25.冒険者狩り
その日、冒険者スタージュンは酔っていた。
前日の冒険が上手くいったので、つい飲み過ぎてしまったのだ。得られた魔物の部位に思わぬ高値がついたので、多少懐が暖かくなったことも影響していたかもしれない。
「うぃー、ちょっと飲み過ぎちまったなぁ。げぷー」
ふらふらと揺れながら、定宿がある裏道をゆっくりと歩いていく。頭の中では、カビ臭い宿の硬いベッドに横たわる姿をイメージしていた。
──目の前に、仄かに紫色の光を放つ人物が現れたのは、そのときだった。
ぴったりと身を覆うような黒い服に、頭を覆う黒いターバン。顔は黒いマスクをしていてはっきりと分からないが、胸の膨らみから相手が女性であることはすぐに分かった。首から下げている銀色に光るネックレスだけが、相手の忍び衣装に対比して異質に浮いている。
酔いに曇った頭の中が、瞬時に研ぎ澄まされる。そこはスタージュンもシルバーランクの冒険者、酔っていてもすぐに戦闘準備を整えていた。
「……誰だ、あんた」
相手は答えない。
替わりに紫色の瞳を大きく見開き、じゃがいも月を浴びて鈍色に反射する細身の剣を抜く。
闇夜に現れる、紫色の魔力を浴びた女。
スタージュンは、その正体に察しがついていた。
「へへっ……知ってるぜあんた、例の″冒険者狩り″だろう?」
だが、やはり紫の女は答えない。代わりに右手を前に出し、くいくいっと動かして挑発してくる。
「いいだろう、相手してやるよ! シルバーランクの強さ、見せつけてやるっ!」
スタージュンは腰の剣を抜くと、鋭く斜めから切り込んだ。ゴブリンをたったの一刀で両断するほど強烈な一撃だが、手応えなく空振りする。″冒険者狩り″のネックレスが放つ銀色の光が、天に伸びていったような気がした。
「なっ!? どこへ行っ……ぐわっ!」
頭部に突如襲いかかった衝撃に、スタージュンは堪らず吹き飛ばされた。持っていた剣はどこかへ弾き飛ばされ、身体は近くの壁に叩きつけられる。
「ううっ……くそっ、真上に飛んでやがったのかよ。なんて身軽な──げっ!?」
気がつくとスタージュンの目の前に、″冒険者狩り″の女の剣が突きつけられていた。がっくりと項垂れ、スタージュンは負けを受け入れる。
「……参ったよ、″冒険者狩り″のお嬢ちゃん。噂通り強えぇんだな」
『── 怪盗マスカレイドに会ったら伝えろ。《 仮面舞踏会 》で待っている、とな』
どこからか聞こえてくる何重にもエコーがかかった声でそれだけを言い残すと、現れた時と同じように″冒険者狩り″は姿を消した。
残されたスタージュンは、壁に背をもたれたまま、完全に酔いの覚めた口調でひとり呟く。
「あの姿といい、最後のセリフといい、間違いない。あいつが……噂の″冒険者狩り″か。強ぇなぁ……それにしてもいい匂いがしたなぁ」
◇◇
王宮でのルクセマリア王女とラティリアーナの勝負開始から、すでに半月以上が経過していた。
この間、ルクセマリア王女は騎士隊長ダスティと組み、《 怪盗討伐隊 》を組織して街に何度も繰り出している。
一国の王女であり″イシュタルの睡蓮花″の二つ名で呼ばれるほどの美少女であるルクセマリアの市井での人気は高く、彼女が討伐隊長となったことで一気に怪盗マスカレイド討つべしの世論が広まっていった。
「ねぇダスティ。つい先日まではマスカレイドのことを義賊と持て囃していたというのに……民衆とは飽きやすいものなのね」
「そりゃひとえに王女様の人気のおかげなんじゃあないすかねぇ?」
この半月ほどで大分ルクセマリア王女の人となりを理解したダスティが、彼女の問いかけに軽い口調で応じる。二人はチームを組んで、既に五組もの盗賊や詐欺師の類いのものたちを捕縛していた。これば怪盗マスカレイド探索の副産物ではあったものの、王女人気を高める大きな要因になっている。
「しっかし、ザコはいくらでも捕まるものの、肝心の本命が一向に行方知れずですなぁ」
「きっとこそこそと逃げ回っているのでしょうね。代わりに変な噂が聞こえてくる始末だし」
「あぁ、例の″冒険者狩り″っすかぁ?」
世間を騒がす″冒険者狩り″の噂は、既に二人の耳にも届いていた。
紫色の瞳を持った、全身黒装束の女性剣士。
夜な夜な冒険者たちを襲い、ほとんど傷を負わせることなく倒した後、最後に決まって同じセリフを残して去っていく。
そのセリフが──『怪盗マスカレイドに会ったら伝えろ。《 仮面舞踏会 》で待っている』というものであることまで、二人は複数のルートから確認していた。
″冒険者狩り″に関する噂は凄い勢いで広がっており、既に王都ヴァーミリアの冒険者たちで知らぬものはないほど有名になっていた。中には美女と噂される″冒険者狩り″に襲われたくて、わざと夜に一人で出歩くものさえいるのだという。
ルクセマリアとダスティは、この″冒険者狩り″の正体に薄々気が付いていた。なにせご丁寧に借り受けた《 銀嶺の雫 》をわざわざ首から下げているのだから。
一連の行動が、″怪盗マスカレイド″を挑発していることはルクセマリアにも分かった。だが、なぜこのような行動を取っているのかは理解できなかった。
「……ラティリアーナが何のためにこんなことをやっているのかは知らないけど、あたしたちはあたしたちのやり方で怪盗マスカレイドを追い詰めていくわよ? いいわね、ダスティ?」
「へいへい。わかってますよ、王女様」
君子危うきに近寄らず。
ダスティはそれ以上何も言わずに無言で頷くと、大剣を肩に担いでさっさと前に歩き始めたのだった。
◇◆◇◆
イシュタル王国の王都ヴァーミリアにある《 アドベンチャー亭 》は、街中の冒険者たちが集まる飲食店として知られていた。
ある者は一山当ててどんちゃん騒ぎをし、またある者は失敗した依頼に落ち込み、やけ気味に酒をあおっている。
だが彼らに共通しているのは、『良いことも悪いことも明日に持ち越さない』ということ。この一点に、冒険者生活の過酷さと充実さが現れていると言っても過言ではない。
そして今日もまた、《 アドベンチャー亭 》では冒険者たちが新しい情報をツマミに酒を楽しんでいた。昨今の彼らの格好のネタは──毎夜のように現れては消える″冒険者狩り″についてであった。
「おいおい、今度はスタージュンがやられちまったんだってよ?」
「あいつ前に『冒険者狩りだぁ? 俺がひん剥いて乳揉んでやんよ!』とか偉そうに言ってたくせに、あっさりやられちまったのか。まったく、シルバーランクも形無しだな!」
「冒険者狩りのやつ、また例の捨て台詞を残していったらしいぜ! 『怪盗マスカレイドよ。仮面舞踏会で待つ』ってな! こいつは何かの暗号なのか?」
「そうかもしれねぇな! で、肝心なスタージュンのやつはどうしてここに来ないんだ? もしかして大怪我でもしたってのか?」
「いや、大口叩いたくせに負けちまって、ここに出す顔も無いんだってよ! ただ……あいつから一つ伝言がある」
「……ほう、なんて伝言なんだい?」
「伝えるぜ──『冒険者狩りは、顔は見えなかったが確かに美少女だった』ってよ!」
「「ぎゃはははっ!」」「顔が見えないのに美少女ってどうして分かんのさっ!」「あいつ、ついに頭がイカれちまったんじゃねーか?」
″冒険者狩り″をネタに、今日も盛り上がる冒険者たち。だが、大騒ぎする彼らの喧騒から少し離れた場所で、下を向いたままチビチビと酒を飲む男の姿があった。
おそらく20歳前後だろうか。だがフード付きのマントを深く被り、顔つきはよく見えない。
彼の存在に気づいた一人の酔いどれ冒険者が、酒瓶を片手に近寄っていく。
「おう、兄ちゃん! あんた若いくせに辛気臭い顔してんなぁ!」
「…………」
「おい! せっかくだから俺が酒を奢ってやるぜ? ほら、カップを出せよ!」
「…………」
「あんだよ兄ちゃん、俺の酒は飲めないって──」
「おいお前! いいかげんに絡むのはやめとけよ!」
酔っ払いは、別の男に捕まってズルズルと引き戻されていく。
「悪ぃな兄ちゃん、邪魔した。だが……あんまり落ち込むんじゃ無いぞ? ダメな日もあるがいい日もある。明日には笑って過ごそうぜ?」
「…………」
二人の酔っ払いが去ったあと、フード付きマントを羽織った男は、手に持つカップに口を付けながら小さな声で呟く。
「首には″銀嶺の雫″。そして残したメッセージは『怪盗マスカレイド、仮面舞踏会で待つ』……。これは完全に俺への挑戦状じゃないか」
コトリ……。男は静かにカップを置く。
顔に浮かんでいるのは、暗く歪んだ笑み。
「……分かったよ、乗ってやろうじゃ無いか″冒険者狩り″。貴様か、この怪盗マスカレイドのどちらが上か、仮面舞踏会でハッキリとさせてやる」
◇◆◇◆
夕闇に沈んだあとの王都ヴァーミリアは、一気に人の気配が無くなってゆく。特に街の明かりが届きにくい裏路地などは、雰囲気も相まって通るものもほとんど居なくなっていた。
だが、中にはそのような場所を根城にしている存在もいた。
事実、ここにも怪しげな様子の三人の女性の姿があった。いや違う。目立たない格好をしていたものの、彼女らは不審者ではない。
──ラティリアーナ、リリス、モードレッドの三人組である。
「ねぇリリス。こんな方法で本当に怪盗マスカレイドを炙り出せますの?」
俺は″断魔の剣″をペシペシと叩きながら、町娘のような格好をしたリリスに尋ねる。
ここは王都ヴァーミリアの薄暗い路地裏。【 変身 】を発動して天使モードになり、黒装束に黒いマスクという怪しげな出で立ちに首から《 銀嶺の雫 》を下げた俺は、リリスの指示で″冒険者狩り″という謎イベントに手を出していた。
「大丈夫だよラティ、全ては順調に進んでる。″冒険者狩り″の噂話とマスカレイドに伝えるべきメッセージは驚くべき速度で冒険者たちの間に広がってることが確認できてるしね」
「マスターの言葉通り、既に冒険者だけでなく市井のものたちまでが″冒険者狩り″の噂をしていることが確認されてます」
ちなみにリリスの考えた作戦とはこうだ。
まず俺が″冒険者狩り″となって、片っ端から冒険者たちに夜襲をかける。このときあえて怪我は負わせずに、意味深なメッセージを伝えることが重要だ。
街の人々や冒険者たちは、日々退屈に飢えている。だから面白い話があったら、きっとすぐに飛びついてくる。
事実、夜な夜な冒険者に襲いかかる正体不明の女の噂は、あっという間に広がっていった。
これだけ広がったのであれば、きっと怪盗マスカレイドことクラヴィス・マグワイアの耳にも届いていることだろう。なにせ奴は冒険者で、かつ市井の噂が気になって仕方ない奴なのだから。
「そうじゃなきゃ、あんな派手な犯行予告なんてするはすがないからね」
それが、リリスの言い分である。
「それで、なぜわたくしがこのように汗を流さねばならないんですの?」
「理由はもちろん、ラティを鍛えるためだよ。なにせクラヴィスと戦うには対人間の戦闘経験が不足しすぎてるからね」
リリスの分析によると、クラヴィスはかなりの戦闘能力を持っているのだそうな。詳しいデータを見せてもらったわけじゃないので知らないが、HPだけで見ても500以上はあるらしい。
だったら俺じゃなくてモードレッドがやればいいじゃんと思うところだけど、そう簡単には物事は進まないようで。
「もちろん、モードレッドのほうが遥かに強いよ。だけど今回の場合それが問題なんだ」
「……どういう意味ですの?」
「あのねラティ。モードレッドはね……手加減ができないんだよ」
「別に賊相手に手加減などする必要は無いのではありませんこと?」
「そしたらさ、モードレッドはクラヴィスをみじん切りにしちゃうよ?」
「……はぁ? モードレッド、あなた賊を捕縛することも出来ないんですの?」
「申し訳ありません、サブマスター。私には相手を壊すか鍛える機能しか備わっていません。なので、捕縛するという言葉の意味が理解できないのです」
なんと、モードレッドちゃんは相手を虐殺するかトレーニングしてあげることしかできないらしい。こいつ明らかに欠陥品だろ!
とはいえ、確かに俺たちはクラヴィスを助けるためにこんな″冒険者狩り″なんて回りくどいことをやっているわけで……殺しちゃったら本末転倒だもんなぁ。
だから俺がクラヴィスに1:1で勝てるように、この一ヶ月の間でとにかく実戦経験を積む必要があるってわけだ。
「うん、そういうこと。ラティを鍛えることができて怪盗マスカレイドも捕まえてクラヴィスも救えて、おまけに王宮からのスカウトも躱すことができる! まさに一石三鳥どころか四鳥だね! ボクってば天才!」
果たしてそんなに簡単に上手くいくのだろうか。
最初の頃は半信半疑だったものの、【 変身】を使って″天使ラティリアーナ″になって、魔法を使わないという制約を自分に課して戦ううちに、徐々に冒険者時代の実戦の感覚を取り戻していったんだ。
さらには過酷なダイエットと魔力トレーニングの効果で、現時点で3時間くらいは【 変身】をキープ出来るようになっている。ずいぶんと進歩したものだ。
この一ヶ月ほどで俺が撃破した冒険者の数は50人を超える。うち1/3近くがシルバーランクだ。
あいにくゴールドランク 以上の冒険者に出会うことは無かったので腕試しは出来なかったけど、クラヴィスはシルバーランクだから現状でも十分と言えるだろう。
気になるのは、もう一方の盗賊狩りチームのほうなんだけど……こちらについてリリスは「ほっときなよ」と気に留める様子もない。
「あんなやり方じゃあクラヴィスは尻尾を出さないよ。なにせゲームの中の彼はなんだかんだで計算高かったし、典型的なお姫様のルクセマリア王女や脳筋ダスティじゃ手に負えないと思うんだ」
──ん? なんだろうか、このリリスの言い方は気になる。まるで王女様だけじゃなく騎士隊長ダスティのことも知ってるみたいだ。
「うん、知ってるよ。なにせダスティは《 愚者の鼓笛隊 》のパーティメンバーになる人物だからね」
なんと、こんなところに《 愚者の王 》ウタルダス・レスターシュミットの未来のお仲間がいたらしい。しかし脳筋とか、酷い評価だな。
「まーダスティは戦闘力だけなら相当高いからね。だけど今回の場合それが仇になるから、放置してても良いと思うよ」
リリスにかかると騎士隊長様も眼中にないらしい。
こうして俺たちはルクセマリア王女たちの動きを完全に無視することにしていた。
結果的にその判断はまったくもって正しかったようで、現時点までの状況を見る限り、ルクセマリア王女たちは数多くの小悪党たちを成敗しているものの、肝心の″怪盗マスカレイド″ことクラヴィスの尻尾すらつかめていないようだった。
「さ、そんなわけで今日も″冒険者狩り″を頑張ろうかね!」
じゃがいも月が雲に隠れ、街全体が闇に包まれる。
聞く人が聞いたら大問題となりそうなリリスの号令を受け、俺たちは今晩も冒険者狩りを始める。狙いは──1対1で勝負ができそうな、一人歩きしている冒険者だ。
最近は『冒険者狩りに会いたい』という奇特な連中が増えたことから、対戦相手に困ることはない。なんでも『隠れ″冒険者狩り″ファンクラブ』なるものまで出来ているんだとか……冒険者のやつら、どんだけアホやねん。
そして今夜も難なく一人歩きしている冒険者らしい男を見つける。手には槍を持っていることから、どうやら今宵の相手は槍使いのようだ。
俺はリリスに合図を送ると、魔剣を片手に槍使いの前にゆっくりと歩み出る。
相手は、こちらの姿に気付くと動揺する気配すら見せずに、落ち着いて槍を構える。明らかに待ち構えていた様子から、どうやらこいつも″冒険者狩り″狩りであるらしい。
だとしても構わない。
俺は、強くなるんだ。
度重なる実戦経験を経て、俺の剣術のレベルは冒険者時代の三割くらいには到達していた。この数値は″身体強化″抜きの数値だから、魔法を使えばかつての俺に匹敵するくらいの強さは既に獲得していると言える状態にまでたどり着いている。
だけど俺は、この″冒険者狩り″では身体強化しか使っていない。魔法に頼らない、純粋に俺自身の力のみでの戦闘を模索していたんだ。
冒険者の奴らの大体が勘違いしてると思うんだけど、冒険者として伸びていくために大切なのは『基本の技を磨き続ける』ことだと、俺は考えている。これが、俺が魔力なしでも生き延びることが出来た最大の要因だからだ。
魔力頼みの戦闘は、いつか破綻する。だけど、技術と努力は決して裏切らない。その想いは、魔力を得た今でも変わらない。
だから俺はいまも、魔法に頼らず戦う術を鍛え続けている。
さて、今回対峙している槍使いなんだが、構え一つ見ただけでかなりの強敵だと分かる。
スキのない構え、揺るぎのない穂先。これまで戦ってきた冒険者たちとは一線を画す実力の持ち主であることは明らかだ。
ぶるりっ、思わず身震いが起こる。これは強敵と戦えることを無意識が喜ぶ武者震いだ。
さすがにこいつが相手だと、身体強化だけではかなりキツそうだ。さてどう戦おうか──。
そのとき、これまで雲に隠れていたじゃがいも月が、雲間からひょっこりと顔を出した。それまで闇に包まれていた裏路地を、明るく照らし出す。
月の明かりは例外なく大地に降り注ぎ、対戦相手の槍使いの顔立ちをも照らした。金色の髪に整った顔立ち。少し前に比べて精悍さが増した表情。
おいおい……マジかよ。俺は思わず心の中で舌打ちをする。なにせ目の前に立っていた槍使いは、俺のよく知る人物だったからだ。
天賦の才を持つ、″麒麟児″と呼ばれる貴公子。
この世界の裏で動く物語の″主人公″のうちの一人。
俺が裏路地で対峙していたのは、どこかのダンジョンに潜っているはずの″麒麟児″アーダベルトだったんだ。




