76.イースター
紫色の霊の正体は──
リリスは驚きのあまり、目をしぱしぱと瞬かせた。
見間違いではない……たしかに自分の隣には何かがいる。
それは、紫色の煙の塊のような存在であった。
実体も定かではない、ふわふわとした存在。強いて名を呼ぶとすれば《 紫色の霊 》であろうか。
だがリリスはその煙のような霊に懐かしいものを感じていた。
ずっとそばにいて、大切だった存在と同じ──。
「……ラティ?」
だが、リリスからの問いかけに霊からの返事はない。
代わりに、もやもやとしていた紫色の煙が、徐々に塊のように集まってゆき、何かの形に形成されてゆく。
ずずず……。
どうやら霊は人の形を取ろうとしているようだった。
リリスはごくりと生唾を飲み込むと、眼を見張って様子を伺う。
紫色の魔力を放つ不思議な霊は、やがて一人の女性の外観へと変貌を遂げていた。リリスにはその姿が──懐かしいシルエットを伴うドレスを着た女性の姿のように映る。
「あぁ……あぁぁぁ……」
リリスが言葉にならない声を漏らす。
だがそれは、絶望や悲しみの声ではない。
「キミは……キミは……」
ふいに霊の女性は、左手を天に伸ばした。
すると天が輝きを放ち、一冊の本が舞い降りてくる。
あれは──ラティリアーナの神代魔法具である《 紫艶の魔導書 》ではないか。
なぜあの魔導書がここに?
ラティリアーナと一緒に、氷の棺に閉じ込められていたはずではなかったか?
リリスの疑問をよそに、紫色の霊が手を伸ばし、魔導書を掴む。
── 聖起動 ── 世界魔法 《 復活祭 》 ──
次の瞬間 ── 紫色の霊に異変が生じる。
なんと霊が、その指先から徐々に実体化し始めたではないか!
透き通るような白い肌。
美しい紫の髪。
少し吊り上がった目と整った顔立ち。
まるで紫水晶のように輝く瞳。
「あぁ……本当に……」
続けて、魔導書が白い輝きを放ち、次の瞬間には光球のようなものが飛び出した。
白い光球は羽の生えた″妖精″のような姿を象ると、半分以上実体化を遂げた女性の霊の周りをくるくると舞い、そのまま肩口にすとんと収まる。
やがて──紫色の霊は完全に実体化を終えた。
紫色のドレスを身にまとった、美しい女性。
今度こそ見間違えようがない。
彼女は──。
彼女こそが本物の──。
「あぁ……ラティ……やっぱりラティだったんだね」
『お待たせしましたわね、リリス』
リリスが愛した女性、″悪役令嬢″ラティリアーナの姿がそこにあった。
リリスは声が震えるのを必死に抑えながら、彼女に問いかける。
「でも……どうやって? いや、そもそもどうなってるの?」
『ふふふ……リリスは知っていて? 』
そんなリリスの質問に対して、ラティリアーナは──リリスが愛した最高の笑顔を浮かべながらこう答えた。
『ラスボスは、最後の最後になってようやく出現しますのよ』
◇
予想外の回答にリリスがキョトンとしていると、苦笑いを浮かべながらラティリアーナが言葉を続ける。
『あら、あの子にはそう教わったんですけど……違ったかしら?』
あの子? あの子とは誰だろうか……。
すると、それまで様子を伺うように黙っていた小さな″妖精″が、不意に口を開く。
『えーっと、感動の再会はもう良いかな? それにしても……ようやく合流できたね、ラティリアーナ』
『……思ってたよりも大変でしたわ、ジュンコ。もう二度とこのような目には会いたくないですわね』
2人の会話にハッとしたリリスが、ラティリアーナの肩口に座った″妖精″を指差す。
「な、な、な、ななにその妖精!? しかも今″ジュンコ″って呼んでた?」
『ええそうよ、マコトくん。あたしよ、御堂橋 順子だよ』
妖精──ことジュンコにそう言われ、それでもキョトンとしていたリリスが、ようやく言葉の意味を飲み込んで……驚きのあまり目をひん剥いた。
「えええーーっ!? マジでジュンコなのっ!? 今までどこにいたのさっ!? しかもそんな妖精みたいな姿になって……」
『それを言うならあなたの姿だって酷いもんだわ。なんでマコトくんが女の子になっちゃってるわけ? ″魂の形″が見えなかったら誰か分からなかったわよ』
魂の形? 意味不明な言葉に首をひねるリリス。だがジュンコとのとりとめのない会話を打ち切ったのは、紫色に輝きながらふわふわと浮かんでいるラティリアーナであった。
『2人とも、今はのんびりお話ししている時間はありませんわ。先を急ぎましょう。
でも……その前に、あそこにいる不埒ものを含めて一度痛い目に遭わせないといけませんわね』
「ふらちものって……あそこにいるのはラティの身体だよね?」
『ええ、そうですわ。いろいろあって今では別の存在になってますの。気になるのであれば、リリスの力で今のわたくしを調べるとよろしいですわ』
リリスは言われた通りに《 千里眼情報板 》を立ち上げてラティリアーナを調べる。
表示された結果は……リリスの予想外のものだった。
「なんだこれ……状態が……《 聖輝霊 》?」
『細かい説明はあとでしますわ。まずは──不埒ものたちに成敗を加えますわ。ジュンコ、力を貸して』
『ええ、分かったわ』
次の瞬間、妖精ジュンコの身体が白い光を放ち始めた。同時に、ラティリアーナの全身も紫色の輝きを増し、複数の魔法陣が並行起動しはじめる。
ぶわっ……と、リリスは全身に鳥肌が立つのを感じる。一つ一つの魔法陣が尋常ではないものであることは、気配だけで瞬時に察することが出来た。ラティリアーナは、その魔法陣を軽く10以上は同時に起動していた。
同時に、リリスは悟る。
これは──神に届く一撃だ。
『いきますわよ……キッチリと反省なさいっ!』
── 開闢 ── 《 世界改変の魔道書 》
── 能力発動・最終段階 ── 【 変身・真 】
── 聖輝霊・世界魔法モード──
ラティリアーナが手に持つ《 紫艶の魔導書 》が輝きを増し、赤い線の入った新たな本へと変貌を遂げる。
そして──ラティリアーナから神撃の大魔術が放たれた。
『世界魔法──《 因果律破壊 》』
◇◇
ラティリアーナの放った魔術は、四つの戦場において劇的な作用をもたらした。
双子の女神ノエルとエクレア。
災厄の化身ディザスター・ビースト。
大魔王ゴアティエ。
そして……アンデッド・ラティリアーナ。
それぞれの頭上に巨大な魔法陣が展開される。
そのうち──双子の女神ノエルとエクレアには、魔法陣から放たれた紫色の雷が直撃した。
『うううあああっ! こ、これはあああっ!?』
『因果律を……おのれ、おのれラティリアーナ!』
雷に貫かれ、絶叫のような声を上げる双子の女神ノエルとエクレア。それまでほとんど感情を表すことのなかった双子の女神たちが上げた、初めての憎しみの声。
同時に、死闘を繰り広げていた《 愚者の鼓笛隊 》と《 聖十字軍 》たちは生じた異変に気付く。
──それまで全身を縛り付けていた重りのようなものが取れ、一気に体が軽くなったのだ。
「こ、これは……」
「どういう……ことだ?」
『──あなたたちは因果律から解放されましたわ。さぁ……全力を尽くすのです』
ウタルダス・レスターシュミットは、見た。
双子の女神の頭上で微笑みながらそう口にするラティリアーナの姿を。
「ありがとよ、ラティリアーナ! あとは……俺たちでなんとかしてみせるぜ!」
一方、別の場所においては、ディザスター・ビーストが天から落ちてきた紫色の炎に焼かれていた。
『ヲヲ……ヲヲヲヲヲ……』
黒く煌めいていた疫病の神の、鎧のような装甲が──炎に焼かれて少しずつ色褪せてゆく。
レオルは直感的に察した。これなら、己の拳が届くと。
そして──レオルは見た。
ディザスター・ビーストのはるか頭上で見下ろす、ラティリアーナの姿を。
途端に、レオルは全てを理解する。
「ふむ、そうか……そういうことか。わかったぞ、ラティリアーナ。あとは俺の拳で──疫病など打ち滅ぼしてくれようぞ!」
……──wWooooooowW!!!
レオルは雄叫びを上げると、そのまま勢いよくディザスター・ビーストに突っ込んでゆく。
もはや目の前の敵は神などではなく……少し硬いだけの、ただの″虫″なのだから。
──場面は変わり、こちらは大魔王ゴアティエ。
かの存在もまた、天から降り注ぐ紫色の杭によって串刺しにされていた。
『グゴアァァァォァア!!』
苦痛によるものなのか、凄まじい絶叫を上げるゴアティエ。
同時に、ゴアティエの周りにまとわりついていた不可視の力のようなものが消えてゆくのをティアは感じていた。
……今のゴアティエは、不死身の大魔王ではない。削れば削れる存在だ。
ふいにティアは、背後に何かの気配を感じた。
ハッとして振り返ろうとすると、その前に──その何かに優しく抱きつかれる。
……振り返ることは叶わない。顔も見えない。
だがこの懐かしい気配が誰のものなのか、ティアにはすぐに察することが出来た。
「お、お姉様……」
『ティア……よくがんばりましてよ』
優しい声。
ずっと聞きたかった声。
ティアの頬を涙が伝う。
ボロボロと涙をこぼし、鼻水までも流すティアの頭を優しく撫でると、姿を見せない存在は──そのまま消えていった。
「ぐすっ……お姉様、わかったわ。ティアは……ちゃんと最後まで頑張るからね!」
そして涙を拭うと、ティアは前を向く。
大魔王ゴアティエ。ティアの本当の父親。
アンデッドという呪いに囚われたかの存在を、自分が解放してみせると改めて決意して、ティアは──再びゴアティエへと襲いかかっていった。
そして──モルドたちと戦っていたアンデッド・ラティリアーナには、紫色の荊のようなものが絡みついていた。
『ギィィ……』
忌々しげに呻き声を上げるアンデッド・ラティリアーナ。
異変に最初に気づいたのは、シドーレンであった。
「あれ……? 僕の異世界チートが有効化されてる!? これならあの悪役令嬢の攻撃を無効化できるぞ!」
だがその声を、モルドはちゃんと聞いていなかった。
彼女の目にだけは見えていた。
──怒りの表情でアンデッド・ラティリアーナを足蹴にする、本物のラティリアーナの姿が。
「ラティリアーナ様……」
モルドの呟きに、ラティリアーナは親指を突き出して不敵に笑っている。
いかにもラティリアーナらしいその仕草に、モルドは思わず吹き出してしまう。
そんなモルドに優しげな微笑みを返すと、本物のラティリアーナはもう一度アンデッド・ラティリアーナに蹴りを入れて、そのまま空気に溶けるように消えていった。
「モルド! なに一人で笑ってんのさ! なぜかあの悪役令嬢の絶対無効化が消えたんだ、今がチャンスなんだよ!」
シドーレンにそう言われ、モルドは笑みを消すと、姉が遺した聖剣エクスカリバーをぎゅっと握りしめる。
モルドは気づいていた。あれは、ラティリアーナの許可だったのだ。
彼女は、自分のアンデットを滅ぼす許可をモルドに与えた。であれば、自分にできることは──あの存在を全力で滅ぼすことのみ。
「ええ、行きましょう。あの存在を滅ぼすのです!」
モルドはそう叫ぶと、《 竜殺者戦士隊 》たちに再び合流し、大きく剣を振るった。
◇◇
戦況に発生した四つの異変を、リリスは遠目に見ながら呆然としていた。そんな彼女の頭を、ラティリアーナがぺしっと叩く。
「あいたっ!」
『ぼーっとしていないで行きますわよ、リリス。ここから先にはあなたの力が必要なんですの』
「必要? ボクの……力が?」
ラティリアーナに必要と言われて、自然とにやけてしまうリリス。だが気持ちを必死に抑えながら、ラティリアーナに疑問をぶつける。
「行くって……どこに?」
『あそこにある──《 オラクルロッド 》の元にですわ』
『ええ、ユーマのところよ』
ラティリアーナたちの答えに、リリスは訝しみながら確認する。
「行って……どうするの?」
『全てを終わらせるために、その元凶である《 オラクルロッド 》を破壊しますわ』
「ええっ!? 破壊!? なんでそうなるのさっ!? そもそもあれは破壊できるものなの? ユーマはどうなっちゃうの?」
『ですから説明する時間が惜しいですわ。もう……仕方ありませんわね』
ラティリアーナがリリスの手を強引に掴む。思わずドギマギするリリスに、ラティリアーナは言い放つ。
『これからリリスには──わたくしの身に起こったことをお見せしますわ。それじゃあ……行きますわよ?』
「えっ? ちょ、ちょっとまっ……」
だがリリスの抗議もむなしく、次の瞬間──リリスの意識は、真っ暗な世界へと落ちていったのだった。
ラティリアーナの身に一体何が起こったのか。
ラティリアーナの正体は……。




