8.奥の手
なんてこったい。まさか獣人が決闘の代理人になれないなんて知らなかったよ!
最初、向こうはアーダベルト本人が出ると聞いて、こいつはラッキーと思った。
だってこっちは″レディ・タイガー″が代理人なんだぜ? たとえ片腕が折れて使えなかろうと、ソロでシルバーランク になったほどの実力者だ。機関車だか麒麟児だか知らないが、貴族のぼっちゃんなんか簡単に捻り潰すことができるだろう。やっちまえ! 喰いちらかせ! レディ・タイガー!
ところがその目論見はあっさりと崩れ去ることになる。
「ラティリアーナ様、大変申し訳ございませんが″薔薇のお茶会″において獣人族のご招待はできませんぞ」
ちょび髭にシルクハットという気持ち悪い出で立ちのおっさんに、意味の分からないことを言われてしまう。何言ってんだ、こいつ?
「それはどういう意味ですの?」
「ラティリアーナ様、つまり彼女はあなたの代理人になれないと言うことですよ」
おっさんの代わりにイケメン貴公子のアーダベルトから言い放たれたのは、あまりにも無情な宣告。反射的に横を見ると、美虎は信じられないといった表情を浮かべ、舞夢はしまった! といった顔をしていた。って、おい舞夢! お前知ってたんかい!
「す、すいませんお嬢様、舞い上がってすっかり失念してましたワン」
おいこらー! お前自身のことだろ! うっかり失念してんじゃねーよ! いやペロって舌出してもダメだからな?
しかし困った。どうしようか。急にそんなこと言われても、こちとら舞夢と美虎しか連れてきてないし……。
決闘相手のアーダベルトが、なんだか呆れた表情を浮かべてる。すまんなぁ、貴族様の決めた暗黙の了解なんてもんは、元冒険者だった俺は知らないんだよ。
「それではラティリアーナ様、この決闘どうなさいます?」
だーかーら、お前は誰なんだよオッサン! 偉そうに仕切りやがって、仕切り屋か? あんたは。
くそー、どうすんだこれ。他に戦えるやつなんていないってか、そもそも人族は俺しかいないし。あーあ、仕方ないなぁ。元の俺の身体だったら迷わず闘うのになぁ。
「そう、仕方ないわね。ならわたくしが──闘うわ」
そうそう、こんな感じで代理人に……って、ちょっと待てぇーい!! 何勝手に口開いてんねん!! 暴言だけじゃ飽き足らず、暴走までするのかよこの口はっ!?
とはいえ、舞夢の期待に満ち溢れた目を見てしまったら今更引っ込みなんてつくわけがない。
こうなったらやるしかないか。まぁ、もともと戦うつもりはあったわけだしね。予定調和に戻るだけさ。
「ラ、ラティリアーナ様、それは本気で……?」
「ええ、本気ですわ。それともアーダベルト様は、女性相手には武器を振れませんこと?」
「……わ、わかりました」
どうぞお手柔らかにお願いします、と言ったつもりが、相変わらずの毒舌を振りまくこのお口。トホホ、これで完全に退路は断たれちゃったよ……。
◇
目の前には、愛用の槍を手に持つイケメン貴公子のアーダベルト。さすが″麒麟児″と呼ばれるだけあって、構えにスキはない。あれ、もしかしてこいつ結構強くね?
真・魔導眼で見ると微弱な魔力が見えるから、おそらくあの槍は魔法具──魔槍なんだろう。参ったな、そんなもん使われたら、さすがにこっちに勝ち目はないぞ。
「ラティリアーナ様、本当によろしいのですね?」
相変わらず無表情のアーダベルトが、改めて確認してくる。ただ、かなりの戸惑いと迷いがその目に浮かんでいるのがわかる。そりゃそうだよなぁ、ドレス着たままの″オーク令嬢″が手ぶらで目の前に仁王立ちしてるんだからさ。
「舞夢、渡しなさい」
「はいですワン!」
仰々しく舞夢が渡してきたのは、名もなき俺の愛剣。こうなっては仕方がない。ほとんどぶっつけ本番になるけど、一か八かあの戦法を試してみるしかないな。
成功のカギを握ってるのは、この愛剣だ。
「お嬢様、たとえダメでもマイムのために戦ってくださったこと、一生忘れないですワン」
すでに舞夢は負けを受け入れているようで、菩薩みたいな悟りきった笑みを浮かべている。まぁその気持ちは分からんでもないけどさ。
「何を言ってるの? わたくしは当然勝つつもりですわ」
「いやいや、ラティリアーナ様は剣すらまともに振れてないがるよ? ″麒麟児″相手にいったいどうするがるか?」
美虎の心配はごもっともだ。だけど俺としても決して勝算がないわけじゃない。この口じゃまともに説明できるわけないから、俺は一言だけ二人にこう返した。
「わたくしを誰だと思ってるんですの?」
だけど残念ながら二人にこちらの想いは届かなかったみたいだ。いたく心配そうな眼差しを向けられてしまう。
「お嬢様、くれぐれもおケガをなさらないようにしてくださいワン。マイムのために無理だけはしないでくださいワン」
「もしラティリアーナ様が傷つけられるような事態が起こったら、お貴族様の作法なんか無視してあたしは突っ込むがるよ。だから……くれぐれも気をつけるがる」
おやおや、随分な応援メッセージだこと。俺は返事がわりに片手を上げると、そのまま正面を向いてアーダベルトと対峙する。
「ラティリアーナ様、貴女は変わられた」
「そうかしら?」
「ええ、最近の貴女には驚かされてばかりだ」
「あら、わたくしは何も変わってなくてよ。あなたの見る目がなかっただけではないかしら?」
「ふふ、そうかもしれませんね」
心なしか、アーダベルトの目線が優しくなった気がする。これで手加減してくれりゃいいんだけどなぁ。
「ではこれからアーダベルト様とラティリアーナ様にて、貴族の作法に基づく『薔薇のお茶会』を開催いたします。立会人はわたくし、ジュンカルノ男爵家当主、ウェイン・ハーク・ジュンカルノが務めさせていただきます」
決闘開始の音頭をとっているのは、仕切り屋──もとい、どこぞかの男爵のおっさんだ。なんでもこの手のものには立会人が必要で、王国の法務省に勤めてる貴族が立ち会うらしい。
「なお、アーダベルト様からのご提案により、今回アーダベルト様のみ魔法具の使用を禁止といたします」
おお、これはラッキー! 正直、アーダベルトの魔法具が一番の不確定要素だったから、これで成功率が高まるってなもんだ。
「勝負は原則寸止め、相手の体に攻撃が触れたと判断される一撃を先に加えたほうを勝ちといたします」
俺の隠し球は一度限りのものだから、これもこちらにとっては都合の良いルールだ。この勝負、取ってみせる!
「では、コインが地に落ちたら開始の合図といたします。薔薇のお茶会──開幕!」
ちぃん。
ジュンカルノ男爵の指で弾かれたコインが地に落ちる音が響く。だけど俺もアーダベルトもどちらも動こうとしない。もっとも、貴公子ぶってるアーダベルトがいきなり仕留めるような事はしないと思ってたけどな。
たぶんアーダベルトは、目を瞑ってても勝てると思ってるんだろう。まぁ普通に考えたらその通りなんだろうけど──″オーク令嬢″はそう甘くなくってよ?
「どうしました? ラティリアーナ様からしかけていただいてかまいませんよ?」
対峙するアーダベルトの構えに覇気はまったく感じられない。いいぞー、その調子でもっと油断してくれ。その油断が俺の勝利への確率を徐々に上げていくのだから。
与えられたあらゆる条件を活用して、俺はこの勝負に勝ってみせる。無魔力でシルバーランクまで登りつめた″断魔″の戦い方、見せてやるぜ!
「あら、アーダベルト様はずいぶんと紳士的なことをおっしゃるのですね。もしかして同情していただいてますの?」
「それは……ラティリアーナ様は武術の心得のないご令嬢ですからね。お怪我をさせるわけにはいきませんし」
「おほほほ、なんとお優しいこと。とてもいくじなしの発言とは思えませんわ!」
ぴくっ。鉄仮面のように無表情だったアーダベルトのこめかみが、わずかに反応する。
「僕がいくじなし、ですか。よろしければ理由をお伺いしても?」
「ええ。だってアーダベルト様は、そこに在る虎獣人が怖くて逃げ出したんですものね?」
「ち、違います! 僕は貴族のルールに従っただけで……」
「あーら、逃げる理由ができて良かったですわねぇ。おかげでこうしてか弱き乙女が相手になったのですから、アーダベルト様としてはさぞかしご満足でございましょう。おーほっほっほ」
おーおー。さすがはラティリアーナ節、煽る煽る。
個人的にはアーダベルトの意識が途切れるスキが作れれば良いくらいで話しかけてるんだけど……予想以上にラティリアーナ節の言葉の切れ味が鋭い。言い返せないのはちょっと可愛そうだが、イケメンに同情はしないぜ。
「そこまでして、アーダベルト様は舞夢がほしかったのですか? ふん、汚らわしい」
「ち、違っ! ぼ、僕はただ、貴女にいじめられている彼女を放っておけなくて……」
「美しく飾るのは外見だけになさってくださいます? 言い訳は聞くに耐えませんわ」
「う、ぐっ」
あー、なんだろう。イケメンの顔が歪むのが妙に気持ちいい。いいぞー、どんどん言ってしまえラティリアーナ!
「どう言葉を飾ろうと、あなたは策を弄して自分の欲しいものを手に入れようとしている汚らわしい貴族の一員に変わりありませんわ。そんなあなたの言葉など──」
「違うっ!」
ここに来て初めて、アーダベルトが感情を激しく発露した。だが突然の大声に、自分自身が驚いたようだ。
「違う、僕は……僕は……」
戸惑いを隠すようにアーダベルトが何かを言い淀んで下を向く。目線が、こちらから完全に途切れる。
──来たっ!
この時を待っていたよ。
あんたの意識が俺から離れる、この瞬間をな。
── 開闢 ── 《 緋き魔道書 》
アーダベルトの視線が俺から切れた途端、俺は鋭く左腕を突き出した。腕輪が怪しく煌めき、瞬時に《 紅き魔道書 》が左手に展開される。
「なっ!?」
突然の出来事に戸惑い慄くアーダベルトの体制が整う前に、俺は素早くページをめくり例の文字を指でなぞる。
── 能力発動──【 変身 】
閃光が煌めき、俺の全身を眩い光が包み込む。
あまりの眩しさに、アーダベルトを含む全員が一瞬こちらから目を逸らす。
それは、生物としてはあたりまえの反射的な反応。
ゆえに、皆はラティリアーナが痩せていく様子を見逃していた。
このスキに俺は痩せていく身体をドレスから一気に──抜け出──する。
裸? いや違うぜ。こんな事態もあろうかと、伸縮性のあるスポーティな肌着を着ていたのさ!
この前、偶然衣装ルームで見つけたんだけど、こいつを着てたらメタモルフォーゼしても下着がズレ落ちる心配が無い優れものなのだ。そしてこの肌着こそが、俺の今回の秘密兵器。これさえあれば、俺は自由に動けるのだ!
重いぜい肉と分厚いドレスから抜け出した俺は、まるで羽が生えたかのように軽くなった身体で一気に駆け出す。
目指す先は、いまだに俺がキャストオフしたことに気づかず、抜け殻のドレスに視線を向けたままのアーダベルト。
あっという間に肉薄して、低空から這うように突き進んで勢いよく繰り出したのは、俺の得意技でもある渾身の突き。
愛剣は軽さと鋭さを持って、迷いなく真っ直ぐに前に突き出される。
──勝負は一瞬だった。
次の瞬間には、肌着姿になった痩せた俺の持つ剣先が、アーダベルトののど元に突きつけられていたんだ。
何が起こったのか理解していないのだろう。アーダベルトが目を剥いて俺のことを凝視していた。
彼の目には、おそらく俺が消えて見えたことだろう。ごくりと唾を飲み込むと、震える声で問いかけてくる。
「ラ、ラティリアーナ様、いったい何をなさいましたか? そ、それになぜ痩せて……」
「うふふ」
呆然とするアーダベルトの喉元から剣を引きながら、俺はとりあえず笑ってごまかす。
「それは、乙女の秘密ですわ」
「なっ……」
絶句するアーダベルトをよそに、俺は審判役のジュンカルノ男爵に視線を向けた。呆然とこちらに見とれていた男爵が慌てて声を張り上げる。
「しょ、勝負あり! 勝者、ラティリアーナ様!!」
ふふふっ、完全に決まったぜ!!




