39.ガルムヘイム
あー、なんだか勢い余って大変なことをしでかしてしまったものだ。
ガルムヘイムへ向かう魔道自動車の中で、俺は呆然とそんなことを考えていた。
いやさ、最初は「ガルムヘイムを滅ぼすなんて酷いことは止めようよ」って言いに行くだけのつもりだったんだよ? それが、あれよあれよと言う間にラティリアーナさんの口が暴走しまくって……気がついたら一週間以内にガルムヘイムの『黒死蝶病』を何とかしてみせると宣言してしまっていたんだ。
とりあえずこっちにはリリスという万能分析っ娘がいるから完全な負け戦ってわけじゃないとは思うけど、永く獣人たちを苦しめて来た風土病がそんなに簡単に解決できるとは思えないんだよねぇ。
実際、アレス国王も同様に思ったみたいで「一週間以内に何とかやれるものならやってみろ」って放逐された形だ。謁見中に乱入するという暴挙を犯した割には寛大な対応をされたと思う。
取るものとりあえず、王都ヴァーミリアを飛び出して丸一日。横に座るリリスはずっと不機嫌なまま口を聞いていない。いいかげん心地悪かったので思い切って声をかけてみる。
「……リリス、怒ってますの?」
「怒ってるよ!」
あちゃー。こりゃ相当怒ってるわ。やっぱり暴走しまくって巻き込んだことに怒ってるんだろうなぁ。
「ラティは勝手なんだよ! 勝手に決めて勝手に突っ込んでさ──」
「でも、地獄のような酷いトレーニングをわたくしに課していたのはリリスではなくて?」
「トレーニングはいいんだよ! 死んだりしないからね! だけど風土病は違う。──キミを守れないかもしれないんだよ?」
その時になって、ようやく俺はリリスの怒りの理由に気づく。そうか、こいつは──俺のことを心配してくれてたんだな。なんていい子なんだ、よしよし。
「あ、頭をなでなでしたって許さないんだからね! でもこうなったからにはボクも全力を尽くすよ。そのかわり──ボクの言うことはちゃんと守ってね?」
「……善処するわ」
「あーっ! リリスばっかりずるい!お姉様、ティアの頭も撫でてください」
「マイムも……お願いしたいですワン」
「この流れは、私もお願いした方が良いのでしょうか?」
いやいやモードレッド、君は流れとか気にしなくていいからね。適当にティアや舞夢の頭を撫でてると、髪を整えながらリリスが耳打ちしてくる。
「……ラティ、本当に気をつけてよ。ボクが一番気になってるのは、今回の『黒死蝶病』に関するイベントが、ゲームの中では無かったことなんだ」
リリスの言葉に俺は首を傾げる。ゲームの中で無いことが起こったからと言って、なにか問題でもあるのだろうか。
「シナリオに沿ったストーリーなら、危機の回避方法が色々とわかる。だけど……今回みたいに未知の出来事には、ボクも対処できないかもしれないんだ。もちろん″死ぬ″可能性だってある。そんなことになったら、ボクは──」
「今回の件、リリスの力が全てですわ」
「……ボクが?」
「ええ。わたくしは僅かな猶予時間を作ることはできましたけど、原因を探る術を持ちませんもの。その力を持つのは──あなたですわ、リリス」
「う、うん……それは分かってるけど」
「あなたは分かっていませんわ。わたくしはこう言っているのですのよ。──″リリスを信じている″と」
自分で口にしながら、俺は信じられないでいた。あのラティリアーナから、これまでの暴言がウソのように──こんなにも殊勝な言葉が出てくるなんて。
言われた方のリリスも同様に驚いているようだった。
「ラティが、ボクを、信じてる?」
「ええ、信じてますわ。口惜しいですが、わたくしに出来たのは、あなたをこの地に連れてくるところまで。それは、あなたであれば、きっと解決の糸口を見つけてくれると信じていたからですわ」
ぐらり、とリリスの瞳が揺れる。同様に俺の心も揺れていた。この言葉は──俺の言葉じゃない。いや、俺自身もそうは思ってるけど、言葉を紡ぎ出しているのは他でもない──ラティリアーナだ。
思えば、王宮での出来事から含めて、思っていたことよりも違う言動が多かった。それはまるで──勝手にラティリアーナが話しているみたいに。
その理由も今なら分かる。ラティリアーナは、彼女の意思でリリスをこの地に連れて来たかったのだ。
──友の故郷を救うことが出来るのは、リリスしかいないと確信して。
「分かったよ。ガルムヘイムに着いたらボクは全力で病の解析を行う。ラティはその手伝いをしてね」
「もちろんですわ。舞夢を泣かしていいのは、この世でわたくしだけ。それは、たとえ病であろうと──わたくしは決して受け入れることは出来ませんわ」
もしかしたら、ラティリアーナはまだこの身体の中に残ってるのかもしれないな。でも、たとえそうだとしても──今の彼女であれば、この身体を明け渡しても何の問題もないかもな。そう思えるくらい気持ちいい言葉を最後に、気がつくとラティリアーナの口はまた元のように俺のコントロール下に戻っていたんだ。
◇◇
専属の運転手の人が二人で代わる代わる運転して丸2日。俺たちはついにガルムヘイムの近くにある小さな村に到達していた。
ガルムヘイム浄化作戦の際の集合場所となるこの地には、幸いなことにまだ他のSランク冒険者チームや軍隊は到着していなかった。ここから俺たちに与えられた時間はあと5日。それまでに何が出来るのだろうか……。
「我々がご案内出来るのはここまでになります」
「ありがとうございますワン!」
「……君の故郷、なんとかなるといいね」
ほぼ不眠不休で運転していたから疲れ切ってるだろうに、運転手さんは舞夢に優しい言葉をかけてくれた。たぶん、この人たちだって罪もない獣人たちが虐殺されてしまうのは嫌なんだろう。
彼らの期待に答えるためにも、なんとか病の原因が探せるよう全力を尽くさなきゃな。
「ここから先はマイムが案内しますワン」
何だかんだで結局俺たちについて来た舞夢が、ガルムヘイムへの道を先導してくれる。本当は身の危険があるから連れて行きたくなかったんだけど、「お嬢様だけを行かせるくらいなら、ここで腹を切りますワン!」など過激なことを言って頑なに居残りを拒否したので、仕方なく連れて行くことになったんだ。
普段は物静かなこの子がこんな激しい反応をするなんて、少し驚きだった。
ガルムヘイムにだいぶ近づいたところで、リリスがメンバー全員に《 拒絶結界 》という名の魔法を施してくれた。
「ここからは皆に、疫病を防ぐための特殊な魔法をかけるからね」
「そんな便利なものがあるなら、獣人たちにも施せないんですか? もしくは伝授するとか?」
「ティア、残念ながらこれはボクの【 神代魔法具 】だけが使用可能なパーティメンバー限定の特殊魔法なんだ。使用魔力量も莫大だから、たとえ使えたとしてもボク以外には使いこなせないよ」
「ふぅん……ティアには″真祖の血″がありますから、病の類は大丈夫だと思いますけど」
「あー、そういえばキミにはデフォルトで状態異常無効化が備わってたっけ? だけど念のためキミにも結界は施しておくよ。もし感染でもしたらラティが悲しむからね」
「お姉様が悲しむ……それでは仕方ないですね」
おやおや、ティアがめずらしくリリスの提案を受け入れてるよ。どうやらリリスにも徐々にティアの取り扱いが分かってきたって感じかな?
「一応皆んなに魔法は掛けたけど、厳密に言うとこれは病気を防ぐものじゃなくて、あらゆる外来のものを防ぐ強固な結界でしかない。病原菌が特定できないゆえの苦肉の策だし、これで完璧に防げるって保証があるわけじゃないから、決して無理しないでね?」
「はーい」
そしてついに俺たちは──『黒死蝶病』によって滅びの運命を辿る獣人たちの国″ガルムヘイム″に到着したんだ。
◆◆
ラティリアーナたちがガルムヘイムに到着した頃。
彼女たちと同じように、ガルムヘイムに向かって山道を突き進む一台の魔道自動車の姿があった。乗っていたのは、″愚者の王″ウタルダス・レスターシュミット率いる《 愚者の鼓笛隊 》のメンバーである。
しかし、これまで4人であったはずの彼らは今回5人になっていた。増えた1名は、助手席に座ったまま真剣な表情で前方を見つめる若い獣人の少女だった。
「……あと1日くらいでガルムヘイムに着くんだな? 野蒜」
「そうニャン! このペースならそのくらいで着くニャン!」
ウタルダスの問いに答えたのは助手席に座る、猫耳に銀色と黒の毛が混じった獣人の少女──野蒜である。
彼女はとある理由により、つい最近《 愚者の鼓笛隊 》のメンバーに加入していた。その理由とは──。
「きっと″獅子王″様はウチを捨てて、ガルムヘイムに向かったニャン。うぅぅ……なんだか泣けてきたにゃん」
「そんなことないってばノビルちゃん! 君は捨てられてなんかないよ! あいつはあなたを……あたしたちに託したんだよ?」
ウタルダスの真後ろに座っていた少女──アトリーに優しく諭され、野蒜はこぼれ落ちそうになる涙を必死に堪える。
「そうかにゃー……だったら無茶なことはしないで欲しいにゃん」
「だけど、″獅子王″は──ガルムヘイムに向かったんだろう?」
「うっ……たぶんそうだと思うニャン……」
「そいつはやべーな。あそこはいま正体不明の疫病が蔓延してんだろ? お上からは”殲滅指示”まで出てやがるしな」
「うぅぅ……」
3列シートの最後尾で両手を枕に外を見ていたキュリオの歯に衣を着せぬ言い方に、野蒜はまたトーンダウンして頷く。その様子を見て、キュリオの前に座っていた巨乳魔法使いのシモーネが、振り返って彼の頭をぽかりと叩く。
ほんの少し前まで、野蒜はとある獣人とともに旅をしていた。
その獣人の名は″獅子王″。既に個人名は捨てており、本名は不明。だが彼は、冒険者では知らないものがいないほど有名な存在であった。なんと彼は、ソロでSランク認定された歴史上唯一の冒険者なのである。
その彼が、ガルムヘイムで『黒死蝶病』が再発生した話を聞いた途端、物心ついた頃から一緒に旅をしている少女──野蒜を、複雑な縁のあったウタルダスたちに預けた上で、そのまま姿を消し去ったのだ。
『あとは託したぞ──新たな時代の勇者よ』
それが、”獅子王”がウタルダスに残した言葉だった。
「……俺たちは”獅子王”と二度も戦って敗れてるのにな。なんで俺たちなんだろうな」
「獅子王様はウタルダスたちのことをすごく高く評価してたニャン! だからだと思うけど……だからってウチのこと置いてきぼりは酷いニャン!」
野蒜は、実は”獅子王”の生い立ちについてよく知らなかった。
スラムの中でも最底辺の場所で半分死にかけていたときに拾われてから、これまでずっと一緒に旅をしてきた。その中で彼女は、頑固で強くて理不尽で不器用な獅子王のことを、本当の父親のように慕うようになっていた。
その男が、自分を残して立ち去った。
状況から察するに、”獅子王”はおそらくガルムヘイムになんらか関係しているのだろう。だから本当は野蒜も分かっていた。彼が、死を覚悟してたった一人でガルムヘイムへ旅立ったのだということを。だからこそ、彼は自分を置いて行ったのだと。
だが野蒜は、父と慕う”獅子王”が自分を置いて勝手に死ぬことは我慢できなかった。彼は、自分をスラムの地獄から救い出してくれた。今度は自分が──彼を救う番だ。そう思っていたのだ。
そして、”獅子王”を救いたいという気持ちは、ライバルとして二度も彼と衝突したウタルダスにとっても同じだった。確かに戦うことはあったし、手痛い敗北も喫した。いつかは乗り越えたい大きな壁だと思っていた。だけど同時に、彼が真に強さを求める男であることも理解していた。
それほどの男が、死地に赴こうとしている。ガルムヘイムという国と心中しようとしている。たとえライバルであったとしても、ウタルダスには”獅子王”が無下に死んでいくのを黙ってみていることは出来なかった。
「……いずれにせよ、俺たちはガルムヘイムへ急ごう。そのために連合からの″Sランク強制依頼″も受けてきたんだしな」
「……ありがとニャン、ウタルダス」
「んもー! ウタくんってば女の子にはほんっと甘いんだからぁ!」
「でもアトリーちゃん、そこがウタルダスさんの良いところだと思わない? ノビルちゃんもどうかしら? うふふっ」
「シ、シモーネ、胸が当たってるニャン!」
「あーらノビルちゃん。わたしはわざと当ててるのよ?」
「う、ウチはまだ13歳のうぶな女の子にゃーん! お姉さまのナイスバディは子供には刺激が強いにゃーん!」
後部座席で明るく振る舞う仲間たちの声を聞きながら、ウタルダスはハンドルを持つ手をぎゅっと強く握りしめる。
ウタルダスには他にも気掛かりなことがあった。ガルムヘイムの件だけでなく、ここのところ世界中で色々なことが起こっていることについてだ。
──穀物を食い荒らす虫の大量発生。
──沼地の、突如の毒化。
──ダンジョンでのイレギュラー個体の出現。
──魔獣の凶暴化。
ウタルダス自身、つい先日荒れ狂う邪龍を討伐したばかりだった。だがそれでも世界の異変は続いている。
もしやこれは、何か良からぬことが起ころうとしている前兆なのではないか。ウタルダスはそう感じていた。
以前、″未来の記憶″を持つアトリーが彼に言っていた。いずれ世界は危機を迎えると。その時に世界を救う英雄が自分なのだと。
ウタルダス自身にその自覚はいまだに無い。しかし状況は彼の意思に関係なく、恐ろしい勢いで変化を遂げている。
「……もしかしたら、世界に何か良く無いことが起ころうとしてるのかもしれないな。そしてそれは──ガルムヘイムで大きく動き始めるような気がする」
この予感は、果たして当たることになるのか。
このときのウタルダスに知る由はなかった。




