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32 終着点(1924)

 上海見物を終えた俺……中浦(なかうら)秀人(しゅうと)は、再び鹿島丸(かしままる)の乗客となった。

 もちろん婚約者の智子(ともこ)さんやセバスチャンこと隠密の瀬場せば須知雄(すちお)、英米仏の外交官夫妻も一緒だ。それにドイツ外交官の娘エリス・ワイゲルト……スパイ疑惑のある彼女も。


 もっとも俺達の警戒に反し、エリスは何も仕掛けなかった。鹿島丸は予定通りに香港、新嘉坡(シンガポール)彼南(ペナン)古倫母(コロンボ)亞丁(アデン)と寄港し、蘇士(スエズ)運河も通り抜けたというのに。

 敢えて言えば、智子さんへの接近くらいか。将を射んとする者は……の故事に(なら)ったのか、同じ未婚女性なら情報を引き出しやすいと思ったのか、エリスは多くの時間を智子さんと過ごしていた。


「俺達が油断するまで大人しくするつもり……とか?」


「思いのほか中浦様のガードが固いと感じ、性急な仕掛けを控えたのでは?」


 俺の密やかな問いかけに、セバスチャンも同じくらい声を落として応じた。

 ここは俺達の船室、他に人はいないが用心すべきだろう。ラジオが普及してきた昨今、盗聴装置を仕掛けるくらい造作もないからだ。


 もっとも警戒は万一に備えてでしかない。

 セバスチャンが出入りするごとに調べているし、左右を含め近くは全て俺達が押さえた。それに智子さんの船室も含め、清掃なども配下の隠密にさせるほど厳重に警戒している。

 実は今このときも、部屋の前には深夜にも関わらず隠密達が立ち番をしている。智子さん付きと合わせて四人、ズラリと並んでいる光景は少々行き過ぎとも思うが頼もしいのも事実だ。

 普通なら船員達が文句を言うだろうが、俺は東宮(とうぐう)職の末席だしセバスチャンが『天皇家の(しのび)』として各方面に手を回したから誰も問題視しない。


「俺にそのつもりが無いのは知っているだろう?」


「申し訳ありません。()()()()でございました」


 俺の抗議めいた言葉に、セバスチャンは着座したままだが大袈裟に頭を下げて返す。

 このやり取りには裏がある。俺が閑院宮(かんいんのみや)邸に住み始めた直後、セバスチャンは配下の女性隠密……つまり()()()を使って試したのだ。俺が性的誘惑に対抗できるかを。

 智子さんが宮家を外れるのは表向きを繕ったのみ、嫁ぐ相手の女癖を調べるのは当然のこと。それがセバスチャンの理屈だ。


「あのときも言ったが、俺の生まれ育った時代は『お(めかけ)さん』なんて死語なんだ。色街に相当する場所もあるが、今と違って堂々と行くところじゃない」


 俺が(めかけ)や色街を挙げたのは、そういう方面のテストだったからだ。

 女を囲ったり遊郭に通ったり()()()()()()()()()()()が、あまりに溺れるようでは困る……とセバスチャン達は考えた。そこで俺を試したが、全く引っかからず拍子抜けしたらしい。


 俺も石部(いしべ)金吉(きんきち)じゃないし、タイムスリップ前は大学生だから相応の恋愛経験もある。しかし平成と大正の意識差は思った以上に大きかった……少なくとも俺にとっては。

 『出世したら(めかけ)にして』とか『気晴らしに花街で遊んでこよう』とか言われ、はい喜んでと応じる。これが大正時代の普通かもしれないが、正直なところ生理的に受け付けない。


「百年弱で随分と紳士的になったものですね……外面だけにせよ」


「ああ。性産業は形を変えて続いているし、浮気や不倫もある。ただ色々な意味で綺麗好きになったのは事実かな」


 皮肉っぽい口調のセバスチャンに、俺は肩を(すく)めつつ応じた。結局のところ、最後に触れた部分が大きいのだろうと思いながら。


 『ちょっと吉原へ』という言葉が残ったくらい、江戸時代の男達は気軽に遊郭を使った。これは明治以降も大して変わらないようで、大正時代の新聞は毎日のように性病治療の広告を載せている。

 それでも通い続ける男達を馬鹿にするつもりはない。俺が生まれ育った時代だって、更に百年後から見たら不潔で野蛮で愚かな原始時代だろうから。しかし衛生観念の発達した平成生まれからすると、色街とやらは無縁なまま済ませたい場所なのだ。

 (めかけ)も似たようなものだ。不道徳かつ旧時代の汚点という意識があるから拒否反応が先に立つし、何かの罠に違いないと即座に断った。


 その後は智子さんに惹かれるようになったから尚更だ。将来を共にすると誓った相手がいるのに他に目を向けるほど俺は多情じゃないし、純真な彼女を悲しませたくないから身を慎んだ。

 これをセバスチャンは知っているし歓迎してもいるが、こうやって時折からかいめいたことを口にする。ただし彼が智子さんの幸せを望んでいると重々承知しているから、いつもの冗談と俺も受け流すのみだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 今回の航海でも数々の出来事で時代の差を感じたが、言葉に限定するなら最たるものは『土人』だろう。

 辞書的な第一義は『土着の人』で、二十一世紀と変わらない。しかし大正時代だと『野蛮の民』などと載せるものもあり、蔑称としての意味が強かったのは確かだ。


 たとえば『北海道旧土人保護法』だ。これはアイヌ民族の保護を意図した法令というが、関係する裁判で『北海道旧土人は普通人よりも智能の程度劣等にして』と始まる言い渡しがあるくらいで実態は(ひど)いものだった。

 それに1903年の『人類館事件』から、まだ二十年である。こちらは大阪で開かれた第五回内国勧業博覧会の学術人類館に、動物園の見せ物のように展示されたと沖縄などの人々が抗議した事件だ。この抗議が『あれらの未開人と自分達は違う』という趣旨で差別意識を含んでいたから、ますます問題は根深い。

 共通法で内地とする領域ですら、こうなのだ。国外に出たら更に露骨だろうと予想していた。しかし航海が進むにつれて『南洋土人の棒踊り』や『印度土人の蛇使い』といった言葉が飛び交うと、色々思いはする。


 ただし当時の人権意識が低いと非難するのは短絡的だ。

 『北海道旧土人保護法』が廃止されたのは平成九年、紆余曲折で代替法案提出が遅れたとはいえ1997年まで有効だった。それに国連の『世界先住民国際年』は1995年からの十年、国際的な取り組みが始まったのも大よそ1980年代以降である。

 つまり大正時代の日本が遅れているのではなく、同様の差別が世界中に蔓延しているのだ。かのアドルフ・ヒトラーが傾倒した『アーリア人至上主義』を例に出すまでもなく、このころの民族主義は人種差別的要素を多分に含んでいる。


「……そういえば、エリスはユダヤ人を嫌ったりしないな。この船にもユダヤ系の乗客がいるだろう?」


 日本を旅立って一ヶ月以上、彼女は誰にでも偏見なく接していた。日本人を含む東アジア人、インド系やアラブ系、アフリカ系を含めて。

 あくまで俺の見た限り、だが……。


「そうですね。階級的な意識はあるようですが、外交官の娘であれば当然でしょうし」


 セバスチャンが指摘したのは、船員達に対するエリスの言動だ。

 まるで従者に接するような、礼法に則っているが壁を感じる挙措。俺達と話すとき以外、エリスは貴婦人としての顔を保ち続ける。

 しかし、これは智子さん達も同じだ。英米仏の外交官夫人を含め、彼女達は上流階級としての態度を崩さない。


「数年前までは帝政だから尚更だな。……しかし彼女、どの勢力に属しているんだろう?」


「現状不明です。あの国は諸派乱立、それに大統領は同じですが政権がコロコロ変わっていますから」


 俺が首を傾げると、セバスチャンは(あき)れたような表情で応じる。

 ドイツの状況だが、ほぼ本来の歴史と同じだ。大統領は共和政開始から変わらずフリードリヒ・エーベルト、ただし僅か五年少々で十回も組閣する不安定な状態が続いている。

 ちなみに正式な国号は帝政時代と同じでドイツ国、そこで区別のためヴァイマル共和政ドイツやヴァイマル共和国などとも呼ばれる。


 エーベルトのドイツ社会民主党は第一党だが、同党が全てを握ったわけではない。たとえば共和国発足時は中央党と民主党の連立政権だし、そのときのドイツ社会民主党の得票率は三十八パーセントで以後も二十パーセント台だ。

 そのため合従(がっしょう)連衡(れんこう)が繰り返され、現在のヴィルヘルム・マルクス内閣のようにドイツ社会民主党が野党の場合もある。


「そもそもエーベルトの大統領就任自体、国民による選挙が行われるまでの暫定措置だ。彼が今も元首を務めているのは、国情が安定せず大統領選挙が実施できなかったからに過ぎない」


 俺はエーベルトが歩んだ道を思い浮かべる。

 1918年11月……つまり第一次世界大戦の最終盤。宰相マクシミリアン・フォン・バーデンはドイツ革命を抑えようと皇帝退位を宣言し、自身の後任としてエーベルトを臨時宰相に指名した。

 このころのドイツ社会民主党は穏健左派として政権を支える側だったのだ。


 エーベルトは臨時政府の代表となり、軍と協力して革命派を鎮圧した。そしてヴァイマル共和国の大統領にもなったが、元々は王党派だから共和政体の元首を引き受けたのは不本意ながらだという。

 それもあって彼は早期の大統領選挙実施を望んだが、意に反して長く大統領職に留まった。


「しかし、その結果が『背後の一突き』の首謀者扱いですか。それに……」


「ああ。次を担うのが提唱者だからな……皮肉なものだ」


 セバスチャンの(ささや)きに、俺も同じくらい声量を落として応じた。

 『背後の一突き』とは、第一次世界大戦で負けたのはドイツ革命のせい、という主張だ。これは戦争当時元帥だったパウル・フォン・ヒンデンブルクの、敗戦責任諮問委員会における発言が始まりだという。

 これを軍人のみならず民族主義者や復古論者などの右派が支持し、ヴァイマル政府への攻撃にも繋げていった。


 ここまでは既に起きているが続きは年末から、つまり未来の出来事で大っぴらに話せない。

 エーベルトは革命を鎮圧した側だが、1918年1月に起きた国家規模ストライキの委員長でもあった。これを右派が非難して裁判を起こし、その時点では国家反逆罪だと判事も認める。

 委員長就任をエーベルトはストを小規模に収めるためだったと主張したし、実際その通りだったのだろう。彼は意気消沈し、盲腸炎になったのに治療せず来年二月に死去する。

 そして次の大統領に選ばれるのがヒンデンブルクだ。元軍人で帝政復古論者でもある彼は当然ながら右派、十年近く先だがヒトラーを首相に指名する人物でもある。


「話をエリスに戻すが、『背後の一突き』はユダヤ人のせい、という陰謀論を信じる者は多い。それなのに彼女は……」


「ドイツ人の乗客も結構いますからね」


 これも俺達からすると、謎めいた行動だ。

 揚げ足を取られぬようユダヤ人を嫌うフリをする。賢く立ち回るなら、こうすべきだろう。

 人種差別があれば気になるが、無くても気になる。どうにも矛盾した感情を抱えたまま、地中海の夜は過ぎていく。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 『背後の一突き』はユダヤ人の陰謀……という主張には、否定しきれない点もある。

 ますドイツ革命の指導者には複数のユダヤ人が含まれており、これが当初は大きく問題視された。もっとも彼らは社会主義者や共産主義者として動いただけで、ユダヤ系への利益誘導があったわけではない。

 しかしバルフォア宣言が示すように、陰ではユダヤ人からの働きかけがあった。


 第一次世界大戦の序盤はドイツ優勢で、イギリスなど連合国側が講和を模索した時期もある。まだアメリカが参戦していない、1916年ごろのことだ。

 このときドイツのシオニスト……エルサレム帰還を目指すユダヤ人達が、ある提案をイギリスにした。それは『自分達の働きかけでアメリカを連合国に加わらせる。その代わりにパレスチナにユダヤ人国家を』というものだ。

 これをイギリスは飲み、アメリカのシオニスト連盟が動く。そして1917年4月、アメリカはドイツに宣戦布告する。

 アメリカが反独に転じた背景には、ルシタニア号事件などドイツの無制限潜水艦攻撃で多くのアメリカ人が犠牲になったという直接的な要因もある。しかしシオニスト達の力が有効だったのは事実で、イギリスは密約を公表してユダヤ人支持を鮮明にした。

 ちなみにバルフォア宣言と呼ばれるようになったのは、支持表明が当時の外務大臣アーサー・バルフォアからユダヤ系貴族のライオネル・ウォルター・ロスチャイルドに送った外務省書簡だったからだ。

 これが単なる文書のみなら、それほど大きな問題にならなかったかもしれない。しかし大戦後のヴェルサイユ会議でユダヤ人が約束履行を迫ったり実際に国際連盟が委任統治領パレスチナ決議案を承認したりと、密約が大きな役割を果たした事実が明らかになった。


 これにドイツは大きな衝撃を受けた。帝国時代のドイツはユダヤ人に自由な経済活動を認めていたから、裏切られたという声が上がったのだ。

 ヨーロッパのユダヤ人に対する反感は根強く、しかも長い歴史を持つ。シェイクスピアの『ヴェニスの商人』で強欲なユダヤ人の金貸しシャイロックが死刑減免の代わりにキリスト教改宗を命じられるのも、金融業を牛耳る異教徒への反感を踏まえてのことだ。

 ユダヤ人が金融系を握ったのは、キリスト教が利息徴収を禁じたのが大きい。しかも多くのキリスト教国でユダヤ人の他業種進出を許しておらず、自身の否定する賤業を他に押し付けた結果でもある。このように自業自得ではあるが、富を独占されたという反感から迫害は激しくなるばかりだった。

 しかしドイツ帝国はユダヤ人に市民権を認め、彼らが金融業以外を営むのも許した。鉄血宰相ことビスマルクはユダヤ人銀行家を経済顧問とし彼らの力を活用したから、ユダヤ系資本の投資も大いに増えたし移住する者も多かった。

 つまり厚遇したのに売国的行動で返された形で、第一次世界大戦後のドイツでは反ユダヤ運動が激化していく。ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党……NSDAPが反ユダヤを党綱領に盛り込んだのも、そして彼らが多くの支持を勝ち得たのも、こういった背景があってのことだ。


「歴史は偶然ではなく必然……多くの命が過去から未来へと繋ぐ軌跡だ。それを断ち切るような愚行は避けねば……」


 黙祷を終えた俺は、思わず呟きを漏らす。

 ここはフランス、既に欧州航路の旅を終えている。しかし周囲は『花の都』パリの壮麗な建築や賑やかな雑踏ではなく、荒涼たる大地を寂しげな風が吹き抜けるのみだ。

 今いるのはロレーヌ地方のヴェルダン、それもドゥオモン要塞の近くだ。ソンムなどと並ぶ、第一次世界大戦でも最大級の激戦地である。


 1916年の『ヴェルダンの戦い』では七十万人以上が命を落としたという。そのため終戦直後から中心地たるドゥオモンでは軍人墓地が整備され、二十一世紀では身元が判明した十五万人以上の墓と不明なままの約二十五万体を納める納骨堂を中心にした慰霊の場になっている。


 ただし1924年現在、高さ40メートルを超える壮麗な納骨堂は存在しない。ドゥオモン納骨堂が完成するのは1932年で、まだ暫定的に木造の小屋があるのみだ。

 もちろん周囲も整備中、それに再戦に備えて随所に大砲などが置かれている。ヴェルダンでは二十一世紀に入っても遺骨や不発弾が見つかるくらいで、終戦から数年しか経っていない今は俺からすると戦地そのものに見えてしまう。

 空爆や集中砲火で地形すら変わった丘や野、崩れた堡塁(ほうるい)や塹壕。砲弾の穴も、大きなものは直径50メートル以上だという。まだ復旧作業の最中だから、そこここで遺体や不発弾を見つけるべく働く兵士達を目にする。

 先ほど言葉を発してしまったのも、この重苦しい空気に圧倒されたからだろう。


「本当に……まるで世界の終わりのような光景です」


 智子(ともこ)さんが沈痛な表情で続いた。俺もそうだが黒の礼装だから、ますます悲しげに映る。


 その後ろには、同じく黒服のセバスチャンが厳粛な表情で控えている。

 仮納骨堂で礼拝をしたのは、セバスチャン達や英米仏の外交官夫妻も含めてだ。それにエリスも親族が『ヴェルダンの戦い』で亡くなったと付いてきた。


 マルセイユで鹿島丸を降りた俺達は、僅かに休んだのみで数台の車を連ねて北に向かった。そしてパリにも寄らず、ここドゥオモンを最短ルートで目指した。

 このように強行軍だったが反対の声は出ず、それどころか外交官夫妻も積極的に賛同した。やはり俺が想像する以上に、第一次世界大戦の傷は深いのだろう。


 エリスの同行には反対の声も出たが、ここで身内が没したという言葉で霧散した。

 まだドゥオモンの軍人墓地は整備中だが、後には五万以上ものドイツ兵の墓標が並ぶ。こういった流れがあるからか、フランス外交官のデジャルダン氏が『共に祈りを捧げよう』とエリスに随員としての立場を用意したのだ。

 そのため彼女はデジャルダン夫妻の後ろだ。ただし侍女にしては少々上等な喪服だから、一見すると娘のようではある。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 1916年2月、ドゥオモンの近くで当時大尉のシャルル・ド・ゴールは負傷しドイツの捕虜となり、最初は戦死と誤認されたためフィリップ・ペタン将軍が『あらゆる点において並ぶ者なき士官』と激賞する。ペタンは第二次世界大戦中にヴィシー政権の元首となり、これをド・ゴールはドイツの傀儡としてレジスタンス行動に出るが、この時点では上官と部下だった。

 同年ドイツ帝国ではヒトラーが伝令兵として『ソンムの戦い』に加わっていたが、彼らを迎え撃ったのは誕生したばかりのマークⅠ戦車……イギリス海軍大臣時代のウィンストン・チャーチルが開発を主導した新兵器だ。それにチャーチルは西部戦線に大隊長として従軍し、マークⅠ戦車の活躍を直接目にしている。

 ダグラス・マッカーサーはアメリカ参戦後の1918年2月、第42師団の参謀長として西部戦線に加わった。これは出世を望んでの志願だったらしいが、実際に華々しい活躍をして准将に昇進している。

 他にも歴史に名を刻んだ偉人達……思想や行動はともかく大きな成果を挙げた者達が、第一次世界大戦で死線を(くぐ)り抜けた。


 これに対し、日本はどうだろうか?

 アジアや太平洋の戦いが楽だったとは言わないし、ヨーロッパでも観戦武官を戦地に送ってはいる。それに事後も武官に視察させるなど、すべきことはした。

 とはいえ日本の戦没者は四百名少々、数百万や数十万が散った英米独仏とは比べ物にならない。もちろん犠牲者が少ないのは良いことだが、代わりに得られた教訓も多くはなかっただろう。

 そして俺は、これが次に対する備えや心構えの差を生んだと思うのだ。


 たとえば1921年6月に岡村(おかむら)寧次(やすじ)が欧州視察に出されたのも、第一次世界大戦から学べという意図があったはずだ。

 しかし彼はドイツ滞在中に永田(ながた)鉄山(てつざん)など陸軍同期三人と密約を結び、人事刷新や軍制改革断行を誓ったという。いわゆるバーデン=バーデンの密約だが、内実は長州閥打倒や国家総動員体制確立など首を傾げる点が多い。

 彼らはドイツの戦術や総力戦体制を高く評価したが、それでも負けた原因をどう考えたのか。約束の地を得るために英米に働きかけたシオニスト、これに乗って攻勢へと転じた連合国、これら戦略的な動きに目を向けるべきではないか。

 それに総動員というが、あらゆるリソースを戦争に投入するなら最後に勝つのは大国および彼らの陣営に決まっている。人口で劣る日本が単独で成せるはずがない。


 俺は戦争を避けたいと思っているが、もし起きてしまったら生き残るために戦うつもりだ。

 ただし最善は戦わずして勝つ道、それを目指して外交努力や国力増強に励むべき。とはいえ第一次世界大戦のように友好国から助けを求められるケースもあるし、今の日本が独自路線を貫くのは不可能だから手を貸すことになるだろう。

 つまり負けないための協調、勝ち馬に乗るための手を打つべき。それをせず戦争へのレールを整備したら、亡国という終着駅に辿(たど)り着くのみだ。


「この悲劇を二度と繰り返さない、そう胸に刻みましょう……亡くなられた方々への敬意と共に。そのため私達は、ここを訪れたのです」


 俺は少々声を大きくしつつ、隣の智子さんに語りかける。

 芝居のようなセリフだが、これは英米仏の外交官夫妻を意識してのことだ。もちろん本心からではあるが、同盟国との心理的距離を縮めたいという点数稼ぎじみた思いもあったのだ。


「トレビアン! 我らも同じ思いです!」


「ええ。確かに私達は勝ちましたが、あまりにも代償が大きすぎる」


「はい、そのために我ら外交官がいるのです! ()き友と手を結び、最善の道を探るために!」


 手放しな賞賛はデジャルダン氏、苦い思いを篭めつつの肯定はイギリスのヘーグさん、理想主義的な若々しい声はアメリカのキリヤソフ氏だ。


 向こうも計算あっての発言だろうが、賛同は純粋に嬉しくもある。

 四十日以上もの航海で、俺達は親密さを増した。日英米仏の四国同盟を維持するため……向こうからすると謎の予言者こと俺の未来知識を得るためかもしれないが、元々親しいヘーグ夫妻以外とも友人と呼べる仲となった。

 打算含みでも、利害の一致さえ見出せば手を取り合える。そんな思いを、俺は強くする。


 広がる和やかな空気が、それまでの重苦しさを吹き飛ばしてくれたようだ。智子さんや夫人達の顔にも笑みが宿る。

 それに今まで硬い表情だったエリスも、普段の柔らかさを取り戻す。


「御親族も喜ばれたことでしょう」


 ここでは敵も味方もないだろう。そう思った俺はエリスに微笑みかけた。

 正直なところ俺は、彼女の親族が戦死したか疑っていた。しかし真摯に祈りを捧げる姿から、事実ではないかと思い直した。

 皆も同じように感じたのか、優しさに満ちた静寂が場を満たす。


「……ありがとうございます。こうやってドイツ人も弔っていただき、とても感謝しています。ここは悲しい場所ですが、国籍や民族……それに信仰すら超えて集える場なのかもしれませんね」


 しばしの沈黙の後、エリスは静かに言葉を紡いだ。

 マタ・ハリに似た(あで)やかな顔も、今は静謐な表情を浮かべている。それに喪服のせいか、まるで修道女のようだ。


「私もそう思います!」


「そうですわね」


 智子さんや外交官夫人達がエリスに賛同し、男性陣も温かな目を向ける。

 しかし俺は、あることが気になっていた。それは『信仰』という一言だ。

 俺達日本人を除くと全てクリスチャンだ。宗派の違いはあるにしても、わざわざ口にすることだろうか……と。


 フランスには外人部隊があり、第一次世界大戦でも百国以上から志願者が集まり各地で戦った。

 彼らの中には滋野(しげの)清武(きよたけ)男爵……通称『バロン滋野』のように日本人もいた。それに後のドゥオモンにモスクが建てられたように、アラブ系の外人兵も多い。

 そのため信仰に触れても不思議ではないが、エリスが口にしたのは自身がユダヤ教徒だからではないか。


 マタ・ハリは黒髪や濃い色の瞳の持ち主だから、ユダヤ系という風説が流れたこともある。つまり彼女に似ているエリスもユダヤ系の特徴を持つ……ということになる。

 単なる想像でしかないが、俺達に接近した理由を別方面から再検討すべきかもしれない。それはシオニスト達が俺に目をつけた、という可能性だ。

 シオニスト連盟は英米仏の要人とも太いパイプを持っているから、謎の予言者が誰かを知った可能性は充分にある。


「どうなさいました?」


「そろそろ行きましょう。旅の終着点にして新たな歴史が始まる場所……パリに」


 エリスの問いに、俺は向かうべき地を示した。内心では全く別の場所を思い浮かべつつ。

 それは約束の地、カナン。もしエリスがシオニストなら目指すはずの、現在ではパレスチナやエルサレムとして知られる場所だ。


「新たな歴史……?」


「いや、もちろん日本サッカーの、ですよ!」


 小首を傾げるエリスに、俺は誤魔化し混じりの笑みを返した。

 相手がシオニスト連盟の一員なら、不用意な言動は慎むべきだ。世界経済を握るといっても過言ではない相手だから、些細なことでも命取りになるだろう。

 アインシュタイン博士を日本に亡命させたように、ユダヤ人だからといって避ける気はない。しかしバルフォア宣言や委任統治領パレスチナ承認が示すように、シオニスト連盟には大国すら動かす影響力がある。

 それに彼らが約束の地を得た結果、二十一世紀になっても終わらぬパレスチナ問題が生じた。これを知っているだけに、俺は下手な開示や接触を避けたかったのだ。


 幸いにして、俺の言葉は冗談として済まされたようだ。智子さんは少々恥ずかしげな笑みを浮かべ、残る女性陣は品よく微笑み、男性陣は声を立てて笑う。


「さあ、パリへ!」


 改めて俺は声を張り上げる。

 とりあえずエリスに関しては様子見、これからはパリオリンピックに集中する。日本蹴球団がベストを尽くせるように、しっかり支援するのだ。

 そして歴史を紡いでいこう。各国がスポーツで交流し、武器を手にする前に語らいで道を探る、新たなる未来に向かって。


 お読みいただき、ありがとうございます。


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