52.取り巻く想い
アーダベルトからの、まさかの宣戦布告。
なんてこったい、こいつは完全に予想外だった。……い、いかん。動揺を悟られないように、何か言わないと。
「なぜ……わたくしたちですの?」
「僕はもうこれ以上あなたに戦ってほしくないんだ」
アーダベルトの口から出たのは、パパ侯爵と同じ言葉。とはいえ、戦って欲しくないのに戦いを挑むとは、いったいどういう了見なんだか。
「ラティリアーナ、あなたはお父上を襲撃した犯人と戦うつもりですよね?」
「ええ、もちろんですわ」
「……やっぱり。たぶんあなたも気づいていると思うけど、相手はSランク級の実力の持ち主で、しかも……僕らと同じ【 資格者 】だ。いずれ戦う機会はあるかもしれない。だけど彼らは、治癒魔法を受け付けない呪いを使ったりと、未知の能力を持っている。相手にするにはとても危険だ」
「そんなこと承知ですわ」
「たとえ君が承知してても、僕は受け入れることができない」
「それは……わたくしがあなたの元婚約者だからですの? もしそうでしたら、お気遣いは不要──」
「違うっ!」
急に大声を出すアーダベルト。なんだよ、びっくりするじゃんか。
「僕は、君にこれ以上危険な目にあってほしくない。それは、君のことが大切だからだ」
「……はい?」
思わず怪訝な顔をしてしまう。だけど俺のことなどお構いなしにアーダベルトは話を続ける。
「ラティリアーナも知っての通り、僕は幼い時に母親を亡くしている。母は、本当に心優しくて強い人だった。だけど……病気には勝てなかった」
いや、そんな話初めて聞いたんだけど。とはいえ話の腰を折るとめんどくさそうだから適当に頷いておく。
「母が亡くなってから、僕は会う女性に母の面影を求めていたのかもしれない。だけど、僕に近寄ってくる女性は、みんな僕のことなんて見てくれなかった。ただ、僕の外見と貴族の肩書きを見ていただけだった。父も、僕をなるべく良い条件の相手と結婚させることしか考えていなかった。僕は……ただの見た目の良い、伯爵家を絶やさないためだけの道具でしかなかったんだ」
「は、はぁ……」
「だから、あなたと婚約することになった時も何の感情も持ってなかった。自分の気持ちを押し殺して、ただ契約として受け入れることにした。それが……自分の存在意義だと思ってたから」
「へ、へぇ……」
「舞夢がミスで売られそうになったとき、僕が受け入れようと思ったのは、あの子が自分の意志と無関係に翻弄されるのが見てられなかったからだ。僕みたいな不幸な存在は、せめて僕の手が届く範囲ではこれ以上増やしたくない。そう思って引き取りを申し出たんだ。お金もろくになかったのにね」
……ふぅん、そんな事情があったんだ。こいつもずいぶんいろいろと苦労していたんだな。
「だから、かつて君に対して冷たい態度をとっていたのは否定しない。そこは謝る。申し訳なかった、僕が未熟だった。何も知らないワガママな子供だったんだ」
「そんなこと……気にしてませんわ」
「だけどあなたと会って、話して、僕は衝撃を受けた。君は自分の力で欲しいものを獲得しようと努力した。実際、僕と戦って舞夢を勝ち取った。僕は、君の存在に勇気づけられたんだ」
「はぁ……そ、そうですの」
「今の僕があるのは、君のおかげだ。すごく感謝してる。でも……ここから先は話が別だ」
ぐいっと、アーダベルトが遠慮なく顔を近寄せてくる。ちょっとちょっと、近いって!
「この前の黒死蝶病の一件で、僕は痛感した。君が僕にとって、いかに大切な存在かってね。実際、君が湖に飛び込んだ時は本当に肝が冷えたよ」
あぁ、あのときのことね。たしかに無我夢中だったからなぁ。終わった後でリリスやティアに相当怒られたり泣かれたりしたし。
……って、こいつ今さらっと凄いこと言わなかったか?
「ふふっ、君はいつもそうだね。僕がどんな態度を取っても変わらない。そんな君に僕は、心の底から惹かれていたんだ」
「……ええっ?」
「ラティリアーナ。僕は君を……愛している」
がばっ!
体全体を包み込む、暖かい存在。どうやら俺はアーダベルトに抱きしめられられたらしい。
……だけど意外と不快な思いはない。それはたぶん、俺の中にいるラティリアーナがそう感じているからだろうか。
とはいえこのまま抱きしめられてるわけにはいかない。下手すりゃ貞操の危機だもんな。
やさしくアーダベルトの腕をつかむと、そのまま体を引き離す。
「……すまない、ラティリアーナ。つい……」
「お、お気になさる必要はございませんわ」
「ありがとう。だけど僕の気持ちは本当だ。これ以上君に傷ついて欲しくない。君の冒険は、これで終わりにしてほしいんだ」
「……」
「僕は君の前に立ち塞がり、君の冒険をここで終わらせる。だけど僕が代わりに必ず犯人を成敗する。だから……君はもうここで、歩みを止めてくれないか?」
なるほど、そういう意味だったのか。
こいつはこいつなりにいろいろ考えて、俺が先に進むのを止めたかったんだな。だから俺の前に立ちはだかろうとしている。その気持ちは悪くは感じない。むしろ嬉しい。だけど……。
「アーダベルト様、そんなこと……わたくしは受け入れられませんわ」
「だろうね。そんな君だからこそ僕は惹かれたんだよ。ではラティリアーナ、改めて──僕は君に正式に決闘を申し込む」
アーダベルトがこちらに向かって放り投げてきたのは、一輪の薔薇。
見間違えようがない。これは── 『薔薇のお茶会』への誘い。アーダベルトが俺に決闘を挑んできた証拠。
「……このことは、あなたのメンバーは知ってますの? それとも、あなたの思い付き?」
「もちろん知っているよ。例の黒い手紙が届いてから、何度も話し合ってきた。これは僕たち一同の共通した意見さ。君は……みんなから愛されているんだよ」
「ルクセマリア王女は構いませんの? あなたのパーティメンバーですのよ?」
「もちろん、彼女のことは僕たちが守る。だけど君は……特別なんだ」
特別っていう意味ではルクセマリア王女のほうがよっぽど特別な存在だと思うんだけど。だって相手は王女様だよ? こちとら一介の侯爵令嬢ですぜ? だけどその疑問には答えず、アーダベルトは言葉を続ける。
「ラティリアーナ。もし僕が負けたら、君の好きにすればいい。だけどもし僕が勝ったら……僕と結婚して欲しいんだ」
「んなっ!?」
こ、ここでまさかのプロポーズかよっ!? 思わずどきんと胸が高鳴る。
これは……どう答えたらいいんだ? だけど答えに想いを馳せるよりも先に、目の前に突如例の黒い”情報ボード”が表示される。
〈 System Message 〉この戦いは承認されました。
〈 System Message 〉運命の戦い──第一戦は《 紫水晶の薔薇 》 対 《 自由への旅団 》になります!
この瞬間、アーダベルトたち《 自由への旅団 》との決闘が、有無を言わさず承認されてしまったんだ。
◇◇
俺たちがアーダベルト一行と決戦するという情報は、どうやらチームメンバー全員に通達されていたらしい。さすが女神が発信する情報ボードだ。なんて余計なことをしてくれる。
バルコニーからみんなが待機している部屋に戻った俺の前に、激怒の表情を浮かべ仁王立ちするリリスの姿があった。
「ラティのバカ! バカっ! なんで勝手に戦いを承認しちゃうんだよ!!」
「マスター、落ち着いてください。血圧が上がっています」
「まぁリリスが怒るのもわかります。お姉様、なぜ彼らが相手なのですか?」
いや、なんというか急にプロポーズされた結果……なんて口が裂けても言えないよなぁ。
「……やむを得ない結果ですわ」
「やむを得ないだぁ!? ラティ、キミは──」
「まぁ少し落ち着けリリス。そもそも《 英霊の宴 》を目指す我らとしては相手が誰だろうと特に問題ないのではないか?そもそもアーダベルトたち一行はお主らと旧知の仲、ある意味で一番与しやすい相手であろう。もっとも、オレは相手が誰だろうと関係ないけどな」
「脳筋レオルの意見なんて聞いてないよ!」
おいおいリリス、獅子王に対してそんな暴言吐いて大丈夫なこか?
「ボクはね、そんなことを言ってるんじゃないよ! よりによって……なんでアーダベルトなんだよ!」
「だからそれは……なりゆきですわ」
「成り行きで勝手に受けないでよ! ねぇ、今からでもキャンセルできないかな?」
いやいや、さすがにそれは無理じゃない? 女神の”情報ボード”にも発表されちゃったしさ。
「勝負は一週間以内と表示されましたわ。ですのでアーダベルト様とは期限の最終日に決戦することを決めましたの」
「んもう……ラティのばかっ!」
顔を真っ赤にしてプンプン怒るリリス。しかしなんでこいつはこんなにも嫌がってるんだろうか、理由がわからない。
なんでだ? なんでこうもアーダベルトと戦うことを嫌がる?
「そ、それは……相性の問題だよ」
「相性? わたくしとアーダベルトでは分が悪いと?」
「でもお姉様はアーダベルトと一度決闘を行って勝っているのですよね?」
ティアの言う通り、俺はかつて一度あいつに勝っている。相性という意味では、手も足も出なかったウタルダスよりはまだ勝てる見込みがありそうだ。
だけどリリスは顔を真っ赤にしたまま「もう知らない!」と吐き捨てると、そのまま部屋を飛び出していったんだ。
「……ふん、手間のかかることだ。ここは少しオレに任せてもらおう」
部屋に残されて茫然としていた俺にそう声をかけてきたのは、意外にもレオルだった。あんまりこういう人間関係のいざこざには口を出すタイプに見えなかったから、ちょっと驚く。
「そう……ではお願いしてもよいかしら?」
「うむ。ただオレは気の利いたことはあんまり言えないから、期待はしないでくれよ」
ねえねえ、そこは嘘でもいいから「任せとけ!」くらい気の利いたことを言ってくれないかなぁ?
◆◆
「んもう、ラティのばかっ! 人の気も知らないでさ……」
部屋を飛び出したリリスは、一人王城の庭を散策していた。ぶつぶつとラティリアーナの文句を言いながら、近くに見えた噴水のそばに腰を下ろす。
リリスはここ数日、ずっと浮かない顔をしていた。その理由をラティリアーナに秘密にしていることが、心の大きなわだかまりとなっていることに、リリス自身は気付いていない。ただ結果として、彼女の中で溜まっていたものが一気に噴き出してしまっていた。
「はぁ……ボクはいったいなにやってるんだろう」
空を見上げると視界に入るじゃがいも月が、否が応でもここが異世界であることを痛感させる。居たたまれなくなって下ろした視線の先に、月明かりを浴びて金色に輝く毛並みを見つけた。
「レオル……」
「リリスよ、こんなところにいたのか」
レオルが来たことに、リリスは少し驚きを感じていた。来るとすればラティリアーナかモードレットだと思っていたからだ。
「まさかあなたが来るとはね。別にボクを慰めに来たわけじゃないんでしょう?」
「……おぬしに聞きたいことがあってな」
「ボクに? いったいなんだろう」
「リリスよ、おぬしはなぜ本当のことをラティリアーナに言わない? ”千眼の巫女”であるおぬしには何かが見えているのだろう?」
レオルの問いかけに、リリスは暗い表情のまま視線を下に落とす。そうか──彼は気付いていたのか。若干の観念と、少しの安堵から、リリスは頷きながら隠し通していた秘密を口にする。
「……見えてるってわけじゃないよ。ただ、知ってるんだ」
「知っている?」
「うん。ボクはね、未来を少し知っている。ただそれは漠然としたもので、必ずしもボクが知る未来の通りになっているわけじゃない。だけどその世界で……ラティリアーナにこの先不幸が降りかかるんだ」
リリスが避けたかった未来。それは、ラティリアーナに襲いかかるであろう″イベントボスとしての宿命″。
もしシナリオ通りに物事が進むとするのであれば、ラティリアーナはここで退場となるだろう。そのことを、リリスはずっと恐れていたのだ。
必ずしも未来はリリスの知る通りにはなっていない。ガルムヘイムが滅びることなく、ラティリアーナはこうしてパーティのリーダーとしてSランク冒険者の仲間入りを果たした。
──そう、ゲームの世界でラティリアーナはガルムヘイムを滅ぼしてさえいたのだ。
ゲーム上で明確にラティリアーナがガルムヘイムを滅ぼす描写があったわけではない。ただ『ラティリアーナが獣人の国を滅ぼした』という設定があっただけだ。だからリリスはラティリアーナのガルムヘイム行きに強く反対したのだ。
しかし今回、結果としてラティリアーナは獣人の国を救った。おそらくそれは運命を覆す出来事だったのだろう。事実、わざわざ双子の女神が出現して『シークレットミッションクリア』を宣言したくらいだ。
自分たちが関与しなければ、ラティリアーナが滅ぼそうが滅ぼすまいが間違いなくガルムヘイムは滅びていただろう。……運命の導くままに。
もしかしてこの世界には、ゲームの流れの通りに導こうとする何かがあるのではないか。それらは『シークレットミッション』としてあちこちに組み込まれ、運命として避けられないイベントとなっているのではないか。
その考えが、リリスの脳裏にこびりついてどうしても離れなかった。
事実、結果としてガルムヘイムの件以外の運命は収束されている。メンバーの組み合わせはバラバラだけど、所定のメンバーは《 英霊の宴 》を目指している。この事実がリリスの不安の根源にあった。
だから、ここで相手がアーダベルトというのが、どうしてもリリスに不安な気持ちを呼び起こすのだ。
これまでラティリアーナは、自分の力で運命を切り開いてきた。
だが、この先も切り開いてゆけるという保証はない。もしかしたら、ここで運命を元に戻すかのような大きな力──″運命の揺り戻し″が起こってしまうのではないか。
底知れぬ恐怖が全身を包み込み、リリスは思わず自らの両肩を抱きしめる。そんな彼女に、レオルはニヤリと笑いながら言葉を投げかける。
「では、守ればよいのではないか? オレはラティリアーナを守るつもりでいるぞ?」
「……簡単に言ってくれるね。相手は運命だよ?」
「運命は切り開くものだろう? オレはお前たちにそう教わったんだがな」
レオルの言葉に、リリスは苦笑いを浮かべる。
「……そうだね。わかったよレオル、ボクも覚悟を決めたよ。それじゃあボクはボクなりのやり方で……ラティと話をするね」
◆◆
次の日。俺はリリスに呼び出されて城内の個室に来ていた。ちなみに呼び出しの伝言を伝えてくれたのはレオルだ。レオル、あんたついにリリスのパシリになっちまったのかよ。
……なんて下らないことを考えながらも、俺は緊張を隠せずにいる。なんか呼び出しとかって落ち着かないんだよねぇ。
「あぁ、来たねラティ。それじゃあこれから大事な話を始めようか」
部屋で待っていたリリスは、ずいぶんスッキリとした表情を浮かべていた。最近ずっと眉間にしわを寄せている顔ばかり見てたから、ちょっとだけ安心する。
もしかしてレオルが的確なアドバイスでもしてくれたのかな? あの、明らかに脳筋にしか見えないレオルが? 本当に?
「キミにはちゃんと言ってなかったけど、この前の一連の出来事を経て、実はボクは前世の記憶をほとんど取り戻してるんだ」
「……なんですって?」
「少なくとも、この世界の元となっているゲーム『ブレイブ・アンド・イノセンス』の内容は思い出した」
リリスの口から飛び出した、思いがけない言葉。
「記憶を取り戻してから、ずっと悩んでたんだ。このことをキミに問うべきかって。だけど……このまま黙ってても先に進まないことも分かってる。だから聞くよ」
真顔のリリスは、俺の目をじっと見つめながら、まるで瞳の奥を探るようにこう口にしたんだ。
「ラティ。君は……君は、ラスボスだったんだね」




