53.リリスの本当の気持ち
「ラティリアーナの身体に入っている魂の存在であるキミは……ラスボスだったんだね」
とても真剣な表情でそう問いかけてくるリリス。覚悟のほどが伝わってくる。
……だけどさ、申し訳ないんだけど一つ言っていいかな。
「だから、その”らすぼす”とは何なんですの?」
ずるっ。リリスがずっこける。
「えっ? どういうこと? もしかしてラティってばラスボスの意味知らないの?」
「……知りませんわ。いいかげん意味を教えてもらえませんこと?」
「あーそういうことかー。どうりでピンと来てないわけだ。なんてこったい……これはしくったなぁ……」
こらこら、なに勝手に一人で納得して反省してるんだよ。そんなことはどうでもいいから、さっさと″らすぼす″について教えてくれないかな?
「それじゃあラティ、聞くけどこの名前は知ってる? デュカリオン・ハーシス」
「……知りませんわ。誰ですの?」
「えっ? これも知らないの……?」
そんな驚いた顔されたって、知らないものは知らないよ。聞いたこともない。
「……ね、ねぇラティ。改めて一つ確認したいんだけど、その体に入る前の君は一体誰だったの?」
「それはもちろん……【 断魔 】ですわ」
「断魔は通称だよね? じゃあ本当の名前は?」
本当の名前? 俺の──本名?
実は知らない、と言ったらリリスは驚くだろうか。でもここまで問われて黙っているのはもう無理だな。
「実は……覚えてませんわ」
「ええーーっ?! ほんとに!? いつから?! どこまで覚えてるの!?」
「……この体になる直前の記憶はありますわ。でも、それ以前の記憶はかなり曖昧ですの」
「それって……どうしてそんな大事なことを教えてくれないのさっ!」
いや、だってさー。ラティリアーナ節だとなかなか説明できないじゃん? それにずっと日々生きていくのに必死で、過去を振り返る暇がなかったんだよねぇ。
「はぁ……まぁ仕方ないか。ボクもマンダリン侯爵邸襲撃事件の話を聞いて、ようやくラスボスに関する記憶が解放されたくらいだからね。……あのね、ラティ。君の本当の名前は『デュカリオン・ハーシス』って言うんだよ」
「そう、なんですのね……?」
「ピンと来ない? もしかして魂がはじき出されたときに、記憶がだいぶ吹き飛んじゃったのかなぁ?」
「わたくしも、そうじゃないかと思ってましたわ」
「うーん、そういうものなのかなぁ。それじゃ、これを聞いても驚かないかな? 実はね、デュカリオン・ハーシスはラスボス……つまり、ゲームで世界を滅ぼそうとしていた悪の親玉だったんだよ」
へー、ラスボスってそういう意味だったんだ。しかも俺がそのラスボス…………って、おい。ちょっと待ってくれ。
「はぁ? リリスあなた何言ってますの? わたくしは世界を滅ぼそうなんて考えたこともありませんわよ?」
「だよねー。どちらかといえば世界を救おうとしているよねぇ〜」
「では″ゲームマスター″は、ラスボスである『デュカリオン・ハーシス』を手に入れようとしてたってことですの?」
「うん、たぶんそうだと思う。……中身はここにあるんだけどねぇ?」
なるほど、その話を聞いてようやく合点がいった。なんで″ゲームマスター″が俺の身柄を欲しがってたのかずっと分からなかったんだ。
「それでは、最強の魔法具とは?」
「ゲームだと、ラスボスのデュカリオン・ハーシスは人間離れした存在【 超魔 】となっていた。他のボスと一線を画すくらい強力な攻撃を駆使してきて、まるで神そのもののように変化していたんだ。あー、そういう意味では彼が【 超魔 】となるのに必要な魔法具があるのかもしれないね」
「もしかして、それはこの……《 紫艶の魔導書 》のことですの?」
「うーん、どうなんだろ? でもゲーム中で【 超魔 】デュカリオン・ハーシスの魔法具は一本の剣として描かれてたんだ。だから違うかも?」
あれ、剣なんだ。こっちのは本だからさすがに別物ってことになるよなぁ。
「とはいえ、ラスボスの魂がイベントボスのラティリアーナの中に入ったままなんて……どうなっちゃうんだろうね?」
「そんなこと、わたくしに聞かれても困りますわ」
「だよねー。まぁいいや、この話はもうすこしゆっくりしたときに考えてみるね。どうせ今考えてもわかんないし」
ボリボリと頭を掻きながら、リリスは無理矢理話題を変えてくる。
「それじゃあさ、気を取り直して聞くけど……ラティは《 英霊の宴 》について、どこまで知ってる?」
「宴に招かれたものは、神の栄誉を付され、何でも望みがかなうと伝承で聞いてますわ」
《 英霊の宴 》は、伝承としてよく聞かされる有名なお伽話だ。
この世界で英雄的な活躍をした者たちは、神によって《 英霊の宴 》に招待される。するとそこで神に、望むものを聞かれるんだ。
神は、望みに応じて色々な奇跡を起こす。
あるものは、大金を手に入れ国を興した。
またあるものは、親の仇を討つために一つの国を滅ぼした。
別のあるものは、病で苦しんだ家族を救った。
そして《 英霊の宴 》に招待されたものは″神の使徒″となり、この世に光と栄光をもたらすのだという。
この手の話は、幼い頃からよく読み聞かせられた。
……幼い頃? 俺の幼い頃っていつなんだ? ダメだ。思い出そうとすると、どうしても記憶が曖昧になる……。
そんな俺の異変に気付くことなく、リリスは話を続ける。
「何でも望みが叶う、ねぇ……。当たらずとも遠からずってところかな。本当はね、《 英霊の宴 》に招待されたものには、すべての願いが叶う超神魔法具【 神の錫杖 】が与えられるんだ」
「オラクルタクト……願いを叶えてくれるのは、神ではなくマギアだったんですの?」
「うん、そうだよ。だってラティが知ってる神が、願いなんて叶えてくれると思う?」
俺が知る神といえば、双子の女神ノエルとエクレアくらいだ。確かに超常的な存在ではあったけど、願いを叶えてくれる神とは到底思えない。
「でしょ? これはボクの予想なんだけど、【 神の錫杖 】によって手に入れる能力は──世界を自由に改変できる″管理者権限″じゃないかと考えている。
実際、ゲーム【 ブレイヴ・アンド・イノセンス 】でもラスボスのデュカリオン・ハーシスは『理不尽な世界を変えよう』として、【 神の錫杖 】を手に入れようとするんだよね。その結果、《 英霊の宴 》に乱入してきて最終決戦となるんだ。
デュカリオンはたぶん、【 神の錫杖 】で世界改変をしようとしてたんだと思う」
なんらかの魔法具で神となり、さらには【 神の錫杖 】を手に入れて世界を改変しようとする。それを俺がやろうとしていたなんて、とても信じられないんだよなぁ。
俺の願いは、もっとこう……ささやかなものだ。
「どっちにしろ、デュカリオン・ハーシスは主人公たちに破れて散るんだけどね。【 神の錫杖 】も主人公の手に渡っちゃうし」
「その……主人公たちはそんな強大な力を手に入れて、いったい何をするのかしら?」
「何もしないよ」
「えっ?」
「彼らは何もしないことを選ぶんだ」
リリスの説明によると、【 神の錫杖 】の力は人の手に余ると考えて、その存在を消し去るのだそうだ。ちなみに3人のうち誰を主人公に選んでも同じ結論になるらしい。
まぁその気持ちはわかる。世界なんて皆の手で作り上げていくものだ。ガルムヘイムの街での出来事で、その思いは不動のものとなった。
「ラティは、世界を自分の思い通りにしたい?」
だからリリスにそう聞かれた時も、迷わず答えることができた。
「そんな想いはありませんわ。たぶんわたくしもその──主人公たちと似たような選択をすると思いますの」
「ラティならそうだろうね。だけどラティとは違うことを思ってるヤツもいる。それが……″ゲームマスター″だ」
ゲームマスター。
パパ侯爵に大怪我を負わせ、俺の身体を奪った犯人。
「たぶんゲームマスターは転生者だ。じゃなきゃ自分のことを″ゲームマスター″なんで呼んだりしない」
「リリスには、相手の心当たりはありまして?」
「一人いる。── 四道 蓮だ。あいつは本当に嫌な奴だったんだよなぁ……。陰で悪口を言ったり、悪質ないたずらをしかけて女の先生を泣かせたり。そう考えるとやり口があいつとしか思えないや」
リリスが本当に嫌な顔をしていたから、たぶんそのレンというやつは、相当嫌な奴なんだろう。
「蓮はたぶん、この世界の管理者権限を欲している。この世界を自分好みに改変したいんだろう」
「そんなこと……絶対にさせませんわ」
「だけど、ボクと同じ転生者ってことは、きっとチートを持っている。だとすると相当強い相手になるはずだ。きっと……命をかけての戦いとなる。だけどそれは、本当に必要な戦いなのかな?」
「……それは、どういう意味ですの?」
「だって、ラティには大きな望みはないんでしょう? だったら……ここでリタイヤしてもラティの望む結果は得られる。そう思わないかい?」
「そうは思わないわ」
なぜなら……。
「だって、わたくしには大きな願いがありますもの」
「ラティの……願い?」
脳裏に浮かぶのは、ガルムヘイムの人々の笑顔。そんな平和で平凡な世界を壊した黒死蝶病。
リリスはこれが『仕組まれたもの』である可能性を示唆した。一つの国を滅ぼそうとする仕組みなんていう悪意を、誰が仕込んだかはわからない。だけど俺はもうあんな悲しい出来事を受け入れることはできない。
「ええ。わたくしは誰かの手でこの世界が勝手に変えられることなんて耐えられませんわ。だから、わたくしの願いは……この世界を何者の手も加えられていない状態に戻すことですわ。加えて、わたくしは本来のわたくしに戻り、そしてリリスは本来の世界に戻ることも願ってますわね」
元の身体に戻って、本物のラティリアーナに会いたいな。あと、たくさん世話になったリリスの願いを叶えてあげたい。
そう言ったつもりだったんだけど、口に出たのはそんな言葉だった。
「ラティ……」
「ですから、わたくしは《 英霊の宴 》を目指しますわ。わたくしを助けてくれたリリスが、元の世界に戻れるように、今度はわたくしが力を貸す番ですの。それに……アーダベルト様にも借りは返さないと」
「アーダベルトに?」
「ええ。ですからわたくしは、彼が望むのであれば……彼と戦いますわ。ですが、わたくし一人ではそれもできません」
俺は、リリスの目をじっと見つめる。
「ですからリリス、わたくしに力を貸してくださいませんか。わたくしには、あなたが必要なんですの」
「なんだよそれ、そんなの……ずるいよバカ……」
ずるい?
何がずるいんだろうか。
だけどリリスはなにも答えない。代わりに彼女の口から飛び出したのは──。
「んもう、わかったよ! ラティはボクがいないとダメだからね!」
「ええ、あなたがいてくれないと困りますわ」
「仕方ないなぁ……そのかわり一個約束して。絶対に無茶しないで」
うーん、無茶してる自覚はないから不本意だけど、確かに黒死蝶病の蔓延した湖に飛び込んだ前例があるからなぁ……。
「わかりましたわ、約束します」
そう言うと、リリスは泣き笑いみたいな表情になって右手を差し出してきた。俺はその手をしっかりと握りしめたんだ。
◆
ラティリアーナが立ち去ったあと、部屋で一人、リリスは彼女と握手を交わした右手を見つめていた。リリスの頬を、一雫の涙がこぼれ落ちる。
「ラティのバカっ……なんでボクの気持ちに気付いてくれないかな」
これまでの人生で、こんなにも誰かを想ったことはなかった。これほどまでに、一人の人が大切だと想ったことはなかった。
それを──恋だ愛だと言葉にするのは簡単だ。だがリリスはこの気持ちを、そんな陳腐な言葉で形にしたくはなかった。
ただただ、ラティリアーナが大切だった。気付いた時には、他に変えがたい存在になって心の中に住み着いていた。
強気な言葉、強気な態度。その裏に見え隠れする優しさ、思いやり。その全てが、大好きだった。
だからリリスは、ラティリアーナをどんな手を使っても守りたかった。
だがゲームにおいてラティリアーナは敵だ。しかもその行いは極悪非道極まりない。悪役令嬢と呼ぶに相応しいイベントボスたった。
彼女はボスとして獣人の国を滅ぼし、さらには獅子王レオルですら最終的にはラティリアーナに倒されていた。
実はそれらが主人公アーダベルトや美虎が最終決戦に至る動機にもなっており、ラティリアーナとの決戦の最後には、散りゆくラティリアーナに対して獣人やレオルに祈りを捧げる美虎のスチール写真があったくらいだ。
ラティリアーナが、散る。そんな未来、リリスには絶対に受け入れることは出来なかった。
「ボクが命を賭けて黒死蝶病と闘ったのだって、キミの運命を変えるためだったのにさ……」
リリスは必死になって黒死蝶病の治療方法を探した。それは、ラティリアーナが関わる以上絶対にガルムヘイムを滅ぼしたくなかったから。
でも、できれば関わらないで欲しかった。関わる以上、なんらかの関係性が生まれる。それがどうしても運命の導きのように思えて仕方がなかった。
「なのにキミはいつも運命の渦中へ飛び込んでいくんだよね……ボクの想いなんて気付かずにね」
事実、ラティリアーナは運命に巻き込まれながらも自らの力で切り開いてきた。
ガルムヘイムの街を救い、あまつさえレオルまでも味方につけた。
だけど……本当にすべての運命を切り開くことはできるのか。運命を司る双子の女神の出現で、リリスの不安はさらに強まる。運命の強制的なシナリオへの干渉は起こりえないのか。
それこそが、リリスの抱える不安。
「ボクは……ボクは元に戻りたくなんかない! そんなこと望んでなんかない!」
そう、リリスの真の望みは──。
「ボクはっ……キミに死んで欲しくないんだよ!」
運命に従えば、ラティリアーナは次の《 運命の戦い 》でアーダベルトに敗れる。それは、彼女の死を意味していた。
相手が他の人物であればそこまで不安にはならなかったかもしれない。だが相手はよりにもよってアーダベルト。またしてもゲームのシナリオ通り。
それでも──とリリスは思う。
ラティリアーナは運命を切り開いてきた。そのために、自分はあらゆる手を尽くしてきたじゃないか。
今回もそうだ。
どんなことがあろうと、自分の手でラティリアーナを守れば良いだけなのだ。
たしかにリリスはラティリアーナを止めることはできなかった。でも本当はそんなこととっくに分かっていた。
なぜなら──リリスが好きになったのは、そんな彼女だったのだから。
「運命なんてクソ喰らえだ!」
リリスはそっと涙を拭う。
涙の下から現れたのは、覚悟を決めたものの表情。
「ボクは絶対にキミを……守ってみせる」
◆◆
俺たちは翌日から決戦に向けた準備を行うこととなった。
リリスはふてくされた顔をしていたけど、どうやら受け入れてくれたみたいだ。リタイヤしろと言ってきた時はどうしようかと思ったけど、機嫌を直してくれたみたいでよかったよ。
”ゲームマスター”によって元に戻った俺の肉体がどうなったのか。そもそも”ゲームマスター”とは何者なのか。加えてモードレットに似た女性や、ラッキーラの存在等、気になることはたくさんある。
だけど、目の前にある戦いを勝ち残らなければ先は無いのだ。いろいろ考えても仕方がない。
決戦を迎えるまでの間、情報ボードによって様々な情報がもたらされた。その中にはかなり衝撃的な内容があった。
〈 System Message 〉宿命の戦い、第二弾は…… 《 愚者の鼓笛隊 》 対 《 聖十字団 》に決まりました!
どうやらウタルダスたちは、運命の戦いの相手をスレイヤード率いる《 聖十字団 》に決めたらしい。元々なにやら因縁があったみたいなので、これは予想された組み合わせでもあった。
ちなみに彼らの決戦の日は、こちらと同日。つまりこちらの戦況が決まった時にはあちらの状況も決しているということだ。
正直、どちらが勝つのかは分からない。
スレイヤードの『概念を切る』という能力は極めて有能で、黒死蝶病事件の際には俺も命を救われている。一方でウタルダスは、五つの魔法具を無条件で使用できるという規格外の能力を得ている。実際時を止める【 クロノ・ダイヴァー 】は超強力で、双子の女神が発動した女神魔法すらも打ち消す力を持っていた。
彼らのパーティメンバーだって強力だ。ガルムヘイムを救う際に能力の一端を見たけれど、さすがSランクチームの一員だけあって、全員が全員並みの実力者ではない。
ただ、それでも俺は……ウタルダスたちが勝つんじゃないかと思っている。一番の要因は、彼のチームに転生者であるアトリーがいることだ。
リリスを例にとっても、転生者のチート能力は計り知れない。紙一重の差かもしれないけど、最後にはそういうところが勝負を左右するのではないだろうか。
その後、さらに驚くべき情報が飛び込んできたのは、決戦の前日だった。
〈 System Message 〉宿命の戦い、第三弾は…… 《 竜殺者戦士隊 》 対 《 カオス・サーカス 》に決まりました!
──カオス・サーカス。
もちろん、聞き覚えのないチーム名だ。おそらくはパパ侯爵を襲って俺の肉体を奪ったやつらのチームに間違いないだろう。
彼らの決戦の日も、俺たちと同日に決まった。ただ、開始時間は少しだけ早いみたいだ。
とはいえ、俺たちの戦いが始まる前に決着がつくことはないだろう。気にしている暇はない。
《 竜殺者戦士隊 》だって超一流の冒険者チームだ。隊長のグレイブニルはかつてレオルと互角にやりあったほどの戦闘力の持ち主だし、バッカスだって俺が勝ったとはいえ、あのときは油断を引き出した結果でもある。なんとか一矢報いてほしいものだと思う。
一日一日、チームプレイを確認しながらトレーニングをしていると、あっというまに過ぎて行く。
そしていよいよ──対決の日を迎えたんだ。




