プロローグ
「え…」
俺はその光景を目の前に絶句していた。
「これ、ウサギ…だよな…?」
疑問形なのも仕方がない。全身の毛が抜け落ち、表皮が火傷のように爛れところによっては剥がれ落ちたように抉れて下の肉がむき出しになっている。あの愛らしいルックスとすぐさま結びつくわけがない。そして俺の目の前ではそんな状態のウサギが集団で事切れていた。
「…毒でも食べたのか?でも毒にしては…」
火傷のようにも見えるが周辺には火の気はない。なのでなにかの毒を疑った俺だったが毒にしては外傷が酷すぎる。ただの毒ならこんな凄惨な光景にはならないはずだ。
ふと、俺はあることに気づく。
「…待てよ?こいつらってまさかこの前の?ってことはまさか、俺が使ったあの魔法のせいか…?」
そう、この世界には魔法が存在するのだ。そして数日前に俺は生まれて初めての魔法を習得していた。初めての魔法の行使、そりゃあもうテンションが上がったよ。
一体どんな魔法だろう…!ドキワクしながら俺はついに人生初の魔法を発動した!
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え?何も起こらない…?
いや、手元が一瞬光ったような気はしたし発動はしたのか?だが周囲に目に見える変化は何も起こらなかった。
この世界の魔法はマンガみたいに発動するときに派手な魔法陣が出たりするわけではなく、発動の瞬間に魔力が僅かに光を発して一瞬光る程度である。なので火や大量の水が出たりする可能性もあったので念のため人気のない野原へ移動してやっていたんだけど、完全に肩透かしをくらったなあ、あのときは。一体あれはなんだったのだろうかとずっと疑問に思っていたけど、やっぱりなにがしかの魔法は発動していたってことなのかなあ…
こいつらはそのとき近くにいたあのときのウサギの集団のように思えた。
「なにかの毒を出す魔法だったってのか?ウソだろ…」
少年の顔が青くなる。この世界の魔法はそれほど多岐にわたるものではなく、ほぼ全ての魔法が火、水、地、風、光、闇のいずれかに分類され、稀にその亜種的なものとして植物、氷結、雷電などといったものも存在する。ところが少年が使った魔法はそのどれにも当てはまらないように思えた。闇属性の魔法には毒の煙を出す魔法が存在するが目に見えない毒など聞いたことがない。時々、そのいずれにも分類されない特殊魔法も存在するが、少なくともこんな得体の知れない魔法は聞いたことがなかった。
「…いや、俺のいた世界には一酸化炭素っていう無味無臭の毒のようなものもあったんだ。その辺りかもな」
そう、俺はこの世界の人間じゃない。ほぼ事故のような形でこの世界にやってきた異世界人だ。
「正体がわかるまでは使うのは控えるべきかなあこれは。毒?を出す魔法なら自分が被弾しかねないし」
そもそも毒を出す魔法なんて余程のことがない限り使うべきではないだろう…と、おそらく自分のせいで死んでしまったウサギ達の亡骸をせめて埋葬しようと近づいたその時、少年はふと思い当たる。このウサギ達の症状、どこかで見聞きしたことがあったような…
「…え、これ、ま、まさか…」
急速に頭が冷えていく。こんなもの魔法で出せるのかよ…!?
俺の勘が正しければこれは…
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「あ゛ーさっむ…」
猛吹雪の中、バンガローの中で一人ごちる。
彼の名前は日向祐弥。フリーター。今年で20歳になる。他人と比べてなにか特別な点があったりするわけでもないごく普通の人間だ。生まれてから特に恵まれているわけでもなく、かと言って不遇なわけでもない。世の中にはいい意味でも悪い意味でも普通の人生を送れない人間は大勢いる。普通の人なら恵まれていると感じるぐらいだろう。
だが彼は少し違った。たった20年しか生きていないにしろ、彼の人生はあまりにも”普通”すぎた。平和な子供時代を過ごし、平凡な学生時代を過ごし、高卒後はバイトに明け暮れる社会人である。彼の性格もあり人間関係のトラブルも特になく、平和で穏やかな人生を送っていた。彼も高校生になったぐらいまでは自分は恵まれている部類なんだなあと感じていた。小学生の頃には病気がちでほとんど学校に来れない子がいて、中学生になると足が不自由な子がいて。中学3年生になって、受験勉強に苦労する子が多い中、元々物覚えはいい方だったので人並みに努力すればある程度勉強もできた。実際、エリート高とまではいかないものの地元ではそこそこレベルが高い高校に彼は合格した。最初の頃は新しい学校生活の始まりに毎日が楽しくてしょうがなかった。新しい友人もできて、まさに順風満帆といったものだった。だが、それから半年も過ごすとある程度環境にも慣れて最初の頃の興奮はなくなり、1年もすると、代わり映えしない毎日に退屈するようになった。所為”頭のいい高校”であるために周りは真面目な子ばかりで、一緒にバカをやるような友人はおらず、あまりにも起伏がない日々。この頃から彼は段々と無気力になっていった。あれこれやったところでこの平凡で退屈な毎日は変わらない、と。
高校を卒業してもその無気力ぶりは変わらず、定職にも就かずのらりくらりな日々を送っていた。
そんな様子を見兼ねた友人が、気分転換にいいとスキーに誘ってきた。最初は乗り気じゃなかったけど、騙されたと思って来てみろよと言うので渋々ついていった。
そして実際に滑ったときにその意味がわかった。一面銀世界の中、都会の喧騒から離れて滑翔するかのような感覚は得も言われぬものがあった。あまりにも楽しくて誘った友人が呆れるほどはしゃぎまくったよ
。閉園時間も近くなってメシでも食おうとその友人が言ってきたけど、ギリギリまで滑りたくなって先に食っててくれと言って一人この場所まで登ってきたのだが…
「いくら山の天気は変わりやすいって言ってもこんな猛吹雪になるなんて聞いてないぞ…」
天気予報ではこんな荒れるなんて言ってなかったはずなんだけどなあ…山の天気は変わりやすいって言うけどこれほどかよ…
「…少し収まったか?」
これ下手すると今日は降りられないかもなあ。吹雪が一時的に収まったタイミングを見計らって、用を足そうとバンガローから出て数歩歩いて立ち止まったそのとき、ふと視界が歪んでいることに気づく。
(目眩?…結構疲れ溜まってるのかな)
そう思い軽く頭を振って視線を横に向ける。うん、ちゃんと見えてるな。
そして今度こそ用事を済ませようと視線を前に戻すが
(…あれ?まだ歪んでるな…)
まあ頭振っただけで治るわけがないか…
(…って、ちょっと待てよ?これって…)
なんとなく違和感を覚え始めたその時、突如目の前の空間に黒い渦のようなものが現れ始める。
「え?」
そのホールは瞬く間に広がり…さながらブラックホールの如く周りの物を吸い込み始めた…!
「え、ちょ!?待っ…!?」
周りの木々まで根こそぎ吸い込む吸引力にだたの人間が抗えるはずもなく、祐は一瞬にして吸い込まれた。
『次のニュースです。今日午後5時頃、○○スキー場の山頂付近で大規模な雪崩があり、男性一人が行方不明になっています。同行していた知人男性によると、午後4時頃に一人で登ったまま戻っていないとのことで、救助隊はこの男性が雪崩に巻き込まれたものと見て、引き続き捜索を行っています。尚、閉園前だったということで他の客はおらず………』
「ウワアアアァァァァァ!?」
吸い込まれた先には不思議な空間が広がっていた。赤、青、緑と光の三原色をベースに所々が黒みがかり、それが蠢いている。もはや距離感や縦横の感覚すら曖昧なこの空間を吸い込まれたときの勢いそのままに自由移動を続けていた。そして数十秒ほど彷徨った末にようやく突き当たりにたどり着く。
「や、やっと止ま…」
安心したのも束の間。突き当たりと思われたそれはなんの抵抗も示さずあっさりとすり抜けてしまった。
そこで視界が暗転した。
「うっ…あれ?俺は…」
ふらつく頭を押さえて身を起こしあたりを見回す。一面銀世界、そして雪化粧した木々が鬱蒼と生い茂っている。もう夜が明けたのか日差しはないものの明るい。
「あーそういえば俺は用を足そうとして…」
昨晩の出来事を思い出す。あれは夢だったのだろうか。なんだか目眩がしていた覚えがあるし、ここで倒れてそのまま眠ってしまったのだろうか。
「いや、あれは夢なんかじゃない。一体ここはどこだ…?」
絶対夢なんかじゃない。あのときは山の上だったけど、ここは森か雑木林のようなところだ。その証拠にすぐ近くにあるはずのバンガローがない。そもそもあんな雪の中で眠ってしまったら間違いなく凍死している。
「あれが夢じゃないってことは、あの黒い渦のようなものはなんだったんだ?」
実際に見たことがあるわけじゃないけど、なんでも吸い込むとされる”ブラックホール”を彷彿とさせるものだった。実際吸い込まれたし。そして吸い込まれたあとに見たあの光景…
「なんだか、無重力空間を漂っているような…」
だが綺麗な宇宙空間とは似ても似つかない、物凄く歪んだような印象を受ける空間だった。思い返してみればみるほどわけがわからなくなってくる。なにがどうなってるんだよ…
というか、
「あー寒っ…」
昼間のはずなのになぜか昨日より寒さが増したような気がする。体感5度くらいは低いんじゃないかこれ?
「…とにかくまずは暖を取ることを考えないと。雪もちらついてるし」
とにかく人里か山小屋にたどり着かないと今度こそ凍死しかねない。そう考えた俺は適当に方向を定めて真っ直ぐ歩き出す。疲労と混乱のためだろうか、彼は自分の身体の異変に終ぞ気づくことはなかった…
もうどれくらい歩いただろうか。意識が朦朧として時間の感覚がわからなくなってきている。
あれから随分と歩いた気がするが建物はおろか人とすら会わない。日も落ち始め、次第に雪も酷くなりつつある。
「あ…」
そしてとうとう限界が来てその場に倒れてしまう。物凄く眠い。あーあ、あのとき友人と一緒に切り上げていればこんなことには…
そのとき、ふと眼前に誰かの気配を感じた。最後の力で顔をあげると、そこには小さな子供がいた。
(妖精…?)
そこで祐は意識を手放した。