34.初めての……
結局この日はそのままダンジョンに泊まることになった。本来であればひと時も心休まるときが無いような場所だというのに、来客用の部屋まで用意されており、まさに至れり尽くせりだ。
しかしダンジョンの──しかも最下層にわざわざこんな部屋を用意する意味があるんだろうか……。
ふかふかのベッドはとても気持ちよくて寝心地は最高だったものの、妙に寝付けなくて部屋の外に出てみることにする。すると、ダンジョン内を一人でふらふらと幽鬼のように彷徨うティアちゃんにばったり遭遇した。
「どうしたんですの? こんな夜中に」
「……あっ、ラティリアーナさん」
誰かいるとは思ってなかったのだろう、俺に声をかけられて随分と驚いていた。そりゃそうだよな、この子はこれまであの骸骨野郎とたった二人で生きてきたんだもんな。
「驚くことなどありませんわ。もっとも、私の美しさに驚いたのであれば仕方ありませんけれどもね」
「ふふっ」
ティアがまるで天使のように微笑む。信じられるかい? この子これで男なんだぜ?
「あの……ラティリアーナさんは、ティアたちのことが怖くないのですか?」
「怖い? どうして? こんなにも愛らしいのに?」
「うっ……そう言われると照れてしまいます」
ぁーー、なんだろう。マジで可愛い反応なんですけど。あかん、なんか自分の中のいけないスイッチが入ってしまいそうだ。
「ティアは……物心ついた時からパパと二人っきりで過ごしてきました。だからその……ラティリアーナさんみたいに綺麗な人とお話しするのが初めてで……」
「まぁ、可愛らしいこと言ってくれるわね。わたくしのことは″お姉さん″とでも思ってもらっていいですわよ?」
「お姉さん……いいんですか?」
「ええ、もちろんですわ。そのかわり、わたくしもあなたのことをティアと呼びますわね」
「はいっ! ラティリアーナお姉様!」
ゾクゾクっと背筋に鳥肌が立つ。お姉様と呼ばれることに、言葉にできない感覚が突き抜けてゆく。もしかしてこれ、禁断の扉開けちゃったりした?
「ティアは嬉しいです。ティアはずっとこのダンジョンから出れなくて、いつもパパに出たいってワガママを言って困らせてました。泣いてるティアを、パパはいつも優しく慰めてくれたんですけど……」
あの骸骨男、なかなか良いやつじゃないか。男の娘を育成してる時点でろくでもない奴だと思ってたけど、少しだけ見直すことにする。
「ティアは、外の世界を知りません。外の世界に出たいです。外はきっと希望に満ちています。でも……パパは認めてくれませんでした」
そういえばさっき骸骨野郎は『ティアを連れ出してくれる人を待っていた』と言っていた。あれはいったいどういう意味だろうか。
「たぶん、敵の存在を恐れていたのだと思います。その敵は、ティアをのことを狙っているのだとパパは言ってました。だから、あの敵に打ち勝てるような人がここに来るのをずっと二人で待っていたのです」
「なるほどね……だったらもう心配いりませんわ」
「えっ?」
「なぜなら──このわたくしたちこそが、敵を打ち倒しティアをここから連れ出す存在なのですから」
思わず出てしまった台詞。だけど後悔はしてない。
なぜなら──ティアの顔が、輝くような笑顔を見てしまったのだから。
「嬉しいです──お姉様」
涙を流しながらティアが抱きついてくる。俺は迷うことなく優しく抱きしめる。漂う、甘美な香り。ああ、わかる。わかるぞー。これこそがきっと禁断の園の香りなんだ。
──チクリ。
首筋に痛みが走る。
──ちゅるちゅるちゅる。
何かを吸うような音が聞こえる。
えーっと、あのー、これってもしかして……。
「お姉様の血、とっても美味しいです」
げぇぇぇえっ!? この子、俺の血を吸ってるよぉぉ!!
慌ててティアを突き放す。いやいや、首元から血が……って、あれ? 止まってる?
「大丈夫ですよ。ヴァンパイアの吸血はすぐに血が止まるように不思議な力が働くんです。流れ出たのはティアが舐め取っておきましたから……うふふっ」
へぇー、だったら安心だ……って、んなわけあるかーい!!
「す、すいません……我慢できなくて、つい」
いやいや、すいませんじゃないだろ!?
確か吸血鬼に血を吸われたらその眷属になるんじゃなかったっけ!? うわー、俺までヴァンパイアになっちゃうの!?
「大丈夫です。ティアは真祖なので、無節操に眷属化なんてしませんから」
へ? だったら俺がヴァンパイアになることは無いってこと? あーよかった、ホッとしたよ……って、なんもよくねぇし!
「ティア、人の血を吸ったのは初めてなのです。嬉しいです、ティアの初めてがお姉様で……きゃっ!」
恥ずかしそうに顔を赤らめる美少女──いや男の娘ヴァンパイアのティア。そんな顔を見たら怒れなくなるじゃないか、くそっ!
もしかしたら俺はとんでもない地雷っ子に懐かれてしまったんだろうか……トホホ。
◆◆
同じ頃。
ダンジョン内の別の部屋では、リリスとアスモデウスがテーブルをはさんで向かい合って座っていた。
「……カッチン、なんだいこの趣味の悪いキューティーなダンジョンは? ピンク系アンデッドなんて前代未聞だよ?」
『いやな、ダンジョンマスターになったら好きな形でモンスターを召喚できるようになるねん。だからつい……』
「つい? ついでこんな風に?」
『その……ほんまはな、ティアが可愛いのが好きやってん。わいはアンデッドやから同系列のモンスターしか召喚できへんのやけど、普通のスケルトンとかゾンビやとあの子が怖がるねん。せやから、なんとかあの子が怖がらずに喜んでもらえるようにと思って、な』
「……可愛がってるんだね」
『……まぁな。ティアはわいがこれまで生きていく希望やってん』
「だったらなんで男の娘にすんのさ」
『だって……ゲームしてる時から女の子と思ってたんやもーん。しゃーないやんか』
アスモデウスがコーヒーを手に取る。どこに吸い込まれているのか、コーヒーは溢れることなく骸骨の体内へと消えていく。
「……ねぇカッチン。まだホントのこと言ってないでしょ?」
『ひゃひゃひゃ、マコっちゃんには隠し事ができへんなぁ。でも──ここに来てくれたんがマコっちゃんでホンマに良かったわ』
アスモデウスの瞳が妖しく輝く。
『なぁ、マコっちゃんはどこまで記憶が戻っとるか?』
「……実はあんまり戻ってないんだ」
『やっぱりな。じゃあ死んだときのことも覚えとらんのか?』
「うん。もしかしてボクたちは一緒に死んだの?」
『……そうや。わいらがおった教室が爆発したんや』
「うそっ!?」
思わずリリスが立ち上がる。だがアスモデウスが静かにそれを制した。
『──あんとき、わいの記憶やとうちらのクラスには6人おった。わい──【 佐伯 克也 】とマコっちゃん──【 鳳 誠実 】の他は、クラス委員長だった【 亜鳥 晴香 】、いけすかないコギャルの【 御堂橋 順子 】、気味の悪かった【 四道 蓮 】、そして……学年一の人気者だった【 佐々礼 優真 】。このうちの誰かが、クラスを爆発させた犯人や』
「……なんだって?」
『確証はない。せやけど確信はある。ほんでわいはそいつが、大魔王を殺したやつと同一やないかと思ってる』
「カッチンは──そいつの姿を見たの?」
『いんや、見てない。ただ、こと切れる前に魔族の仲間が、『我々が、わずか二名に滅ぼされるとは……』って言い残したんや』
ラスボスよりも強い大魔王をあっさりと殺した”人間の男”。そいつの正体はこの6人のうちの誰かなのか、それとも──。
『なぁ、マコっちゃんはこの世界にきて”殺し”はやった?』
「……ううん、動物でさえも無理。だから攻撃系の手段は諦めてるんだ」
『……実はな、わいもそうや』
「うっそ!? そんなナリなのに?」
『せや。人を殺せない”不死者”なんて笑えんよなぁ。でもやっぱ平和な日本から来たわいらには、命を殺めるってのがハードルが高すぎなんや』
「まぁねぇ……いくら転生して15年も生きてたとしても、無理なものは無理だよねぇ」
『ああ、それが普通やと思う。せやからわいはこのダンジョンでも、冒険者を殺さんようにうまくバランスを調整しとるんや。死にかける前に逃がしてあげたり、気絶したら出入り口の近くまで運んであげたりとかして、な。だけど──そいつは違ったんや』
その男は、転生してわずか1年しか経っていないというのに、あっさりと魔族たちを皆殺しにした。その残忍さもさることながら、異世界から転生した人が、たったの一年でそこまで残虐になれる理由が、アスモデウスには到底理解できなかった。
『そいつ、もしくはそいつらの狙いがなんなのかはわからん。せやけど、マコっちゃんもくれぐれも気をつけてな。あいつは──命に対してなんら重みを感じていない。そんな化け物が、高校の同じクラスに居たなんて考えたくもないんやけどな』
「うん……わかったよ、ありがとう」
もしかすると、頂点を目指す路程において、その男と対峙することがあるかもしれない。できれば殺し合いなどはしたくないのだが、究極の場面において自分は相手を殺めることができるのだろうか。リリスはすぐに答えを出せなかった。
『なんや辛気臭くなってきたな、少し話題を変えようか……ところでマコっちゃんは《 英霊の宴 》の勝利者に与えられるものってなんやと思っとる?』
「──おそらく【 管理者権限 】じゃないかと」
『……同じや。わいもそう思ってる』
管理者権限について、二人は″この世界をある程度自由にできる権利″もしくは″能力″だと考えていた。限りなく神に近い──それゆえに《 英霊の宴 》の勝利者に与えられるに相応しい大きな力。
『せやからわいは意地でも《 英霊の宴 》に出て、勝ち残って……ティアが幸せに暮らせる世界を作りたいと思っとった。マコっちゃんがいるなら、一緒に戦いたかった。だけどな──今のわいには無理なんや』
「無理? なんで? ボクは普通にキミ達二人をうちのパーティに誘うつもりだったんだけど」
『わいはな、ティアを守るために【 ダンジョンマスター 】になってしもうたんや。その結果、わいのこの身体はダンジョンに縛られることになった。わいはもう──死ぬまでこのダンジョンから出ることが許されんようになってもうたんや』
「んなっ!?」
実はアスモデウスは、このダンジョンに魂ごと完全に縛られていた。ダンジョン内における絶対的な権力と能力を手に入れる代償として、彼はダンジョンから外に出ることができなくなってしまっていたのだ。
「なんで……そんなことを」
『せやからティアを守るためやって』
アスモデウスは、大魔王を殺した男からティアを守るためにダンジョンを作った。しかし、ティアが成長するにつれ、そのことが問題となってきているのも事実だった。
『最近ティアがな、外に出たがりはじめたんや。あの子の気持ちはようわかる。こんなダンジョンで一生隠れてるのなんて、死んでるも同然や。まぁわいはアンデッドやけどな!』
「確かに死んでるし……って、やかましいわっ!」
『せやからな、いよいよゲーム開始となるこのタイミングで、誰か冒険者にティアを連れ出してもらいたい思って、わざわざイシュタル王国の王都ヴァーミリアの側に引っ越してきたんや。とてつもなく強い──願わくば″例の男″を倒せるくらい強い冒険者に来てもらうために、な』
だが、ここにやってきたのは未だ下位ランク冒険者チームのラティリアーナたちであった。それでもアスモデウスは、この出会いこそが運命だと確信していた。
『そんなわけで、マコっちゃん……いやリリスはん。わいの代わりにティアを外に連れ出してくれへんやろうか?』
かつて親友だった男の真摯な願いを受けて、リリスはある決断を下す。
彼女が導き出した答えは──。
◆◇
翌朝。
思っていた以上によく眠ることが出来たみたいで、目が覚めた時は自家にいるのかと錯覚するほど清々しい朝を迎えることが出来た。妙に身体が軽いのは、もしかして昨日ティアに血を吸われたせい……?
昨日血を吸われた首筋に手を当てると、少しだけポッコリと腫れていた。まるで蚊に刺されたみたいだ。
「おはようございます、お姉様!」
部屋から出ると、外で待ち構えていたのか──ティアがいきなり抱きついてくる。んー、なんか仔犬にでも懐かれたような気分になってきたぞ。
「おやおや、もうそんなに仲良くなったのかい? キミも隅に置けないねぇ」
寝癖のついたピンク頭を掻きながらリリスも登場する。するとティアが俺の右腕をぎゅっと掴んできた。
あれれ、もしかして人見知りしちゃったのかな? ティアちゃん、こいつは大丈夫だよー。攻撃してもろくに反撃できない、人畜無害のロリ幼女だからさ。
──すると俺の思いが通じたのか、ティアのほうからリリスに向かって声をかける。
「……は…………です」
「ん? テレイシアちゃんなんか言った?」
「お姉様は、ティアのものですっ!」
「っ!?」
俺の腕を掴んだまま、リリスに対して敵意むき出しで牙を剥くティア。ちょ、ティアってばどうしちゃったの?
「だ、大丈夫だよテレイシアちゃん? ボクは敵じゃないよー。パパともお友達だしさ」
「パパって言うなキモい!」
「ぐほっ! なんだこの精神攻撃は……いやいや負けないぞ。あのね、テレイシアちゃん。ボクとラティはパーティメンバーなんだよ? つまりボクたちは仲間ってことで……」
「違います! ティアが、ティアこそがお姉様の一番になるんです!」
……なんだこれ? もしかして俺、ティアちゃんに相当懐かれてる?
そのとき、別の場所にいたモードレッドが騒ぎを聞きつけてこちらにやってきた。やばい、モードレッドにも噛みついたらどうしよう? あの子、手加減ができない子だからなぁ……ちょっと心配になってきたぞ。
「おはようございます、マスター。どうなさったんですか?」
「あっ、モードレッド! その子は危ないから気をつけて! なんかね、ボクに嚙みつこうとしてるんだよ。吸血鬼ってば怖ーい!」
「おはようございます、モードレッド」
「おはようございます、テレイシア」
「……はい?」
リリスを完全に無視して普通に挨拶を交わすティアとモードレッド。予想外の状況に、リリスが間抜けな声を上げる。
「ど…どうして? なんで二人は普通に接しているの?」
「ティアとモードレッドは同じ魔物同士ですから何の問題もありません」
「はい、この方からの敵意は感じられません」
「うそっ!? ボクだけ蚊帳の外っ!?」
「それよりもティアは、あなたの血なんか頼まれたって吸ったりはしません。ティアにだって相手を選ぶ権利があるんです」
「なっ!?」
「ティアが血を吸うのはラティリアーナお姉様だけです。だって昨日の夜、ティアの初めてを捧げたんですから……」
「はあっ!?」
おいおい、なんだか話がおかしな方向に向かっちゃってるぞ? ちょっとティアちゃん、そこのお兄さんはポンコツだから、ちゃんと言わないとすぐに誤解しちゃうよ? 現に──。
「ラティに初めてを……捧げた?」
「ええ、素晴らしい経験でした。ティアは初めてで怖かったんですけど、お姉様が優しく包み込んでくれて……」
間違ってない。間違ってはいないが、その表現はいかがなものかと思いますが?
「最初にちょっとだけ血が出ちゃったんですけど、大丈夫でした。それよりも、その後に続くめくるめく興奮に、ティアは溺れてしまいそうでした」
「ちょ、それってまさか……」
「見てください! これがティアとお姉様の愛の証ですっ!」
ティアが俺の喉元の服をめくり、昨日血を吸われた跡を指し示す。ポツンとふたつ、蚊に刺されたみたいなっていたところだ。
「キスマーク……それに二つも! ラティ、キ、キミは……」
「これでわかりましたかっ! ラティリアーナお姉様はティアのものなんです!」
『おはようさーん。あんさんらは、朝っぱらから元気やなぁ〜。ん? なんでこんな険悪な雰囲気を醸し出しとるんか?』
ここで助け舟に入ってくれたのは、骸骨野郎アスモデウスだった。″不死の王″の登場に最大級の安心感を覚えてしまうのは如何なものかと思うが、このシチュエーションでは仕方ないことだろう。
『あっはっは! そうかー、ティアもついに吸血を経験したのかぁ!』
アスモデウスが間に入ってくれたおかげで、ようやく誤解を解くことに成功した。それまでの間、リリスから俺に向けられた冷たい視線が痛くてたまらなかったよ。
『……でもまぁ、そんだけ仲良うなったなら、もう安心かな? なぁ、マコっちゃん?』
「……まぁそうだね」
なんの話だろうか。勝手に目線で会話し合うリリスとアスモデウスがなんか不気味極まりない。
『ラティリアーナはん、あんたに折り入ってお願いがあるんや』
「このわたくしに?」
コクコク、骸骨が頭を揺らして頷く。
『この子を……ティアをあんたらのパーティに加えてもらえんか?』
″不死の王″アスモデウスの申し出は、半分は予想できていたことだった。だけど残り半分──アスモデウス自身はどうするのだろうか?
「パパは……? パパはどうするの?」
『わいか? わいは……いかへん』
「えっ?」
『いや、正確にはいけへん、やな。わいはな、このダンジョンに縛られてるんや』
アスモデウスは説明した。【 ダンジョンクリエイト 】を実行した時点でこのダンジョンに身体が縛られてしまったこと。だから彼はダンジョンから出ることが出来ないということを。
「パパが外に出なかった理由は……そういうことだったのね」
『ティア、これまで辛い思いをさせてもうてえろうすまへんかったなぁ。でも、これからは自由や。ティアは──彼女たちと共に外の世界を見てくるんやで』
「パパ……」
ティアが目を潤ませ、アスモデウスを見つめる。心なしか”不死の王”の瞳の色が優しく煌めいたような気がした。
「ティアは……ティアはお姉さまたちと一緒に必ず《 英霊の宴 》に行くね。行って、パパをダンジョンから解放するようお願いするから。だからそれまでは……待っててね」
『ティア……』
熱く抱き合う、骸骨と美少女。側から見たらシュールな光景だというのに、自然と胸が熱くなる。
色々あったのかもしれないけど、たぶんこの二人は”完全な親子”なんだなって思った。
だけど、これでまた一つ、《 英霊の宴 》を目指さなきゃいけない理由ができちまったな。
わかったよ、アスモデウス。俺たちは必ず、ティアと一緒に《 英霊の宴 》に行ってみせる。そのためにも、一日も早く一流の冒険者にならないとな。