72.神の冒涜
「……こうなってしまっては、すべてをリセットするしかありませんわ」
「わたしたちの力で……すべてを終わらせるしかありませんの」
とてつもなく危険な発言を口にする、双子の女神ノエルとエクレア。
彼女たちの後ろでは、祭壇に飾られた黄金色の杖──【 オラクルロッド 】が、黄金色の輝きを放っている。
一体……何が起ころうとしている?
だがリリスは瞬時に″一つの事実″を明確に認識する。
それは──。
「みんな! 気をつけて! 女神たちは……ボクたちを排除するつもりだ!」
リリスの言葉で、すぐに我を取り戻すモルド、ティア、レオル、アーダベルトの3人。
だが──完全に出遅れた。双子の女神が舞台上に瞬間移動し、リリスとシドーレンに対して魔法を発動させる。
「──焼き尽くしなさい、女神魔法《 ソドムの煉獄 》」
「──撃ち払いなさい、女神魔法《 ゴモラの業雷 》」
あらゆるものを焼き尽くす炎と、全ての罪を滅ぼす雷が、リリスたちに容赦なく襲いかかる。絶体絶命の状況を前になすすべもなく、なんとか防ごうと自分の持つ防御魔法を発動させるも、ほぼ効果がないことは一目瞭然。おそらくは1秒も持たず直接業火と轟雷に晒されることになるであろう。
ここまで来て……こんなところで死んでしまうのか?
そんなのいやだ! リリスは心の中で叫びながら、双子の女神の攻撃を睨みつける。
そのとき──。
「──歌え、勝利の歌を! 《 勇気の旗 》!」
「……勝利の歌の加護を受け、引け、次の手札!
── よしっ、来たぜ! 発動! 最強手札《 天命絶対結界 》!!」
リリスの背後から放たれた、頼もしい声。
結果として──双子の女神の攻撃はリリスに届かなかった。
リリスの目の前に虹色に輝く防御結界が張られ、女神たちの魔法を全てはじき返したのだ。
「……間一髪、ってところかな?」
ニヤリと笑いながらそう口にしたのは、《 愚者の王 》ウタルダス・レスターシュミット。
「鳳くん、あなたよく頑張ったわね。次は……あたしたちの出番だよ!」
リリスを優しく支えたのは、手に小ぶりな旗を持ったアトリー。
他にも双剣使いのキュリオや魔法使いの女性シモーネ、それに獣人の娘、野蒜の姿も……。
そう、リリスの前で女神たちの攻撃を防いだのは、ウタルダスたち《 愚者の鼓笛隊 》のメンバーたちだったのだ。
「ノビル、アマリリスを治療してやってくれ!」
「あいにゃ! ──《 完全回復 》!」
「あ、ノビルちゃん、あっちの骸骨も治癒してあげてね! あれでも……あたしの旧友だからさ」
「任しとくにゃ!」
激痛が収まり、少しずつ失われた指が復元されてゆく様子を眺めながら、リリスが思った疑問を口にする。
「ウタルダス・レスターシュミット、それにアトリー……。どうして……」
「あー、鳳くんには言ってなかったわね。あたしたち、そもそもあの女神たちを信じてなかったのよ」
アトリーが口にしたのは、驚きの事実。その言葉を補足するようにウタルダスが無言で頷く。
なんと彼らは、この場に来る前から双子の女神のことを疑っていたのだ。
そういえば《 黒死蝶病 》事件の際に双子の女神が出現した際、ウタルダスたちが食って掛かっていたのをリリスは思い出す。
「双子の女神ノエルとエクレアはね、『神の裁き』と称して数々のサブシナリオを潰してきた疑いがあるのよ」
アトリーは前世の記憶を取り戻したあと、いくつかのゲーム上のシナリオに沿った場所や人に会いに行ったらしい。だがそのうちの一部……もしくは全てが居なくなっていたり死んでいたりしたのだという。
「俺たちはかなり早い段階であの女神たちに邂逅していた。その頃からシナリオについての言及があったことを不審に思っててな。もしかして裏で何かやっているんじゃないかと疑っていた。
実際、証拠はいくつも出てきた。酷いときには街ごと滅びていたケースもあった。これが女神たちの仕業だとだとすると……あいつらは敵だ。
だから俺たちは──ずっと前からあいつらと戦うことを想定した準備を整えてきたんだ」
「というわけだから、ここはあたしたちに任せて!」
そう言い残すと、ウタルダスたちは一斉に双子の女神に襲いかかっていった。双子の女神ノエルとエクレアも、無表情のまま反撃を繰り出す。
この土壇場で、僥倖ともいえる援護。彼ら以上に心強い存在は他にいないだろう。最悪の状況は、辛うじて脱したという感じだ。
だが、リリスは素直にいまの状況を喜べなかった。敵対する女神たちと戦った″先″の展開が見えなかったからだ。
神と戦ってどうする? 倒したら……それで終わりなのか?
あの女神たちに勝つことで、果たしてどんな結果が待ち受けているのだろうか。本当に、未来は開けるのか?
そのとき、リリスの目に留まったのが、黄金色の光を狂ったように放ち続ける一本の杖──【 オラクルロッド 】だった。
【 オラクルロッド 】。
それは、あらゆる願いを叶えるという力を持った創世魔法具であり、かつリリスたちの友人であった【 佐々礼 優真 】が転生した姿。
もしや──あの力を使えば、あらゆる問題は解決するのではないのか。
「……《 簡易治癒 》」
リリスが治療したのは、足元で失神しているシドーレンだ。あからさまに嫌そうな顔をするアトリー。
「……なんでこいつなんて治療するの? さっきまであんたを殺そうとしてたのよ?」
「大丈夫、こいつはボクが転生者として責任持って処分するからさ」
「勝手に転生者に振らないでよ。……どうなってもあたしは知らないからね?」
リリスは苦笑いを浮かべると、シドーレンを足蹴にする。
「ねぇ、起きてよ! いつまで寝てるつもりっ!」
「うっ……ひ、ひぃぃいぃ! おおとりぃっ!? こ、殺さないでくれぇぇぇ!!」
「もう殺さないから落ち着いてってば。足だけは治療してあげたんだから、もう立てるでしょ? ほら、せめて自分の足で逃げないと、今度はあの女神たちに殺されるよ?」
「なっ……うわ、うわわわわっ!!」
攻撃魔法を放とうとしているノエルとエクレアの姿を視認して、情けない声を上げるシドーレンにリリスは心からため息を吐く。はー、こんなやつに振り回されてたなんて、なんだかガッカリだよ。
「いいかい、落ち着いて聞いて四道。ボクはこれから世界を改変する。そのために力を貸してくれ」
「せ、世界を改変っ!? って、いったいどうやって……」
「【 オラクルロッド 】だ、あれを手に入れてリセットするしかない」
リリスは双子の女神の背後に鎮座して狂ったように光を発する黄金色の杖を指差す。
「なっ!? そんなの無茶な! あれを見てよ!どう見たって暴走してるじゃないか! それに……すでに僕のシナリオは崩壊してるんだよ!?」
「それでも、行くしかないんだよ。それに……あの【 オラクルロッド 】はユーマなんだろ?」
「うっ……」
サッと目をそらすシドーレン。どうやらユーマが【 オラクルロッド 】に転生させられたことは事実であるようだ。
「な、なんで僕が鳳のことをサポートしなきゃならないんだよ!」
「このままじゃ死ぬよ? それともキミは女神に殺されてもいいの?」
「ぐっ……だが僕を信頼していいのかい? 僕は君を殺そうとしたんだよ?」
「君には無理だよ。もうボクには勝てない」
はっきりとそう言われ、口ごもるシドーレン。
彼は心の底では認めていたのだ。もはや何度戦ってもリリスには勝てないということ。
それは心の差、いや魂の差。決して埋まることのない、決定的な差だった。
「それにキミは本当は悔いてるんだろう? 教室を爆破してみんなを巻き込んだことを。だからキミは転生してから命を奪うことができなかった。必死に自分を強く見せようとして、自分を誤魔化して……」
「ぐ、うぅぅうぅ……」
図星だった。だがもうシドーレンは反論すらしない。
シドーレンは完全に心が折れているようだった。もはや先ほどまでの覇気はなく、ただの気弱な少年に戻っていた。
そんな彼に、リリスは優しく言葉をかける。
「……心配いらないよ。もしボクが【 オラクルロッド 】を手にしたら、ある程度はキミの望むようにしてあげるから」
「なっ!? ほ、本当か?」
「あぁ、でも異世界の神は無理だよ? せいぜい元の世界に戻すか、改めて生まれ変わらせるかとかだけど」
「……異世界の神は、もうこりごりだよ」
それは、シドーレンの心からの声のようだった。素直に応じた彼の様子を確認して、リリスは顔を上げる。
「だったら迷う理由はないよ、やるべきことは一つだ。さぁ……みんな、ボクのサポートして!」
シドーレンを無理やり引っ張りながら、すぐそばに居る信頼すべき仲間たちに声をかける。
ずっとリリスに付き従ってきたモルドが微笑む。
ティアが、すでに手足を再生してもらったアスモデウスとともに頷く。
アーダベルトが、槍を手に掲げる。
獅子王レオルがドンッと無言で胸を叩く。
「ノビル、お前は獅子王についていくんだ!」
「にゃっ!? で、でも……」
「心配なんだろ? 行ってこいよ」
「……ウタルダス、ありがとにゃ!」
ウタルダスたちに送られて、野蒜は泣き笑いのような笑みを浮かべながら、頭を下げてレオルの側に駆け寄っていく。
「ノビル……」
「レオルさま、あたしはずっとレオルさまと行くにゃ!」
こうして、8人となったリリスたちは【 オラクルロッド 】に向かって駆け出していった。
◆
だが、双子の女神が黙って見過ごすようなことはなかった。
すり抜けていこうとするリリスたちの足止めしようと、すぐに魔法発動の動作を始める。
「させるかっ!」
「お前たちの相手はこっちだぞ!」
「あんたたちの好きにはさせないわよ!」
「人の人生を弄んだこと……しっかりと反省しなさい!」
だがウタルダス、キュリオ、シモーネ、そしてアトリーら《 愚者の鼓笛隊 》のメンバーが牽制して自由にさせない。
初めて苛立ちのような表情を見せたノエルとエクレアが、厳かな声で宣言する。
「させるものですか──新たなる意思を呼び起こしますわ」
「いかせませんの──出でよ、真の守護者たるものたちよ」
「「──管理者権限《 三神罰門開放 》!」」
次の瞬間、【 オラクルロッド 】に至る道程の途中に、三つの門が出現した。
──無数の黒い蝶の彫刻が刻まれた巨大な門。
──鈍色の輝きを放つ、シンプルな門。
そして──薔薇の花が纏わり付いた荘厳な紫色の門。
そのうち、最初の門──黒い蝶の彫刻が刻まれた門がゆっくりと開く。
逆光が差す中、姿を現したのは……異形の獣。甲虫に似た全身に、背には黒い蝶の羽を纏っている。
キチキチキチと音を鳴らしながら、異形の生物は口を開く。発せられた言葉は──。
『ぐるる……我は災厄と疫病を司りし【 災厄の獣 】。因果に従い、世界に疫病を振りまきしもの』
「……疫病だと? もしや、ガルムヘイムの【 黒死蝶病 】を変質させたのは貴様か?」
『我は因果に従い動くのみ。汝……神の敵か?』
成り立たない会話。だがこの会話のみで、レオルはひとつの事実を悟る。
ガルムヘイムの街を滅ぼしかけ、おのれの妻子の命を奪う結果に繋がった『黒死蝶病の人為的な改変』は、この目の前の生物によって成されたのだと。
「……なるほど。どうやらこいつはこの俺の敵らしいな」
「レオルっ!?」
「リリスたちは先に行ってくれ。俺は──あの獣を倒す」
「ノビルも……ノビルも残るにゃん!」
レオルは何かを言おうと一瞬だけ野蒜を見るが、決意を秘めた彼女の目に言葉をひっこめる。その様子に、野蒜は満足そうに微笑む。
二人は長く一緒に旅をしてきた。であれば、この最終決戦において共に歩むのも一つの運命なのだろう。
異形の獣の前に立ち塞がる、獅子王レオルと聖獣の血を引きし少女、野蒜。
足止めを申し出る2人に戸惑うリリスたち。だがレオルは決意を込めた瞳でリリスに告げる。
「お前にはやるべきことがあるのだろう? ……さぁ、行くんだ」
「……わかったよ。絶対に勝ってね、レオル!」
「俺を誰だと思ってる? 最強の獣人、獅子王レオルだぞ」
──wWooooooowW!!!
響き渡るレオルの雄叫びを背に、リリスたちは駆け出す。信頼する仲間に後を託して──。
そしてまだ、門は二つ残っている。恐らく門の奥からは双子の女神の刺客が出てくるはずだ。
だからここで立ち止まるわけにはいかない。
道を開くために──リリスたちは歯を食いしばって先へと進んでいった。
◇
未練を断ち切るように走ってたどり着いた二つ目の門。鈍色に輝く門の前を通り過ぎようとしたとき、やはり門が開き始めた。
中から現れたのは──1人の男性。
「へっ? 人間?」
一体目が異形の怪物だったため、むしろ拍子抜けしてしまうリリス。だが……相手の顔を見て表情が一変する。
「まさか……彼は……【 大魔王 】ゴアティエ!?」
リリスは、前世で見覚えがあった。
彼は──【 ブレイブ・アンド・イノセンス 】の裏ボスであり、ティアの父親である大魔王ゴアティエではないか。
ずっと行方不明だった。他の仲間は全員死していたものの、彼だけは行方が知れぬとアスモデウスが言っていた。
それが、まさかこのような形で出現するとは……。
「あれは……アンデッドや」
「え?」
「あのゴアティエは、アンデッドや。一度殺されて、アンデッドとして女神たちに拉致られてたんや」
アスモデウスの言葉に、ショックを受けるリリス。何が神だ、冒涜するにも程がある。
だが気になるのは、実の娘……ではなく息子のティアのこと。しかし当のティアは無表情のまま父親であるはずのゴアティエを見つめている。
その様子に、アスモデウスが決意を込めて宣言する。
「……ここはワイが止める」
「……ティアも残る」
すぐにティアも続ける。だがアスモデウスは首を横に振る。
「あかん、ティアは行くんや。ここはわいに任せるんや」
「いやだよ。だって……ティアのパパはパパだけだよ?」
「ティア……ええ娘に育ったなぁ」
いや、体は男だろう。という突っ込みを心の中だけに留めるリリス。
そこに、それまで黙っていたアーダベルトも手を挙げる。
「君たちだけじゃ、前衛が不足している。僕がサポートに残るよ」
「あなたなんて必要ないよ! お姉様を傷付けたこと、許したわけじゃないんだからね!」
「……だからだよ」
「えっ?」
「だから僕が、彼女が大切にしていた君を守るんだよ」
決意を込めた表情のアーダベルトは、何と言おうと揺るぎそうにない。彼は残る決心を固めたのだ。
リリスは彼らの意思を尊重し、アーダベルトたちにこの場を任せることにする。信頼するからこそ、彼らに頼むのだ。
「……わかったよ。すぐに【 オラクルロッド 】をどうにかしてくるからね」
「あぁ、頼んだで」
「お姉様を……お願い!」
「彼女たちは、きっと守る!」
アスモデウス、ティア、アーダベルトの三人は、リリスたちにうなずき返すと、そのまま大魔王ゴアティエへと飛びかかってゆく。
アンデッドと化したゴアティエは、目を黄色に輝かせながら、邪悪な魔力を両手に集め、臨戦体制を整える。
その横を、リリス、モルド、それに半泣きのシドーレンの3人が駆け抜けてゆく。
彼らが足止めしている間に、目的を達するために……。
◇
たくさんの仲間たちの支援を受けて、ついにリリスは【 オラクルロッド 】のすぐ近くまでたどり着いた。
だがそこには最後の関門が待ち構えていた。祭壇の前にそびえ立つのは、薔薇が纏わり付いた紫色の門。
これまでのパターンからいくと、恐ろしい敵が現れることは分かっていた。
すでに相手は、疫病を司る魔獣や、大魔王と呼ばれた存在のアンデッドさえ出してきた。次に出てくる存在も同等以上に凶悪な存在であることは想像に難くない。
だがリリスの気持ちは揺るがない。たとえどんな敵が現れようと、きっと打ち倒してみせる。
リリスたちが近づくと、案の定、扉がゆっくりと開き始めた。扉の奥で人影が揺れる。だが、そのシルエットは思っていたよりもかなり小さかった。
あれは……女性、なのか?
やがてシルエットの人物は、宙を舞うように扉から姿を現わす。
その姿は──。
「うそ……なんで……」
それだけを口にして、リリスは完全に絶句してしまった。
この人物は……。
これは、あまりにも……あんまりではないか。
「こんなのって、ないよ……。
こんなの……こんなの、神の冒涜じゃないか」
リリスたちの前に現れたのは──紫色のドレスに身を包んだ、可憐な美少女。
リリスはどうしても認めたくなかった。
信じたくなかった。
彼女は、ここにいるはずのない……いや、絶対にここにいてはいけないはず存在。
だが、リリスが見間違えるはずがなかった。
何があっても、彼女だけは見間違えることはない。
その人物は──。
「……ラティ」
リリスの前に出現したのは──。
氷の棺の中で眠りについているはずのラティリアーナであった。
しかも──彼女の胸には。
ぽっかりと穴が空いたままであった。
リリスの前に姿を現したのは──【 絶望 】




