58.異世界王シドーレン
真正面にある祭壇のような場所に、二人の人影が出現した。
太陽を溶かしたような黄金の髪と、月明かりを散りばめたような銀色の髪を持つ、よく似た顔立ちの二人の美女。
──双子の女神、ノエルとエクレアだ。
『選ばれし英霊たちよ、ようこそ英霊の宴へいらっしゃいましたわ』
『ここは神々によって作られし聖域、そして英霊の宴の舞台ですの』
背後にキラキラと輝く魔力を放出させながら、世にも美しい双子の女神の様子を、リリスは燃えるような瞳で睨みつけていた。
──こいつらが、おそらくラティに何かをしたか。
すぐにでも聞きたい。こいつらを問い詰めたい。
だが、リリスよりも先に動いた人物がいた。
「この機会を待っていたよ。君たちにこうして会えることをね」
双子の女神ににじり寄ったのは、ウタルダス・レスターシュミットだった。その後ろにはアトリーの姿もある。
「俺たちはあんたらに色々と聞きたいことがある、それはもう山ほどな……」
「そうだよ! まずあたしの体を女にしなさい!」
「えっ!? 委員長ってば女じゃなかったの!?」
「煩いなぁ!話がややこしくなるからマコっちゃんは黙ってて!」
「いや、どちらかというと委員長の話の方がややこしくしてる気がするんだけど……」
ぶぅん!
急に騒がしくなった俺たちを牽制するように、双子の女神が強烈な魔力を放つ。
『まだ早いですわ、英霊たちよ。物事には順序というとのがありますわ』
『願いを叶えたくば、戦うんですの。それが、あなた方に定められた使命ですの』
機械的にそう言い放つ双子の様子から、ウタルダスたちが何を問いかけても答えてくれそうにない。感情など感じられず、まるで定まったことを定例的な答えているだけのようである。
その様子はまるで以前のモードレッドのようだとリリスは感じていた。システマティックに動く、ただの機械。
でも……だとしたら、神の正体とは一体──。
「ははっ、ようやくこれで揃ったみたいだね」
リリスの思考を遮るように聞こえてきたのは、場違いなまでに若い声だった。まるで少女のように高い──だが芯の太さを感じさせるのは間違いなく男、しかも少年の声だ。
事実、祭壇の奥から姿を現したのは礼服に似た黒い衣装を身につけた、10歳くらいの黒髪の少年だった。ただその少年が歪なのは、目元を覆うようにマスクを着けていたことだ。
「あのマスクは……」
リリスには見覚えがあった。あのマスクは、怪盗マスカレード事件の時にクラヴィスが着けていたものとよく似ていたのだ。
だが、少年の目に操られているもの特有の光は見えない。確認できるのは──濁った邪な意思の光。
「……あんたは誰だ?」
「やぁ初めまして、ウタルダス・レスターシュミット。やっぱりお前たちの方が勝ち残ったね、さすがは主人公の一人だ」
「なっ!?」
「そしてそっちはアーダベルトのチーム……? いや、なんだその混成チームは? しかもリーダーはアマリリス? ふーん、なんだか面白いチームになってるね」
彼の発言を聞いて、リリスは瞬時に理解する。
こいつは──転生者だ! だとしたらこいつの前世は──。
リリスが思考を巡らせる間にも、少年が片手を挙げる。すると、彼の背後から仲間と思しき人物たちが続々と姿を現しはじめた。
それは、極めて異様で異質で凶悪な存在たちだった。
最初に姿を現したのは、ピエロのようなメイクに姿をした奇妙な人物。手には巨大な鎌を軽々と掲げ、赤く裂けた口を大きく広がる。
「……シッシッシ。ついに出番が来たワネ」
「お前は……ラッキーラか」
「アら、久しぶりネェ獅子王れおル」
死神ピエロ──ラッキーラ。
レオルの呼びかけと特徴的な容姿から、リリスは相手の正体に気づく。
ラッキーラは、本来であれば病的にウタルダスを狙う『イベントボス』だ。姿が見えないと思ったら、こんな所にいたのか……。
「……えっ!?」
だが次に姿を見せた人物に、リリスの思考はすぐに停止させられる。
現れたのは、闇夜を切り出したかのような漆黒の長い髪を持つ美女。いや──ただの美女じゃない。モードレッドによく似た美貌の美女だったのだ。
「モードレッド、あれは……」
「──ランスロット」
「もしかしてあいつを知ってるの?」
「はい、マスター。あれは私の原型にして生体ゴーレムの最高傑作。最強の聖剣エクスカリバーをその身に宿す、【 黄金戦乙女 】ランスロットです」
「オリジナル……だって?」
だがモードレッドの言葉を咀嚼しきる前に、リリスにさらなる衝撃が襲いかかる。
「うそ ……パパ……!?」
ティアが口を押さえながら悲鳴のような声を上げる。まさかと思い視線を前に戻したリリスの目に、そこにいることを信じたくない人物の姿があった。
姿を消したから、身を隠していると思っていた。
だけどまさか、こんなことになっていたとは……。
黒いマントに、髑髏の顔。だがその顔半分は白い仮面が覆い尽くしている。
この人物は──リリスの前世の友人であり、ティアの育ての親であるアスモデウスではないか!
「……カッツン、キミも操られていたのか……って、なんだ!?」
ごうっ!
猛烈な魔力の暴風を感じ、リリスは視線を向ける。
衝撃的な登場の最後を飾ったのは──やはり仮面を付けた、一人の戦士だった。手には漆黒の両手剣を持ち、赤いマントを靡かせながら堂々と立つ男。髪は魔力の光を浴びて赤黒く伸びて輝き、魔力が具現化した二本のツノを側頭部から生やしている。
リリスは、この人物の立ち居姿に見覚えがあった。
それは前世──ゲームの画面。最終局面で空間を断ち割って出現した【 ラスボス 】。
「デュカリオン・ハーシス……」
「あれが……ラティリアーナをかつて守った【 断魔 】だというのか?」
アーダベルトが驚くのも無理はないとリリスは思った。
あの魔力はもはや人間ではない。神にも匹敵する魔力の波動に、大気が震え建物全体が振動している。その様子はまさに──【 超魔 】。
ラティリアーナは、自分は″断魔″であると言った。だが目の前に在る存在に、彼女の面影はない。デュカリオン・ハーシスとラティリアーナの関係は一体……。
しかし、とリリスは視線を戻す。
黒い仮面を付け何の表情見えない様子から、いずれにせよ彼が操られていることは自明の理であった。【 超魔 】デュカリオン・ハーシスですら彼の配下でしかなかった。
そして、仮面を用いて友人のカッツンやデュカリオン・ハーシスを操る存在は──。
「名乗りが遅くなったね。僕たちは《 カオス・サーカス 》。そしてこの僕が、彼らを束ねる至高の存在──【 異世界王 】シドーレンだ」
シドーレン。
その名にリリスはすぐにピンと来た。
シドーレン。シドー・レン。シドウ・レン。
──四道 蓮。
「キミは……四道だったのか」
「おや。その名で呼ぶということは、君は転生者か。もしかしてアマリリス、君は──鳳なのか?」
「ああ、そうだよ! 四道、全部お前の仕業だったのか……?」
「全部? 一体なんのことだい? 僕は僕なりにこのゲームの世界を楽しんでるだけだよ」
ゲームの世界を楽しんでる?
こいつは何を言っているのか?
だがシドーレンはすぐにリリスの顔を見ながらニヤリと笑う。何やら面白いことを思い付いたようであった。
「まさかアマリリスが鳳だったとはね。実に面白い、どうやら君たちのパーティとうちのメンバーはなにやら因縁があるようだし。
ちょうどいいや……僕がこの世界の神となるための【 最後の儀式 】の相手は君たちにするとしよう──ノエル、エクレア! 始めろ!」
シドーレンの声を聞き、それまで黙って立っていた双子の女神が動き始める。
『これより──神の最終試練である《 英霊の宴 》を開催いたしますわ』
『選ばれし勇者たちよ、神の御前で真の武勇を示すんですの。最も優秀な英雄には、次世代の神となっていただきますの』
次世代の神になる? あのゲームは、そんなシナリオだったかな?
リリスの記憶によると、本来であれば《 英霊の宴 》に招待された時点で、双子の女神により創世魔法具《 オラクルロッド 》を一度だけ使用する権利が与えられる。だがそこにラスボスと化したデュカリオン・ハーシスが次元を切り裂いて乱入してきて、オラクルロッドを奪い取ろうとしてきて、ラストバトルに突入する展開となるのだ。
だが、今回は違う。双子の女神は自分たちに『戦え』と言っている。これは一体──どういう意味なのか。
戸惑うリリスに、シドーレンが愉しそうに語りかける。
「ふふっ、驚いたかい? ここは僕のオリジナル設定なんだ。ようはこれからデスマッチが行われる。勝者に与えられる景品は──鳳なら分かるだろう? 【 オラクルロッド 】だよ」
オラクルロッド。
この世界を改変すべき力。だがむしろ──なぜシドーレンの手にない?
既に双子の女神ノエルとエクレアに指示を出していたことから、リリスはシドーレンが世界を自由に改変する権利──すなわち【 管理者権限 】を、当然のように持っていると思っていた。
だが、彼の発言からはそこまでの力は手に入れていないことが分かる。
双子の女神に指示を出し干渉するくらいの力は持ちながらも、世界を改変するまでの力は持たない。管理者以下……せいぜい現場責任者といったところか。
なるほど、だから彼は″異世界王″と名乗っているのかとリリスは納得する。
ゆえにシドーレンは、完全なる力を手に入れるためオラクルロッドを欲している。管理者権限を手にして──この世界の完全なる神になることが彼の目的なのだとリリスは理解した。
だがリリスとしても簡単にハイそうですかと受け入れるわけにはいかない。例えどうあれ、自分はラティリアーナを蘇えらせると誓ったのだから。
「これはね、僕にとっては最後のエンターテイメントなんだよ。僕はこれから、全力を尽くして″大いなる儀式″を終えて、この世界の神になる。君たちはせいぜい全力でそれを阻止するといい」
「そんなこと……どうでもいい」
「は?」
「四道、ボクはキミの目的なんてどうでもいいんだよ」
リリスの言葉に、シドーレンは明らかに驚きを隠せないようだった。
「お前……僕が憎くないのか? この世界に君たちを転生させたのはこの僕だ。そんな哀れな幼女の姿にしたのは、この僕なんだよ? なのに……」
「興味ないね。ボクは今こうしてこの世界を生きている。ボクはこの世界が好きだ。なぜなら、この世界にはたくさんの仲間がいて、そして──愛する人がいるから」
リリスの言葉に、後ろに控えていたティアやモードレッド、レオルが頷く。
凛として強い瞳で宣言するリリスに、シドーレンは忌々しげに舌打ちをした。整った顔立ちが歪み、邪悪な笑みを浮かべる。目に宿るのは、憎しみの炎。
「そうか……君たちはたとえこんな世界に落とされてもリア充になることができるのか。……くくく。許せない、本当に許せないなぁ。やっぱりもっと酷い転生をさせるか、全部壊しちゃてばよかったよ……あぁそうか、今からでも遅くないか」
「ブツブツ煩いなぁ四道、キミは昔からそうだったよな」
「前世のことを語るなっ!!」
急にキレたシドーレンに、リリスは思わず口をつぐむ。
「……よかろう、これで決まりだ。僕たちの最初の相手は──君たちだ、鳳。そして君たちの血を捧げることで、僕が真の神となるための″最後の儀式″を完成させてやる」
最後の儀式──それが何を意味しているのかリリスには分からない。
ただ、一つだけはっきりしていることはある。
「四道。ボクたちは──キミの思い通りにはさせないよ。大切な人を、蘇らせるためにね」
「ふん、意味がわからんな。まぁいい、ノエル、エクレア! さっさと《 英霊の宴 》を始めろ!」
──ゴォオォォン……。──ゴォオォォン……。
二度の鐘の音が鳴り響き、双子の女神ノエルとエクレアが堂々と宣言する。
『これより──《 英霊の宴 》を開幕いたしますわ』
『最初の御前試合は── 【 紫水晶の薔薇 】 対 【 カオスサーカス 】ですの』
◇◇◇
双子の女神が宣言した瞬間、まるで教会のように荘厳な雰囲気だったこの場が急に歪み始めた。まるで様々な色の粘土を混ぜるかのような一瞬の後、再び目の前に現れたのは──六角形に象られた舞台と、観客席だった。
「これは──闘技場か」
「レオル、知ってるの?」
「うむ、かつて武者修行中に出場してチャンピオンになったことがある。ここで剣闘士や格闘者が一対一で戦い、優劣を競うのだ」
レオルの言葉に、リリスはこれから先の戦いを予感する。どうやら《 英霊の宴 》とは、一対一で戦う決戦であるらしい。
「リリス!」
「鳳くん!」
声をかけられたリリスが上を見ると、ウタルダスとアトリーが身を乗り出していた。どうやら見えない壁のようなものがあって、中には入れないようだ。
無関係者は観客席にいろということか、リリスはそう理解する。
「ふふん、どうやら鳳は察したようだな。そのとおり、僕が用意した《 英霊の宴 》は、一対一で優劣を競う決戦の場だ。さぁ、君たちは僕の仲間と戦うにふさわしい戦士を選ぶといい。
僕たち《 カオスサーカス 》の先鋒は──彼女だ。ランスロットよ、あやつらを成敗してこい」
「はい、承知しました。異世界王」
シドーレンに指名されて舞台に上がってきたのは、モードレッドとよく似た容姿の、黒髪にメイド服の美女。まるで機械のように冷めた目で見つめる先に居るのは──やはりモードレッド。
「マスター。どうやら私がご指名のようなので行ってまいります」
「モードレッド……大丈夫なの?」
リリスの問いかけに、モードレッドは僅かに口元を緩める。何度もリリスに機械的だと言われ、修正してきた彼女なりの作り笑顔。
「あとは──よろしくお願いします、マスター」
だがリリスには、ぎこちないモードレッドの笑顔さえも輝いて見えた。
初めて感じた、モードレッドの感情の欠片──。
そしてこれが──″生体ゴーレム″モードレッドと″千眼の巫女″リリスとの、最後の会話となる。




