40.黒死蝶病
ガルムヘイムは、小さな湖のほとりにある、中央に小さな川が通る緑豊かな街だった。水際には大きな畑や牧畜をする場所も見えることから、近代的な街というより牧歌的な農村に近いイメージだ。
これだけ水に恵まれた盆地であれば、定住したくなる気持ちはよく分かる。きっと作物もよく育つことだろう。だが──。
「誰もいませんね……」
「生体反応は確認されます。どうやら外出していないようです」
ガルムヘイムの街中には大通りと呼ぶにはささやかなメインの通りがあり、そこには食料品店や道具屋、洋服屋などが立ち並んでいた。しかし、大通りを通る人は皆無だった。
モードレッドの生体感知によって家の中に人がいるのは確認されているんだけど、どうやら皆引きこもってしまっているらしい。
「伝染病が流行ってるんだから、引きこもるのは仕方ないよね。さて、どこに向かうとしようかね」
「リリス様、ここはマイムが以前の記憶を頼りに叔父の家にご案内しますワン」
舞夢の先導で案内されたのは、街の中心部にある大きな建物──恐らくは″獣王″が住まうであろう建物のすぐ横にある大きなお屋敷だった。
「ここですワン。叔父はガルムヘイムの政務長を務めていますワン」
「舞夢ってもしかして有力者のお嬢さんだったの?」
「そんなことはないとは思いますが……実はマイムは″聖獣″の血縁に連なっていますワン」
えっ? 舞夢ってば″聖獣″の血を引いてたの? それって、獣人の中ではかなり高貴な存在なんじゃないか?
「とはいえマイムは亜流ですから、血に聖なる力は宿っていないですワン。さぁ、それでは参りますワン。叔父様ー! 度以来叔父さまー! マイムですワーン!」
「マイム? マイムだとワオン!?」
屋敷の奥から出てきたのは、初老の犬耳獣人だった。耳の毛に半分くらい白髪が混じっているものの、なんとなく舞夢に似た面影がある。かなりやつれて見えるのは、黒死蝶病に振り回されたからだろうか。それに、そこそこ大きなお屋敷なのに、使用人じゃなくていきなり家主が出てきたところも気になる。
「度以来叔父さま! お元気そうでなによりですワン!」
「マイムかっ!おお、なんと大きく美しくなって……だがなぜだ、なぜガルムヘイムに帰ってきたワオン! ここはもう終わった国だワオン!」
「まだ終わってませんわ! いいえ、終わらせないためにわたくしたちはこの地へやってきたのです。ですのでわたくしたちを、この国の王──″獣王″に会わせてくださいませんこと?」
二人の会話に強引に割り込んで、度以来さんに″獣王″への謁見を願い出る。
──時間がありませんから。
そう凄むと、何かを察してくれたのか、度以来さんはすぐに″獣王″のもとへ案内してくれた。
″獣王″が住む【 獣王宮 】は、予想通り街の中心部に立つ大きな屋敷だった。ここに当代の獣王、邪雁が住んでいるという。
ガルムヘイムを治める王が住む居住だというのに、ほとんど人の姿は見られなかった。唯一立っていた衛兵らしき熊獣人に案内されたのは、マンダリン侯爵家のラティリアーナの私室よりもはるかに小さな応接間。案内されてすぐに姿を現したのは、狼に似た顔を持つ鋭い眼光の中年の獣人だった。
獣王は、最強の獣人が選ばれる。だけど目の前に立つ狼獣人に、そこまでの威厳は感じられなかった。ただ目は落ち窪み、疲労が激しいことは目に見えて分かる。おそらく『黒死蝶病』の対応に追われていたのだろう。
だがここは遠慮している場合じゃない。ラティリアーナ節でぐいぐい押し込んでいくことにする。
「初めてお目にかかりますわ、獣王陛下。わたくし、マンダリン侯爵家の長子、ラティリアーナ・ファルブラヴ・マンダリンと申しますの」
「余が現獣王の邪雁だバウ。……それにしても10年ぶりに里に子が帰ってきたかと思ったら、なんと”オーガ侯爵”の子を連れて来たバウか」
ああ、そういえばこの人はパパ侯爵と知り合いなんだっけ。だったら話が早いな。
「時間がありませんので単刀直入に申しますわ、獣王陛下。これから5日後の正午に、4か国連合軍および4組のSランク冒険者たちによって、この街は焼き払われます」
「……分かっておるバウ」
「──は?」
「10年前に”オーガ侯爵”たちと約束したバウ。10年間、何も起こらなければガルムヘイムには手を出さないと。その代わり……再度『黒死蝶病』が発生した場合には、浄化することを受け入れるバウとな。じゃから……あの病が再発生した時点で、もはやわしらは滅びを受け入れておるバウよ」
獣王の瞳に宿るのは、諦めの色。そうか、この人たちは『黒死蝶病』が復活した時点でこうなることを知ってたんだな。街がひっそりとしているのは、滅びの時をただ静かに待っていただけなのだ。
「凶悪化した『黒死蝶病』の発生から10年……わしらは必死になってこの病を消し去ろうと頑張ってきたバウ。じゃが……この悪魔の病は期限直前になって、さらに凶悪さを増してわしらに牙を剥いたバウ。まるでわしらの希望を最後の最後に奪い去ることで、苦しむ様を嘲笑うかのようバウ。そこにおるドイルも、既に家人が全員亡くなっているバウ」
なるほど、だからあの大きなお屋敷に他に誰も居なかったのか。度以来さんが憔悴しきった顔で頷いている。
きっと、彼らはこれまでずっと頑張ってきたのだろう。病を撲滅し、去っていった仲間たちを呼び戻そうと、あらゆる手を尽くしたのだろう。
だけど──その希望は消え去った。しかも、タイムリミット直前で。挙句、大切な家族たちも次々と病に倒れていった。
「わしらはもはや滅亡を待つだけバウ。どうせ死ぬなら、大切なものたちが眠るこの地で……骨を埋めるバウ」
「ワシらも獣王様と同じ考えワオン。ワシらは……この街と運命を共にするワオン」
風土病というどうしようもない力によって蹂躙され、度以来さんや獣王の心が折れてしまっているのは容易に想像できた。だけど、彼らが諦めたからといってこちらが諦めるわけにはいかない。俺の心の中のラティリアーナが、『簡単に諦めるなんてナンセンスですわ!』と叫んでいる。
「わたくしたちは、『黒死蝶病』の正体を突き止めるためにこの地にやってまいりましたわ」
「ふん……わしらだって死力を尽くして何も分からなかった悪魔の病バウ。たとえオーガ侯爵の娘とて、それは不可能バウ。病に感染しないうちにここを去るが良いバウ」
「でも、お嬢様はガルムヘイムを救うためにここまで来ましたワン! こちらには″千眼の巫女″と呼ばれるリリス様もいらっしゃいますワン! この方々ならきっと……『黒死蝶病』に対抗する術を見つけてくださいますワン!」
舞夢の悲痛な叫びに、死んだ目をしていた獣王ジャガンの眼に、僅かに光が戻る。
「お主……聖獣アルマの血を引きし娘バウな。両親や兄弟が『黒死蝶病』で死に絶えたというのに、よくぞ戻ってきたバウ。だが、この通りガルムヘイムはもはや終わったバウ。『黒死蝶病』に対抗する術などもはや無いバウ」
「そんなことありませんワン! お嬢様は、リリス様は、凄いんですワン!」
獣王と舞夢の視線が交錯する。やがて獣王は大きなため息を吐くと、暗い瞳にわずかに光を灯して口を開いた。
「……分かったバウ。汝らを″聖獣″殿にお会いさせるバウ」
「えっ? 聖獣様はまだご存命ですかワン?」
「うむ。エライザは汝らと同じように最後まで諦めずに『黒死蝶病』と戦っておるバウ。きっと彼女なら──お主らの望む情報を持っているバウよ」
◇
獣王の前を辞した後、度以来さんに新たに案内されたのは、近くにある大きな白い建物だった。ただ度以来さんは体調が優れないらしく、案内を終えると屋敷に戻ってしまった。
「マイム、すまないワオン。うちのものも全員死に絶えて、水汲みさえ自分でしなければならなくてな」
「大丈夫ですワン。あとはマイムたちでやりますワン!」
度以来さんと別れたあと、開けられたままの入り口から建物の中に入ることにする。
「……ごめんくださーい」
入った瞬間、むわっと……えもいえぬ臭いが漂ってきた。まるで空気に何か含まれているかのように重苦しい。これは──。
「死臭がしますね……」
そうか、これは死臭なのか。ティアに言われて気付いたけど、この建物の中には死の気配が濃厚に充満している。
「ぐがああぁぁあっ!!」
そのとき、奥の方からまるで獣のような唸り声が聞こえてきた。慌てて声がする方に向かって駆けつけようとすると、舞夢が真っ青な顔で俺の服の袖を掴んできた。
「い、いけませんワン、お嬢様」
「……舞夢、なんですの?」
「こ、この声は──『黒死蝶病』でこの世を去るものの断末魔の声ですワン」
この建物の中には、黒死蝶病の末期患者がいる。一瞬、怖気付きそうになる気持ちを吹き飛ばしたのは、これまで怯えてばかりいたリリスの一言だった。
「『黒死蝶病』の患者の最期……。キツいけど、病状を確認するチャンスだ! ラティ、行こう!」
人の生き死にが苦手なはずのリリスが、顔面蒼白になりながらそう訴えてくる。こいつにこんな無茶をさせているのは自分だという罪悪感が、チクリと心を刺激する。
だけど今はそんなことを言ってる場合じゃない。限られた時間の中、解決策を見つけようとするためには、一人の犠牲だって無駄にできないのだ。
気を取り直すと、先ほど声がした部屋へと駆け込んだ。
「がぁぁっ! うわぉぁぁぅ!」
「しっかりするみゃ! 頑張って乗り越えるみゃあ!」
部屋の中央では、ベッドに寝かされた患者と思しき男性と、彼を見守る白衣姿に白い毛並みの猫耳獣人女性の姿があった。猫獣人の女性は必死に声をかけて、患者の心を繋ぎとめようとしている。だけど患者は──。
「こ、これは……」
「……酷い症状です……」
「これが──『黒死蝶病』の症状ですワン」
舞夢の言葉に裏付けられるように、寝かされた男性患者はおそらく『黒死蝶病』の末期症状だった。
身体中に黒い点のような腫瘍が浮き、口からは血を流しながら激しく咳き込んでいる。特徴的なのは、お腹が大きく膨らんでいることだ。「……まるで餓鬼みたいだ……」と、リリスが呻くように呟き、あまりの惨さにティアが思わず顔を逸らす。
ときどき患者の全身が白く輝くのは──おそらく隣に立つ白猫獣人が治癒魔法をかけているからだろう。見るに見かねて、リリスが白猫獣人の横に立つ。
「……ボクも手伝うよ。──【 簡易治癒 】」
「はっ!? あなたがたは……? あ、でもありがとうございますみゃあ!」
リリスの援護が加わった結果、患者の咳が少しだけ落ち着いた。もしかしてこれは効果があったのか? そう思ったのもつかの間、状況はすぐに急変することになる。患者が、大きく吐血したのだ。
「がっは!!」
「だめみゃあ! いっちゃダメみゃあ! 」
「なっ!? こ、これは──」
最期の瞬間。
男性患者の全身から、黒い魔力の塊がふわりと宙に浮き出てきた。薄いヴェールのような黒い魔力の姿は、まるで──黒い蝶のよう。
そして、彼の体から黒い蝶が吹き出た直後に、男性は呼吸を止めた。絶命の瞬間だった。
「……また、だめだったみゃあ……助けられなかったみゃあ……」
白猫獣人の女性が、悲しげな声を上げながらその場に崩れ落ちる。
これが──俺たちと『黒死蝶病』との最初の対決だった。
以降、俺たちは黒死蝶病と対峙するたび、何度もこの──黒き蝶が羽ばたいていく姿を目撃することになる。
◆◆
──エルエーレ神聖王国。
彼の国は、双子神エルとエーレを創造神として崇める神官国家である。名ばかりの王を玉座に据え、実質的にはエルエーレ教が実権を支配することで、大陸にて最古の歴史を誇っていた。
そして、彼の国を世界中で有名にしている存在が──選りすぐられた神官戦士たちからなる最強の軍団、《 聖十字団 》である。
《 聖十字団 》は、100名程の″聖戦士″と呼ばれる強者たちが所属している神官たちの武装集団である。全員が、エルエーレ神聖王国の中でも特に実力が認められた超エリートだ。
その、エルエーレ最強戦力である彼らの中で頂点に君臨するのが、五人の聖戦士──『5聖者』である。
そして、″5聖者″がいま、エルエーレ神聖王国の聖都パウロネイアの住民たちに見送られながら、大歓声を浴びて旅立とうとしていた。向かう先は──獣人たちの王国ガルムヘイムである。
先頭を歩くのは、《 聖十字団 》のリーダーである ″ 聖騎士 ″ スレイヤード・ブレイブス。男性にしては長めの金髪に整った優しい顔立ちのイケメンで、町の女の人たちが黄色い声援を浴びせている。
その後ろを歩くゴツイ体の大男と、修道服に煌びやかな手甲を付けた女の子。″ 聖狩人″ ハンティスと″ 聖闘女 ″イヴァンカのマクニーサス兄妹。
続いて歩く黒髪の女性は、″ 聖導師 ″ ヒナリア・エルフィール。目を閉じているのは盲目だからか。しかし彼女は躓くことなく悠々と歩いている。
そして一行の一番最後を歩くのが、″ 聖女 ″ファルカナ。
幼く朴訥とした顔立ちながら、優しげな雰囲気を全身から醸し出している。
「いやー、病魔に冒された田舎の村の殲滅かぁ。あんまり気持ちのいい仕事じゃないねぇ」
「イヴァンカ、黙る。神の言うこと、絶対」
「はいはい、ハンティス兄ぃは単純でいいねぇ。ま、あたいも殴れればそれで満足なんだけどさ」
ガキンと金属音を鳴らしながら両手の拳を打ち合うイヴァンカ。彼女は聖エーレ格闘術の達人で、魔法具の手甲を使いこなし魔物を軽々と粉砕する実力の持ち主だ。
対する兄のハンティスは、語る言葉は少ないものの巨躯の持ち主で、身の丈と同じくらいの強弓を背負っている。この弓は一射で大木を貫通するほどの威力を発揮する魔法具で、彼にしか扱うことができない。
彼ら5人は、エルエーレ神聖王国の教皇パウロレシア14世からの『神託』を受けて、獣人の国ガルムヘイムで発生した『悪魔の病』を『浄化』するために旅立とうとしていた。新たな神託を受けて神の使命を全うしに行く英雄たちを、聖都パウロネイアの人たちが大歓声で見送っていたのだ。
この国では、エルエーレ教の最高位である教皇こそが真の支配者であり、国王などお飾りでしかない。その教皇からの命は、神の言葉に等しかった。聖なる戦士である《 聖十字団 》のメンバーに、神の声に逆らうものなどいない。
──ただ一人を除いては。
″聖女″と呼ばれる治癒魔法の達人のファルカナは、一人浮かない顔でパレードに参加していた。その様子に気づいた″聖導師″ヒナリアが声をかける。
「ファルカナ、浮かない様子じゃのう? 聖なる双子の神エルエーレの神託のとおり働くことに、何か疑問でもおじゃりか?」
「導師ヒナリア……いいえ、ありません」
「ファルカナが気に病むことは無いぞよ。わらわの″聖なる業火″で卑しい獣人の里など浄化してみせるのじゃ」
ヒナリアは年齢不詳の女性で、一説では100年近く生きているのではないかと言われていた。だが盲目ながら美しい美貌を持つ彼女に年齢を感じさせるものはなく、なにより彼女はエルエーレ神聖王国一の魔法の達人でもあった。
生ける伝説とも言えるヒナリアにそう言われ、ファルカナは愛想笑いを返したものの、それで全て納得したわけではない。
ファルカナにとっては、獣人であろうと人族であろうと全てが等しい人間だった。そんな彼らを、神の指示だからと街ごと焼き払うことが、果たして正義と胸を張って言えるのだろうか。いくら神託だからと、そのような無慈悲な行いが無条件で許されるのだろうか。彼女には決してそうだとは思えなかったのだ。
ファルカナは、憂いを秘めた瞳でリーダーのスレイヤード・ブレイブスを見つめる。
エルエーレ神聖王国の絶対的な英雄であり最強最高の戦士である彼も、おそらく何の疑いも持たず「神の指示」に従い、罪もない獣人たちを″浄化″しようとするだろう。果たしてそのとき、自分は彼を止めることができるのだろうか。ファルカナは何もできずにただ立ち尽くす自分の姿しか想像することができなかった。
「ウタくん……」
ファルカナは、幼馴染である友人ウタルダス・レスターシュミットの名を呟く。運命の悪戯により今では別々となっていたが、彼女にとってウタルダスは今も変わらぬ大切な友人であった。いつのまにかSランク冒険者になっていたのは彼女も心底驚いたが……。
英雄として立派に成長した彼と、彼のチームは──今回どのように動くのだろうか。
ファルカナはどこまでも青い空を眺めながら、まるで心の拠り所のように、優しい顔をした幼馴染のことを思い出すのだった。




