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06 宮家(1921)

 年が変わって1921年、つまり大正十年。俺、中浦(なかうら)秀人(しゅうと)は横浜の英国領事館から東京に移っていた。

 それも東京府東京市麹町区永田町、つまり後に東京都千代田区と呼ばれる場所である。


 これは俺が予告した大災害、1920年12月16日の海原(かいげん)地震が起きたからだ。

 震源地は遥か先の呼称だと中国寧夏(ねいか)回族自治区、当然ながら日本に直接の影響はない。しかし向こうでは死者と行方不明者が二十万人以上という大震災だ。

 この時代に来てからの俺は二十一世紀で得た知識で、今までも幾つかの事件を教えた。たとえば国内だと炭鉱の災害や軍艦の事故など、海外のテロや事件を予告したこともある。

 とはいえ海原地震は規模が違いすぎる。そして俺が(ほの)めかした1923年の関東大地震とも繋がるから、政府や関係者も改めて驚愕したようだ。


 既に9月1日を防災の日として大震災に備えたくらいで、各所が俺の告げた未来を前提として動いていた。それに尼港(にこう)事件以来、軍の期待も随分と高まったらしい。

 この状況で本当に大地震を当てたから、彼らも本腰を入れてくる。そして未来知識の持ち主を目の届くところにと、俺は東京に移された。

 ただし機嫌を損ねたらと案じたらしく、幽閉されることはなかった。俺が住むことになったのは閑院宮(かんいんのみや)邸……の敷地内にある離れだった。


 このころの宮家は、たいてい西洋風の迎賓館を設けていた。しかし古くから親しんだ生活も捨て難いのか別に和風建築の母屋があったり、逆に先進的なのか住まいとして洋風建築を足したりする例もあるそうだ。

 そして閑院宮邸には洋風の離れがあり、そこが俺に当てられた。以来かれこれ半年弱、この離れで俺は住み暮らしている。


秀人(しゅうと)様、いかがなさいましたの? ……秀人様?」


「……すみません。最近、色々ありましたので」


 心配げな声に、俺は顔を上げる。

 声の主は向かいに腰掛けている若い女性、智子(ともこ)さんだ。まだ彼女は十五歳だから、少女というべきかもしれない。


 服は着物に女袴、いわゆる海老茶式部。髪は一旦後ろのリボンで(まと)めて背中へと流す、ハイカラさん的な装い。離れが西洋館だから、ますます大正浪漫というべき雰囲気を生み出している。

 もちろんコスプレではなく、智子さんは女子学習院の学生だ。彼女は本科の後期二年生、そして今は平日の朝だから、もうすぐ登校である。


「そうでしたの。紅茶がお気に召さなかったのではと……」


「いえ、美味しいですよ」


 表情を緩めた智子さんに、俺は大丈夫だと微笑み返す。

 今は朝食を終えた直後、お茶をいただいている最中だ。俺が長々とティーカップに視線を向けていたから、智子さんは不審に思ったのだろう。

 何しろ今飲んでいるのは、智子さんが淹れてくれたお茶だから。


 部屋には館の使用人が数名控えている。したがって彼らに淹れさせても良いのに、智子さん(みずか)らというのは理由があった。

 智子さんは、とある理由で俺の婚約者となったのだ。


「……お案じになったこと、伺ってもよろしいでしょうか?」


 智子さんの問いかけは遠慮がちだった。彼女は俺の素性を知っているから、明かせないこともあると承知している。

 将来起きる事柄もそうだし、政府や軍の情報もある。それにイギリスなど伝手を作った国から得たものも。智子さんの父君は軍人でもあるから、改めて説明されなくとも良く理解しているようだ。

 もっとも差し障りなければ知りたいらしく、智子さんの(おもて)には確かな興味が滲んでいる。


「構いませんよ。国際蹴球連盟(FIFA)の新しい会長……()()()()()()()()()()イギリスのピックフォード氏が、上手くやっているかと思ったのですよ」


 俺は咄嗟(とっさ)にサッカーの話題で誤魔化した。まあ、これも頭の片隅にあったのは事実だが。


 本来の歴史だと、今年の3月に第三代FIFA会長となるのはフランス人のジュール・リメだった。ワールドカップ実現に尽力して1930年の第一回開催に漕ぎつけた、そして1954年まで三十三年間も会長としてサッカー界に貢献した偉人である。

 一方ウィリアム・ピックフォードはFIFA副会長を務めたが、会長にはならなかった。イングランドサッカー協会は1920年から1924年までと1928年から1946年までFIFAを脱退していたから、この期間にイギリス人の会長が生まれるはずもない。


 未来知識を活かすなら元と違いすぎる歴史は不利だ。したがって安易な手出しは避けたいが、この時期だと俺が知っていて向こうの興味を惹けそうな出来事は少なかった。まず昨年11月21日にアイルランドで起きた『血の日曜日事件』、次にこの件くらいである。

 しかも『血の日曜日事件』に関する知識はダブリンで起きたという程度で、必ず防げるとも限らない。そこで双方ともイギリス側に伝えたのだ。


 幸いFIFA会長の件も、向こうの興味を惹くには充分だったらしい。たとえサッカーであっても大英帝国が長くフランスの下に置かれるなど、やはり彼らにとって嬉しくないことだったのだ。


「まあ……」


 肩を(すく)めてみせたからだろう、智子さんは笑いを(こぼ)す。まだ二十一歳の若造が、六十歳の老人に随分な言い様だと思ったのかもしれない。

 ただし俺が皮肉げな物言いをした理由は別にある。ここまで漕ぎつけるには、かなりの紆余曲折があったのだ。


 このころフットボール()アソシエーション()、つまりイングランドサッカー協会はプロ化に反対していた。この反対派の急先鋒が会長のチャールズ・クレッグで、彼はFIFAとの決別に動く。


 後のワールドカップの隆盛と長く優勝から遠のくことを知った者達は独立独歩の撤回に動くが、クレッグは反対し続けた。そこで彼を更迭し、ピックフォードを会長にすることになった……元々ピックフォードは次のFA会長だから前倒しした形だ。

 そしてピックフォードにFIFAとの関係修復を進めてもらい、何とか丸く収まった。


 ちなみにリメはピックフォードよりも十二歳ほど年下だ。したがって先々リメが第四代のFIFA会長になるのではと、俺は思っている。


「英国大使のエリオットさんが太鼓判を押しましたし、大丈夫だと思いますが……大使はシェフィールド大学で学長をされたほどのお方、向こうの事情も良くご存知ですからね」


「それでは安心ですね」


 俺は途中を全て伏せたが、智子さんは問い返すこともなく頷いた。彼女は俺のサッカー好きを熟知しているのだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



智子(ともこ)さん、そろそろ時間ですよ。遅刻したら洋行中の御父上も嘆かれるでしょう」


「はい。お父様は皇太子殿下の外遊をお助けしているのですから……」


 俺が促すと、智子さんは立ち上がる。

 皇太子殿下とは、もちろん後の昭和天皇だ。皇太子裕仁親王は今年の3月に日本を離れ、ヨーロッパ各国歴訪の最中だった。

 補佐のため、ここ閑院宮の当主である載仁(ことひと)親王が随行。往路の主な寄港地は香港、シンガポール、セイロン島、カイロ、マルタ島、ジブラルタル。そして5月上旬にイギリスに着いた。

 帰国は9月の予定、今日6月2日はパリに滞在中のはずだ。


「ええ。お帰りになったとき成績が落ちていたら、お嘆きになるでしょう」


「それは困ります……秀人(しゅうと)様との婚約を反故にされてしまいますもの」


 見送ろうと席を立った俺に、智子さんが頬を染めつつ応じる。

 智子さんにとっては、清水の舞台から飛び降りるほどの一大事に違いない。何しろ女性が(みずか)ら婚約に触れるなど品がないとされる時代、恥じらうのも当然である。

 俺が絶句したのも、それらを理解しているからだ。


「い、急がなくては! お見送りは結構です、お忙しいでしょうから!」


 強い羞恥からだろう、智子さんは逃げるように駆けていく。彼女は俺よりも頭一つ近く小柄だから子リスのようで可愛らしい……とか(ほう)けている場合ではない。


「あ、ああ……行ってらっしゃい」


「遅いです。お嬢様には聞こえていません」


 何とか言葉を搾り出した俺に、後ろから冷ややかな声が襲ってくる。襲ってくるとは穏やかじゃないが、実際に背筋が寒くなったんだ。


 他の使用人が食器を片付けて下がる中、たった一人残っている青年が声の主だ。

 俺より少し上で二十代前半、スラリとした立ち姿のスーツの似合う執事タイプ。彼の名は……。


「セバスチャン、そうは言うが……」


「私は瀬場(せば)……瀬場(せば)須知雄(すちお)です。もっとも、これも偽名ですが」


 言い訳しかけた俺の言葉を、セバスチャンは素早く遮る。ただし瀬場須知雄なんてネタっぽい偽名を好むくらいだから、指摘のみで怒りはしない。

 テーブルの反対側へと回り込む歩みは軽やかで、革靴の音も弾むようだ。それに横顔にも笑みが浮かんでいる。初対面のとき俺が(いだ)いた印象、敏腕青年執事そのものである。

 実際も世話役兼お目付け役だから、俺はセバスチャンという渾名(あだな)を付けた。すると彼は面白がって偽名も合わせたのだ。


 偽名を使うくらいで、セバスチャンには別の顔があった。なんと彼は当宮家付きの隠密、つまり『天皇家の(しのび)』である。

 下げているサーベル(ごしら)えの日本刀の他にも、スーツの中には幾つもの暗器を隠し持っている。しかも荒事のみならず頭も優秀で、俺が口にする未来知識も難なく飲み込む逸材だ。

 たぶん俺の活動を補佐するため、万能型が選ばれたんだろうな。


「……セバスチャン、何か新しい情報は?」


「上海で開催中の第五回極東選手権競技大会で、蹴球が連勝しました。2対1で中華民国を下し、一位確定です。これも中浦(なかうら)様の尽力の賜物かと」


 俺が呼びかけると、セバスチャンは妙なことを語り出す。内容は事実だが、これは今朝の新聞に載っているくらいで諜報する必要はない。


 もっとも俺が関わっているのは事実である。

 後に日本()サッカー()協会()となる大日本蹴球協会は俺が学んだ歴史だと1921年設立で、同年に天皇杯の元となるア式蹴球全国優勝競技会が開催される。これが双方とも一年早まったから、大きくレベルアップした代表チームが完成した。

 極東選手権に参加したのは日本、中華民国、フィリピンの三つのみ。とはいえ日本サッカー界にとっては記念すべき国際大会の初勝利、本来なら六年後の第八回で手にする栄光だから非常に大きな意味がある。

 しかし今の俺が期待していた話題は、国際政治に関してだ。


「……瀬場くん、新しい情報は?」


 俺は呼び方を改める。

 セバスチャンは俺をからかうのが趣味らしく、これも(たわむ)れの一つだろう。とはいえ今日は早々に聞きたいことがあったのだ。


「失礼しました。調略は順調です、ハーディング大統領も死にたくはないのでしょうね。それにアメリカとしては大陸権益を得れば満足でしょう」


「そうか……これでワシントン会議も乗り切れそうだな」


 セバスチャンの言葉に安堵した俺は、ホッと息を()く。

 俺達は11月からのワシントン会議に向けて動いていた。俺が知る通りだと、ここで日本は孤立に押しやられるからだ。


 皇太子殿下の欧州訪問からも判るように、このころの日本はイギリスを重視している。何しろ寄港地は全てイギリスの植民地、最初の訪問先もイギリスだ。

 これは日英同盟が充分に機能していたからで、1922年に英国王太子エドワードが返礼として訪日するなど、ワシントン会議での同盟解消後も英王室との交流は続いた。


 しかしアメリカにとって日英同盟は引き抜くべきトゲ、彼らは日英米仏の四カ国条約により同盟の更新を阻んだ。

 一部では発展的解消と表現したらしいが、それは建て前である。植民地のフィリピンを守り、太平洋における日本の勢力拡大を抑え、中国での権益を得る。会議主催国であるアメリカは、これらを見事に成し遂げたのだ。

 更にワシントン海軍軍縮条約と九カ国条約も、後の日本に大きな影響を及ぼした。俺は中国進出に懐疑的だが、ワシントン体制で押さえ込まれたから余計に激化し暴発に繋がったと思っている。


 この流れを変えるには、イギリスとの関係を保ちつつアメリカに一定の満足をさせるべき。そう思った俺はウォレン・ハーディングが大統領になる前から抱き込みに着手した。

 ハーディングは選挙で倍近い差をつけて大勝するから、当選後に接近しても印象改善には繋がらない。ただし彼は仲間や関係者を財政的に厚遇した、いわばギブアンドテイクが成り立つ男だから経済的な権益を手土産にすれば良い。

 そこで尼港(にこう)事件の結果得た北サハリンの開発にハーディングや支持者を誘い、朝鮮や満州での事業展開にも便宜を図った。


 それとハーディングは大統領在職中に急死するが、これを駐米外交官に匂わせて注意を惹いた。

 普通なら追い払われるだろうが、向こうも日本に優秀な予言者が現れたと察していたから笑い飛ばされはしなかった。この時代は超常現象を信じた政治家も多く、アメリカでも副大統領にまでなったヘンリー・A・ウォレスなど神秘主義とされた人物も珍しくなかったのだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「手の者も楽しんでいます。流言飛語に奸計詐術……再び我らの時代が来た、と。欧米人に混ざるのは面倒ですから、草に育てる孤児を更に増やさねば……」


 偽悪的な笑みを浮かべるセバスチャンに、俺は少々引いた。

 隠密達は開国以降、ハーフや外国の孤児を配下に加えていたらしい。もちろん多くはないし、海外で一定の立場を得て活動している者など更に少数だ。ただし軍でも工作員を抱えていたように、決して突飛なことではない。

 俺が知っている範囲でも、1930年代の半ばに活動したハリー・トンプソンの例もある。彼はアメリカ人だが、日本に雇われて米海軍から情報収集したのだ。


「自発的に孤児を作らないでくれよ」


「可能な限り考慮します。

……ともかくアメリカは、ロシア共和国と中華民国の脅威を理解しました。先に日本を叩いた結果、二つの大国を生み出す……そして共産主義で手を携えた二国がアメリカと半世紀以上も対峙する……なるほど、確かにあり得ることです」


 ぼやいた俺に冗談らしき言葉で応じたセバスチャンだが、そこからは真顔へと戻る。

 アメリカが日本と戦う準備としてワシントン会議を開いたなら、そこから第二次世界大戦の終わりまでの約四半世紀を日米の対決としても良いだろう。しかしロシアや中国を始めとする東側とは冷戦の終結までとしても半世紀近いし、ポスト冷戦も含めたら七十年を超える。


 狭くて人口も限られる日本より、ロシアや中国が先々手強くなるのは当たり前だ。しかし日の出の勢いで列強の仲間入りをした日本は、このころのアメリカにとって優先して倒すべき相手だった。

 ただ二十一世紀からの視点で眺めると、アメリカは目先の脅威を潰す代わりに将来の強敵を育てたとも言える。


「このままだと日本は壊滅的な打撃を受け、結局アメリカの軍門に下る。ならば無駄な戦いを避け、早く手を組むべきだろう」


「どうせなら早々に譜代入りすべき……大坂の陣で負けてから尻尾を振っても遅いですね」


 俺の呟きに、セバスチャンは武家風の例えで応じた。執事っぽい装いをしていても、彼の中身は代々の忍者なのだ。

 とはいえ類似しているのは事実だ。残るは城ならぬ本土のみ、大砲の代わりに原爆で白旗を上げる。そこまで追い詰められる前に打つ手があるのは、当時も今も同じだろう。


「餌は充分に用意した……アメリカ以外にも。それに更なる招待客も……」


 俺はワシントン会議に向けた策を編み出した。もちろん俺個人の考えではなく、多くの知恵を借りてだ。

 もっとも上手く行くか分からない。そのため俺は、再点検へと思いを巡らせ始める。


「冷たいな……」


 冷め切った紅茶でも無いよりはマシだ。俺はティーカップを手に取り、口元へと運んでいく。


「客人も問題ありません。これで一人前と喜んでいますよ……ところで中浦(なかうら)様?」


「ん……?」


 意味ありげに言葉を切ったセバスチャンに、俺は生返事する。

 今まで挙がっていない何かを掴んだのか。そんなことを思いつつ、俺は続いての言葉を待つ。


「もう少し、お嬢様との時間をお作りになっては? 別に幽閉されているわけでなし、警護なら私を始め充分におりますが?

英国行きを断念されたくらいですから、少しは進展すると思ったのですが……」


「ゲホッ、ゴホッ! ……な、何かと思えば! 今は重要な時期、随行しなかったのはワシントン会議があるからだ!」


 セバスチャンが妙なことを言うから、俺は紅茶を吹き出しそうになる。しかし何とか(こぼ)さずに乗り切った。


 きっとニヤニヤと笑っているだろう。そう思って顔を上げた俺だが、相手は真顔で俺を見つめていた。

 閑院宮家にセバスチャンが配属されてから、随分と長いらしい。そのため彼は智子(ともこ)さんのことも昔から知っており、気になるのは理解できる。


「殿下もお嬢様も……それに仕える者達も中浦様に感謝しております。何しろ中浦様は、お嬢様の命の恩人……正確には、そうなるわけですが。

そのため降嫁のお許しが出ましたし、お嬢様も嫁がれる日を楽しみにしておられます。身分を捨て、名前を変えてでも……」


「大震災か……そこまで気にしなくても良いのに。それに……」


 セバスチャンに言い返しかけた俺だが、途中で口篭もってしまう。

 智子さん自身はともかく、周囲の動きは俺を手放さないためだ。しかし事実でも、口にしたら智子さんが可哀想な気がしたんだ。


 俺に結婚を勧める声は早いうちからあった。こちらに妻子が出来たら末永く協力すると思ったのだろう。

 しかし俺としては、もし元の時代に戻ったらと考えてしまう。戻る見込みはないから諦めてはいるが、それでも何かの拍子に再びタイムスリップする可能性はあるからだ。

 海原(かいげん)地震までは早いと押し切ったが、当てたことで婚約だけでもとなったらしい。しかも候補の女性だが、なんと宮家からになった。

 どうも未来知識の持ち主を縁者にしようと激烈極まりない争いがあった結果、これなら文句あるまいとなったようだ。


 一方の俺だが、当然ながら困り果てた。

 高貴な相手と不釣り合い。歴史に名を残す人物と結婚するはずの女性。気後れする理由は幾らでもある。

 しかし避けられぬなら、せめて一つだけでもと俺は考えた。そこで挙げたのが、大震災で没する運命にあった女性である。俺が知っている歴史の通りなら、関東大震災での死者は複数の宮家にいるのだ。

 とはいえ、これは事情を知っている相手にも言葉にしたくはなかった。


「発生日時は教わりましたから、屋外なら回避できるでしょう。そこまで恩義に感じなくともと中浦様が思われるのも当然です。しかし命を救ったことには変わりありません……少なくとも、お嬢様にとっては」


「理解している……何しろ家や名を捨てるくらいだから。だが……もう少し時間をくれないか?」


 セバスチャンが重ねる言葉を、俺は手を上げ遮った。

 結婚は高等科を卒業するまで待ってもらうことにした。つまり四年近く先、大震災の後である。そのころ智子さんは二十歳を迎える直前、俺の心の整理も終わっているだろう。


 ちなみに高等科卒業というのは、案外素直に受け入れられた。もしも関東大地震が起きなければ命を救ったことにならないと考えた人が多かったようだ。


「確かに時間は必要ですね……殿下からも帰国までに鍛えておけと言われていますし。それでは新陰流免許皆伝を目指して稽古を始めましょう」


「あ、ああ……」


 楽しげな笑みを浮かべたセバスチャンに、俺は顔を引きつらせつつ立ち上がる。

 四年間で皆伝まで鍛えるとセバスチャンは宣言し、実際に毎日死ぬほど厳しい稽古で俺を(しご)く。それに時々は兵営地に連れて行き、銃の使い方まで仕込むのだ。


「今日はご褒美があります……なんと『空の宮様』のお招きですよ。なんでも中浦様が飛行機の配備強化を進言して以来、関心がおありだったとか……」


 セバスチャンの言葉に、俺は思わず笑みを浮かべた。

 行き先は横須賀海軍航空隊か、一年早く完成した立川陸軍飛行場だ。したがって長時間の稽古は無いという解放感もある。

 しかし、一番の理由は違う。来年宮様と結婚なさる方も、大震災の被害者なのだ。

 きっと宮様は礼をせねばと思ったのだろう。その心遣いを、俺は嬉しく感じていた。


「それじゃ、さっさと済ませよう!」


「代わりに倍の厳しさにしますが……」


 俺達は冗談を言い合いつつ、部屋を後にする。

 色々思うところはあるが、少しずつでも前に進んでいくしかない。こうやって喜んでくれる人もいるのだから。

 俺は青空から眺める東京を思い浮かべる。まだ震災に見舞われていない、日々大きくなっていく街を。

 幸い今日は晴天、今の繁栄をしっかり目に刻んでおこう。出来るだけ多くを昭和の世まで残すという、決意を新たにするためにも。

 おそらく俺の想いはセバスチャンにも伝わったのだろう。彼は剣術の要諦を語りながらも、いつになく優しい表情となっていた。


 お読みいただき、ありがとうございます。


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