45.『悪役令嬢』の矜持
ガルムヘイム近辺に到達してキャンプを張っていたアーダベルトたち《 自由への猟団 》一行は、爆発音を聞いて慌てて街に向かって駆け出した。先頭を走るのは、リーダーであるアーダベルトだ。
「なんだいまの爆発は? なにかが起こっているのか?」
「わからないわ、でもどうしてこんな場所で爆発が……えっ、あれは!」
アーダベルトの横を走っていたルクセマリアが、同様に並走している5人の集団を発見する。白衣に青い紋章を刻んだマントを着た彼らの正体は──。
「あれは…《 聖十字団 》じゃないっすか!」
「うひゃー、聖エルエーレ教会の聖戦士たちもここに来てたんですかい!」
「あいつらも……同じ依頼を受けて来ているがるよ!」
ダスティ、クラヴィス、美虎の三人が言う通り、彼らはエルエーレ神聖王国が誇るSランク冒険者チーム《 聖十字団 》であった。
別名″聖戦士″とも呼ばれる《 聖十字団 》は、双子の女神エルとエーレの名の下、これまで数々の偉業を成し遂げていた。しかし、神の名を使いあらゆる荒事をこなす彼らを忌み嫌う人たちも数多くいた。そのうちの一人がクラヴィスである。
「あいつら……正義の名のもとになんでもやりやがるから嫌いなんだよなぁ」
「どうしたクラヴィス、嫌なことでもあったのかい?」
「いや、前に俺っちの仕事の邪魔をされたことがあってね。嫌いなんですよねぇ、宗教家って」
だがクラヴィスの気持ちなど御構い無しに、聖十字団の先頭を走っていた金髪の青年が、片手を挙げながらアーダベルトたちに近づいてくる。
エルエーレ神聖王国のカラーである白に双子の女神を讃える青い紋章が入った鎧を着た青年は、見るものが思わず魅入ってしまうほど爽やかな笑顔を浮かべながら話しかけてくる。
「やぁ、君たちはもしかして《 自由への旅団 》の一行かい? 私は《 聖十字団 》の団長を務めるスレイヤード・ブレイブスだ」
「はじめまして。《 自由への旅団 》のリーダー、アーダベルト・バルファス・エレクトラスです」
「ははっ、同じSランクなんだからそんなに緊張しなくても良いよ。今後ともよろしく」
差し出された右手に握手を返ししながら、アーダベルトは緊張を隠せずにいた。なにせ目の前の男は、世界最強の一人と言われる超絶戦闘力を持った人物なのだから。
もともと《 聖十字団》は、長い歴史を持つ世界的にも有名な超戦闘集団だった。だがその中でも歴代最強と言われるのが、目の前のスレイヤードである。
たとえ同じSランクだとしても格が違う。対峙しただけで一瞬でアーダベルトにはそんな感覚が湧き上がる。それ程にスレイヤードは、存在感だけでも圧倒的だった。
「ところでアーダベルト君。君たちも私たちと同じミッションでガルムヘイムに来ていることは聞いていた。だけど先ほどの爆発音は何だろうか?」
「わかりません。僕たちもあの音を聞いて飛び出してきたんです」
「どうやら何かが街で起こっているみたいだね」
「そうですね、行ってみましょうか」
「うん、そうしよう」
2組の冒険者チームは合流を果たすと、一体となってガルムヘイムの街の中心部へとなだれ込んで行く。
そこでアーダベルトたちが目にしたのは、驚くべき光景だった。
「なっ……!?」
全身から怒りの覇気を放つ獅子王。
取り囲むように対峙しているのは、龍を象った装備を身につけた一軍。あれは《 竜殺者戦士隊 》であろうか。
そして輪の中心にいるのは、彼らの隊員の一人であろう緑色の髪の若者と、もう一人は──紫色の輝く魔力を放つ美しき令嬢。彼女はもしや──。
「ラティリアーナ!!」
アーダベルトは初めてその名を呼び捨てで呼んだ。彼自身すら気付かなかったのは、無意識のなせる業か、はたまた彼女を想ってか。
だが呼ばれた方の令嬢──ラティリアーナは、アーダベルトの方をわずかに振り向くと、いつもと変わらぬ不敵な笑みを返すのだった。
◆◆
あーあ、参ったな。なんでこんな状況になるかな。
目の前で舌舐めずりしながら剣に手をかけるバッカスを眺めながら、俺は己の置かれた立場を改めて振り返っていた。
いや最初はね、ふつーに止めるつもりだったのよ?
だけどさ、いつもの如くラティリアーナ節が暴走してしまって……気がついたら薔薇の手袋をバッカスに投げつけていたんだ。
「お嬢ちゃんが俺の相手だって? なんの冗談だよ」
呆れた様子で語りかけてくるバッカス。いやさ、俺もそう思うよ? 出来るだけ平和に穏便に物事を片付けて、ウタルダスの仲間にいるはずの″転生者″をリリスの所に連れて行くはずだったのに……どうしてこうなったんだか。
とはいえ、実は原因に見当はついている。
俺の中にいるラティリアーナが、バッカスの愚かな行いに我慢できなかったのだ。
こいつは、獣人を──ラティリアーナが必死に救おうとしている命を馬鹿にした。
仲間が──リリスたちが懸命にやっていることをすべて否定した。
そんなやつを許せるほど、ラティリアーナは我慢強くなかったのだ。
ただ理由はそれだけじゃない。俺自身、こいつには心底腹が立っていた。
Sランクだ? ドラゴンスレイヤーだ? そんなもの関係ない。『黒死蝶病』の撲滅より先に獣人を滅ぼすなどという巫山戯たことをガタガタ抜かすやつは、ラティリアーナ共々お仕置きをしてやんよ。
「ラティリアーナ!!」
名を呼ぶ声に振り返ってみると、アーダベルトたち御一行と──初見の、白い服を着たキラキラ眩しい集団の姿が目に入った。いつのまにこいつらまで揃ってるんだ? それにアーダベルト御一行はともかく、一緒にいる連中は何者なんだろうか。
「おうおう、《 自由への旅団 》に《 聖十字団 》までお越しかよ。最高じゃねぇか!」
なるほど、あれが噂に名高い《 聖十字団 》か。言われてみるとたしかにザ・聖職者って感じの集団だな。
なんで聖職者なんかとアーダベルトたちが一緒にいるのかは分からないけど、とりあえず泣きそうな顔をしているアーダベルトやルクセマリア姫に申し訳ないから、適当に作り笑いを返しておく。
「バッカス、いい加減にしとけよ。さっきの俺の話を聞いてたのか? Sランク特命任務中のSランク同士の戦闘はご法度だぞ?」
片目が潰れたいかにも強そうな戦士のおっさん──《 竜殺者選士隊》隊長のグレイブニルが、おバカなバッカスくんに釘を刺してくれる。だけど残念ながら、俺の中に在る荒ぶるラティリアーナはそう簡単には収まってくれない。
「お待ちになって。その規則が適用されるのは″Sランク同士″ではなくて?」
「……マンダリン侯爵令嬢。お前は獅子王のパーティメンバーではないのか?」
「違いますわ。ですのでこれは──低ランク冒険者とSランク冒険者の単なる喧嘩ということになりますわ」
「お前……本気か? こんなことをして何になる? 低ランクがしゃしゃり出て、収まるべきところを邪魔しただけだぞ?」
グレイブニルの言葉に、俺の中にあるラティリアーナは心の中で吠えた。その叫び声は、俺の制御などあっさりと振り切って喉から外へと飛び出して行く。
「収まる収まらないなど関係ありませんわ。なにせわたくしは──ただの″悪役令嬢″。ですが、わたくしにはわたくしなりの矜持がありましてよ?」
自分の出した救い船をあっさりと足蹴にしたラティリアーナに、グレイブニルのおっさんはため息とともにそっぽを向いてしまった。どうやらもう好きにしろってことらしい。
ごめんね、気を遣ってもらったのに応えられなくて。
「さぁ、これで遮るものは無くなりましたわ。ご遠慮なく決闘できましてよ?」
「……なぁ嬢ちゃんよ、マジでやめときな? 俺はたとえ女でも容赦しないぜ? 俺はただ、そこの獅子王と殺り合いたいだけなんだよ」
「あいにくとその申し出は受け入れられませんわ。わたくしは──わたくしの誇りに賭けて、ガルムヘイムを滅ぼすものと戦う決意をしているのですから」
獅子王レオルが、近くまで来ていた美虎が、ハッとしてこちらを見るのが分かった。
美虎、約束は守るよ。獅子王、あんたの怒りは俺が全部引き受けた。
「……分かったよ。だったら容赦はしねぇ、せいぜいひん剥いて恥かかせてやらぁ!」
ジャギン。鈍い音と共にバッカスが腰の剣を抜く。
さて、Sランク相手にどこまで俺の力が通用するかな。流石にこいつ相手に出し惜しみは出来ないだろう。いくら頭の弱い戦闘狂だったとしても、こいつはSランク冒険者なのだから。
「お姉様、援護しましょうか?」
「ここはわたくしに任せていただける?」
「……わかりました、でも無理はしないでくださいね」
ティアの援護の申し出を断り、俺はバッカスの正面に構える。
さぁ……隠し球まで含めて、あらゆる手を使って──ぜったいにこいつを謝らせてやるとするかね。
そう決意すると、俺は左手に《 紅き魔導書 》を召喚した。
◇◆
「ちょっと獅子王様! これはどうなってるがるか!」
アーダベルトのパーティメンバーである美虎が、旧知の間柄である獅子王レオルに詰め寄る。
彼女にとって獅子王は尊敬すべき同郷の英雄であり、目指すべき姿の理想形でもあった。しかしその獅子王が、彼女の大切な存在であるラティリアーナのピンチに押し黙っている。そのことが彼女には我慢できなかったのだ。
だが獅子王は黙ったまま何も答えない。代わりに、燃えるような瞳でラティリアーナのことを凝視していた。
二人のすぐ近くでは、ルクセマリアがアーダベルトに詰め寄っていた。
「アーダベルト、ラティリアーナが危険だわ! どうにかならないの!?」
美虎と同様に救いを求めるルクセマリアに、アーダベルトは残念そうに首を横に振る。
「ダメだ。ラティリアーナは″薔薇の招待状″を相手に渡している。これは由緒正しい決闘なんだ。誰にも止めることはできないよ。それに、邪魔することはラティリアーナの沽券にも関わるんだ」
「そんなの……命より大事なことはないわ! 相手はSランク冒険者なんでしょ? ラティリアーナじゃ勝てないわよ!」
「そうかもしれない。だけど──僕はやっぱり期待してしまうんだ。もしかしたら彼女なら、やってくれるかもしれないってね」
アーダベルトも見つめる。かつて婚約していた相手の、凛々しい姿を。
◆
「それでは、いきましてよ?」
「ああ、そっちからかかってきて良いぜ!」
お互いが言葉を交わしたあと、ラティリアーナは手にした魔本を開く。これが開戦の合図となった。二人の間に一気に緊張感が高まる。
「ほほぅ、あんたまぁまぁ強えぇな! ビンビン魔力を感じるぜ! 本当に低ランクか?」
「ランクなど、わたくしの前では無に等しいですわ」
ラティリアーナは腰に差していた長剣を引き抜くとそのまま宙に放り投げた。だが剣は落下することなく静止すると、そのまま宙に留まる。
「おお、なんだそりゃ! どんな手品使ってんだよ!?」
「断魔流剣術・奥義──《 双剣・刃の舞 》」
次の瞬間。中空に静止していた剣が、まるで何かに操られているかのようにバッカスに襲いかかってきた。
「おおっ!? こいつ動くのか……って、うおっ!?」
剣の動きに合わせるようにしてラティリアーナの鋭い突きが入り、バッカスが慌てて避けた。だがラティリアーナの攻撃はそれでは収まらず、旋風のように何度も切りつけてくる。さらには浮遊する剣までも──さながら一流の剣士が操る剣の化身のように何度も切り掛かってきた。
宙を自由に舞う剣との不思議な二刀流。空前絶後の攻撃に、周りで見ていた冒険者たちも驚きの声を上げる。
「なんだありゃ、見たことない技だな!」
「宙を舞う剣と手に持つ短刀での二刀流か、なかなかやりますな!」
《 自由への旅団 》のクラヴィスとダスティが、ラティリアーナの未知の剣術に舌を巻く。
その近くでは、《 愚者の鼓笛隊 》のウタルダスとアトリー……そこになぜか《 聖十字団 》の″聖女″ファルカナが加わり二人の戦いに見入っていた。実は幼馴染である三人は、現在でこそ異なる道を歩んではいるものの、今だに仲は良かったのだ。
「すごい、″悪役令嬢″ってば押してるみたいじゃない?」
「いやアトリー、そうでもなさそうだ。バッカスにはまだまだ余裕があるように見える。現にあれほど攻めてるのにラティリアーナの攻撃は一つも当たってない。たぶん……バッカスは遊んでるんだ」
「どうしよう……ウタくん、どうにか止められないの?」
ファルカナの問いかけに、ウタルダスは困ったような表情を浮かべる。ファルカナはウタルダスに特に深い信頼を寄せていたので、ここで何とかならないかと相談していたのだ。
「難しいな。もし本当にバッカスが命を奪いそうになったなら、俺の『クロノ・ダイヴァー』でどうにかするけど、現時点ではまだ手は出せないよ。それに──」
ウタルダスは、チラリと横を向く。彼の視線の先には、難しい表情を浮かべたまま腕を組んで戦いを凝視する獅子王レオルの姿があった。
「あの獅子王が耐えてるんだ。まだ手を出すわけにはいかないよ」
◆
ギィィン。
鈍い音がしてラティリアーナが操っていた長剣が弾き飛ぶ。初めてバッカスが剣を使った瞬間だった。
「お嬢さん、たしかにあんたは強えな。だけどそれは並の強さ、せいぜい冒険者ランクB止まりだ。そんなの俺からするとただの曲芸でしかない」
「……ふぅん。そうですの」
「これで全部か? だったらもうお遊びはお終いだ。前菜はさっさと終わらせて、メインディッシュを食わせてくれよ」
バッカスは手に持っていたAランク魔法具『龍牙剣』を構える。バキバキッという音がして、剣から牙のようなものが生えてきた。すると、彼の周りに何かが浮かび上がってきたではないか。
「あれは……竜?」
「うそっ!? 8体もの竜が具現化してるわ!」
アーダベルトとルクセマリアが気づいたとおり、バッカスの周りには竜の首のようなものが8体も出現していた。それぞれが、まるで生きているかのように口を開けたり舌を出したりしている。
「驚いたかい? お嬢さん。こいつは俺の飼っている8体の幻竜さ。こいつら俺に似て悪食だから、丸ごと食われないように気をつけろや? 食い破れ──【 エイトドラゴン・アタック】!」
バッカスの指示に従い、8体の竜が同時にラティリアーナに襲いかかる。凄まじいスピードで同時に襲いかかる様は、とてもではないが一本の短刀で防ぐことができる攻撃には見えない。
その場にいる誰もが、ラティリアーナが竜に食い破られるヴィジョンを見た。ウタルダスが時を止めようと、思わず【クロノ・ダイヴァー】に手を触れる。
だが、竜の顎がラティリアーナに届こうとした瞬間──。
「──爆裂魔法── 【ヴァイオ・ボム】」
ズドドドドドドドッ!
紫色の閃光と共に、8つの爆発音が同時に鳴り響いた。
「なっ!? うっ!?」
先ほど具現化させたばかりの8体の竜が消滅したのを知覚した刹那、爆発に紛れて何かが飛んでくるのを知覚したバッカスはギリギリでその物体を躱す。だが完全には避けきれずに、頬に僅かな切り傷を負ってしまった。飛んできたのはなんと──先ほど弾き飛ばしたはずの、宙を舞う長剣であった。
「あら、残念ですわ。この程度ではやられてくださいませんのね?」
紫色の爆発が収まり、煙の中から現れたのは──不敵に微笑むラティリアーナ。
呆然と彼女の姿を見つめていたバッカスは、頬を手で拭って血が付いていることに気づき、その表情を激変させる。
「このクソアマ……この俺の顔に傷を付けただと?」
「元から見れる顔ではありませんでしたので、ちょうどバランスがよろしいのではなくて?」
ブチっ。バッカスは己の中の何かが切れる音を聞いた。
それは──これまでかろうじて存在していた″容赦″という枷が切れる音であった。
「……分かったよ。マジであんたを殺してやるよ。俺を本気にさせたこと──あの世で後悔させてやる」




