
さすがはお調子のじい様、いえ神官長様。亀の甲より年の功。眼鏡お姉様の説明が分からなかったのではなく、理解した上でどう行動するかを考えていたという事にして誤魔化しおおせて見せたようです。ルセル屋、お主もワルよのう。
「役割分担については、ろくでな師の代理として会議に弟を送り込みます。理由は、痔の悪化による病欠とでもしましょう」
「ハインリヒに何をさせるのです」
「治癒部で勇者確保するぞ宣言と攪乱。あののらりくらりがぴったり」
妹の質問に答えるお姉さんですが、なぜか「ですます」が消え去っちゃってますね。身内だと喋り方が雑になるんでしょうか。
「ふむふむ。確かに確かに。あの飄々と掴み所のない、結局何を言っておるのか良く分からん話し方は、その役割に丁度良いのう」
「はい。加えて、ランドルフの馬鹿をより一層イラつかせる効果も狙えます」
「うむうむ。それは良い。それは良いのう」
「だが断るわい」
しかし、そこでまさかのろくでな師による拒否のターン。ロナンガ株急降下により、ろくでな師表記に戻ります。
「なんじゃ? そんなに会議に出たいんかの」
「無理。ろくでな師じゃ正面切っての大喧嘩になるだけ」
「うむうむ。実際、これまでの会議でも何回か大立ち回りをやらかしとるからのう」
「違うわい。故無き痔主の謗りなぞは、断固として断ると言うとるんじゃい」
そこか。
「じゃあ、酔っ払って階段落ちという事で」
「酔っ払って海綿体断裂なのです」
「酔っ払ってぎっくり腰でどうじゃ」
「お前らの心根がよう分かったわい。ならばもうこっちで勝手に決めるわい。労咳による喀血。これ以外は認めんぞい!」
「中二病かよ」
ぼそりと眼鏡美人長女が呟きました。治癒医術の師に対しても話し方は雑なようです。
「で、儂とハインリヒであの青二才を挑発するんじゃな」
「はい。出来るだけあからさまに、徹底的にお願いします」
あれ? もしかしてお姉様、ですます調なのは神官長じい様にだけなんでしょうか。
「そうすれば、あの馬鹿なら必ず、予算を盾に揺さぶりを掛けて来ようとするはずです。そこを逃さず、うちにだけ可能な必殺の一手を切ります」
「ね、姉様。その一手とは……何なのです」
「うん。その一手とは」
ごくり。
「蹴る。勇者予算なんぞ要らん」
「「「はああっっ!?!?!?」」」
毒薬娘、ろくでな師、じい様の上げた驚愕の声が見事にハモりました。
「要らんって……カテよ、予算なしで勇者の世話はどうするんじゃ?」
「そうなのです。ろくでな師とあの大馬鹿の仲が悪いせいで、ただでさえ治癒部はかつかつなのです」
「逆さにして振っても、うちじゃあそんな銭は出て来んぞい」
相次いで否定的意見を述べる三人を、しかし美人姉は、むしろ不思議そうな顔をして眺めています。
「三人とも重要な事を忘れてる」
「「「重要な事?」」」
またハモりました。
「治癒部とは何?」
唐突な問答です。
「い、いや、何と言われてものう……」
「い、医の神に倣い、民に健やかなる……ごにょごにょ……」
「毒薬とその他の研究所なのです」
意表を突かれてへどもどする老人たちと、対照的にまったくぶれない毒薬娘。
「違う」
しかし知的美人なお姉様は、一言で斬って捨ててくれました。
「治癒部とは、レンベルンゲンバウム王国屈指の変人たちの『すくつ』」
「「すくつ?」」
「巣窟の事じゃ」
じい様が解説しました。
「だから、勇者つまり異世界人を治療、調査、研究できるとなれば、私財を投げ打ってでも参加するはず」
「……私財を?」
「……投げ打ってでも?」
「その手があったか!!」
三人の中ではいち早く理解したじい様が、両手をぽんと打ち鳴らしました。
「言われてみればそうなのです。うちの連中ならば、一文無しになろうが平気で参加するのです」
「むしろ、一生かけても返せん借金を背負ってでもやるやつらじゃわい」
一拍遅れて残りのふたりも意味を悟ったようですが、でも分かっとんの? 君らもその巣窟の一員なんよ。
そして、その巣窟のもうひとりの当事者たる美人お姉様は、こくりと厳かに頷いて宣言しました。
「その通り。『予算要らん。異世界人の人体実験もっと重要大作戦』この旗の下に治癒医師らは必ずや集う」
そう。必ずや。
そうして翌日、じい様ことルセル・ハップヒーフォルビア神官長と、ひょろ長飄々ことハインリヒ・フォン・デ・シバイタロカのふたりが、ランドルフの馬鹿こと神経質男の一本釣りに見事成功し、『予算要らん。異世界人の人体実験もっと重要大作戦』を遂行したのは第二話にてお読み頂いた通りでありまして。ゆえに。
ゆえに、治癒医師らは自ら進んで動員されたのです。
「ところで、実際本当に一文無しになった連中は、どうするつもりじゃい」
「当面、治癒部に住み込ませる。どうせ食べて研究して寝るだけ。後で実績出した上で、褒賞分を財務から毟り取る」
「なるほど。実績が上がっていれば、財務の馬鹿共といえど無視出来ないのです。さすがカテ姉様なのです」
「さすがはカテじゃ。一分の隙もない計画じゃのう」
カテリ屋、お主もワルよのう。ぐっふっふっふっふっ。
第二話へと至った回想になります。
でも、小説じゃないよなこれ。漫才の台本かよ。
勇者アバンもといアランと魔王バトラーは、言うまでもなく「ダイ大」のパクリもといパロディーです。
あらん限りのリスペクトを込めて。
登場した人物
少年勇者 間雷火。はざま らいか。
神官長 ルセル・ハップヒーフォルビア。
治癒長官 ロナンガ師またはろくでな師。
長女 カテリアーナ・フォン・デ・シバイタロカ。冷静美人。
三女 ロザリアーナ・フォン・デ・シバイタロカ。毒薬娘。
治癒部 変人ども。