【アナザーサイト】舞夢・スリーピングドッグ
マイムのフルネームは、舞夢・スリーピングドッグといいますワン。マンダリン侯爵家の一人娘であるラティリアーナお嬢様にお仕えする一級侍女ですワン。以後よろしくお願いしますワン。
マイムは、地方にある獣人だけが住む街の出身だワン。ちなみに獣人の一族は名前に″漢字″を当てるのが伝統となってるワン。
その故郷の街で伝染病が蔓延したので、マイムたち若い世代は一斉に街の外に出ることになったワン。
冒険者になったり、人間の街で働き始めたり、自分で商売を始めたり……。
そんな中でマイムは、昔から得意だったお掃除お洗濯の技を生かすために侍女見習いとなったワン。
ただ、昔から獣人は人族から良くない扱いを受けることが多くて、特に貴族にお仕えする侍女の職では、不当な扱いを受けることがすごく多かったワン。
マイムも例に漏れず最初の職場で虐められてたのを、救い出してくれたのがラティリアーナお嬢様だったワン。
その時お嬢様はマイムに「おまえはわたくしのものよ。そのことを肝に命じて仕えなさい」と仰いましたワン。獣人であるマイムにそんなにも思いやりのある言葉を投げかけてくれたのはお嬢様が初めてだったから、ものすごく感動したのを覚えてるワン。
そのとき、マイムは13歳、お嬢様は12歳だったワン。
……それから3年。
マイムは一生懸命お嬢様にお仕えしましたワン。
お嬢様は、とっても気の強い人で、厳しくて、マイムもよく怒られて、そのたびに泣いていましたワン。
同郷の幼なじみに姉と慕う人がいるのだけれど、その人によく泣き言を言っては慰められてたワン。
それでもマイムはがんばったワン。だって、獣人であるマイムには他に行き先なんてなかったから……。
たくさんの侍女たちが辞めていく中で、気がついたらいつのまにか残っていたのはマイムだけになったワン。
そしたら、お嬢様は「お前にご褒美よ、犬──改め、舞夢」と言って、初めてマイムを名前で呼んで頂けるようになったワン。そのときにマイムは一級侍女に昇級しましたワン。
一級侍女は、侯爵以上の高位の貴族に直接仕えることができる高ランク職だワン。一級の振る舞いと仕事が出来る人にだけに認められる称号で、実は獣人族で一級侍女になったのは、マイムが初めてなのだワン。エッヘン!
だから、マイムが昇級するときは大騒ぎになったワン。なかには獣人を一級侍女にするとは何事だと言って大反対する人もいたらしいワン。
そんなときお嬢様が「わたくしのすることに文句がありますの!?」と一喝して、無理やり押し通してくださったワン。結果、マイムは無事一級侍女になれて、お嬢様には本当に感謝の気持しかないワン。
だけど、一級侍女にはそれに伴う大きなリスクがありますワン。
マイムが昇級するとき、一枚の誓約書を書かされたのですワン。内容は、『主人を命の危機に陥れた場合、無条件で降格の上、強制売却される』というものですワン。
これは″貴族の通例″という貴族独特の暗黙のルールで、他にも人付き合いや結婚などにおいてさまざまな特殊ルールがありますワン。だけどマイムの場合は獣人族だったから、特に条件が厳しくなったと聞いているワン。
それでもマイムは嬉しかったワン。だから、より一層お嬢様のために尽くそうと思ったワン。
でも、あのとき大きな事件が起こってしまったワン。
お嬢様は独特の感性をお持ちの方で、思いついたように突拍子のないことをおっしゃることがあったワン。他の侍女や執事たちは「またお嬢様のワガママが始まった」とおっしゃってましたけど、マイムはちょっと違うかなと思ってますワン。
あれは……そう、天才にありがちな閃きみたいなものだと思いますワン。
そのときもお嬢様は、何処かから持ち出した古くて大きな赤い本を抱えて「舞夢、このお金で腕の立つものを雇ってきなさい」とお金を渡してきましたワン。確かあの本は、以前宝物庫のお掃除をした際に見たことがあるような気がしたんですが、そのときはお嬢様がお急ぎのようでしたので深く確認しませんでしたワン。
それで、美虎姉さんと、あともう一人シルバーランクでたまたま空いていたお方に警備の仕事をお願いしましたワン。その方のことはよく知らないんですが、姉さんが「あいつだったらまぁ安心がるかな」と言っていたので、そのままお二人で警備についてもらうことにしたんですワン。
普段使っていない倉庫に入ったあと、お嬢様は本を机の上に置いてなにやら不思議な言葉で呟き始めましたワン。そしたら……そう、あいつが現れましたワン。
──紫色の煙を身に纏った女の悪霊。
その悪霊を一目見た瞬間、マイムは怖くて動けなくなりましたワン。それくらい、強い魔力と圧力を感じましたワン。
どうしてそんな化け物が急に現れたのかわかりません。でもその悪霊がお嬢様に襲いかかろうとしているのに気づいたマイムは、お嬢様を庇うために勇気を振り絞って目の前に飛び出しましたワン。
だけど、悪霊の手の一振りであっけなく吹き飛ばされて……マイムはすぐに意識を失ってしまったワン。
次に目が覚めたとき、マイムはお屋敷のベッドに寝かされていましたワン。恐る恐る起き上がって部屋の外の様子を伺うと、他の使用人たちが大騒ぎしていたワン。
聞こえてきたのは「お嬢様が宝物庫から″呪われた赤本″を持ち出したんだってさ」「そしたら呪いが発動して、お嬢様や舞夢は意識不明、警備についてた獣人の女が大怪我で、もう一人の冒険者は死んだらしいぞ」などなど……。
そんな言葉が聞こえてきて、マイムは一気に部屋を飛び出すと、すぐ近くにいた同僚を無理やり捕まえて状況を聞き出しましたワン。
その結果判明したのは、美虎姉さんが肋骨と左腕の骨折を伴う大怪我。もう一人の冒険者さんは、悪霊と相打ちとなって石化。襲われたお嬢様は現在も意識不明という恐るべき事態でしたワン。
最初この話聞いたとき、マイムは目の前が急に真っ暗になりましたワン……。
でももう少し話を聞いたところで、姉さんは大けがをしたものの命に別状はなく、お嬢様も基本的には寝ているだけだと聞きましたワン。少しばかり安堵したのですが、マイムたちが死ななかったのは、もう一人の冒険者のお方が命懸けで皆を守ってくださった結果だと知り、酷いショックを受けましたワン。
お嬢様は、3日経っても目が覚めませんでしたワン。
マイムを認めてくださったお嬢様が目覚めない日々は、本当に不安でしたワン。自分のことはどうなってもいい、だからお嬢様だけは助けて欲しいと毎日何度も神様にお祈りしましたワン。
結果として、マイムの祈りは神様に届きましたワン。なんとお嬢様は、4日目にとうとう目を覚まされましたワン! ばんざぁい! マイム、本当に嬉しかったですワン!
ですけど……お嬢様とはこれでお別れですワン。
この時には既にマイムはエレクトラス伯爵家に売られることが決まっていましたワン。お嬢様の婚約者であるアーダベルト様が、マイムを買い取りたいと申し出てくださったワン。
アーダベルト・バルファス・エレクトラス様は、金髪に金の瞳の非常に整った顔立ちの方ですワン。
極めて優れた頭脳と槍の腕をお持ちで、世間ではアーダベルト様のことを″麒麟児″の二つ名でお呼びしており、王都にはたくさんのファンの方がいらっしゃるとお聞きしましたワン。
お嬢様はアーダベルト様に一目会ったときから「あの方こそわたくしの運命の人ですわ!」と、とても執心されましたワン。それはもう、あの手この手を尽くして……ついには婚約者となられたんですワン。その時取った手段については、マイムの口から言うのは憚られるので控えますワン。くぅんくぅん。
権力と財力を駆使してアーダベルト様を手に入れられたお嬢様は、それはそれは執着されました。週に一度は会いに行き、または呼びつけ、色々なものをおねだりしては愛を確かめる……。
マイムがひとつ気がかりだったのは、お嬢様とお会いなさるときのアーダベルト様がいつも無表情だったことですワン。
ただ、お嬢様に怒られているマイムを見るときだけ、その目が少し優しげに見えた気がしましたワン。
アーダベルト様は大変評判の良い方であります。ですけど、お嬢様を命の危機に晒すという失態をしたマイムに、都合の良い未来などあるわけ無いことは分かっておりますワン。買い手がアーダベルト様であろうとなにも関係ない。マイムは獣人、そして侍女。だからどんなことになっても受け入れよう、そう思っていました──。
でも、お嬢様はおっしゃいましたワン。
「そんなの受け入れられませんわ。舞夢は、わたくしのものです。誰にも渡しませんわ」
その一言に、マイムは強い衝撃を受けました。
これまでお嬢様にとっては、自分が一番でその次がアーダベルト様、以下同列……といった感じで、この序列は長く普遍でしたワン。
ですが今回お嬢様は、アーダベルト様の要望よりもマイムを選んでくださいましたワン。アーダベルト様と直接交渉してでも、マイムを取り戻すと言ってくださったのですワン!
どうやらお嬢様は、あの事件を機に少し変わられたようでしたワン。以前よりも、ずいぶんとお優しくなられた気がするのです……。
もちろん、口調や態度が目に見えて変わったわけではないですワン。でも、あらゆる行動の端々に、気遣いのようなものを感じるんですワン。
そのキッカケを作ったのは、おそらくはあの冒険者の方の命を懸けた勇気ある行動。
″断魔″と呼ばれたあの方が命と引き換えにお嬢様をお守りし、石となったあのときから──お嬢様は変わられたのですワン。
お嬢様は、″断魔″様が犠牲になったことを深く悔やんでいるようでしたワン。石となった姿を見て、酷くショックを受けて、思わず気を失ってしまいましたワン。
そして、どうやらお嬢様はそのときに決められたようでしたワン。″断魔″様の分も、生きて償っていくと。
だからマイムも、お嬢様についていくと決めましたワン。
お嬢様の罪は、マイムの罪。
共に背負うことは無理でも、マイムが支えるくらいは……いいえ、マイムは一級侍女。マイムが背負っていくくらいの気概で行きますワン!
あっ、今の音は──またお嬢様が気絶されたみたいですワン!
あらあら、お嬢様ってば下着姿でお倒れになるなんて……なんというあられもない姿ですワン。
でも大丈夫、獣人族は力が強いですワン。争い事は苦手ですけど、お嬢様を持ち上げるくらいは平気ですワン。
さぁ、明日はアーダベルト様の元へのお願いですワン。
お嬢様最愛の方へのお願い、果たしてどうなるのでしょうか……。
その前に、寝ているお嬢様の頭をクンクンしますワン。実はこれ、マイムの密かなお楽しみなんですワン。あぁ、なんだか不思議な良い匂い……くぅんくぅん。
これだけは、誰がなんと言おうとやめられないですワン!
〜 第1章 完 〜