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03 教授(回想2017)&説得(1920)

 俺、中浦(なかうら)秀人(しゅうと)は先日のことを思い出す。それは西暦2017年、俺が今いる1920年から百年近くも未来のことだ。


「……これまで何度も語った通り、日本と同じ島国だけあって、イギリスは比較対象として実に興味深い。特に歴史上の問題に関してはね。

そして第一次世界大戦や、その後の戦間期だが幾つかの共通点がある。まず、どちらも戦争で勝ったにも関わらず、その後に不利益を(こうむ)ったこと。そして双方とも近くに火種を抱えた植民地があったことだ……それも暗殺事件が起きる物騒な土地をね」


 この日のゼミも、いつものように教授は前振りというべき雑談から入った。

 ただし、この雑談が以降のテーマに繋がるから油断できない。俺を含めた十名の学生は全て真剣な顔で教授の話に聞き入っている。


 教授は『英国史は英国紳士にしか理解できない』というモットーの持ち主だ。そのため教授はゼミでも男子学生にはスリーピース、女子学生にもパンツスタイルのスーツ着用を義務付けている。

 普通なら敬遠されるところだが教授は講義が面白いし、英国関連だとテレビがコメントを求めるほどの有名人だ。そのため人気は抜群で、スーツ着用も興味半分の受講希望者を避けるためという噂があるくらいだ。

 そして適当に聞いていたら単位がもらえないのは確実だ。そのため受講者達には、大袈裟に言えば緊張感すら漂っていた。


「もちろん君達は、何のことか分かっているね?」


「はい、朝鮮半島とアイルランドですね。暗殺事件は1909年の伊藤博文と1922年のマイケル・コリンズでしょうか?」


 教授の問い掛けに女の子の一人が答える。

 伊藤博文に関しては、説明の必要はないだろう。現在の中華人民共和国の東北部、当時は満州と呼んだ地で朝鮮民族主義者の銃弾に倒れた。

 続いてのマイケル・コリンズだが、こちらは単純に言えば当時存在したアイルランド暫定政府の首相だ。

 暫定政府という名前からして危なげではあるが、実際に暗殺はアイルランド独立戦争のさなかで、それも同じアイルランド人、アイルランド共和軍の襲撃だったという。


「ふむ……まずは及第点かな? もっとも当時は暗殺事件など珍しくもなかった。日本でも戦前の首相は伊藤博文以外に五人も暗殺されている……それも同国人の活動家や軍人のクーデターで」


 教授は皮肉げな口調だった。確かに、このころの日本の首相は命懸けだったかもしれない。

 伊藤博文以降の五人は、首相になった順でいうと第十九代の(はら)(たかし)から第三十代の斎藤(さいとう)(まこと)だ。この間に限った場合ではあるが十二人のうち五人も暗殺されたわけで、半数弱が凶弾や凶刃に倒れたことになる。


「それに日本やイギリスに限ったことではない。伊藤博文からマイケル・コリンズの間にも、国家元首や有力政治家だけでフランス、ドイツ、オーストリア、ロシア、ギリシャ、エジプト、メキシコ、アフガニスタン……少し年代が違うがアメリカもあったね。重要人物以外や未遂も含めたら、それこそ大半の国が当てはまるかもしれない。

日本の場合1921年の実業家の安田(やすだ)善次郎(ぜんじろう)、首相の原敬と続く。この時代の政治家や有力者は大変だよ。暗殺されて死なないにしても、卒中で倒れる……ウッドロウ・ウィルソンやウォレン・ハーディングなど病や死去が日本に大きな影響を与えた人物もいたね?」


 教授は俺に顔を向けた。これは、お前が答えろってことだ。


「はい、第二十八代アメリカ合衆国大統領ウッドロウ・ウィルソンは、在職中に脳梗塞で半身不随となりました。1919年10月のことです。退任は1921年3月ですが、その間は病を秘匿し夫人が政務を代行したと言われています。おそらく、この間の停滞は当時の日本にも随分と影響したことでしょう。

次いで第二十九代大統領となったウォレン・ハーディングですが、こちらは任期中に死亡し、その後彼が任命した者達のスキャンダル……通称『オハイオ・ギャング』の汚職や搾取が大問題となりました。彼の死後アメリカ政界は大きく揺れたわけですが、経済優先の狂奔が後の世界恐慌に繋がったのかもしれません」


 あまり人の悪口は言いたくないから、俺は簡単な答えで済ませた。

 ウィルソンは国際連盟を提案しておいて、結局アメリカは加盟しなかったのが……。彼自身は加盟する気だったが、議会に反発され国内意見も(まと)められなかった。おまけに彼の理想主義が国際連盟の全会一致志向として残るなど、色々問題が多かったのは事実だ。

 卒中後に関してはウィルソンの責任じゃないが、一年半近くも政治に悪影響を及ぼしたのは事実だろう。


 ハーディングは、ある意味で典型的なアメリカ大統領なんだろう。何しろ『アメリカ第一』を掲げて選挙に挑んだわけだから。

 自国優先は当然のことだが、彼の政策には日本への制約となるものが多かった。もちろん彼は意識的に出る杭を叩いていたわけで、それも人気取りの一つなんだと思う。


「ふむ、よろしい! これも及第点としよう。もう少し本音で答えても良いと思うが、そうやって取り繕うのも紳士の処世術と言えなくもないからね!」


 教授は俺が口に出さなかったことも察したようで、冗談めかした言葉で応じた。その様子が面白かったのか、それとも礼儀としてか、皆が笑いを(こぼ)す。


「さて……中浦(なかうら)君が示したように、第一次世界大戦後のアメリカは現代にも通ずるものがあるようだね。厭戦からの理想主義、そして経済優先の国内第一主義……ウィルソンがノーベル平和賞を受賞しているのも、実に興味深い。

そしてイギリスと日本だが、こちらは同じような問題を抱えつつも(たもと)を分かたざるを得なかった。もっとも分かつように動いた者が賢いのだが……まあ、それは置いておこう」


 どうやら、ここからが本題らしい。教授はテーブルからティーカップを取り、一息入れる。


「イギリスはアイルランド紛争で多くのものを失い、長い時間を浪費した。ただし、かのマイケル・コリンズは『私達アイルランド人は七百年待った』と言ったそうだから、その後の百年足らずも全体からすると一部かもしれないが……。

いずれにせよイギリスは第一次世界大戦での債務と植民地の独立紛争という難事を抱えて過ごす。共産主義……ソビエトを警戒していながら更に近いドイツにすら譲歩していったのも、国内や連邦内の厳しい事情も大きかっただろうね。

一方の日本は、出遅れた分を取り戻そうとする。シベリア出兵に力を注いだのも、その一環だろう。だが、それは賢明な道ではなかった……君達、尼港(にこう)事件を知っているね?」


 教授の表情は、少し厳しいものとなる。もっとも、あの尼港事件を笑顔で語る者などいるはずもないだろうが。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「はい、ニコラエフスク……アムール川の河口近くでの惨事ですね」


「港が冬季は凍るから、救出が間に合わなかったという……」


 俺を含め受講生で知らない者はいなかったようだ。


 尼港(にこう)ことロシアのニコラエフスク・ナ・アムーレで起きた大惨事……尼港事件と呼ばれる悲劇は、大よそ1920年1月から5月末までの出来事だ。

 当時のニコラエフスクは反革命派の白軍……要するにロシア革命に賛同しなかったロシア人が押さえていた。少し前の1918年には逆に赤軍、つまりロシア共産党の革命軍が駐留していたが、日本軍の上陸で追われた。この日本軍の上陸はシベリア出兵の一環だ。

 そのころニコラエフスクは一万二千人以上も住む町で、そこに漁業関連など数百人の日本人が寄り領事もいた。これに駐留した軍人を合わせて日本人が八百人以上となったらしい。

 ちなみに住民は大半がロシア人だが、日本人以外にも少数ずつだが居留民はいた。それも中国人に朝鮮人の東洋系、イギリス人にユダヤ人にポーランド人などの西洋系と随分と多様だったらしい。


 しかしニコラエフスクの人口の約半分、およそ六千人もの人々は赤軍パルチザンによって虐殺された。

 白軍の指導者コルチャークの政権は前年末に崩壊し、2月にはコルチャークが赤軍によって処刑される。そして同時に極東の各地も革命派が制圧していき、アメリカもシベリアから兵を引く。

 そのためニコラエフスク周辺も赤軍パルチザンが勢いを取り戻したわけだ。


 アムール川の河口付近は11月から5月くらいまでの半年近くも凍結するそうだ。ハバロフスクあたりならサハリン島の南と同じくらいの緯度だから完全解氷は例年4月20日を過ぎたころ、ニコラエフスクのような河口付近だとサハリン北端と同じくらいだから5月中旬初めだという。

 現地の日本軍は中立堅持を命じられたが、港が凍っているから孤立状態で増援も期待できない。そのため四千人以上もの赤軍パルチザンに包囲されたニコラエフスクは、絶体絶命の窮地に陥った。

 動揺した白軍は弱体化し、日本軍が何とか支える状況が続いた。しかし防戦は長く持たず、結局は尼港開城となり赤軍パルチザンが町に入る。

 もちろん赤軍パルチザンは入城だけで済まさない。彼らは革命派に反した者達には資産没収や逮捕、更に日本軍に武器引き渡しを要求した。

 そして3月11日に日本軍は決起するが、多勢に無勢と敗れ去る。それどころか軍とは関係ない日本人まで攻撃され、軍人と民間人を合わせても生き残りは百数十名しかいなかったようだ。


 しかも悲劇は続き、その生き残りすら5月末には虐殺された。赤軍パルチザンはアムール川の解氷により日本軍が遠からず現れると悟り、ニコラエフスクを破壊しつくした。つまり大量虐殺と焦土化である。

 相手に利するより全てを灰塵に、と赤軍パルチザンは考えたのだろう。そして救援の日本軍が到着したときには、無人の焦土と化したニコラエフスクが残っていたのみであった。


「本当に(ひど)いことです! ハーグ陸戦条約にだって反しています!」


 俺の隣の男子学生が、激しい(いきどお)りを顕わにした。まあ、当然ではあると思うけど……。


「ふむ……ソビエトはハーグ陸戦条約に批准していないのだよ……1955年まで。ロシア帝国は調印したのだがね。

それに残念ながら国際法は実効的な拘束力が伴わない場合が殆どだよ。結局のところは勝った者が新たな規則を作り、時には遡ってすら適用する。そうじゃないかね?」


 教授の皮肉が滲む言葉に、皆は沈黙する。

 こんなことは特に歴史を学ばなくても誰でも知っていることだ。勝てば官軍、負ければ賊軍。力は正義。敗者は常に悪とされる。どこの国にでも、厳しい現実を指した言葉がある。


「それに日本軍も清廉潔白ではない。知っている者もいるだろうが、シベリア出兵において日本軍はパルチザンが潜む村を幾つも掃討した。それも『良民を装い判別する方法がないから敵対する者あるときは村落を焼き捨てろ』とね。

……これが一兵士の言葉ならともかく、旅団を率いる将、しかも更に上からの指令を受けての通達だ。もっともハーグ陸戦条約は交戦国が全て批准しなければ適用されないから、条約違反ではないよ。良かったね」


 教授は時々こういう物言いをする。

 おそらく歴史に触れるなら公平であれ、と言いたいのだろう。そうしなければ本当に学ぶことは出来ないと。だから自国であろうが良いところも悪いところも平等に語るのだと思う。


「とはいえソビエトや日本だけが野蛮だったわけじゃない。イギリスを例にすると前年の1919年にはアムリットサル事件、軍による市民への無差別射撃があった。僅か十分で三千名以上もの人を虐殺した悲惨な出来事だよ。

アメリカは1899年からの米比戦争……フィリピンへの侵略で民間人を20万人以上は殺した。これなど直前の米西戦争ではスペインから独立させると言って介入したのに反故にして植民地にしたのだから、(あき)れてものも言えないね。他も大同小異、そういう時代だと捉えるしかない。

古代や中世の戦いに、卑怯だ残虐だ、などと言っても仕方ないのと同じだよ」


 確かに教授の言う通りかもしれない。わずか百年ほど前だが、人々は今と違う常識で動いていた……あるいは動かざるを得なかった。それを現代の観念に当て嵌めて非難するだけでは、真の姿には迫れないだろう。


「……尼港事件に戻るが、これを事件だけで捉えてはいけない。元々シベリア出兵はロシア革命に対する干渉の一つだが、日本に任されたのはウラジオストクへの進軍のみだ。それを踏み越えて奥地に進み、尼港事件を理由に出兵を長引かせもした。その結果、日本は列強から野心を疑われ牽制や制約が増していく。

どうしても出兵をというなら、どこまで進むか、あるいは進めるかを明確にし根回しもしておくべきだ。出兵当時の首相寺内(てらうち)正毅(まさたけ)や軍部は傀儡政権を樹立したかったようだが、そのような勝手を他国が許すわけもなかろうに。

それに尼港には中国軍の砲艦もいた。なぜ日本軍は寒さが厳しくなる前に軍艦を送らなかったのか。中国艦がパルチザンに味方しなければ随分と状況は変わっただろうが、それを許した原因は日本の中途半端な方針にある」


 どうやら教授も、尼港事件には思うところが沢山あるようだ。

 教授のスタイルは、過去の過ちから目を逸らさず、更に回避する方法を見出そう、というものだ。前半は歴史家なら起きたことを正しく見つめるべきという思いから。そして後半は世を動かすなら先人に学べという意図から。


「結局のところ日本は出来たての友邦から距離を置かれた。大して長い付き合いでもないから、深く理解してなどいない。だったら隙あらば領土をという飢狼から遠ざかるだろう?

それにイギリスは至近でも各地でも独立騒ぎだ。日本の都合を思う暇などなかっただろうし、債権国のアメリカの顔色を窺う必要もあるからね。

アメリカも将来の危険を摘むだろうし、そもそも君主を置かない国だから、大日本帝国の伸張など気に入るわけもない。それにアメリカは経済こそ好調だが、政治的には遅れていた。何しろ大統領が一年以上も満足に職務遂行できないのに放置していたのだからね。修正第25条で改善されたのは、なんと1967年だ」


 教授は肩を竦めつつ首を振ってみせる。どうやら教授は当時の混乱した国々に対し、(あき)れに近い感情を(いだ)いているようだ。

 まあ、気持ちは分かるような気がする。周囲の思惑を読めずに突っ走る日本、今までのツケを払わされていくイギリス、大金は掴んだものの迷走や狂奔をする新興国アメリカ。どこも賢明とは言えないだろう。


「……さて、それでは今日も愚かな歴史を学ぼうか。少しでも賢くなって同じ間違いを犯さないために」


 これは教授の決まり文句だ。今までの話は、今日のゼミの材料なんだ。

 それを知っている俺を含む受講者達は、自然と背筋を伸ばしていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 百年近く先で学んだことは、今いる1920年で大いに活かせるだろう。俺が知っているのは大まかな歴史の流れと断片的な事柄だけだが、それでも何も知らないよりは遥かにマシだ。

 ただ、それを目の前の四人にどう伝えるべきか。この英国横浜領事館に来てもらった四人は全員が高度な知識人だから突飛なことでも理解してくれるだろう。しかし彼らの想像力にも限界はあるだろうし、そもそも動かす材料とならなくては意味がない。

 それに未来で学んだことは俺の切り札だから、全てを明かすわけにもいかない。俺は話すべきことを確かめながら、ゆっくりと口を開く。


尼港(にこう)……ニコラエフスクは今も悲惨な状況ですが、更に来月大事件があります」


 まずはニコラエフスクからだ。

 ニコラエフスクに関しては、この時点だと広く知られていないようだ。救出隊が現地に到達したのは6月頭だったそうだが、日本国内で大きく報道されたのはそれからだったという。

 ただし軍部は2月のニコラエフスクからの最後の打電や、同じく電信で得た赤軍パルチザンの声明文などで事態を把握していた。そのため早い段階から救出隊の準備はしていたが、氷に阻まれて南方で待機するしかなかった。

 現時点4月20日ごろだとアレクサンドロフスク……サハリン島の真ん中あたりに到達したかどうかだったと思う。


 とはいえ、ここにいる四人は現役外交官や元外交官、それに華族の大物実業家だ。

 イギリス側が駐日大使チャールズ・エリオットさんと横浜副領事ウィリアム・ヘーグさん。日本側が元ロシア駐在官で実業家でもある今村(いまむら)次吉(じきち)さんと華族で大阪商船の専務の深尾(ふかお)隆太郎(りゅうたろう)さん。四人とも何らかの手段でニコラエフスクの状況を掴んでいたようだ。


「ニコラエフスクで更に事件……中浦(なかうら)殿、軍は間に合うのですかな?」


「間に合ったなら更なる戦が起きる……もしやロシア革命派との激戦が? それとも間に合わずに政府や軍が糾弾されるのでしょうか?」


 今村さんと深尾さんは、これまでにないほど表情を厳しくしていた。

 確かに、どちらに転んでも大騒動になるだろう。俺が知っている歴史通りに進むと救出は間に合わず、赤軍パルチザンは撤退済みで戦いは起きないが、代わりに国内では責任問題から陸軍大臣の田中(たなか)義一(ぎいち)が辞職する事態になる。


「それは後ほど……ただ、どちらにしてもシベリア出兵が長引きます」


 俺は曖昧な返答のみとした。

 今村さんや深尾さんとは、場所を神奈川県庁に移して更に話し合いをすることになっている。ここは英国の領事館だから。

 移動するといっても神奈川県庁は日本大通(にほんおおどおり)を挟んだ向かいだから、わずかな時間しか掛からない。それなら日本人だけで安心して話せる場所に移るべきだろう。


 これはエリオットさんやヘーグさんも承知だから、そこには彼らも触れない。代わりに二人が問うたのは、自国への影響についてであった。


「日本がシベリアに拘るのは望ましくありませんが、それのみであれば我が国は動かないでしょう。日本と距離を置けば良い……残念ですが、こうなるはずです」


「元々シベリアに手を出す余力がないからアメリカと日本に任せたのです。チェコ軍団の救出という理屈を押し立ててまで……」


 エリオットさんやヘーグさんの表情は芳しくない。

 確かに尼港事件は日本国内に大きな衝撃を(もたら)した。しかし殆どのイギリス人からすると、ユーラシア大陸の反対側での出来事に過ぎない。

 もちろんニコラエフスクには多少のイギリス人もいたが、それでは国を挙げて動こうという理由にはならないだろう。イギリスがシベリア出兵に賛同したのは、あくまでロシア革命派……ソビエトを封じ込めるためだったのだから。


「だからこそ、日本の暴走は望ましくないのでは? 何しろイギリスはアイルランドという問題を抱えているのですから。

このままだとアイルランドとの紛争は長引くでしょう。そしてアイルランド独立は、アメリカにとって望ましい出来事です。先祖がアイルランドから来た人もいますし、イギリスの力を削げますからね。

それに日本は皇室、イギリスは王室と双方とも君主を戴いた国です。この先のことを考えると、同じ君主制の国として協力し合うべきですよ」


 俺はアイルランド問題と統治体制の二つを挙げた。

 アイルランドの独立は長い目で見たら避けられないだろう。しかし、もう少し軟着陸させる方法はあるはずで、その場合イギリスは人的資源や時間の浪費を回避できる。

 そして統治体制だが、二十一世紀だと君主制の国は三十前後だろうか。1920年に幾つあったか正確には知らないが、確か三倍近いと思う。しかも、このころは幾つもの国が君主制から共和制に移行しているはずだ。おそらく第一次世界大戦からでも十近くが共和制となっただろう。

 遠交近攻という言葉もあるが、現体制を維持するなら日本とイギリスは親しくしておくべき。そのように俺は訴えかける。


「私ならアイルランド問題に関しても助言できます。過激な主張をし徹底抗戦を叫ぶ人達、思惑はあるものの全体のために融和の道を探る人達……未来で知ったことが役に立つでしょう。

それに現在、アメリカの大統領ウィルソンは本来の力を発揮できません。ご存知かもしれませんが、彼の病は非常に重いのです」


 俺の言葉にエリオットさんとヘーグさんは再び表情を変えた。

 誰がどう動くか、それを知っていたら手の打ちようはある。俺が(ほの)めかした言葉から、彼らはアイルランドとの行く末が明るくないと察し、しかし回避の手掛かりが俺の知識にあると悟ったようだ。

 それに遠いアメリカのホワイトハウスの内情まで知っているなら、他にも有用な知識はあるはず。ならば得た情報を上手く活かせばイギリスの勢力維持が可能かもしれない。二人は、そう思ったのだろう。


「判りました。まずはニコラエフスクがどうなるか見守りましょう。貴方の力で日本が災いを回避できたら、私達も乗らせてもらいます」


 エリオットさんの言葉は、予想の範囲内だった。彼らからしたら、俺は占い師か予言者みたいなものだ。ならば当たるかどうかを確かめてから動く、というのは当然だ。


「ええ、それで構いません。では早速ですがニコラエフスク対策に移ります。今村さん、深尾さん、お願いします」


 俺は笑顔で頷くと、そのまま席から立ち上がる。

 残された時間は少ない。俺の様子から感じ取ったのだろう、今村さんと深尾さんも厳しい表情で退出の準備を始めていた。


 お読みいただき、ありがとうございます。


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