04 尼港救出作戦(1920)
「救出成功に乾杯!」
1920年5月20日の夜、英国横浜領事館に祝声が響いた。
集っているのは先日の五人だ。つまり俺、今村さん、深尾さん、エリオットさん、ヘーグさんである。しかし先日とは違い、俺達の表情は非常に明るい。
尼港の大惨事は避けられた。少なくとも、5月下旬のニコラエフスク全体に対する破壊と大量虐殺は免れた。そして、これは運良くと言うべきだが赤軍パルチザンの首謀者トリャピーツィン達も日本軍は確保したんだ。
「中浦殿! いや、愉快痛快ですな! あのロシア革命派にも裏切り者の中華民国にも一泡も二泡も吹かせたのですから!」
今村次吉さんはワインの入ったグラスを掲げると、子供のような笑顔で俺の肩を叩く。
大蔵省官僚やロシア駐在財務官として働いて更に実業家となった今村さんだが、元は立派なスポーツ選手だ。一高時代には不忍池周回レース、後のハーフマラソンに相当する長距離走で見事優勝、東大では学内の運動会で三種目のレースで優勝という実力者だ。
そのため力も相当なもので、かなり痛い。
「首謀者トリャピーツィン達も捕らえ、ニコラエフスクでの非道や大虐殺の計画も明らか。であれば革命派も大人しく要求を呑むしかありますまい。これで樺太も安泰です!」
華族で大阪商船専務の深尾隆太郎さんも、溜飲が下がったと言わんばかりの表情だ。
大阪商船も六年前の大正三年までは北海道樺太航路を持っていた。航路は樺太庁肝入りの北日本汽船に譲ったものの、深尾さんからしても全くの他人事ではないのだろう。
もっとも後の交渉が上手くいくかまでは、俺の知るところではない。ただし、かなりの優位に日本が立ったのは間違いない。
赤軍パルチザンの暴虐でニコラエフスクの住民は半減していた……ようだ。曖昧な言い方になってしまうのは、あまりに死者や行方不明者が多いため、まだ充分に把握しきっていないからだ。
元々ニコラエフスクには一万二千人以上もいたし、パルチザンは碌に記録もしないまま処刑をしていた。同じロシア人でも反革命派、つまり白軍に付いたロシア人にパルチザンは容赦しなかったんだ。
これが居留者である外国人達だけなら、侵略者達を追い出すためなど言い訳できたのだろう。しかしパルチザンは同じロシア人であろうが関係なく襲いかかった。むしろ企業家や街を運営していた富裕層などは目の仇にされ真っ先に狙われたらしい。
元々彼らロシア革命派、ソビエトとは労働者や農民、兵士の社会主義的評議会だから資本家や富裕層は倒すべき敵である。しかしニコラエフスクでの赤軍パルチザンの行為は労働者を含む虐殺や収奪であり、これは革命派も庇いきれなかったようだ。
俺が介入する前の歴史でも最終的にトリャピーツィン達はハバロフスクのソビエト評議会に処刑される。そして新たに生まれた歴史でも、革命派は彼らを『労働者の敵』であり『ソビエト政権への反逆者』としたわけだ。たぶんトカゲの尻尾切りなんだろうけど。
「要求とは、ニコラエフスクを引き渡しシベリアから撤兵する代償としての北サハリン割譲ですね?」
念のためだろう、英国駐日大使チャールズ・エリオットさんは事前に交わした密約を口にした。
日本は英米と協調しシベリアから兵を退く代わりに、サハリン島こと樺太の北半分、現在はロシア共和国領の部分を得る。正確には勝った場合、その条件でロシア共和国と交渉するだけだが。
「その通りです。首相や陸軍大臣を含めての総意です」
今村さんはエリオットさんに深々と頷いた。
今の首相は原敬、そして陸軍大臣は田中義一だ。そして俺は原敬と田中義一の双方について多少の知識を持っていたから、彼らを動かすことが出来たんだ。
「中浦さん、そろそろトリックを教えて貰えませんか? 私もワトスン役として、結構頑張ったでしょう?」
ヘーグさんは今まで日本側だけの秘密としていたこと、尼港救出作戦について興味があるようだ。
ちなみにシャーロック・ホームズの作品群は1887年から1927年にかけて発表されたから、まだ世界一の名探偵は活躍中だ。
ただ作品内の時系列だと1891年の『最後の事件』で姿を消し、そして1904年の『空き家の冒険』で復帰、1914年の『最後の挨拶』が最も後の事件となる。つまり1920年代のホームズが取り組んだ事件を、アーサー・コナン・ドイルは語っていない。
「分かりました。今後のこともありますので、明かせるものは明かしたいと思います。今村さん、深尾さん、よろしいですね?」
俺は左右に座る日本人の二人に視線を向ける。
幸い双方とも異論はなかったようで即座に頷いてくれた。そこで俺は、この一ヶ月の奮闘の一端を語ることにした。
◆ ◆ ◆ ◆
あくまで個人的にだが、俺が尼港事件で最も問題視したのは中華民国海軍の砲艦だ。この四隻の砲艦がニコラエフスクにいたから、救出の日本軍も一層慎重に進んだのではないだろうか。
ニコラエフスクには華僑もいたから、中華民国海軍が彼らの権益を守るために駐留するのは理屈として成り立つ。しかし彼らは赤軍パルチザンにいた中国人と通じ、あまつさえ日本軍兵営への砲撃に日本人居留民への発砲と無法を働いた。
元々の歴史でも、この無法を日本は問題視し中華民国政府に抗議した。政府および砲艦の艦長が遺憾の意を示す、関係した軍人の処罰、そして遺族への慰謝料。これらを中華民国政府は報告書と公文書の非公開を要求した代わり、全て受けいれた。
もちろん日本政府が主張したからだが、それだけ重大視されたわけだ。まずは倫理的に、そして惨劇を推し進めた後ろ暗さから……しかも自国民に言えないほどの。
つまり赤軍パルチザンは中華民国海軍の砲艦という後ろ盾があったから好き放題できた。少なくとも頼りにしていたのは事実だろう。だからこそ5月下旬の大虐殺の直前に、中国人達はニコラエフスクから脱出できたのだ。
「中華民国の砲艦には無線がありました。そして彼らは北京ともやり取り出来たのです」
赤軍パルチザンは各所に電信を打っている。それはモスクワにも届いているし、極東であればウラジオストクやハバロフスクにも伝わった。それに1902年にマルコーニが行った無線の実験でも、夜間は3000キロメートル以上の遠方の信号を受信していた。
俺の知っている歴史だと中華民国政府は現場を把握していなかったと弁明したそうだ。しかし状況から考えるに、概要くらい北京にいる者達が知っていたのは間違いない。なぜなら砲艦は独自の通信設備も持っていたし、パルチザンの無線電信も使えただろうからだ。
「そこで私は中華民国政府を脅すことにしました。『近い将来、貴方達の国に大災害が降りかかる。そして何十万人と死ぬ。しかし貴方達に、いつ何が起きるか教えても良い』と……」
俺は中華民国の公使とも会っていた。今村さん達を通して、最終的には原首相や公爵で貴族院議長の徳川家達の力も借りたんだ。
で、中華民国公使と会ったとき、俺は占い師モドキというかスマホを活用した手品めいたことをした。相手の声を録音して再生するとか……。
二十一世紀なら子供でも見破るけど、この時代の人は手のひら大の録音再生機があるなんて想像もできないだろう。そのため俺がスーツの中に隠したスマホで直前の公使の発言を再生すると、椅子から落ちんばかりに驚いてくれた。
ちなみに予言した大災害は根拠がある。
1920年12月16日に海原地震っていうのがあるんだ。後の中国寧夏回族自治区が震源地で、死者と行方不明者は二十万人以上だという。これをニコラエフスクの事後処理が完了したら教えるが、たぶん北京の中華民国政府は怒るだろう。
あくまで俺が知っている記録での話だが、海原地震は少なくともマグニチュード7.8もあり中国全土で揺れが観測できたという。そして震度5強相当以上の範囲は直径150キロメートルほどもあったらしい。
しかし、震源地と北京は900キロメートル近く離れているんだよ。そのため北京を始めとする東部では震度3相当だったようだ。
おそらく北京の指導者達は、自身が死ぬか政権が転覆するくらいの大災害だと思っただろう。なぜなら俺が公使に、自分だったら生きていられないし嘆きのあまり立ち直れないかもしれない、と言ったから。
もちろん俺は『震源地にいたら』という意味で口にしたが、北京の大物達は『国を治める自分達が』と受け取っただろう。まあ、そう思われるように振る舞ったんだけど。
このころの中国は軍閥が群雄割拠しているから、それでも何か足しになるかもしれないが……大災害を予知して人気取りとか……とはいえ遥か内陸の話だから、正直あまり活かせないと思う。
さっき今村さんが『裏切り者の中華民国にも一泡も二泡も吹かせた』と言ったのは、そういうことだ。正確には、これから泡を吹いてもらうんだけどね。
だけど残虐なパルチザンに加担する無法者など、それで充分だろ?
「経緯は省きますが、それでニコラエフスクの中華民国海軍砲艦を中立としたのです」
俺は地震の予言を含め、中華民国公使館での出来事を全て伏せた。
地震に関しては、中華民国公使に伝える時点でエリオットさんやヘーグさんにも明かすつもりだ。俺の未来情報が正しいことを示す必要があるから。
しかし会談の中身や接触方法など語れないことも沢山ある。まあエリオットさん達も熟練の外交官だから、ある程度は察しているだろう。それに俺の行動からも。
実は俺は今でも、ここ英国横浜領事館で暮らしている。これは幾つか理由があるんだが、最大のものは俺の命を守るためだ。
何しろ首相を始めとする政治家や大物実業家でも暗殺される時代だ。そんなところに政府の有力者に近づく怪しげな占い師が現れたら、良い的になるだろう。
そこで俺は治外法権である外国公館に隠れ住むことになったが、代わりに俺の外出はヘーグさんが完全に把握している。おそらく英国側も尾行くらいはしているだろう。
もっともエリオットさんやヘーグさんは、そんなことは毛筋ほども面に出さない。でも、その方が安心できるけど……。
◆ ◆ ◆ ◆
「……日本と中華民国のやり取りは聞きませんよ。いずれ大災害について教えてもらえるのを楽しみにしています」
エリオットさんは、にっこりと微笑んだ。表情だけ見ていると裏表のない初老の慈善家のようだが、彼は英国紳士で外交官だ。当然ながら、俺が言外に篭めた意味も理解しているはずだ。
「砲艦は北京の政府から制止され中立を決め込んだ。そして懸念が減った日本は進軍速度を上げた……二対一から一対一の戦いに持っていったのですね?」
「ええ、砲艦を味方にして後ろから襲われても困ります。ですから彼らには見物してもらいました」
ヘーグさんの問いに、俺は頷きつつ応じる。
問題は、ここで中華民国海軍砲艦が本当に退くかだった。相手は現地で赤軍パルチザンと癒着しているかもしれない。何しろパルチザンには中国人もいるから、情報が漏れる危険性もある。
その場合は中華民国が敵に回ったとの判断から、パルチザンが疑心暗鬼に陥るかもしれない。それでパルチザンが撤退してくれたら良いんだが、大虐殺が早まることになったら目も当てられない。
ただ、この砲艦の艦長の一人は後に第一艦隊司令を務めたという。事件の直後は日本の抗議で解任されるが、すぐに名を変えて軍に復帰し出世していったらしい。
復帰などは日本への意趣返しもあるのだろうが、後々艦隊司令になるのだから判断能力も高いだろう。ならば政府からの厳命とあれば従うのでは……と思ったんだ。
ハッキリ言えば賭けでしかないが、放っておけば全員虐殺されるだけだ。幸い良い方向に転がってくれたが……。
「進軍速度を上げたのは、やはり誰かに占いをしたからですか? お前は将来災いで死ぬ、と」
エリオットさんは日本軍の動きが早まった理由が知りたいらしい。あるいは、そこから俺が会った人物を探りたいのかも。
「まあ、似たようなものです」
俺はどうとでも取れる答えを返した。
実際に一人は命そのもの、そしてもう一人は政治的な命だった。つまり約一年半後に暗殺される首相の原敬と、尼港事件で辞職に追い込まれる陸軍大臣の田中義一だ。
原首相には、愚か者により志半ばで倒れる、と伝えただけだ。何しろ今回のことで歴史が変わるから、本当に暗殺事件が起きるか分からない。ただ警備を厚くするようにとは言っておいた。
原首相の外交方針は対英米協調主義だから道半ばで倒れてほしくないという思いもある。しかし俺は暗殺自体が嫌だった。暗殺が頻繁に起こるような風潮は、後のクーデターなどにも繋がると思ったからだ。
もう一人の田中陸軍大臣だが、こちらは尼港への救出部隊到着が間に合わないと大臣を辞めることになる、とハッキリ伝えた。それと後々天皇陛下から叱責される、と。
これは俺の恣意的な捏造ではある。尼港の件では陸軍大臣を辞めただけで、叱責されるのは九年後に彼が首相をしているときだから。
ただ、これも俺個人の意見だが、田中義一という人物は首相向きではなかったと思う。豪快な出世志向の軍人でいて、心労が重なると持病の狭心症が悪化して倒れるという二面性のある人なのだ。それに首相になってからの叱責では、内閣総辞職して三ヶ月と経たないうちに急性の狭心症で命を落としている。
情が厚い人物というし、気さくで庶民的な上に自分のことを『オラ』と言うなど、戦後の同姓首相を彷彿とさせる面もある。ただ、後の彼よりは肝が太くなかったのだろう。
いずれにしてもシベリア出兵を推進したのも彼を含む一派だったというし、首相時代も軍の台頭を招いたらしい。そこで俺は、ここで釘を刺しておこうと思ったわけだ。
幸い脅しが効いたらしく、田中陸軍大臣は救出部隊を急がせた。
ニコラエフスクや周辺は5月中旬に入れば解氷している、と俺が言ったのもあるのだろう。もっとも前線を叱咤激励する彼の様子からすると、迫りくる自分への危機を避けたいのが大きかったように思う。
ともかく日本海からの戦艦三笠を始めとする部隊、そしてハバロフスクの第14師団、更にアレクサンドロフスクから上陸した歩兵部隊は猛進に猛進を重ねた。
俺が知っている歴史では情報収集や偵察をしながら進むのだが、赤軍パルチザンの数など現地の情報は田中陸軍大臣を通して教えてある。それに、このころ完成したばかりの中島式六型や七型複葉機も急遽回させ、空からの情報収集にも努めた。
田中陸軍大臣は陛下の叱責だけは避けたいと、あらゆる手段を用いたのだ。
そんなこともあり、救出部隊は二十日近くも早く到着した。そのため5月下旬の大虐殺だけは何とか回避できたわけだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「中浦さん、実に見事でした」
エリオットさんはグラスをテーブルに戻し、改まった様子で俺を見つめる。そして俺を含む四人も同じようにグラスを置く。
「貴方が未来を知っているのは確かでしょう。それでなければ、ニコラエフスクまで見通せる千里眼の持ち主か……いや、やはり未来だ。
貴方は中華民国に大災害を予言した。どうやら予言は北京の指導者達の期待とは少し違ったものらしい……今村さんの言葉からするとですね。ただし全くの嘘でもないはずだ。そんなことをすれば、彼らは日本を徹底的に非難するでしょうから。
つまり貴方が日本を陥れるつもりでなければ、中華民国の大災害は絶対に起きる」
六十も近いエリオットさんの落ち着いた、そして学問の道を志す者らしい理知的な声が室内に響く。
エリオットさんは、俺を頭から信じたわけではない。しかし彼の理性的な思考が、俺が未来を知っているからこそ危険な橋を渡っても揺らがないと結論付けたらしい。
「中浦さんは誠実な人ですよ。敵には厳しいし、敵に利した者にも相応の対処をする現実的なところもある。しかし、約束は守ろうとする」
ヘーグさんは横浜領事館の副領事だから、逗留中の俺と会う機会も多い。そして彼は一ヶ月の間、俺のことを観察し続けたのだろう。
もちろんヘーグさん個人の印象ではなく、職員達からも色々と聞いたに違いない。そのためだろう、彼の顔には己の言葉に対する自信が浮かんでいた。誠実だと真正面から言われた方としては、かなり気恥ずかしいものがあるけど。
「しかし私が一番感心したのは、中華民国を手玉に取ったことです。
現地の人々の言葉通りなら、中華民国も最初からニコラエフスクを壊滅させるつもりだったとしか思えない。中華民国の砲艦が日本の兵舎や領事館を砲撃したと、大勢の生存者が言っているのですから。
仮に全滅か近い状態なら、見間違いやパルチザンに武器を貸与しただけと言い逃れることも可能でしょう。しかしニコラエフスクには何千人もの生存者がいる。そして彼らは自分達を救ってくれた日本軍に有利な証言をするでしょう。それが真実であれば、なおさら……。
つまり中華民国からすれば生存者がいてはならない。しかし貴方は、北京の指導者達にニコラエフスクと比べ物にならないくらいの餌を見せた。北辺の地の件で多少の恥を掻くか、政権自体の存続を取るか……普通なら後者を選ぶでしょうね。何しろ天変地異の予言なわけですから……」
エリオットさんは香港大学の学長をしていただけあって、向こうの思惑を察したらしい。
確かに俺は、北京の指導者達が予言を非常に気にすると予測していた。日本もそういうところがあるが、中国人は吉日や吉方などを信じている。これは二十一世紀でも変わらない。
易姓革命という概念では、徳を失った君主は天が見切りを付けるという。この天の見切りは、大災害や民衆の反乱となって現れるそうだ。
ならば災害を事前に予見する者は、極論すれば天に認められた君主と呼べる。そして軍閥割拠の状況だから、正統政府と認められる機会を逃したくなかったのかもしれない。
まあ、単に瓦礫で埋まった都を想像した可能性もあるが。
「それに今回の日本軍は、非常に合理的に動いた。それも貴方の差し金なのでしょう?」
沈黙は金なり。エリオットさんの問いに、俺は微笑みのみで応じる。
まあ飛行機をもっと活かすべきとか、色々吹き込みはしたけど。中島式六型や七型を推薦したのは、俺なんだ。
アメリカでライトフライヤー号が飛んだのは、この時点から僅か17年前の1903年だ。それなのに半年ほど前、中島式六型は東京から大阪を2時間10分で飛んだという。
更に17年後の1937年、つまり昭和十二年にはどうなるのだろうか。もう第二次世界大戦の直前だから、制空権を取った者が勝利を収める時代だ。そういえば、最初に焼夷弾を本格的に使用したゲルニカ空襲は1937年だった。
そのようなことを俺は避けたい。東京大空襲……関東大震災に並ぶ首都を襲った大惨事、そして各地への空襲を。地震のような自然災害ではなく、人間の犯した大いなる過ちを。
それらを回避するのに同じ航空機を充実させるしかないのは、何という皮肉だろう。だが現実は航空戦力の差が勝敗を決めた。もちろん燃料などがなくては話にならないが……。
「私は悲劇を避けたいのです。もちろん、まずは日本のですが……しかし日本だけで平和と繁栄を勝ち取れるとは思っていません。ですから私は友となれる人々とは手を繋ぎたいのです」
「それは理想主義に過ぎませんか?」
俺の静かな言葉に、エリオットさんは皮肉げな声音で応じた。まるで平成の世にいるゼミの教授を思わせる、どこか試すような表情と共に。
「ええ、理想主義ですよ。ですが、手を握っている間は殴れないでしょう? それに握り合って近づいていれば、少しは親しみも湧くのでは? 汗も行き交うでしょうし、唾も飛び交うかもしれませんから」
汗や唾の例えは少々下品だが、交流する人々を暗示したつもりだ。そうやって混じり合えば、どちらにも友人や家族を持つ者が出るだろう。それが戦への道を押し留めてくれるかもしれない。これも『子はかすがい』ってヤツかも……なんてね。
「これは一本取られましたね。ええ、信じ合うことが大切なのです。少なくとも裏切るときまではね。
……ともかく貴方は見事に国難を乗り切った。我が大英帝国は、利のある相手とは親しく付き合いますよ」
やはり皮肉げな調子のエリオットさんだが、とても優しい笑みを浮かべていた。外交官にあるまじき、とか言いたくなるような。
「ありがとうございます。では、裏切られるまで友でいましょう。もちろん私に裏切るつもりはありませんし、エリオットさんも同じだと思いますが」
俺達は、集まったときと同じくグラスを掲げた。そして今度は静かに五つのグラスを近づけ、互いの思いを密やかな音で表現した。
お読みいただき、ありがとうございます。