36.伝説の病
ここから第7章の開始です( ^ω^ )
ある山奥に、獣人たちだけが暮らすのどかな王国がありました。
その王国の名は『ガルムヘイム』。優しき獣の王と聖獣がこの地を治め、貧しいながらも平和に過ごす、獣人たちの理想郷。
かつて獣人たちは、辛く苦しい日々を送っていました。
見た目の奇妙さや、人間を上回る筋力を持つものがいたことから、人族たちは獣人を狩ったのです。
あるものは鑑賞・娯楽用に、またあるものは肉体労働のために『奴隷』として狩られました。数に勝る人族たちに、獣人たちは力及ばず蹂躙されたのです。
しかし、その苦境を解決したのが″獣王″と″伝説な聖獣″でした。
まず最初に現れたのは″獣王″でした。
″獣王″は、とても強く優しい獣人たちの王様です。彼は人族に追われ、果てには互いに争っていた獣人たちを一つにまとめました。
肉食系の獣人、草食系の獣人、文化や生活が違うものたちが一緒に暮らすのは大変なことでした。でも心優しく力強い″獣王″は、彼らをまとめ、導きました。
やがて獣人たちは、自分たちだけが暮らす国を作ろうとします。しかし、次の困難が彼ら襲います。そう、既に大地は人族たちに占拠され、彼らが平和に住む場所が無かったのです。
その危機を救ったのが″聖獣″でした。
始めその地は、生き物が住むことが困難な場所でした。原因不明の病が発生し、すぐに死んでしまうからです。
しかし、″聖獣″だけは違いました。″聖獣″は、獣人たちを癒す薬を作り与えました。その結果、獣人たちは生きるのも困難な場所で小さな国を作ることに成功したのです。
──こうして出来たのが、獣人たちの国『ガルムヘイム』でした。
″獣王″と″聖獣″に見守られ、この地でたちはいつまでも末永く生きていく。獣人たちは皆そう思っていました。
再び悪夢が牙を剥く、そのときまでは──。
◇◆◇◆
およそ一週間ぶりのマンダリン侯爵邸に帰ると、いつもはすぐに出てくる舞夢が出てこなかった。珍しいな、まぁなにか別の用事でもしているのだろう。勝手に解釈する。
「お姉様のお家、とっても大きいですね!」
「ははっ、ラティは侯爵令嬢だからね。お金持ちなんだよ」
「リリスには聞いてません。でもお姉様は本物のお嬢様だったのですね。お嬢様のお姉様……素敵です」
「二人とも、騒がしいですわ。それよりもわたくしは湯浴みがしたいです。──舞夢はいませんこと?」
他の使用人達に声をかけてみると、果たしてようやく舞夢がやってきた。だけど、俯いたままでなんだか妙にテンションが低い。あれれ? もしかして怒ってる? それとも……泣いてた?
だけど心配は杞憂だったみたいで、舞夢はすぐに顔を上げると、いつもの笑顔を見せてくれた。
「お嬢様、おかえりなさいですワン! ──そちらのお嬢さんはどうされましたワン?」
「この子はわたくしの──」
「ティアはお姉様の妹です!」
うわー、予想通りティアってば対抗意識出しまくりじゃないか。俺の腕にしがみ付いてはて、どう説明したものかと思っていると……。
「承知しましたワン。お嬢様がそうおっしゃるのであれば、そのように接させていただきますワン」
あれ、意外とあっさり引き下がったぞ。よかったー。ただでさえリリスとティアは犬猿の仲みたいになってたからホッと胸を撫で下ろす。
「それで結構。それよりもわたくしは湯浴みがしたいですわ」
「お風呂ですか? すぐに用意しますワン」
ダンジョン攻略中でもシャワーを浴びたりアスモデウスの部屋で風呂を借りたりはしたけど、やはり自宅のお風呂が一番落ち着く。なんというか、心の疲れが取れてない気がするんだよねぇ。
「お風呂ですか? ティアもお姉様と一緒に入りたいです!」
うほっ、美少女と一緒にお風呂だって? そんなラッキースケベいいのかな? もちろんオッケーだよ──。
「……ラティ、忘れてない? ティアはついてるよ?」
……あかん、完全に忘れてましたわ。
◇
結局お風呂には一人で入ることにした。
リリスからは「ボクと一緒に入るのはアリじゃない?」なとと言われたけど丁重にお断りする。だってティアが妬きそうだし、なによりこいつの視線がなんかイヤなんだよねぇ。
ゆっくりと湯船に身を沈めると、それだけで身体中の疲れが流れ出ているような気がする。あー、やっぱり湯船は最高だよね。
お湯の中から手を出して伸ばしてみる。んー、ずいぶんと細くなったものだ。以前は巨大なハムみたいだったごんぶとの腕もほっそりとしなやかになり、引き締まって水を弾く様子は実に艶かしい。
そういえばオークのようだったお腹もだいぶ引っ込んできた。少し残った脂肪もふくよかな印象さえ与えるくらいだ。……てか、この子ってばこんなにスタイル良かったっけ? 胸も思ってたよりも大きいし、なんというか肉感がある。
最近ずっと駆け足で突き進んできたから気づかなかったけど、改めて自分の姿を見てみると、かなり変化していると思う。もはや″オーク令嬢″と呼ばれていたころの印象は残っていない。最近は戦闘強化以外では【 変身 】をほとんど使ってないくらいだ。
浴場の中にある大きな鏡の前に立ってみる。
沐浴用の薄着を着たままお風呂に入ってたんだけど、ピッタリと身体に密着しているせいでボディラインがはっきりと分かる。
──やばい、今更だけどこの子ってばすんごい美人だ。まだ少し贅肉が余っててふっくらしてるけど、それがかえって肉感に溢れるというか……ってかエロすぎだろ! この子まだ15歳なんだぜ?
よーし、このけしからん身体を少し確かめさせて貰おうかな。まずは胸のあたりを──。
「お姉様! ティアはやはりお姉様のお背中をお流ししたいです!」
「ダメだよティア! だってキミは……ついてるんだから!」
「リリスこそダメです! お姉様はティアのものなんですから!」
「お二人とも、服を脱ぎながらですと説得力がありませんが」
「御託はいいから、モードレッドも行くよ?」
「……はい、わかりました」
……えーっと、なにやら外が騒がしいんだけど?
なんとも嫌な予感がして湯船に身を沈めると、すぐに入り口が解き放たれて、沐浴着やタオルを巻いた姿の3人が一気に飛び込んで来た。
「お姉様、来ちゃいました!」
「ごめんラティ、この子の暴走を止められなかったよ!」
「マスターはそう言いながら自ら脱いでましたが」
さーて、この子たちはどうしたもんかねぇ。なにげに一番気になるのは、絶妙なタオルの巻加減で見えないようにしてるティアの大事な部分がどうなってるかなんだけど……。
「うほっ! ラティの胸もだいぶボク好みになってきたね。この際だからもう身近なところでラティでもいいかな?」
「や、やはりリリスは敵なんですね! あなたにお姉様は絶対に渡しません!」
「ふふふ、そうはいかないよ。召喚、最終兵器モードレッド! ティアの動きを封じなさい!」
「マスター、私はパーティメンバーは攻撃できないようにプログラムされてます」
「な、なんですとー!?」
……うーん。なんだか相手するのも面倒なので、ガン無視して先に上がることにする。お前ら、ここで一生やってなよ。
「あ、お姉様! 待ってくださーい!」
「こら、待つんだティア! まだ決着はついてないぞー!」
「幼児体形さんには用はないのです! この手を離すのです!」
「行かすかぁっ! こうなったら最終手段だ! モードレッド、ボクたちをまとめて抱きしめるんだ!」
「……はい、マスター」
──ベキボキバキッ。
「「ぎゃあぁぁーっ!!」」
はいはい、じゃあお先にー。
修羅場と化した風呂場からさっさと脱出すると、なぜか舞夢が俺が脱いだ服を抱きしめたまま立ち尽くしていた。やはり様子がおかしい。いつもの彼女とは違いすぎる。さすがにこれは放置してはおけないな。
「舞夢、何をしてますの?」
「はっ! お嬢様! すいませんですワン、ついいつもの癖で……」
「いつもの?」
「いえ、なんでもないですワン! ダンジョン探索でいつもよりも良い匂──汚れてましたので、お洗濯しようかと抱えていましたワン」
いや、洗濯してくれるのはありがたいんだけど、やっぱり変だ。明らかに泣いていたであろう赤く腫れた目をサッと横に逸らしてるし。
俺は濡れたままの体を拭くこともなく舞夢の正面に立つと、両手で頬を包み込む。
「お、お嬢様?」
「舞夢、あなたはなにをこのわたくしに隠しているのです?」
ポタリと、前髪から落ちた湯の雫が舞夢の鼻先に落ちる。びくっと、小さな体が僅かに震える。
「マイムは……何も隠してないですワン」
「うそおっしゃい。わたくしはなんでもお見通しですわ。それともお前は──このわたくしに隠し事をするというの?」
「そ、そんな! めっそうもないですワン!」
舞夢は、基本的にラティリアーナに絶対服従だ。その彼女が、頑なに口を割ろうとしない。
これは普通のことじゃないな。そう感じた俺は作戦を変更することにする。
「舞夢、お前はわたくしのもの。わかっていますわね?」
「──はいですワン、お嬢様」
「それはつまり、お前の苦しみや悲しみもわたくしのものということです」
「……えっ?」
「お前の全てを、わたくしに捧げなさい。この意味、お分かりで?」
俺としては「君のことが大切だから、なんでも打ち明けてほしい」と言ったつもりだったんだけど、そこはやはりラティリアーナ節。なんだか口説き文句みたいになっているんだけど──これで通じたかな?
「……お嬢様は使用人風情に優しすぎですワン」
はたして舞夢は、顔をクシャッと歪めると、大きな瞳からポロポロと涙を零した。
「お嬢様には隠し事などできないですね」
「当然ですわ。わたくしを誰だと思ってるの?」
「でも、面白くない話ですワン。獣人の闇の歴史に関することですワン」
「そんなの関係ありませんわ」
「……分かりましたワン。それではお嬢様にお話しさせて頂きますワン」
◇
「舞夢が困ってることならボクたちだって力になるよ!」
「はい、私も支援します」
「お姉様が守るものは、ティアも守りますっ!」
何だかんだで休戦協定を結んだらしいリリスたちを加えると、場所を風呂場からラティリアーナの私室に変えて、舞夢から詳しい話を聞くことにした。
彼女の口から語られたのは、想像していたよりもはるかに重い″獣人たちの不幸の歴史″についてだった。
「ご存知だとは思いますが、獣人たちはかつて世界中で迫害されていましたワン」
そう言われても世間知らずのリリスたちはピンと来てなかったみたいだけど、舞夢の言う通り″獣人″は昔″人″として扱われていなかった。見た目が獣に近いというだけで、奴隷として死ぬまで働かされたり、時には娯楽目的で殺されたりしていたと聞いている。
「その状況を変えたのが、初代獣王である我流無様ですワン」
今から数百年前、人々から迫害されていた獣人たちは″獣王″ガルムを筆頭に人族と対決する。のちに『解放戦争』と呼ばれる長く苦しい戦いを経て、ガルムたちは人族の代表たちと和解し、ついに獣人たちは人として生きる権利を獲得する。
しかし、自由は得たものの、彼らに生活するための場所はなかった。既に住みやすい場所は全て人族に抑えられていたのだ。そこで獣人たちは、新たに自分たちが平和に暮らせる場所を探し始めたのだという。
それは、長く苦しい旅だった。なかなか良い土地が見つからず、彼らの放浪は数十年にも及んだのだという。
彼らを導いたのは歴代の″獣王″たちだ。獣人たちの中で最も強い力を持つものが″獣王″となり、苦難の旅を先導していった。
「やがてマイムたち獣人のご先祖たちは、山奥の深い谷の先についに理想郷を見つけましたワン。その地を、初代獣王様の名前を取って『ガルムヘイム』と名付けましたワン」
綺麗な水や豊かな土壌、そして手付かずの自然。
生活に不自由しないだけの場所を手にして、獣人たちはついに永住の地を見つけたと思った。ところがそこで予想外の困難に襲われることになる。
「ガルムヘイムには、未知の風土病がありましたワン。その症状から、ご先祖様たちはこの病気を『黒死蝶病』と呼びましたワン」
──『黒死蝶病』。
なんと不吉な名前だろうか。
「その病気は、どんな症状だったの?」
「はい。初めは体に黒い点がポツポツと浮き出るんですワン。それがやがて数が増えて、黒い蝶みたいな模様になりますワン。そうなったが最後、全身から黒い瘴気を吹き出しながや血を流して死んでしまいますワン」
「うっ……」
リリスが思わず口を抑えてしまうのも仕方ない。聞くだけでも吐き気を催すほどの悍ましさだ。
舞夢の話によると『黒死蝶病』の致死率は5割を超えていたらしい。一度発症すると過半数が死んでしまうとは、かなり恐ろしい病気だったのだろう。
普通だったらそんな恐ろしい土地では生きていけない。だけど獣人たちにも簡単に他の場所に移れない事情もあった。人族との土地争いだ。
まさに八方塞がり。
そんな状況を打開したのが、もう一人の獣人の英雄の誕生だったのだという。
「その獣人は、『黒死蝶病』にかかったのにほとんど発症しなかったらしいですワン。そこで、その獣人の″血″を発症した患者に与えたら、症状が劇的に改善しましたワン」
「ワクチン……いや血清か? 原始的だけど極めて有効な手段だね」
いつになく真剣な表情で話を聞いていたリリスが、なにやら聞いたことがないような単語を口にする。言葉の意味はわからないが、おそらくはリリスの前世において似たような病気の治療法があったのだろうか。
「詳しい理由は分かりませんが、血を薄めて飲むことで人々が病を発症することは無くなりましたワン。やがてその獣人と彼女の血は、神聖なものとして崇められるようになりましたワン。彼女──麻里弥は、ガルムヘイムの人たちから″聖獣″と呼ばれるようになったのですワン」
不思議なことに、風土病『黒死蝶病』に対する血の効果は、麻里弥の子孫たちにも受け継がれていった。ゆえに彼女の子孫は代々″聖獣″として崇められることになったのだという。
以降、ガルムヘイムの民たちは、生まれると″聖獣″の血を与えられた。以降は恐ろしき『黒死蝶病』も発生することはなくなったのだという。
最も強く優しいものが成る″獣王″と、聖なる血を持つ一族の末裔″聖獣″。この二つの存在によって『ガルムヘイム』の平和は保たれていた。
──10年前、あの悲劇が起こるまでは。
「今から10年前に、『黒死蝶病』が突如再発生したのですワン。しかも──″聖獣″の血が効きませんでしたワン」
そして舞夢の口から語られたのは──″獣人たちの楽園″と呼ばれたガルムヘイムが、たった一つの風土病の発生によって瞬く間に壊滅していくという、世にも悲惨な事態についてだった。




