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33 巴里(1924)

 花の都、光の都、十九世紀の首都……巴里(パリ)は様々な雅称を持っている。

 一つ目の『花の都』は、二十一世紀の日本でも有名だから説明不要だろう。ただ、この名はヨーロッパだとフィレンツェを指すことが多いから要注意だ。

 フィレンツェは『花の女神フローラの町』という意味のフロレンティアに由来し、現在も花々で満ちている上に温暖かつ少雨だから『屋根のない美術館』とも呼ばれている。もし欧米人にアンケートしたら、こちらが大多数を占めるだろう。

 二つ目の『光の都』は、十九世紀末から二十世紀初頭にかけての大繁栄を示す形容だ。このころパリでは何度も万国博覧会が開かれているし、その来場者数は他国開催に比べて倍以上だから実際に突出した存在だと分かる。

 三つ目の『十九世紀の首都』だが、これは『十九世紀はフランスの時代』という意味だ。もちろん同世紀前半の日本……つまり幕末以前のようにフランスと縁遠い国もあるが、そのころ世界を席巻したヨーロッパ諸国を一時はナポレオンが殆ど支配したのだから、比喩表現としては充分に成立する。


 ちなみに俺……中浦(なかうら)秀人(しゅうと)が1924年のパリから受けた印象は、敢えて選ぶなら三番目だろうか。

 まず花の都だが、欧州航路で目にした地中海や南欧の風景と比べると、残念ながらパリは少々見劣りする。ナポリやマルセイユは三月中旬にも関わらず様々な花が競うように咲いていたから、そちらに軍配を上げるのは仕方ないだろう。

 次に光の都だが、このころのパリには既に数え切れないほどの電灯があり、適切な表現だとは思う。しかし俺は街全体が輝くような二十一世紀の大都市を知っているから見惚れることはなかった……歴史的な風景や物事に目が向いたからでもあるが。

 なにしろ今のパリには十九世紀に誕生した建物が無数にあり、ファッションを含む文化も当時や近いものが珍しくない。まだ二十世紀になって四分の一ほどが過ぎたばかりだから、自然に前世紀の光景が浮かんでくるのだ。


 (そび)え立つエッフェル塔は1889年の完成、つまり三十五年前だから二十一世紀の姿に比べたら新築同然だ。ルーヴル美術館も、まだルーヴル・ピラミッドが存在せずモダニズム的な印象は受けない。モンパルナスも超高層タワーがあるはずもなく、歴史と伝統の街並みが主役を張っている。

 石造りの重厚かつ優美な建物が並ぶ通りには山高帽やシルクハットを被る男達が溢れ、彼らの高らかな靴音がパリこそ世界最高の都市と(うた)うように鳴り響く。引き立てる伴奏者は随分と増えた自動車と少数派になったが(いま)だ健在な馬車で、人と新旧交通手段の競演が街路を賑わせている。

 女性はギャルソンヌと呼ばれるフォーマルなジャケットにスカートで仕事に出かけたり、流行のアール・デコのドレスで着飾って余暇を楽しんだりだ。もっともパリを離れて農村に行けば、エプロンを着けてコアフという布で髪を覆う伝統衣装が殆どではある。


「とは言うものの、地方は通っただけなんだよな……。欧州航路の最後、マルセイユに上陸したときはヴェルダンに急いだし、パリに入るときも似たようなものだった」


 ぼやきめいた言葉と共に、俺はパリまでの陸路を振り返る。

 俺達はマルセイユで船旅を終え、そこからはフランス内陸を車で進んだ。ただし俺は第一次世界大戦の激戦地ヴェルダンを見ておきたかったからパリに直行せず、ドイツ国境近くまでの800キロメートル近くを最小限の休憩で走破した。

 そしてヴェルダンの戦没者慰霊地で祈りを捧げた俺達は、翌3月17日にパリに到着した。このときも250キロメートルほどを僅かな休憩のみで走り抜け、見たものといえば殆どが車内からの風景である。


「仕方ありませんね」


 隠密のセバスチャンこと瀬場せば須知雄(すちお)が感情を抑えた声で応じる。ただしセバスチャンも残念に思っているのか、ほんの僅かだが声が柔らかい。


 ここはパリでの拠点とした、とあるホテルのロイヤルスイートのリビングだ。室内には他に俺の婚約者の智子(ともこ)さんのみ、他は入り口側の部屋で待機してもらっている。

 俺と智子さんが並んでソファーに腰掛け、セバスチャンはセンターテーブルの向かい側だ。


「この半月、パリから離れたのはサン・シール訪問のみ。だが、あのときは行きも帰りも雨だった」


 俺が挙げたサン・シールには、フランスの陸軍士官学校がある。

 そしてサン・シール陸軍士官学校には、北白川宮(きたしらかわのみや)成久(なるひさ)王、朝香宮(あさかのみや)鳩彦(やすひこ)王、東久邇宮(ひがしくにのみや)稔彦(なるひこ)王が留学中だ。そのため俺達はパリに入った直後に表敬訪問し、日本で閑院宮(かんいんのみや)載仁(ことひと)親王などから預かった品々をお渡ししたのだ。


 このサン・シールだがブルターニュ地域のモルビアン県にあり、パリから西に400キロメートル近い。しかも二十一世紀と違って高速道路など存在しないし車の性能自体が大幅に劣るから、休憩を含めると移動のみで一日が終わってしまう。

 あの辺りは農村地帯だから晴天なら畑仕事でも見物できただろうが、目に入ったのは濡れそぼる畑や果樹園のみだった。


「こちらでも毎日お打ち合わせやパーティーでしたから……」


 智子さんはパリでの日々を振り返ったようで、微かな吐息を漏らした。

 到着の日は疲れを取ろうと休んだが、翌日からは目が回るような過密スケジュールが始まった。サン・シール行き以外もホテルと目的地を車で往復するだけで、せっかくパリにいるというのに街を歩く暇すらなかったのだ。

 とはいうものの、時間を割くべき相手やイベントだったのも事実ではある。


 俺達が会ったフランス人のうち特筆すべき政治家を並べると、こうなる。

 現大統領アレクサンドル・ミルラン、現首相レイモン・ポアンカレ、既に引退済みだが元首相でジャーナリストでもあるジョルジュ・クレマンソー、やはり元首相で本来の歴史なら今後も首相を務めるアリスティード・ブリアン。大統領や首相経験者に限っても他に数人いるし、それ以外にも大勢が面会を打診してきた。

 政治家以外にも財界人や文化人、アメリカやイギリスの大使やパリ滞在中の名士もやって来る。それに会談以外にもパーティーや各種行事への招待など、僅か半月弱にも関わらず覚えきれないほどだ。


 俺のスマホはオフライン辞典が入っているから、教科書に載るような偉人は調べられる。そして歴史に名を残すと判ったら、出来れば会っておくべきと考えてしまう。

 話をしたいと言ってきたのに断れば、普通は気を悪くするだろう。後々何か頼むかもしれない重要人物に悪印象を(いだ)かれるより、少々無理しても顔つなぎしておくべきではないか。

 なまじ情報を持っているからこそ、余計に気を回してしまうのだ。


 ただし今日はオフ、四月に入って少々落ち着いたから完全休暇にした。そんなわけで昨日までと違い、朝食を済ませた後もリビングで寛いでいるわけだ。

 愚痴っぽい言葉を口にしてしまったのも、ゆったりとした時間と窓からの暖かな光で気が緩んだから……というのは少々言い訳めいているだろうか。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 この頃になると、同盟国の英米仏では俺を知る者が随分と増えたようだ。

 俺が未来人というのは極秘中の極秘として口止めしているが、よく当たる占い師という程度なら結構な範囲に伝わったらしい。そのため自国や自身の将来を知りたい人が、ひっきりなしに押し寄せてきた。

 しかし当たり障りのない情報で日本の利益を引き出せるなら、それはそれで良いのではないか。もちろん充分なリターンがある場合のみだが、最も大切なことは日本の平和……正確には戦争が起きても大惨事を避けられる未来だ。

 そのため俺達は三月末までの半月弱を朝から晩までギッシリ予定を詰め込み、同盟三国を中心とするコネ作りに注力した。


 だが、今日は違う。

 智子(ともこ)さんとパリの街を歩きたいし、ショッピングや観劇も良いだろう。それにルーヴル美術館やブローニュの森など、行ってみたいところは幾らでもある。

 しかし時間に追われるように動くより、のんびりとした朝を満喫してからと俺達は考えた。まるで閑院宮(かんいんのみや)邸の離れで過ごしているような、穏やかで落ち着く場所に心惹かれたのだ。


「智子さん、秘書役ありがとうございます。今日はゆっくりしてください」


「いいえ、多くの方とお会いできて良かったと思います。大きな成果がありましたし、それに少しはお役に立てたと思いますし……」


 俺の(ねぎら)いに智子さんは首を振った。そして彼女は始めは嬉し気に、途中から恥じらい混じりだが誇らしげに言葉を紡いでいく。

 実は今回、スケジュール調整したのは智子さんなのだ。


 一日あたり十組から二十組、それが約二週間だから二百組ほどと会ったはずだ。もちろん多くは十分か二十分だが、細かすぎて把握が面倒だと思う。

 それを智子さんは完璧に仕切り、たった一つのミスすら起こさず乗り切った。あれだけの数だから来客がバッティングしても不思議ではないし、こちらが外出するときは遅刻や行先間違いなどがあるのではないか。

 これが日本ならともかく、ここは初めて来た異国で話す言葉も違うのだ。普通なら地理や道路を把握するだけで精一杯だろう。


「とても助かりましたよ。もし智子さんがいなかったら、スポーツ関係で会えたのはクーベルタン男爵だけだったでしょう」


 この半月で俺達はIOC会長クーベルタンとの会談を果たし、更にFIFA会長や幹部とも言葉を交わした。未来を知りたいという欲求は誰にでもあるようで、彼らも大いに興味を示したのだ。


 とはいえサッカー関係だけ露骨に優遇したら苦情の山だろう。

 つまりIOCやFIFAの関係者と会うなら、それまでに政治家や財界人とのイベントをクリアするしかない。俺達が過密スケジュールを選んだ背景には、こういう理由もある。


 しかし智子さんの調整で両団体とも十名以上と会えたし、将来の日本開催への道筋も幾らか整備できた。

 あの幻の1940年東京オリンピックより早い日本開催も充分にある……そのくらい踏み込めたように思う。英米仏と同盟国になったから彼らや関係国の票を期待できるし、そうなればベルリンオリンピックの1936年を日本にするのも夢物語ではないはずだ。

 FIFAワールドカップは始まってすらいないから、条件さえ満たせば更に早く招致できそうだ。もちろん今回のパリオリンピックの日本健闘が大前提で、現時点では根回しに徹するしかないが。


「そんな……エドワード殿下から頂いた紹介状のお陰です。それにホテルの件も含め、殿下には感謝してもしきれません」


「お嬢様の努力が実ったのです!」


 謙遜する智子さんに、彼女の成果だと力説したのはセバスチャンだ。

 セバスチャンは智子さんが幼いころから見守ってきたそうだ。彼は代々の忍者だが、まだ小学校低学年くらいの歳で閑院宮家の担当になったのだ。

 隠密らしく普段は感情の動きを表さない彼だが、内には宮家や智子さんへの強い思いがある。三年少々の付き合いで、そのように俺は理解していた。


「……もちろんエドワード殿下の御助力は、私もありがたく思っていますが」


「そうだな。このホテルは彼の祖父の名を冠しているし、ここを俺達に紹介したのが彼と知れば、普通は親しい間柄と察するだろう。

実際、みんな興味津々だったじゃないか……遠慮したのか聞くに聞けないって感じの人も多かったけど。ほら、ルイ・ルノー氏とか……」


 セバスチャンは少々強調しすぎたと思ったのか、常の落ち着いた顔で話題転換をした。そこで俺も、これまで会った人々に話を戻す。


 とはいえホテルについては、もう少し触れておくべきだろう。このホテルだが、実はエドワード王子の祖父で同名の七世が造らせた建物を転用したのだ。

 エドワード七世は王太子時代、フランスとの関係強化のため長くパリに(とど)まった。そのとき拠点として用意したのが、この建物である。

 これを俺は二十一世紀でイギリス史を学んだとき知ったが、『長期とはいえ単なる滞在に七階建ての大邸宅を建てるとは……それもパリの一等地に』と思ったものだ。何しろオペラ座とルーブル美術館を結ぶ大通りにあるのだから。

 なんとホテルとなった今は約七十組が泊まれるし、それぞれの客室もスイート形式が多いという。滞在終了後は売る前提で最終的な出費は少ないと考えたのだろうが、それにしても剛毅な話ではある。


 建物は十九世紀後半のパリで広く用いられたオスマン様式。これはオスマン帝国とは関係なく、当時セーヌ県知事だったジョルジュ・オスマンが推進した規格で建てられたから付いた名だ。

 この様式の建築物は二十一世紀のパリにも数多く残っているから、目にした人も多いはずだ。外見は大通り沿いの伝統的なアパルトマンやデパート……採光用の中庭はあるが外庭がなく七階前後で他と高さを揃えた建物だ。それらのうち高級街と呼ばれる区域にあるものが、このホテルに似た姿をしている。

 ただし中は他と違い、王太子の館に相応しく(ぜい)を凝らしている。エントランスなどはアール・ヌーヴォー調の優美で柔らかな印象の内装に改められたが、この最上階は迎賓館として使える重厚かつ華麗なネオ・バロック風味だ。

 もっとも俺達のいるロイヤルスイートは意外にも古さを感じない。ここは基本的に王太子が使った当時を保ちつつ電灯や電話など設備面のみ最新式にしたというが、伝統の装飾の中にもスッキリとした美しさがあるのだ。

 滞在当時のエドワード七世は王太子だったし、年齢も三十六歳と若かった。そのため豪華すぎる部屋を嫌ったのかもしれないが、後にエドワーディアン・スタイルとして完成する美と実用性を兼ね備えた様式は彼の好みでもあるのだろう。


 ちなみにホテルに生まれ変わったのは、エドワード七世が手放した直後だそうだ。つまり名前の使用を許された背景には、ネーミングライツ的な意味があったのかもしれない。

 もしそうだとすればイギリス側も得しただろうが、王太子の名を冠したホテルにも大きな利益があったはずだ。それならウィンウィンな取引であり、孫のエドワード王子が口利きできるのも納得がいく。

 ともかく本当の意味でのロイヤルスイートに超格安で泊まれた上に招いた相手への牽制にもなったから、俺も王子には二重三重の意味で感謝している。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 そんな感じで思い浮かぶままに語らっていると、電話がかかってきた。俺は出ようとするが、智子(ともこ)さんが制して立ち上がり、受話器を手にする。

 このころフランスにはマイクとスピーカーが両端に付いた受話器があるし、自動交換も始まっている。そのため部屋にあるのも、外見だけなら二十一世紀で売っているダイヤル式を模したアンティーク風電話機と大差ない。

 ちなみに日本も本来より少々早く自動交換機を導入したが、まだ市外は殆どが交換手頼りだ。しかしフランスは移行が早いらしく、ダイヤルのみで済む率が高い。


「Oui, la chambre de Monsieur Nakaura. Qui est-ce? ……エリスさん!? お久しぶりです! 今、どちらに!?」


 智子さんは初めのうち、秘書役を務めるときの優美でありつつもピンと張った声で話していた。しかし日本語で喜びも顕わな叫びを響かせると、十八歳という年齢に相応しい弾む口調で色々と問いかけていく。


 どうも電話をかけてきたのはドイツ外交官の娘エリス、俺達と欧州航路を共にしたマタ・ハリ似の女性らしい。そうだとすれば智子さんが日本語に戻ったのは、多少なりとも通じる相手だったからというわけだ。

 そして驚きは、およそ半月ぶりにエリスが連絡してきたからだろう。


 俺達がパリに着いたとき、エリスは別れの言葉を口にした。自分は母の思い出を探しにパリを巡る、と言ったのだ。

 物心ついたかどうかといった頃に両親が別れ、以後は母と会っていないし手紙のやり取りもなし。そのため容貌すら曖昧な記憶のみ……と彼女は寂しげに語っていた。

 だが父のワイゲルト氏によれば、ここパリで二人は出会って恋に落ち、エリスが生まれてから少々を共に暮らしたという。別離の事情は語りたくなかったのか、その経緯までは教えてくれなかったらしいが。

 ともかくエリスは母が存命かすら知らぬまま、ならばパリに来た好機を活かしたいのも、実に自然なことではある。


 そして智子さんは四十数日の船旅でエリスと仲良くなり、もっと共に過ごせたらと思うようになったらしい。別れのときも強く翻意を促していたくらいだから、再会できると知って大喜びするのも当然だ。

 そんなことを考えつつ側に寄ると、彼女は受話器を置いて俺に向き直る。


秀人(しゅうと)様、パリに詳しいエリスさんに案内していただいたら、とても素敵な一日になると思います! どこで待ち合わせしましょう……そうです! オペラ座で合流して、まずは観劇というのはいかがでしょう!?」


 よほど楽しみなようで、智子さんは先ほどの弾む声のまま語り始める。

 俺達と動く前提らしいのは一安心だが、少々面倒なことになったと俺は悩む。セバスチャンも同意見なのは鋭さを増した表情が示している。


 確かに今日はパリ散策に繰り出すつもりだが、誰にも予定を教えず巡るのと行先を知られているのでは危険度が違いすぎる。もしエリスが敵対勢力のスパイなら、待ち合わせ場所に暗殺者を伏せておく程度は造作もないからだ。

 いっそのことエリスをここに招いてから出発するか。しかし彼女を友人と思っている智子さんに『疑わしいから電話で合流場所を伝えられない』などと言うのは躊躇(ためら)われる。


 そもそもエリスのスパイ疑惑は、あくまで俺達の推測に過ぎない。

 意味ありげな接近と、思わせぶりな言動。そして若き日のマタ・ハリに似た容貌。突き詰めると、これらの根拠とも呼べぬ事柄だけだ。

 エリスの父ワイゲルト氏が関東大震災で亡くなったのは、未曽有の大災害だからあり得ること。彼女が帝国ホテルの仮装舞踏会にいたのは、欧米人が多い集まりだったから。欧州行きの客船は限られており一緒になっても不思議ではないし、女性の一人旅は危険だと一等客室を奮発した。

 そして智子さんは彼女の三歳下、つまり希少な同年代の女性客だ。四十何日も一人寂しく過ごすより、普通は話し相手を求めるだろう。


 こういう考えに立てば、彼女を敬遠するなど恥ずべき行動と言われても仕方ない。そう俺が思ったとき、セバスチャンが口を開く。


「お嬢様。エリス殿には疑わしき点があります。実はパリ常駐の配下に追わせておりまして」


 前に聞いたことがあるが、セバスチャン達はハーフや孤児を忍者に仕立て主要国に送り込んでいる。欧米で東洋人は目立つし、彼らの社会に溶け込んで諜報活動をするのは難しいからだ。

 そして日仏ハーフで幼いころから修業をさせた数人がフランスにおり、彼らを使ってエリスを見張らせたという。


「それで、どんなことが分かったんだ?」


「まず連絡役を見つけました。それ自体は到着の直後でしたが、背後の繋がりを解き明かすのに時間がかかったのです。……エリス殿の裏にいるのはシオニスト、まだ確定ではありませんがエドモン・バンジャマン・ド・ロチルドだと思われます」


 俺が先を促すとセバスチャンは頷き、一気に最後まで語っていった。

 エドモン・バンジャマン・ド・ロチルド……あるいはエドモン・ド・ロートシルトと呼ばれる人物は、名前から分かるようにロスチャイルド家の一員だ。そして彼は自身の莫大な財産を惜しみなく投じていき、委任統治領パレスチナ誕生に大きな役割を果たした。


「彼か……予想した一人ではあるが、随分な大物が現れたな」


「そんな、エリスさんが……」


 先日エリスとシオニストの関係を疑ってから、俺も改めてシオニストについて調べなおした。それにエドモンとは面談ラッシュの中で会っており、どんな人物か智子さんも熟知している。


 なんとエドモンは、バルフォア宣言以前から私財を投じてパレスチナの土地を買っていたという。それだけ『約束の地』への憧れが強いのだろうし、今でもパレスチナ委員会の創設を主導するなど精力的に活動を続けている。

 もしエリスを送り込んだのがエドモンだとしたら、俺の未来知識をイスラエル建国に利用したいのだろうか。先日は匂わせることすらなかったが、上手く本心を隠していたのか。

 やはり並々ならぬ相手だと、俺は気を引き締める。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 (うつむ)き気味となった智子(ともこ)さん、様子を窺うように見つめるセバスチャン。先ほどまでは暖かな空気が満たしていたリビングを、ひんやりとした静寂が支配している。


 俺はといえば、どうすれば智子さんを傷つけずに済むかを考えていた。

 わざわざセバスチャンが言い出す以上、なんらかの理由があるはずだ。ならばエリスと会うにしても、この部屋に招いて語らう程度にしておくべきか。

 そんな思案をしていると、智子さんが意を決したように顔を上げる。


秀人(しゅうと)様、エリスさんと会ってはいけないのでしょうか? 後ろにいる人達の思惑はともあれ、あの方が悪い人とは思えないのです」


 どこか(すが)るような表情と、感情を抑えたような声。智子さんの真摯な思いが伝わってくる。


 仮にエリスがスパイだとしても、望んでの行動ではない。たとえば母の所在を教えてやるから、などと持ちかけられて俺達に接近した……というのは確かにありそうだ。

 もしそうなら俺達がエリスの抱えている問題を解決し、こちら側に引き入れることも可能ではないか。そうなればエリスの背後にいる者達の情報も得られるだろうし、何より智子さんの願いを叶えられる。

 ただし、これらは願望混じりの仮定を重ねただけで、推論と呼ぶのも躊躇(ためら)われる。普通なら避けるべき道……なのだが。


「良いでしょう。私とセバスチャンの指示に従ってもらう……という前提付きですが」


「ありがとうございます!」


 俺が条件付きでエリスとのパリ巡りを認めると、智子さんは顔を輝かせ声にも先ほどの華やぎが戻る。

 その一方で渋面となったのはセバスチャンだ。彼は静やかながらも底知れない気迫を宿しつつ、真正面から俺を見つめる。


「どうなさったのです? 君子危うきに近寄らず……古来から伝わる通りです。お嬢様のため、そして日本のためにも、怪しげな女など捨ておくべきでは?」


「そう考えていた。だがエリスはヴェルダンで心からの祈りを捧げ、立場の違いを越えて集いたいと言ったじゃないか。あのときの言葉に嘘は無いと思うし、ならば腹を割って話し合えるかもしれない……それに上手くすれば黒幕の意図を探れるぞ」


 セバスチャンの冷ややかな声に、俺は慰霊地でのエリスを思い返しながら答えた。

 彼女は親族がヴェルダンで亡くなった、という理由で俺達に付いてきた。戦没した方はドイツ人と言っていたから、おそらく父方の親戚なのだろう。

 第一次世界大戦ではドイツとフランスそれぞれに数百万の死者が出たし、ヴェルダンは屈指の激戦地だから親戚や知人がいても不思議ではない。そのためフランス外交官のデジャルダン氏も彼女の言葉を信じ、妻の従者の一人という立場を用意して同行させた。

 そして慰霊地でエリスは真摯に死者を(いた)んだ。これに俺は新たな一面を見たと思ったし、デジャルダン夫妻や英米の外交官夫妻も彼女への見方を変えたようだ。


 だから俺は、条件付きだがエリスを伴っても良いと考えた。

 当然だが俺やセバスチャンが危険や不審を感じたら即刻引き上げるし、巡る場所やコースも制限させてもらう。そして彼女がスパイだとしても脅されての結果なら、こちらに引き込み相手の情報を得たい。

 これらを俺は語りつつ、同情による翻心(ほんしん)ではないと説いた。


「そこまで考えていらっしゃるなら、良いでしょう。……お嬢様、中浦(なかうら)様が仰るように我々の指示に従ってください。それが必須条件ですよ?」


「分かりました! 秀人様、本当にありがとうございます!」


 あくまで安全が確保できている前提でだが、とセバスチャンが許可を出した。すると智子さんは大喜びし、俺の手を取ると(きら)めく瞳で見上げる。


「いや、苦労するのはセバスチャン達だから……」


 俺は智子さんに応じつつ、護衛を務める隠密達の苦労を思った。

 そのため俺の視線は自然にセバスチャンへと動く。すると目に入ったのは、僅かだが笑みを浮かべた相棒の顔だった。


 智子さんに釘を刺し、かつ俺に花を持たせた。どうやらセバスチャンの意図は、こういうことのようだ。

 彼はエリス同行のリスクを認めつつも、俺と同様に現状打破の好機だと感じたのだろう。エリスの背後にシオニストあり……と突き止めたが黒幕確定に至っていない。そこで虎穴に入らずんば虎子を得ず、と舵を切ったわけだ。

 しかし本当に危険な場所に踏み込む気はないから智子さんには俺達の指示が絶対だと徹底し、更に俺が同行を許した形にして功を譲ってくれた。こんなところだと思う。


「私の役目はお嬢様と中浦様をお守りすること……。殿下からも、二人を無事に連れ帰るようにと厳命されておりますので」


 セバスチャンは載仁(ことひと)親王の望みだと返したが、その言外に含まれているものを俺は読み取った。

 俺達を無事に帰還させるため、彼は敢えて苦言を(てい)す役を選んだのだろう。


「ありがとう」


「いえ。……中浦様、エリス殿との距離には気をつけてください。(めかけ)を連れて帰国したら、殿下も嘆かれるでしょうから」


 俺の率直な礼に照れたのか、セバスチャンは妙なことを言い出した。

 思わず智子さんに顔を向けてしまうが、彼女も赤く頬を染めて俺を見つめている。ただし浮気を心配したのではなく、どう応じるべきか困ったのだろう。


「心配無用だ。前にも話したが、パリで手に入れたいのは智子さんのウェディングドレスだけさ。……オリンピックのメダルは選手達のものだからな」


「秀人様……」


 俺は年初に閑院宮(かんいんのみや)邸で語ったことを口にし、智子さんの肩に手を添える。

 エリスを選ぶなど万に一つもあり得ないが、それでも明言しておくべきだ。これもセバスチャンの差し金、あるいは冷やかしと思いつつも素直に乗る。


 どうやら俺の返答は、青年執事風の隠密頭という一風変わったキューピッドのお気に召したらしい。彼にしては珍しい、明らかな笑顔で頷いてくれた。


 お読みいただき、ありがとうございます。


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