78.ラティリアーナの正体
──核心へ。
俺の……正体?
それっていったい何なんだ?
『申し訳ないけど、その答えをあたしが言うわけにはいかないわ。なぜなら──こればっかりは自分で気づかないと意味のないことだからね』
ジュンコに冷たく言い放たれてしまった。
そう言われてしまっては仕方ないので、自分で考えてみることにする。
改めて──俺は【 断魔 】だ。いや、【 断魔 】だと思っていた。
その根拠と自信が揺らいだのは、石と化していた【 断魔 】の″本当の名前″を知った時だ。
【 断魔 】の本名は──デュカリオン・ハーシス。
だが俺は、この名前にまったく聞き覚えがなかった。
とはいえ、本名を知らなかったことをさして気にしていたわけじゃなかった。そもそも魂が他人の体の中に入ってしまうという、とんでもないイレギュラーな事態が起こっていたのだから、別に記憶が飛んでいてもおかしくはないと思っていたからだ。
だけど──改めて冷静に振り返ると、色々とおかしい。
まず……記憶がない。【 断魔 】として生きていた時の記憶がほとんどないのだ。
その割に、【 断魔 】の剣が使えたり、【 断魔 】の技が使えたりする。身体が覚えていた──といえば聞こえはいいが、そもそも身体が入れ替わっているのにそれは矛盾しているだろう。
俺は──いったい何者なのか?
根本的な問いに、俺は答えを出せずにいた。
『あちゃー、これは深刻だね。もしかしてあたし余計なこと言ったかな?』
「……いや、そんなことはないよ。もともと疑問に思っていたものの、ずっと先送りにしてきたことなんだ。良い機会だからちゃんと自分と向き合ってみるよ」
『……そう、じゃあなにか困ったら声をかけてね』
ジュンコの気遣いに感謝して、俺は改めて自分について考えてみる。
──そういえば、ひとつ不可解なことがあった。
リリスに俺自身のことを分析してもらったときに、妙な結果が付随していたことだ。
それは、″パッシブスキル″というもの。
パッシブスキル:【 断魔 】の%▲
これについても、これまで深く考えてこなかった。どうせ『【 断魔 】の魂』とかそんなもんだろうと思っていたからだ。
だけど冷静に考えるとそれも変だ。
リリスは『パッシブスキル』を″常時発動している能力″と言っていた。【 断魔 】の魂が乗り移ってるとかならわかるけど、常時発動しているというのでは意味が成立しない。
……ん? 常時発動?
──ま、まさか……。
そ、そんなことがあるのか……?
『……大丈夫?』
ふいにジュンコに声をかけられて、俺は我にかえる。
「……あぁ、大丈夫だ」
『本当? ずいぶんと深いところに沈んでたみたいだけど……』
「いや、本当に大丈夫だ。おかげさまで自分の正体に気付きそうだよ」
俺はジュンコに礼を言うと、さっき気付いてしまったことについて改めて確認に入る。
・俺は【 断魔 】の本名を知らなかった。
……もしこれが、記憶が失われたわけではなく、本当に知らなかったとしたら?
・常時発動している謎スキル。
……こいつの名称が、″断魔の魂″なんかじゃないとしたら?
……だめだ。まだ足りない。
もう一つ、もしくはあと二つは確証が欲しい。
……そうだ、ラティリアーナの行方だ!
本物のラティリアーナの魂はどこに行ってしまったのかという疑問が残っていた。
俺はこれまで、石化が解けたら元に戻ることができて、ラティリアーナの魂が戻ってくると考えていた。
だけど──シドー・レンによって【 断魔 】の石化の呪いは解け、操られてはいるものの……人に戻った。なのに、俺は元に戻ることもなく、ラティリアーナの魂はどこにも見当たらない。
本物のラティリアーナの魂は、いったいどこに行ってしまったのだろうか。
……あー、あとそれだ。【 断魔 】の中身は何だって話だ。
【 断魔 】の魂が俺なのだとしたら──今の【 断魔 】の中に入っている魂は誰なんだって話になる。
……もちろん、仮説であればいくらでも思い浮かぶ。
だけど、全ての疑問が完璧に払拭される″答え″は一つしか思い浮かばない。
ああ──でもそれは……。
その答えを受け入れることは────。
『そろそろ……向き合う時ではなくて?』
ふいに──俺の心に、そんな声が聞こえてきた。
声の主はジュンコではない。
分かってる──ラティリアーナだ。
向き合う時。
……それはどういう意味だろうか。
『本当はあなた自身も気付いているはずですわ。ただ──受け入れられないだけ』
受け入れられない……。
受け入れられるわけがない!
だってそのことを受け入れてしまったら、俺は──。
『わかっていますわ、あなたの不安……あなたの心苦しさ。だって──』
やめろ。
その先を──言わないでくれ……。
『だって──あなたはわたくしなのですから』
◇
本当は薄々感じていた。
思い当たる節は多々あった。
だけど、ラティリアーナの言葉を──俺はどうしても受け入れることができなかった。
『それはそうですわ。だってあなたは──自分のことが大嫌いだったわたくしが産み出した、もう一人の人格なんですもの』
そんな──。
じゃあ【 断魔 】の記憶は──?
『そんな記憶、どこにもないのではなくて?』
ない──。
記憶はない。
俺が持つのは……自分が【 断魔 】であったという思いだけ……。
じゃあ、俺は──。
『仕方ありませんわね。わたくしが……思い出させてあげますわ』
次の瞬間、俺の中に──ずっと閉じ込めていた記憶が蘇ってくる……。
◆
ラティリアーナは、自分のことがずっと大嫌いだった。
太っちょな身体も。
自制がきかない性格も。
醜い容姿も。
全部が、大嫌いだった。
誰もいない部屋で鏡を見つめては──何度も一人で涙したものだった。
亡き母は美しい人だった。
ラティリアーナが幼い頃、体調を崩してそのままこの世を去った母……。
ラティリアーナは母親の面影を、鏡に映る自分に追い求めようとした。だが、母がいないストレスから食に走った彼女は、すぐに体重が増えていくことになる。
美しかった母。なのにその娘である自分は、なんでこうも醜いのだろうか……。
やがてラティリアーナは、自分を憎むようになっていく。
だがラティリアーナは、自分に対する怒りを発散することがうまくできなかった。特に侍女である舞夢にはキツくあたることが多かった。理由は──彼女が美しかったから。
舞夢を傷つけることで自分の優位を確認し、なけなしのプライドをかろつじて保つ。その他にも周りに当たり散らすことで、彼女はなんとか自己を保っていた。
──自分の理不尽な行いが、さらに己の心を傷つけているとも知らずに。
そんな折、ラティリアーナは宝物庫で偶然一冊の本を見つける。一見するだけでは分からない、だがとてつもない存在感を放つ魔導書。
彼女はその本を密かに自分のものにしようと企む。ただどんな危険が起こるか分からない。有力な冒険者を護衛として用意しておこう。
こうしてラティリアーナは、偶然にも雇われた【 断魔 】デュカリオン・ハーシスと出会う。だがこの時ラティリアーナは舞夢から「【 断魔 】というとても優秀な冒険者が雇えましたワン!」としか聞いていなかった。だからこの時点で、ラティリアーナは……彼の本名を知らなかった。
ただ、彼の印象はラティリアーナの心に深く残った。
魔力を持たない存在でありながら、冒険者として強さを持ち、己を確立し、自立した一人の男性……。
ラティリアーナは、【 断魔 】のことが羨ましかった。彼のようになりたいと思った。
……たとえ自分に欠点があろうと、それを受け入れて戦えるような存在に。
──やがてその思いは、ラティリアーナの中にもう一つの《 人格 》を生み出すことになる。
『ごめん、あたしはね──持ち主の願望を叶える力を持つ魔法具なんだ。だからあのとき……あなたに魔力を注ぎ込まれて長い眠りから覚醒して、すごく嬉しかった』
思考の中に、ジュンコの言葉が入り込んでくる。
あのとき──確かに倉庫の中で魔力を込めると、魔導書は目を覚ました。覚まして……。
『しかも目の前にはラスボスのデュカリオン・ハーシスもいた。彼に出会って魔力に覚醒させればあたしはお役御免、それからは自由になれる。とはいえ無条件でラスボスを解放するのは怖かったから、つい……彼を石化させちゃったんだけどね』
そうか──【 断魔 】を石に変えたのはジュンコだったのか……。
『……悪かったと思ってるわ。だけどそのことが予想外の結果を生み出した。
あたしはね、暗い倉庫の中から開放されたことが本当に嬉しかったの。嬉しくて……つい、あなたの″願い″を叶えることにした』
俺の──願い……。
『あたしは、持ち主の願いを叶える力を持った魔法具。だからあたしは──あなたの心の奥にあった″願い″を受け入れて、あなたの中に一つの人格を生み出したの。
その人格は……偶然にも目の前で石化したデュカリオン・ハーシスを見て──自分は石化した彼の魂なのだと思い込んだ』
ジュンコの力により与えられたのは──【 断魔 】と同じ力を持った、新たな人格の精製。
ゆえに以降ラティリアーナには、常にパッシブスキルが発動することになる。
その名も──。
パッシブスキル:断魔の人格
「それが……」
『ええ、そうよ。それがあなたの正体。
あなたは──わたくしなのよ』
そうだ、俺は──。
俺は、最初からラティリアーナだったのだ。
──気がつくと、目の前にラティリアーナの姿があった。
かつて醜かった時の自分がずっと憧れていた、なりたいと思っていた美しい姿……。
母によく似た、だけど父親譲りの強い意志を秘めた瞳を持つ女性の姿。
『……新たな人格として生まれたあなたは、一生懸命努力した。努力して──美しくなった。
それは、ジュンコの──魔法具の力なんかじゃない。あなたが成ろうとして、努力して、なった姿なんですのよ』
……確かに俺は努力した。
死ぬような思いをして痩せて、力をつけて……。
だけど──それが俺のなりたかった姿なのだろうか?
『でも今のあなたなら、分かっているはずですわ。
……そんな見かけの美しさになんて、なんの意味も価値もないことを』
そう、俺は知ってしまった。
この世界を襲う不条理を、悲しみを、理不尽を。
だから救おうと思った。
そんな理不尽、絶対に受け入れららないと思っていた。
……たとえ太っていようと関係ない。外見なんて、関係ないんだ。
そう思うことが出来たのは、大切な仲間たちがいたから。
ティア、レオル、モードレッド、そして……リリス。
他にもたくさんの出会いがあった。出会いの中で、俺は──本当に大切なものに気付けた気がする。
──得ることが出来た、大切な仲間たち。
姿も形も関係ない。心が、魂が──
『あなたは気付きました、本当に大切なものを。
今なら……受け入れることができるはずですわ、本当のわたくしを──』
ラティリアーナが、ゆっくりと手を伸ばしてくる。
今なら、何の違和感もない。
俺は迷わず、彼女に手を伸ばす──。
──パッシブスキル:″断魔の人格″は、発動を停止します。
──″断魔の人格″の統合、消滅を確認。『魂の不確定要素』は解消されます。
──なお、パッシブスキルの発動停止により、以降は《 紫艶の魔導書 》の全能力を開放可能となります。




