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07 暗殺(1921)

 朝の清冽な空気に相応しい、良く磨かれた床と簡素な内装。ここ閑院宮(かんいんのみや)邸に設けられた武道場だ。

 そして俺、中浦(なかうら)秀人(しゅうと)の修行の場でもある。


 当主の載仁(ことひと)親王は元帥陸軍大将、それも日清戦争では伝令将校として戦場を駆け、日露戦争では陸軍少将として活躍した経歴の持ち主である。鍛錬の場くらい備えて当然、使用人にも武術好きが珍しくない。

 閑院宮邸の道場では欠かさず朝稽古が行われ、いつもなら袋竹刀(ふくろしない)を打ち合わせる乾いた音が途切れず響く。しかし今、耳に届くのは微かな息遣いだけである。

 沈黙の理由は、載仁親王が俺を見つめているからだ。宮家に仕える男達、俺の兄弟子でもある人々は正座のまま身じろぎ一つしない。


 俺の前にはセバスチャン……瀬場(せば)須知雄(すちお)がいる。もちろん俺達の手には袋竹刀(ふくろしない)、それも一足一刀の間合いである。

 セバスチャンというのは俺が付けた渾名(あだな)、正真正銘の日本人だ。しかも彼は代々の忍者で武芸百般、構えにも俺とは比べものにならない風格がある。

 そのため俺は攻めあぐね、見かねたらしきセバスチャンが先に動く。彼は隠密に相応しく声も発しないまま、稲妻のごとき一撃を真っ向上段から打ち込んだ。


 しかし俺は、どうにか反応できた。セバスチャンの斬り込みと同時に、自然と体が動いたんだ!


「ぇいっ!」


 敢えて文字で表すなら、こんな感じだろうか。何とか受けた俺は、短い声と共に袋竹刀(ふくろしない)を素早く回して反撃に転じた。

 これは新陰流の稽古、剣道の試合と違って打突の部位を叫ぶ必要はない。とはいえ段違いの相手に向かうが(ゆえ)、自然と気迫が(ほとばし)ったらしい。


 振り下ろされる一撃を俺は自身の得物で受けた……いや、受けたかどうかというくらいで流した。

 ほぼ正眼の体勢、右足を出した状態から左を踏み出す。同時に左手……刀の柄頭(つかがしら)を前にし、残した手を軸に切っ先を斜め後ろへと移す。

 更に流れのまま刀を回転させて僅かに斜め上段、セバスチャンの右肩口へ。右半身(みぎはんみ)から左半身(ひだりはんみ)の体捌き、そして一体となった刀捌きだ。


「参りました……と言っておきますか」


「打たせてくれたんだろ?」


 パシンッという響きの直後、セバスチャンと俺は密やかに言葉を交わす。

 まだ俺は新陰流を習い始めて一年も経っておらず、物心付く前から厳しい修行をしてきたセバスチャンに勝てるはずもない。ようやく基本中の基本である『魔の太刀』、あるいは『輪の太刀』と呼ばれる動きを身に付けたばかりだ。

 当然セバスチャンは手加減しており、返し技を出すこともなかった。彼は稽古相手を務めただけ、真剣そのものの俺と違って涼しい顔のままだ。

 しかし見つめる者達からすれば、これでも充分に満足がいく内容だったらしい。


「見事! 中浦(なかうら)殿、なかなかの上達ぶりに安心したぞ!」


 まずは上座で載仁親王が立ち上がる。

 このとき親王は五十五歳だが、軍人だけあって衰えなど感じさせない。立派な八の字髭の外見通り、威厳に満ちた声が響き渡る。

 続いて俺の兄弟子達、宮家に仕える人々が手を打ち鳴らす。彼らはセバスチャンの手加減を察しているはずだから、主に和しただけに違いない。


「ありがとうございます」


 とはいえ俺も顔を綻ばせる。何しろ誇張ではなく、血を吐くような特訓の日々だったのだ。

 セバスチャンは本気で俺を新陰流免許皆伝まで鍛えるつもりのようだ。それにワシントン会議全権団に俺も加わるから、出発までに最低限の護身技術くらいはと最近ますます力を入れている。

 全権団が日本を発つのは10月半ば、既に一ヶ月半を切っているのだ。


 加えてセバスチャンとしては、俺の上達を主に示す必要があった。

 皇太子殿下の供として洋行した載仁親王は、昨日帰京したばかりだ。しかし親王は戻って早々、どれだけ腕が上がったか見せてほしいと言い出した。

 こうなると分かっていたのだろう、ここのところセバスチャンは普段の青年執事めいた姿はどこへやら、鬼軍曹も裸足で逃げ出す勢いで俺を(しご)きまくった。


 もっとも俺が彼らの立場でも、同じことをしただろう。内々にだが、俺は載仁親王の娘と婚約しているからだ。

 いくら未来知識の持ち主でも、どこから来たか公表できぬ男に正真正銘の皇族を降嫁させるわけにいかない。そこで娘は智子(ともこ)さんと名を変えたが、載仁親王を含め御家族は今までと同様に接している。

 つまり載仁親王からすれば、俺は将来の娘婿だ。嫁がせるに相応しく成長しているか、気にしない方が不思議であった。


「とはいえ先は長いか……。瀬場(せば)、まだ表伝ほどか?」


「はい、皆伝への道程は長いかと……。しかし体も出来ましたし、これから更に鍛えて絶対に間に合わせてみせます」


 載仁親王とセバスチャンの評に、俺はゲンナリした。そして変じた顔色からだろう、周囲の兄弟子達は声を立てて笑い出す。

 実際、俺は駆け出しも良いところだ。段位なら初段かそこら、しかも新陰流だと皆伝まで残り六段階もあるという。

 俺と智子さんの結婚は彼女が高等科を卒業してから、つまり三年半ほど先だ。ここがセバスチャンのいう間に合わせるべき期限だが、俺が全ての奥義を習得しなければ延びるだろう。

 三年半の地獄を乗り越えるのか、更に修行の日々は続くのか。俺は一人静かに溜め息を()く。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 稽古を終えた俺は汗を流し、洋服へと戻る。そして載仁(ことひと)親王の書斎へと向かった。

 どうやら親王は外遊中のことを聞きたいらしい。昨夜は半年振りに戻ったばかりだから家を挙げての祝宴で、細々したことを話す余裕はなかったのだ。


秀人(しゅうと)殿、待っていたぞ。さあ、そこに座ってくれ」


 載仁親王は上機嫌な顔で、俺をソファーへと(いざな)う。

 ちなみに俺への呼びかけだが、親王は内々であれば名前を用いることにしたらしい。今はセバスチャンも所用で外して室内には二人だけ、それなら距離感を縮めようと思ったのだろうか。


 もっとも単純に喜んで良いか、俺は量りかねていた。

 未来人の俺を手に入れたと、親王が舞い上がっても不思議ではない。国を思ってか軍人としての立場からか、あるいは閑院宮(かんいんのみや)家の将来を考えてか。そうでもないと、ここまで歓迎されるのは異常だろう。

 純粋に日本の未来を案じてなら良いが、正直なところ判断材料は少なかった。


 俺が閑院宮邸に移ったのは今年の初め、そして載仁親王は3月に入ってすぐに皇太子ヨーロッパ歴訪の旅に随行した。そのため八ヶ月近く居候になっていながら、深く知るほど接しないままである。

 ちなみに俺が学んだ歴史だと、親王は参謀総長となってから政治的に利用されることも多かったらしい。ただし一般的に皇族は実務に深く関与しないし就任は十年後の昭和六年で既に六十半ばを超えており、周囲は重鎮として祭り上げたに違いない。

 そもそも十年以上後の逸話など、今の親王を知るのにどれほど役立つだろうか。まだ過去なら今の人格形成に関わっているが、将来の人物像など今後の出来事で様々に変わるはずだ。


 もちろん俺は、内心の疑念を顔に出さないように気をつけた。そのためだろう、載仁親王は間を置かず語り始める。


「まず、今年の防災の日についてだ。だいぶ被害を防げそうだな」


「はい。少なくとも避難は問題ないでしょう。それに前もってガスは()めますし、消防団や防火用水など火災への対策も充分です」


 載仁親王の言葉に、俺は警戒のしすぎだったかと思い直す。

 相手が軍人だからといって、必ずしも戦を望んでいるとも限らない。このころの男性皇族は軍に入るのが普通で、他に道がないとも表現できる。

 もっとも長く軍部で過ごせば、色々と染まりもするだろう。それに日清日露に第一次世界大戦と連戦連勝、軍備増強を肯定的に捉える者は一般でも多かった。


「ならば一安心だ。命永らえても、国力が落ちては困窮するのみ。帝都には失ってはならぬものが沢山ある……」


 言葉通り安堵したようで、載仁親王は大きく顔を綻ばせる。そして彼は、向かいに腰掛けた俺から窓へと顔を向けた。

 他の方向に窓はないから、親王は単に外を眺めただけかもしれない。しかし俺は、窓の先に皇居があると思い至った。

 もしかすると皇宮や近衛師団でも思ったのだろうか。出来れば失いたくないものが幅広くあってほしいと、俺は考えずにいられなかった。


「その……少々言いづらいことですが」


「どうした? 秀人(しゅうと)殿は私の義理の息子になるのだ。遠慮は無用、それに未来からの箴言(しんげん)であれば耳の痛いことでも聞くべきだろう」


 俺の躊躇(ためら)いを読み取ったのだろう、載仁親王は心配無用というように頷き返した。

 確かに今まで幾つもの予告をしてきたし、それらは殆どが当たった。それに親王にもスマホを見せたから、大正時代の文明とは桁違いの高度な社会にいたことは納得してくれた。

 もちろん未来から来た証拠としては不充分だが、多くの者は的中するなら使うべきと判断したらしい。


「統帥権についてです。御洋行の前にもお伝えしたように、将来国を揺るがす大事件を引き起こします。軍人である殿下は御不快かもしれませんが……」


 後に統帥権干犯問題と呼ばれる件を、俺が敢えて持ち出したのは理由がある。今ひとつ不明な載仁親王の心を探りたかったのだ。


 昭和五年、濱口(はまぐち)雄幸(おさち)内閣はロンドン海軍軍縮条約に調印した。すると軍部と野党が「統帥権干犯」と騒ぎ批判した。

 大日本帝国憲法の第十一条に「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」、第十二条に「天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム」と記されている。つまり天皇を差し置いて政府が条約を結んだのは、天皇の統帥権を犯すという理屈である。

 もちろん濱口首相は即刻反論した。天皇は最終的な権限を持つが実質は責任内閣で、内閣が条約を結ぶのは当然としたのだ。

 しかし濱口首相は右翼団体の構成員により狙撃され、翌年没する。そして軍部の暴走は本格化し、自分達に命令できるのは天皇だけと統帥権を振りかざす。


 一方で天皇の周囲は立憲君主として立つように求め、教育した。そのため天皇は閣僚の総意であれば受け入れる。

 ただし閣僚には陸軍大臣と海軍大臣がおり、それぞれの軍から選ばれるのが常だった。そして軍部の同意がなければ組閣できず、政治は軍の意向次第となった。

 もちろん当時から認識され、戦後の日本では誰もが知っている害悪である。しかし破竹の勢いで勝利を重ねた時代や後の追い詰められた情勢では、国民の多くが軍部に同調したのだ。


「このようなこと、実の子であっても言いたくはないが……残念ながら陛下や皇族に体制を変える力などない。明治の世は藩閥が作った……今は代わりに軍が動かそうとしている。……私も期待しているのだよ、秀人(しゅうと)殿が示した大震災を吉と変える奇策にな」


 重苦しく、何かを畏れるように曖昧な言葉。しかし、そこには載仁親王の心が確かに宿っていると、俺は感じた。

 およそ二年後の関東大震災に向けた対策。そこに俺は更なる仕掛けを施そうとしていた。未来人の俺ですら口にするのを躊躇(ためら)う、それこそ震災級の大揺れが襲うだろう秘策だ。


 俺達は黙り込んだまま、時の流れるままに任せた。しかし言葉は交わさずとも大きく距離が縮まったと、俺は感じていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 この大正十年九月、俺は非常に忙しかった。ワシントン会議に向けての準備もあったが、他にも注視すべき件が前後に多かったのだ。


 関東大震災に備えて『防災の日』と定めた9月1日は、俺も事前の準備や事後の検証も含め多くの時間を割いた。

 今回は昨年に続いての第二回、しかも残る大規模な防災訓練は一年後の同日のみ。更に一年後は大地震の当日だから、次の全体訓練までに可能な限りの方策を編み出して試すしかない。


 しかも先月からワシントン会議が始まる11月にかけ、内外の要人に大きな変化が訪れる。暗殺や重病で大きく運命が変わる人がいるのだ。

 それらの一部は手を打ったから実際に起きるか分からないが、俺を含め多くの者が注目していた。


 まず八月にフランクリン・ルーズベルトがポリオを発症する。命を落とすことはなかったが、彼は後遺症で下半身が麻痺状態となり日常を車椅子に頼ることになる。

 フランクリンは前年の選挙で民主党の副大統領候補に選ばれたが、勝ったのは共和党だから政界から一旦距離を置いていた。そのため1921年時点では名家の出ではあるものの、まだ先々を嘱望される三十九歳の若手に過ぎなかった。

 しかし俺はフランクリン・ルーズベルトが後に大統領となり、第二次世界大戦でマンハッタン計画を決行し日本に原爆を落としたと知っている。しかも彼は人種差別的感情の持ち主で、戦中は日系人の強制収容政策を推し進めた。

 したがって助けるつもりは毛頭ないが、後の大きな要素として俺は注目していた。


 一方で9月28日の安田財閥創業者の安田(やすだ)善次郎(ぜんじろう)の暗殺や11月4日の(はら)(たかし)首相の暗殺を防ぐべく、俺は考えつく限りの手を打った。

 1930年の濱口首相への襲撃、更に1932年の五・一五事件や1936年の二・二六事件など昭和初期の凶事も、暴力で押し切れた前例があるから。ならば少しでも防ぎ、暗殺やクーデターで歴史を動かそうという流れを断ち切る。そのように俺は考えたのだ。


「大丈夫か……」


「ここのところ、そればかり仰るのですね」


 新聞を眺めつつ呟く俺に、智子(ともこ)さんが笑いを(こら)えつつといった調子で応じる。

 今は朝食後の一時だ。載仁(ことひと)親王の帰国後も智子さんは毎朝のように離れに訪れ、俺と食事を共にしていた。

 しかも今日10月2日は日曜日だから学校は休み、智子さんは食後も(とど)まった。そのためセバスチャンを始めとする館の使用人も、俺達の周囲に(はべ)ったままである。

 いくら内々には婚約したといっても、間違いがあったら困るからだ。セバスチャンは俺の世話役にして監視担当だから別だが、他は智子さんが母屋に戻ると共に下がる。


「ああ、例の件ですよ」


 俺は曖昧な返答で済ませた。

 智子さんには大震災の概要を伝えたが、流石に暗殺や他国の未来など教えていない。そのため彼女は震災対策か何かと受け取っただろう。

 だが、実際には違う。俺は安田善次郎が9月を無事に過ごしたことに安堵したのだ。


 尼港(にこう)事件以降、日本の歴史は変化した。俺が知っている歴史と違って生き残った人もいるし、北サハリンを得て日英米共同の開発も始まっている。それに震災対策として東京を中心に前倒しで建て替えなどを推進したから、景気も良くなったようだ。

 政治や経済とは関係ないが大日本蹴球協会の結成を一年早め、極東選手権競技大会の初優勝も今年となった。他にも将来に備えて進めるべき分野を進言した結果、細かいところでは色々と違っている。

 そのため暗殺が起きるとしても、多少は前後するかもしれない。


 それに暴漢が現れない可能性もある。

 俺は早くから、安田善次郎が匿名で多くの寄付を行った事実を広めた。そのため国を害する拝金主義者という風説は随分と鎮静化したのだ。

 もちろん当人や周囲にも警戒を呼びかけたから、襲われても何とか(しの)げるとは思う。狙撃ではなく短刀を用いた襲撃だったから、優れた護衛がいれば抑止できるはずだ。


 もう一人、原敬も今のところ無事だ。

 尼港事件を収めて北サハリンを獲得したから、原敬の人気は随分と高くなった。しかし首相だけに他の理由で狙われるかもしれず、予断を許さないと俺は思っている。

 首相としての原は対英米協調を唱え、しかも卓抜した政治力を持つ人物だ。少なくともワシントン会議が終わるまでは無事に過ごしてほしい。

 もっとも今のところ国内は平穏らしく、新聞にも凶報など載っていない。それに首相が斃れるほどの大事件なら、先にセバスチャンの耳に入るだろう。何しろ彼は当宮家付きの隠密、いわゆる『天皇家の(しのび)』なのだ。

 しかし俺は海外面で、とある記事に引っかかる。


「……『フランクリン・ルーズベルト病死。米国の名門ルーズベルト家の御曹司、三十九歳にして世を去る』だって?」


「お父様より十六もお若いのに……」


 俺が呟くと、智子さんが顔を曇らせる。もっとも彼女にとっては三代前の大統領セオドア・ルーズベルトの血縁者というだけ、礼儀として悲しみを表したのみだろう。


「智子さん……すみません、少し瀬場(せば)と話がありますので」


「わかりました。それでは失礼します」


 俺が顔色を変え、しかもセバスチャンという渾名(あだな)を使わなかったからだろう。智子さんは柔らかな笑みと共に立ち上がった。

 ワシントン会議の開催まで一ヶ月と少し、出立だと二週間を切っている。そのため最近の俺やセバスチャンは内密に語らうことが多かったから、智子さんも不思議に思わなかったようだ。

 他の者達も同様らしく、普段と変わらぬ表情のまま智子さんに続いて部屋を出る。


「……どういうことだ?」


「お分かりのご様子、説明の必要はありますまい」


 立ち上がった俺に、セバスチャンは稽古のときのように表情を消して応じた。やはり隠密達が何らかの形で関わっているらしい。


「暗殺したのか? 安田さんや原首相のときは、あれほど親身に協力してくれたのに……」


 意味なき問いと思いつつも、俺は口に出してしまう。

 実際のところ、俺ですらフランクリン・ルーズベルトをどうにかしようと思ったことは何度もあった。そして動くなら、彼が公職に就いていない若かりし日が良いに決まっている。

 守り手もいないか僅かだろうし、怪しまれることも少ない。まさか二十年以上も先の憂いを払うために殺害したなどと、誰一人として思わないはずだ。


「首相や安田氏を守るのは、国益に(かな)うから。この日ノ本の繁栄に必要だから命を繋がせる……しかし、あの男は害でしかありません」


 セバスチャンは手の者を動かし毒殺したと続ける。全く表情を変えずに事務的とすら思える口調で、そこらの石ころを取り除いたと言わんばかりの返答だ。


 隠密達は、こういう筋書きで事を運んだ。

 フランクリンはポリオに罹った後、下半身に後遺症が残ったものの命の危機は脱した。しかし秋に入って麻痺状態が進行し容態が急変、落命に至る。

 実際、麻痺の進行や合併症で急性呼吸不全になることはあるという。そのため似たような症状が出る毒を用い、病死に見せかけた。


「心配無用です。無線と有線の双方を含め電信は使っておりません。中浦(なかうら)様ご考案の新式暗号は解読できないと思いますが、念には念を入れましたので……私も先ほど新聞で知ったばかりです。……もしかすると単なる風邪か何かかもしれませんが」


 セバスチャンは肩を(すく)めつつ、手の者の功ではないかもと(うそぶ)く。

 後々の台頭を防ぐのが目的だから、確かに今すぐ結果を知る必要はない。病の後だから自然というだけで、何年か先でも全く問題ないはずではある。

 しかし実際にフランクリン・ルーズベルトは死んだ。それも俺が安田善次郎の無事を喜んだのと重なるように。そこに作為を感じるのは、無理からぬことだろう。


「……敢えて今、俺に非情を示したのか?」


「お察しいただき、光栄です。既に我らは戻れぬところに踏み込んだ……厳しいことを言いますが、中浦(なかうら)様も尼港事件で多くの命を助け、そして奪ったのですよ」


 俺はセバスチャンの言葉に頷かざるを得なかった。

 尼港事件で日本人を救えたのは、赤軍パルチザンの撃退に成功したから。つまり俺の進言で多くのロシア人が死んだ……彼らが虐殺者でも殺したことには変わりない。


「……剣は()(せん)でも(しの)げますが、対等以上の技量があってのこと。力と技の双方で勝る者の大上段に抗うなど、愚か以外の何ものでもありません」


 これも一殺多生(いっせつたしょう)だと、セバスチャンは結ぶ。おそらく俺に伝えたかったのは、その心構えなのだろう。


「なるべく殺したくない……だが、避けて通れぬときは決断する。来月からの会談も……」


「ご理解、感謝します」


 暗殺を嫌う俺の思いに変わりはない。しかし守るために仕方ないときは躊躇(ためら)いを捨てる。そう伝えると、セバスチャンは笑みを浮かべた。


 もっと知恵を絞ろう……セバスチャン達の手を汚させないためにも。たとえ彼らが望んで己を捨てているとしても、こうやって笑い合える心の持ち主なのだから。

 俺はセバスチャンへと手を差し出す。真の意味で同志になろうと、友として苦楽を分かち合おうと告げるために。

 日本を影から支える青年は、硬く熱い手で応えてくれた。そして俺達は手を携えて激動の時代を乗り越えようと、改めての誓いを交わした。


 お読みいただき、ありがとうございます。


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