51.運命の相手
聞き覚えのある鐘の音。これは──双子の女神が登場した時と同じだ。
だけど今回は、前回とは異なり”時の制止”は発生していない。替わりに、中空になにやら黒い板のようなものが出現する。
「これは……情報ボード!」
どうやらこの黒い板の正体に気づいたらしいリリス。その名前が表す通り、″情報ボード″にはなにやら白い文字が浮き上がってくる。
〈 System Message 〉お待たせいたしました!
〈 System Message 〉たった今、シナリオ実行に関するすべての条件が整いました。
〈 System Message 〉これより、最終シナリオ《 英霊の宴 》に参加するための強制イベント──《 運命の戦い 》を開始します!
つい先ほど、条件が整った? これはどういう意味だろうか……。
ただ、《 運命の戦い 》についてはリリスから既に聞いていた。なんでもあいつが知るゲームとやらでは、《 英霊の宴 》に参加する前に、どの主人公でも必ず《 運命の戦い 》というのが用意されているのだとか。
運命の戦い──それはすなわち、宿命の相手との最終決戦だ。
所定の相手──リリスの言葉を借りると”イベントボス”は、主人公別に分かれているらしい。
たとえばアーダベルトを選択した場合の相手が、この俺こと『悪役令嬢 ラティリアーナ・マンダリン』。
ウタルダスを選択した場合が『死の道化師 ラッキーラ・シャンバル』。
あと、テイレシア……ティアを選択した場合が『魔界獣 アンティラキラ・ビースト』。
ちなみにラッキーラと魔界獣とやらについてはまったく知らないし聞いたこともない。あと、レオルもあれだけ強いのにイベントボスではない。リリス曰く、なんでもシナリオの途中にアクシデントがあって退場するのだそうだ。あんだけ強いのにアクシデントって……。
まぁ色々とありそうなイベントボスなんだけど、アーダベルトの”運命の相手”は特別だ。なにせこの俺本人なのだから。
以前リリスに聞いたことがある。
「もしわたくしが本当に″イベントボス″なのだとしたら、わたくしは誰かの前に立ちふさがる必要があるのかしら?」
するとリリスは苦笑いしながらこう答えた。
「ラティはもう”運命を切り開いて”いる。だから関係ないはずだよ」と。
……だとすると、今回の俺たちの”運命の相手”はいったい誰になるのだろうか。
目の前の黒い画面から文字が消え、新たな文字が浮き出てくる。判を押したような無機質な文字は、冷酷ささえ感じさせながら、驚くべき情報を俺たちにもたらした。
〈 System Message 〉なお、最終シナリオ《 英霊の宴 》に参加できるチーム数は″3″です。
〈 System Message 〉それではこれから【 参加資格 】を持つチームによる、3枠の権利を争う争奪戦を開始します。
〈 System Message 〉それぞれが自身の”運命の相手”を見つけて決戦を行い、参加権利を獲得してください。
「こ、これは……」
リリスが絶句するのも無理はない。なにせ《 英霊の宴 》に参加することができるチームは”3つ”しかないと、今回初めて明示されたのだから。
ところが【 参加資格 】を持つチーム──すなわちSランク冒険者チームは、現時点で俺たちが知る限り5チームある。
1.俺たち《 紫水晶の薔薇 》一行
2.アーダベルト率いる《 自由への旅団 》
3.ウタルダス・レスターシュミットの《 愚者の鼓笛隊 》
4.スレイヤード・ブレイブスたち《 聖十字団 》
5.グレイブニル・サンダースが隊長を務める《 竜殺者戦士隊 》
つまりこれは……「Sランク同士の潰し合いだな」レオルが嬉しそうににやりと笑う。どうやら神様は何としても俺たち同士で戦わせたいらしい。
とはいえ、どうしてもチーム数が足りない。5チームしかいないので1チームあぶれてしまうのだ。これじゃあ《 運命の戦い 》もへったくれもないよな?
だけどこの懸念は、ガルムヘイムの街に戻ってすぐに解明することとなる。
──それも、最悪のニュースとセットで。
◇
「……お父様が、重症?」
ガルムヘイムに戻ったとき、真っ青な顔をした舞夢に伝えられたのは、王都ヴァーミリアにあるマンダリン侯爵邸が何者かによって襲撃され、焼失したという衝撃的な情報であった。しかも襲撃の際にパパ侯爵も重傷を負ってしまったらしい。
この情報は、俺たちより一足先に王都に戻っていたアーダベルト達一行から舞夢宛に、特殊な伝令魔法によってもたらされた。だから嘘はないだろう。
「ラティリアーナ殿。ガルムヘイムはもう大丈夫だバウ。すぐに戻るバウ!」
「舞夢ちゃんも聖獣の血が覚醒し始めていて、少しであれば治癒魔法が使えるみゃあ! 一緒に急いで戻るみゃあ!」
獣王・邪雁と聖獣・江来座さんに促され、息着く間もなく俺たちはイシュタル王国の王都ヴァーミリアへとすぐに戻ることとなったんだ。
◇◇
短い期間とはいえ、”ラティリアーナ”となってから一番長い時間を過ごしてきた場所が、完全に焼失していた。夜を徹して駆けつけた王都ヴァーミリアで、俺は信じられない光景を目の当たりにしていた。
「ラティリアーナ……すまない。異変に気付いた僕たちも急いで駆けつけたんだけど……間に合わなかった。もう賊たちは逃げたあとだったんだ」
「……」
心配して王都の入り口付近まで迎えに来てくれたアーダベルトが、優しげに声をかけてくれる。だけどその声もあまり耳に入ってこない。それくらい俺は茫然自失していたようだ。自分でも信じられないくらい大きなショックを受けていたんだ。
返事を返さない俺を見かねて、今度はルクセマリア王女が教えてくれた。マンダリン侯爵は酷い怪我を負って、王城の一室で治療を受けていること。国王アレス四世が焼け出されたマンダリン侯爵邸の人々を王城に避難させてくれたことを。
「ラティリアーナ、侯爵にお会いになる?」
「……ええ。お願いしますわ、ルクセマリア王女」
ルクセマリアたちに案内された王城の一角にある豪華な部屋で、パパ侯爵は全身包帯まみれになって寝かされていた。この場にいるのはルクセマリア王女以外は、俺とリリス、それに舞夢だけにしてもらっている。
今回の襲撃で幸いにも死者は出ていないものの、パパ侯爵含めけが人は多数。しかも厄介なのが、なぜか全員”治癒魔法”を一切受け付けないことだ。
「なんだこれは……状態が【 呪い:治癒不可 】になってる。こんな状態初めて見たよ」
「リリス様、マイムの治癒も受け付けませんワン。これでは……侯爵様が本来持つ回復力を信じるしかないですワン」
聖獣の血に目覚めて治癒魔法を使えるようになった舞夢にも完全にお手上げの状態らしい。どうやったらこんな悪意に満ちた呪いをかけられるんだ?
「事態を重く見た国王陛下の命令によって、騎士団による犯人の捜索は今も行われているわ。だけど犯人の行方は現時点でも掴めていないの。ただ、犯人は四人から五人くらいの集団であったという情報があったわ」
4人ないし5人。マンダリン侯爵はかつては名をはせた一流の冒険者だ。老いて太ったとはいえ、相手がただの賊であれば歯牙にもかけないだろう。それがこうも一方的に痛めつけられるなんて……。
「……おお、ラティリアーナか?」
「お父様!」
俺たちの気配を感じてか、目を覚ましたパパ侯爵がこちらを見て嬉しそうに目を細める。よかったー、なんとか目を覚ましてくれたよ。
「帰ってきたのか、どうやら夢ではないみたいじゃな……痛たたっ」
「無理をなさらないでください、お父様。お身体に触りますわ」
「わしのことなら大丈夫じゃ。こう見えても元いっぱしの冒険者じゃ、そんなにやわな体力はしとらんよ。……それよりラティリアーナよ、お前に伝えなければいけないことがある。館を襲った犯人たちについてじゃ」
パパ侯爵の目に強い光が宿る。とりあえず今は心配よりもパパ侯爵の話を聞くことにした方がよさそうだ。
「今回の犯人は、10歳くらいの仮面を付けた少年をリーダーとした4人組じゃ。一人は、モードレット殿によく似た顔の黒髪の女性。一人は、道化師姿の怪人……ラッキーラと呼ばれておったな。そして最後の一人が、髑髏顔の男。あれはアンデッドじゃろうか。──あぁ、リーダー格の少年は『ゲームマスター』と呼ばれておったな」
「……なんですって?」
俺は思わずリリスの顔を見た。リリスも同じようにこちらを見ている。
パパ侯爵の話を聞いて、すぐに思いついたのは──リリスと同じ”転生者”だ。転生者はチートと呼ばれる強力な固有能力を持っていることが多い。おそらくパパ侯爵の治癒しない傷なども、この″ゲームマスター″と呼ばれている転生者の仕業ではないだろうか。
ただ、他のメンバーについても気になることは多い。モードレットに似た女性、ということは彼女と同じ生体ゴーレムだろうか?
ラッキーラの名前は《 運命の戦い 》のウタルダスのイベントボスということで聞いたことがあったけど、ここで初めての登場となる。
最後の一人、骸骨は……なんだろう、無性に嫌な予感がする。
「賊たちが我が家を襲撃したのには二つの目的があったようじゃ。一つは、お前の命の恩人である”断魔”様の身柄の確保。そしてもう一つは『彼をラスボスたらしめる究極の魔法具』を手に入れるため、じゃと言っておった。……ちなみにこの言葉の意味はわしにはよくわからぬ」
彼を″らすぼす″たらしめる魔法具? 確かに意味不明だ。ってかそもそもらすぼすってなんだ? 名前か? 俺の名前はそんなのだったっけ? ……うーん、思い出せない……。
正直なぜ″ゲームマスター″が、断魔──すなわちこの俺の身柄を狙ったのかは分からない。
だけど、リリスは違っていた。愕然とした表情、これは……もしかして、何か気づいたのか? とりあえずあとで聞いてみるとしよう。
「犯人のことはわかりましたわ。ルクセマリア王女、手配をお願いできまして?」
「ええ、わかったわ。すぐに国王陛下にお伝えするわね」
ルクセマリア王女が部屋から出て行く間、パパ侯爵の手を握ってみる。するとパパ侯爵は嬉しそうな笑顔を浮かべた。これでちょっとでも元気になってくれたら良いな……と思ってたら、調子に乗って頬でスリスリしてきたので強引に手を引き抜く。
「お父様?」
「オ、オホン!……とはいえラティリアーナよ、一つ朗報がある。リーダー格の少年がなんらかの魔術を使ったとたん、断魔様は石から元の人間に戻ったんじゃ」
「……えっ?」
いやいや、それ朗報ってレベルの話じゃないだろ!?
だってさ、これまでどうやっても元に戻らなかったんだよ? 半ば諦めてラティリアーナの身体を受け入れ始めたっていうのに……。
あれ? でもさ、なんか変じゃないか?
だってさ、身体は元に戻ったんだよね? なのになんで俺はこのままなんだ? 俺が身体に戻らなかったら″断魔″の中身は空っぽじゃない?
もしそうじゃないとすると──今現在の断魔の中身はどうなっているんだ?
「形はどうあれ、断魔様は元に戻られた。それはつまり、お前の目的の一つは達成されたのではないか? であればラティリアーナよ、わしはもうお前には無理しないでほしいんじゃ」
「それは……」
パパ侯爵の切実な願い。きっと彼からすると、ラティリアーナはやはり可愛い一人娘なんだろう。ちくりと、胸の奥が痛む。
ごめん、だけどもう俺は色々と知りすぎてしまった。もはや後戻りはできないんだ。
とはいえ、その想いを口にすることはない。そんなことしたらパパ侯爵の病状が悪化しそうだしね。
「……ラティリアーナよ。わしには今回の一件が、なにかよからぬことが起こる前兆のように思えてならぬ。お前はわしにとっては大事な娘じゃ。決してわしの仇を取ろうなど思わないでほしい。くれぐれも……無茶はするなよ」
最後にそれだけ言い残すと、結局何一つ疑問は解けないまま、力尽きたパパ侯爵は再び目を閉じて眠りについてしまったんだ。
◇◇
冷たい風が優しく頬を撫でる。
住む家を失った俺たちは、国王陛下の好意で王城に泊めてもらうことになっていた。ここは城の一角にある街を見渡せるバルコニーだ。
薄い衣一枚で夜風を浴びると、熱くなった頭がゆっくりと冷めてゆく。パパ侯爵は舞夢にお願いしている。彼女がそばについてくれるのであれば安心だろう。
冷静になった頭で、とりあえず現状を整理することにする。本当はリリスといろいろ話をしたかったんだけど、「ごめん、頭の中を整理したいから少し時間をもらえないかな?」って言われて断られたせいでもある。
俺は今回のマンダリン侯爵邸襲撃事件の発端が、双子の女神が言っていた《 強制シナリオ 》の発動にあるとほぼ確信していた。
この強制シナリオは、三つしかない《 英霊の宴 》への参加資格を争うものだ。そしてこのタイミングで双子の女神から届いたメッセージが『条件が整ったので、運命の戦いを開始する』とあった。たぶんこれは、『6組目のSランク冒険者が揃った』ことを意味するのだと思われる。
そして最後に誕生した6組目の冒険者チームは、おそらくパパ侯爵を襲った襲撃犯″ゲームマスター″たち一行だ。時期的に、彼らのチームに5人目──すなわち”断魔”が合流したことが、条件が整った要因なのではないだろうか。メッセージが届いたタイミング的にも、そう考えると辻褄が合う。
王都ヴァーミリアの王城や高位貴族たちが住まう貴族邸宅は魔術結界を張っており、簡単には侵入することはできない。そういえば前にも同じようなことをやりとげた賊がいたことを思い出す。
王都の結界を破るなんてこと、簡単にできるやつが何人もいるとは思えない。まさか……怪盗マスカレイド事件でクラヴィスを操っていた犯人と、今回の事件の犯人である″ゲームマスター″は同一人物なのか? うん、その可能性は十分にあり得るな。
だとすると、襲撃犯はかなりの魔術的な能力を持った相手だといえるだろう。実際、石化してしまった俺の身体を元に戻している。転生者である以上、簡単な相手ではないはずだ。
でも、そんなことは関係ない。
もし俺が《 運命の相手 》と戦わなくちゃいけないんであれば、その相手は──絶対にこいつらだ。
──ゲームマスター。
ラティリアーナの父親を、思い出の館を、燃やし傷つけたやつらは絶対に許さない。
他にも気になることはある。俺の元の身体のことだ。
石化を解かれた俺の身体は、ゲームマスターたちに連れ去られたのだという。……中身であるはずの俺の魂は、変わらずラティリアーナの中に入ったままだというのに。
だったら何故″断魔″の身体は生きているんだろう。たとえばゾンビ的な感じで動いているだけなのだろうか。
あと、ゲームマスターが残した『彼を″らすぼす″たらしめる究極の魔法具』という言葉の意味も不明だ。リリスに聞けば少しは分かるかと思ったんだけど……。
「ラティリアーナ……」
不意に声をかけられて振り返ると、そこには背の高い金髪の貴公子の姿があった。他の誰でもない、アーダベルトだ。
「あら、ごきげんようアーダベルト様。どうしたんですの? こんな夜中に」
「……横に行ってもよいですか?」
「ええ、どうぞ。別にこの場所はわたくしだけのものではありませんから」
相変わらずのラティリアーナ節に苦笑いを浮かべながら、アーダベルトが横に歩み寄ってくる。
月の明かりを受けて輝く金髪は美しく、思ったよりも高い背に思わずドキリとする。……いやいや、誤解しないでよ? 別に恋愛的な意味でドキッとしたわけじゃないからね? なんというか、ビックリするくらいイケメンだったってことだから。
……でも改めて思い返してみると、彼と面と向かって対峙した記憶がほとんど無かった。いつもバタバタしてまともに対峙しないか、剣を交えてるかって感じだったもんな。
だけど改めて対峙することで気づいたこともある。最初に会ったときは無感情だった瞳が、今ではこちらを気遣う内心までが伝わるくらい優しいまなざしになっている。人って変われば変わるもんだとしみじみ思う。
「……何を考えているんですか、ラティリアーナ」
「別に。人はずいぶんと変わるものだと思っていただけですわ」
「そうですね、確かに。あなたは特に変わられました」
変わった? ああ、そりゃ変わっただろうね。なにせ中身は別人なんだからさ。
「以前、変身された時も驚きましたが、今では誰もが振り返るほどお美しくなられました」
……あぁ、外見のほうね。確かにすっごく痩せたもんなぁ。
でもこう見えて実は着やせするタイプで、結構スタイルもよかったりする。お風呂に入るときなんてもうドキドキもんですよ?
「ふん、当然ですわ」
「そして内面も変わられた。気高く、優しく、仲間思いで、決して誰にも負けない強い意志も持たれている」
「わたくしを誰だと思ってますの?」
「ふふっ、そこは以前から変わりませんね」
たぶんアーダベルトは、ラティリアーナのことを気にかけて声をかけてきたのだろう。イケメンなのに性格がいいなんて、どんだけ完全無欠なやつなんだよ。
「アーダベルト様、ご心配は無用ですわ。わたくしなら大丈夫です」
「……そうですか、だったらよかった」
女の子が見たら一発で蕩けそうな笑顔。ん~本当に良い奴だ。少しだけこいつに対する認識を上方修正してやるとしよう、うん。
「それよりも、アーダベルト様には例のメッセージは届きまして?」
「……ええ、届きました。《 運命の戦い 》に挑め、というやつですよね? 実はそのことでラティリアーナに話があります」
アーダベルトの顔が、急に真剣になる。
これまでの柔和な雰囲気が消えて、迫力さえ感じる気配を放ちながら、金髪の貴公子は俺にこう告げた。
「ラティリアーナ。僕は君に……《 運命の戦い 》を申し込みたい」




